その日の夜、夢を見ていた。
 テッちゃんの家族と一緒に、佐間川でバーベキューをしていた。

 私とテッちゃんはまだ幼稚園にも通っていないくらい小さくて、テッちゃんの弟のショウちゃんはまだテッちゃんママのお腹の中にいた。

 テッちゃんママと話しているお母さんが笑っている。

 私が「お母さん」と声をかけると、笑顔をこちらに向けた。
 そして、ケラケラと笑いながら「夕璃、お口にケチャップが付いているよ」と言って優しくティッシュで口を拭いてくれた。


 そうだ、そんなことがあった。
 夢じゃない。

 小さい頃、たしかにお母さんが笑っていたことがあった。
 抱きしめてくれたことがあった。
 「かわいい」「大好き」って言葉を投げてくれたことだって――――!

 私は起き上がって布団から飛び出すと、となりの部屋で寝ているおじいちゃんとおばあちゃんのところへ行った。
 まだ外は薄暗くて、お父さんが迎えに来てくれるには早いのだろうか?

 お母さんはあの河原で笑っていた。
 すぐに誰かに伝えたかった。

 だけど、おじいちゃんとおばあちゃんを起こす気にはなれず、リビングに行くとテーブルの上にお財布が乗っているのが見えた。
 
 おばあちゃんがいつも使っている、がま口の小銭入れだった。

 佐間川にはいつもお父さんの車で行っていたけど、電車で一本の佐間駅から歩いてすぐのところにあることも知っていた。

 私はおばあちゃんのお財布を握ると、そっと着替えて家を飛び出した。


 どうして佐間川に来たいと思ったのか、幼い私には説明なんてできなかった。
 だけど、むかしの記憶を思い出したばかりの私は、そこに笑顔のお母さんがいるような気がしていたのかもしれない。

 早朝の河原には誰もいなくて、ただ冷たい秋風が吹いていた。

「お母さん……」

 思わず口からこぼれると、ギュッと胸が絞めつけられる。

 死んでしまったなんて、信じられなかった。
 もう二度と会えないなんて…………。

 あの頃、ここで本当に笑っていたのだろうか?
 最近のお母さんは私と目も合わせてくれなかった。

 そうだ、昨日久しぶりに私の目を見てくれた。
 だけど、それは驚いたような哀しいような表情だった。

「夕璃は笑っているのね」
 そう言われた。あれはどういう意味だったのか――――?

 もう誰に聞いても分からない、そんな謎が出来てしまった…………。


 お母さんに笑ってほしくて作ったウサギのクッキーは自分で食べてしまった。
 とっても美味しく出来たから、きっと喜んでくれたのに。

 お母さんに喜んでほしくて描いた絵もきっと捨ててしまう。
 だって、もうお母さんはいないのだから。
 私はお母さんに見てもらって「上手ね」って誉めて欲しかった。

 なのに、お母さんがいないと知っても、不思議と涙が出なかった。