「あの子は彼を信じて、私を信じてくれなかった」
「ま、仕方ねえよな。野心のある子はM氏の巧みな話術に騙されるんだ」
話がよく見えないけれど、ここにいたチャミという子があの紳士的な悪い人の家に行ってしまったということだろうか。
ふとママと目が合うと、「ナナちゃんの話だったわね」と微笑んだ。
「ナナちゃんはね、スーツケースを引いて表の大通りをとぼとぼと歩いていたのね。ピンクのスーツケースとテディベアを抱いている姿が目立ってね。フフッ。いかにもこの辺にはいない純粋そうな子で」
たしかに、黒髪で服装は目立たなくても、そんな荷物を持っていたら目立つこと間違いない。
それがわかると苦笑いするしかなかった。
「M氏が近くを歩いていたのを見たから、彼が見つける前に声をかけたのよ。そしたら、キャバクラの面接に落ちたって落ち込んでいてね。それで、うちのキッチンで夜十時までならなら雇えるって話したの」
「しかも、面接落ちたのって、M氏の息がかかった店だったらしいぜ。だから、その流れでM氏に連絡がいって声をかけられるのはあり得たんだよな。ラッキーだったよ、ナナちゃん」
来夢さんがフッと息を吐いてイスから降りると、ママの前にあるガラスの灰皿に煙草を押し付けた。
「ナナちゃん、荷物取りに来たんだよな? スマホあったろ? それ見たらなにかわかるんじゃねえの?」
そう言って来夢さんが立ち上がったから、私もつられるように立った。
「そう、スマホが見たかったの!」
「待って。ナナちゃんの部屋、鍵をかけているから」
ママも立ち上がると、レジの中から鍵を取り出した。
「ナナちゃんは出て行く時、鍵をかけずに部屋のテーブルの上に置いていたのよ」
そう言いながら、ママは私たちを促すようにカウンターの中から裏へ回った。
そしてお店の外へ出ると、小さなエレベーターホールがあった。
「二階から四階が寮になっているの。各階、二部屋ずつあるのよ。今は三階は誰も住んでいないんだけど。五階が私の部屋ね」
エレベーターの二階のボタンを押しながら、ママが私に説明する。
たぶん、私は知っていたことなんだろうと思うけれど。
二階に着くと、来夢さんが扉の開くボタンを押してくれて私たち二人を先に出した。
「201がナナちゃんの部屋」
ママが鍵を回してドアを開けると、私に中に入るよう促した。
中に入ると、遮光カーテンの隙間から真夏の強いの光が一筋差し込んでいるのが目に入った。
うす暗い室内は殺風景で、鏡と化粧道具の置かれた小さなテーブルといくつかのクッション、そして一組の畳まれた布団が一組あるだけだった。
備え付けのクローゼットを開けると、中には見慣れない少し派手目の服が並んでいて、私のピンク色のスーツケースがあった。
スーツケースの中には家から持って来た服が入っている。
これは着ていなかったのかもしれない。
「スマホは……?」
「窓辺に置いてあったわよ。触っていないから」
ママに言われて遮光カーテンを開けると、白い出窓に置いてあるキラキラした色とりどりのストーンのついたスマホカバーが目に入った。
と同時に、家から持って来たビンテージ物のテディベアのルイがちょこんと座っている姿も見つけた。
私はスマホよりもルイに吸い寄せられるように近寄り、そのフワフワした感触を味わうように抱きしめた。
「そっか。思い出した」