「夕璃」

 名前を呼ばれて気づいた時には、おひさまが頭の真上に来ていた。

「当たりだ!」

 そう言って満面の笑みを浮かべたのは、テッちゃんだった。

「…………テッちゃん? なんでここにいるの?」

「おまえこそ! 夕璃の父ちゃんたち、大騒ぎして探してんぞ!」

「あっ……」

 忘れていた。お父さんが迎えに来るんだった。
 
「お母さんが、死んじゃったの……」

「――――マジで?」

 テッちゃんが目をまん丸くして驚いている。

「あたし、お母さんの笑った顔も見たことないと思ったんだけど……。思い出したの。この河原でバーベキューしていたお母さんが笑っていたこと」

「……うん」

「ずっとね、お母さんはあたしの顔をあまり見てくれなかったの。だけど、ここでは見てくれていたよね……?」

「うん。おまえ、溺れかけたことあるじゃん」

「えっ? そうだった?」

「うん。おばちゃんがすぐに気づいて助けたから、ただ水に浸かっただけだったけど。少しでも手を伸ばすのが遅かったら流されていたって、おじちゃんが言っていたの覚えている」

 幼稚園に入る前、佐間川には何度も遊びに来ていた。
 ずっと忘れていたけど、そんなこともあったかもしれない。

 そうだ、あの頃のお母さんはとっても優しくて、いつも私を見てくれていた。

 それを思い出すと、私の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

「あたし、ずっと忘れていたの。お母さんが笑っていたこと。だから、お母さんに笑ってほしくて、こっちを見て欲しくて……」

 あたしが砂利の上で膝を抱えて泣き出すと、テッちゃんの手が頭の上に乗せられた。

「うん」

「……テッちゃん家で作ったウサギちゃんのクッキーも渡せなかったの。おばあちゃん家で描いたお母さんのお顔の絵も……」

 ただ喜んでほしかった。
 ただ笑ってほしかった。
 
 自分を見て欲しかっただけだった――――。

 なのに、その願いも届かずにいなくなってしまったのだ。

「父ちゃんがいるじゃん、おまえには」

「……うん。でも、お仕事でいつもいないもん」

「じゃ、俺がいるじゃん!」

 テッちゃんが大きな声で言ったから、驚いて顔を上げた。

「俺が見てやるよ、夕璃の作ったもの全部! 俺はどんなものでも夕璃ががんばって作ったの知っているから。俺が褒めてやるよ。俺が笑ってやるよ。母ちゃんの代わりに、ずっと夕璃のそばで見ていてやるから!」

「――――うん」

 お母さんの代わりなんていない、そう思ったのを覚えている。

 だけど、それ以上に、テッちゃんの言葉がすごく嬉しかったことも…………。



 そうなんた。
 テッちゃんはずっと、お母さんの代わりに見守っていただけ。

 少しずつ成長した私はきっと勘違いしてしまったのかもしれない。

 テッちゃんが私を大切にしてくれているのがわかっていて。
 彼が菜々に魅かれているのも知っていたのに、どこか私は特別な存在だと思っていたのかもしれない。

 だって、小さい頃からずっと傍にいてくれて、気にしてくれて、一緒にいろんな景色を見てきたんだから。

 勘違いしてしまっても無理がないよ。
 ずっと兄貴面していたことだって知っていたけど。

 私の気持ちが変わったように、テッちゃんの気持ちが変わったっておかしくないって思ったの。

 たとえ今は菜々に魅かれていると思っていても、私との時間は長くて深いんだって気持ちがあったから。

 だけど、これは恋愛になり得ない関係なんだって、知らなかったのかもしれない――――。

 今、目の前で私を睨んでいる彼は、明らかに兄貴の目をしている。
 そう、ずっと変わることが無い、小さな私に〝お母さんの代わりになる〟と言った、幼なじみの鉄平でしかなかった。