コーヒーの香りが微かに鼻をかすめ、ママがマグカップをコトンと音を立ててテーブルに置いた。

 ママの瞳はどこか寂しげだけれど、明らかに心配そうな表情で私を見つめている。

 そのうしろでは、背の高いカウンターチェアに腰かけた来夢さんが煙草をふかしながら私を見ている。
 彼の瞳も、ママに似た慈愛のようなものを感じる。

 この親子は記憶がなかった二週間、私にとってどんな存在だったのだろう……?

 記憶がなくても、面倒見のいい温かい人たちだということは感じる。

「ごめんなさい。私、何も覚えてなくて……。私がここに来た経緯を知りたいんですけど」

 キャバクラの面接を受けた私は年齢で引っ掛かっかったと言っていたけど、どうしてここにたどり着いたのか不思議だった。

「知り合いのキャバクラの面接で断られて出てきたのを見たの。そういう子を狙っている輩もこの辺りにはいるのよね」

「狙っているって?」

「だから、家出少女を悪い道へ誘う人たち」

 その言葉で、昨日の怪しい紳士を思い出した。

「家に仲間がいるからって連れていく人……?」

「やだ、ナナちゃん。まさか声かけられての?」
「ついて行ってないだろうな?」

 ママは驚き、来夢さんは鋭い目で私を見る。
 なんだかお母さんとお兄ちゃんと話しているみたいな、どこかくすぐったいような不思議な感覚になる。

 私にはお母さんもお兄ちゃんもいないけれど。

「知らない男の人が助けてくれたの。この辺りでは有名なら悪い人だって。高級そうなスーツを着た紳士的なおじさんだったんたけど」

「ハハッ、〝M氏〟だな」

 来夢さんが意味深な視線をママに送った。
 ママは苦笑いしながらうなずいている。

「やっぱり有名な人なの?」

「まあな。母さんはM氏の魔の手から女の子たちを守りたくて、この店をやっているようなもんだ」

 ママの顔を見ると、小さく笑って煙草に火をつけた。

「私も十七の時に家を出て、二十歳だって嘘ついて水商売のお店で世話になったからね。今は警察の取り締まりも厳しくて年齢を誤魔化したりできないけど、昔は身分証なんてなくても働けたから」

 そして煙を吐きながら、ドアの方を顎で指した。

「この辺りは今でも風俗もあちこちにあるのよね。一歩間違えればそっちに行っていたわ。でも、前にここでお店をやっていたママだった人に救われたの。このお店を受け継ぐ時に、家に帰れない女の子たちを守る目的でやろうって決めたのよ」

 やっぱりこのママは素敵な人だと思った。
 温かい人柄が滲み出ている。

「それでも、騙されてM氏のとこに行っちまった子もいたよな」

「――チャミね。」

 煙草の灰をガラスの上に落としながら、ママが小さくため息をついた。