幼いころの記憶を呼び起こしても、そこに笑顔の母親の姿はない。

 お母さんといえば、いつも悲しそうにうつむいているか、無言でイライラしているか。
 そんな印象しかなかった。

 それでも、幼い私はいつもお母さんを気にしていた。

 他のお母さんのように笑ってほしい、私を見てほしい。
 いつもいつも、そんな想いを抱えていたように思う。

 六歳のあの日、幼稚園に迎えに来たお母さんはやけにぼんやりとしていた。

 それはいつものことではあったけれど、今思えば、何か考えていたのか全てが上の空だった。

「あのね、今日はテッちゃんのおうちに遊びに行ってもいい? おばちゃんがクッキー焼くんだって! 一緒に作りましょうって!」

 そのときの私はお母さんの様子を気にするよりも、テッちゃんの家に行きたいということで頭がいっぱいだった。

「そうなの」

 お母さんはぼんやりと宙を見つめ、私の手を繋いで、ただ家までの道を歩く。

 そうなの、という答えは、良いのかダメなのかさえ、幼い私にはわからなかった。
 だから、少しの間、そのあとに続く言葉を待ってみた。

 けれど、お母さんは私を見ることもなく、あとに続く言葉を発することもなく、ただぼんやりと歩き続けるだけだった。

「テッちゃんのおうちに行ってもいいの?」

 私はもう一度、お母さんに聞いてみた。

「そうね」

 それは恐らく生返事だったけど、そのときの私には「行ってもいい」という意味に聞こえて喜んだ。

「ありがとう、お母さん!」

 満面の笑みで大きな声を出すと、少し驚いた顔をしたお母さんが私に視線を向けたことを覚えている。

「…………夕璃は、笑っているのね」

「だって、うれしいの!」

 それはもちろん、テッちゃんの家に行くことを言ったのだけど。

 お母さんはどこか悲しそうな顔をした。
 だから、なにか噛み合っていないことを幼いながらに感じていてはいたのだけど。

 そのときの私はお母さんのことよりも、テッちゃんの家でテッちゃんのお母さんと一緒に作るクッキーの方に興味がいっていた。

 手作りのお菓子なんて、家では作ったことなんてなかったから。
 家でクッキーが作れるということだけで、とってもわくわくしていたのだった。