記憶を失ったあと、初めて学校に登校してから三日経ったときのことだった。
担任に『相談室』という場所へ連れて行かれ、私は理解ができなかった。
相談室というのは学校へ行きづらかったり、先生に悩みを相談したい生徒が集まる場所らしいのだ。
保健室登校だけでなくこういうフリールームにも登校ができるって、すごくいいことだと思う。
驚いたのはそこからだ。いざ相談室へ行くと、そこにはトウマ先生が座っていた。
「えっ……トウマ先生!?」
「こんにちは、美雨さん。突然ごめんね、びっくりしたよね」
私は静かに頷いた。
――どうしてだろう。トウマ先生は病院の先生なはずなのに、何で私の学校に……?
疑問が頭に浮かぶなか、トウマ先生は優しい笑顔で微笑んだ。
「美雨さんの様子が気になったの。学校に毎日行ってるってお母さまから伺ってね。体調のことも、記憶のことも、色々聞きたいと思って。ここなら誰も来ないし、安心してお話できるの」
「そうなんですね……」
トウマ先生は私のことを心配して、病院からわざわざ来てくれたのだ。
本当に私のことを考えてくれてないと、こんな行動できないと思う。
トウマ先生が自分のことを心配してくれてると思うと、すごくうれしかった。
「学年主任の先生にも伝えてあるから大丈夫よ。美雨さん、今日はよろしくね」
「は、はい。こちらこそよろしくお願いしますっ」
トウマ先生によると、約一時間くらい、この相談室を使えるそうなのだ。
私のあとにはスクールカウンセラーと相談をする生徒たちがたくさんいるそうで、悩みを抱えている子は少なくないんだなぁと思った。
悩みがあるのは私だけじゃないと分かってものすごく安心した。
「美雨さん、あれからどうかな。何か思い出したり、記憶の断片を見たりした?」
「えっと、まだ記憶は戻らなくて。学校に来たら何か思い出すかなぁと思ったんですけど、期待外れで……あっ!」
話しているときに、私はハッと気がつくことがあった。
トウマ先生に伝えるのを忘れていたけれど、入院中のとき、少しだけど記憶の断片を見たことがあったから。
「すごく晴れていた日に、私の声が頭に浮かんだんです。『雨は大嫌い』って。どうして雨が嫌いなのかは分からないけれど、きっと前の私の言葉なんだと思います」
伝えていなかったことに怒られるかと思って心配だったけれど、そんなことはなかった。
トウマ先生は私に笑顔を向けてくれた。笑ったときのえくぼがとてもかわいらしい。
「ありがとう、教えてくれて。そうだね、美雨さんの記憶の欠片だね」
「はい……! でもそれ以降は何も思い出すことができなくて。何か少しでも思い出せたらいいんですけど、簡単には無理ですよね」
はぁ、とため息を吐いてしまったことに失礼かと思い、慌てて咳払いをする。
少しでも記憶を取り戻せたら何か変わるのだろうか。私はまた前の人生を歩むことができる?
でもそれは本当に、私が望んでいることなのだろうか。私は記憶が戻ることに少しだけ躊躇している気がする。
「美雨さんの焦る気持ちも分かるよ。私も正直困ってるの。今回みたいに、記憶喪失の子の担当になったのは初めてだから」
「えっ、そうなんですか?」
「そうなの。あと、晴人くんもだね。美雨さん、晴人くんと知り合いだったよね」
藤間くんの名前が出てびっくりする。
聞いていなかったけれど、藤間くんの担当医師も、トウマ先生だったんだ。
トウマ先生と藤間くん――。なんだかややこしくなって少し笑ってしまう。
「そうそう、美雨さんはいつもどんなときでも笑っていて。辛いことはたくさんあるだろうけど、美雨さんには笑顔でいてほしい」
「はい……!」
私には笑顔でいてほしいだなんて。どうしてそんなに優しい言葉を掛けてくれるのかな……。
あっという間に一時間が経ち、トウマ先生に挨拶をして教室へ戻った。
このクラスは比較的静か。グループはできているけれど、そのなかでしか交流がない感じ。
だけど真田さんのグループだけは派手で、休み時間は廊下で騒いでいる。私はこういう人たちとは関わりがないけれど、それでいいと思っている。
学校に来てわずか数日だけど、真田さんのことが苦手だから。
「あっ、美雨、おかえり!」
「美雨ちゃん大丈夫だった?」
「ただいま、全然大丈夫だよ。入院してたときの担当のお医者さんが来てくれて、話をしただけだから」
雪花ちゃんと風穂ちゃんが、心配そうに私を見つめる。
二人とも相談室という部屋を知らなくて、私がどこかへ無理やり連れて行かれたと思ったから、不安だったみたい。
そのときの状況が思い浮かんで、なんだか嬉しくて笑ってしまった。
「その先生って、どういう人なの?」
「うーん、私のことをとてもよく考えてくれていて、行動してくれて。この先生が私の担当医師で良かったなぁ、って思ってるよ」
「そっかぁ。きっと美雨ちゃんと似て、優しくて素敵な先生なんだろうなぁ」
風穂ちゃんはそう言ってくれたけれど、私と似ているなんてとんでもない。私は記憶を取り戻すことに抵抗があって、臆病で、心が弱くて。
――私もトウマ先生みたいになりたいな。いつか、なれるかな。
なんて、トウマ先生はトウマ先生で、私は私。それはいつまで経っても変わらないよね。
授業中だというのにそんなことを考えながら、ぼーっと黒板を眺めていた。
担任に『相談室』という場所へ連れて行かれ、私は理解ができなかった。
相談室というのは学校へ行きづらかったり、先生に悩みを相談したい生徒が集まる場所らしいのだ。
保健室登校だけでなくこういうフリールームにも登校ができるって、すごくいいことだと思う。
驚いたのはそこからだ。いざ相談室へ行くと、そこにはトウマ先生が座っていた。
「えっ……トウマ先生!?」
「こんにちは、美雨さん。突然ごめんね、びっくりしたよね」
私は静かに頷いた。
――どうしてだろう。トウマ先生は病院の先生なはずなのに、何で私の学校に……?
疑問が頭に浮かぶなか、トウマ先生は優しい笑顔で微笑んだ。
「美雨さんの様子が気になったの。学校に毎日行ってるってお母さまから伺ってね。体調のことも、記憶のことも、色々聞きたいと思って。ここなら誰も来ないし、安心してお話できるの」
「そうなんですね……」
トウマ先生は私のことを心配して、病院からわざわざ来てくれたのだ。
本当に私のことを考えてくれてないと、こんな行動できないと思う。
トウマ先生が自分のことを心配してくれてると思うと、すごくうれしかった。
「学年主任の先生にも伝えてあるから大丈夫よ。美雨さん、今日はよろしくね」
「は、はい。こちらこそよろしくお願いしますっ」
トウマ先生によると、約一時間くらい、この相談室を使えるそうなのだ。
私のあとにはスクールカウンセラーと相談をする生徒たちがたくさんいるそうで、悩みを抱えている子は少なくないんだなぁと思った。
悩みがあるのは私だけじゃないと分かってものすごく安心した。
「美雨さん、あれからどうかな。何か思い出したり、記憶の断片を見たりした?」
「えっと、まだ記憶は戻らなくて。学校に来たら何か思い出すかなぁと思ったんですけど、期待外れで……あっ!」
話しているときに、私はハッと気がつくことがあった。
トウマ先生に伝えるのを忘れていたけれど、入院中のとき、少しだけど記憶の断片を見たことがあったから。
「すごく晴れていた日に、私の声が頭に浮かんだんです。『雨は大嫌い』って。どうして雨が嫌いなのかは分からないけれど、きっと前の私の言葉なんだと思います」
伝えていなかったことに怒られるかと思って心配だったけれど、そんなことはなかった。
トウマ先生は私に笑顔を向けてくれた。笑ったときのえくぼがとてもかわいらしい。
「ありがとう、教えてくれて。そうだね、美雨さんの記憶の欠片だね」
「はい……! でもそれ以降は何も思い出すことができなくて。何か少しでも思い出せたらいいんですけど、簡単には無理ですよね」
はぁ、とため息を吐いてしまったことに失礼かと思い、慌てて咳払いをする。
少しでも記憶を取り戻せたら何か変わるのだろうか。私はまた前の人生を歩むことができる?
でもそれは本当に、私が望んでいることなのだろうか。私は記憶が戻ることに少しだけ躊躇している気がする。
「美雨さんの焦る気持ちも分かるよ。私も正直困ってるの。今回みたいに、記憶喪失の子の担当になったのは初めてだから」
「えっ、そうなんですか?」
「そうなの。あと、晴人くんもだね。美雨さん、晴人くんと知り合いだったよね」
藤間くんの名前が出てびっくりする。
聞いていなかったけれど、藤間くんの担当医師も、トウマ先生だったんだ。
トウマ先生と藤間くん――。なんだかややこしくなって少し笑ってしまう。
「そうそう、美雨さんはいつもどんなときでも笑っていて。辛いことはたくさんあるだろうけど、美雨さんには笑顔でいてほしい」
「はい……!」
私には笑顔でいてほしいだなんて。どうしてそんなに優しい言葉を掛けてくれるのかな……。
あっという間に一時間が経ち、トウマ先生に挨拶をして教室へ戻った。
このクラスは比較的静か。グループはできているけれど、そのなかでしか交流がない感じ。
だけど真田さんのグループだけは派手で、休み時間は廊下で騒いでいる。私はこういう人たちとは関わりがないけれど、それでいいと思っている。
学校に来てわずか数日だけど、真田さんのことが苦手だから。
「あっ、美雨、おかえり!」
「美雨ちゃん大丈夫だった?」
「ただいま、全然大丈夫だよ。入院してたときの担当のお医者さんが来てくれて、話をしただけだから」
雪花ちゃんと風穂ちゃんが、心配そうに私を見つめる。
二人とも相談室という部屋を知らなくて、私がどこかへ無理やり連れて行かれたと思ったから、不安だったみたい。
そのときの状況が思い浮かんで、なんだか嬉しくて笑ってしまった。
「その先生って、どういう人なの?」
「うーん、私のことをとてもよく考えてくれていて、行動してくれて。この先生が私の担当医師で良かったなぁ、って思ってるよ」
「そっかぁ。きっと美雨ちゃんと似て、優しくて素敵な先生なんだろうなぁ」
風穂ちゃんはそう言ってくれたけれど、私と似ているなんてとんでもない。私は記憶を取り戻すことに抵抗があって、臆病で、心が弱くて。
――私もトウマ先生みたいになりたいな。いつか、なれるかな。
なんて、トウマ先生はトウマ先生で、私は私。それはいつまで経っても変わらないよね。
授業中だというのにそんなことを考えながら、ぼーっと黒板を眺めていた。