耳に鳴り響く目覚ましの音が聞こえて、体を起こす。透明なカーテンから眩しい日差しが目に入る。
退院してまだ二日目だけど、今日は学校へ行ってみる。お母さんたちには「無理しないでね」と言われたけれど、藤間くんも行くらしいし、何か記憶を取り戻す手がかりがあればいいなと思ったから。
「おはよう、お母さん。お父さんと美空ちゃんは?」
「おはよう、美空はまだ寝てるわよ。お父さんは仕事。美雨に頑張れって伝えて、って」
「そっか。ありがとう」
お母さんは冷たい麦茶と、あたたかいご飯を出しながら心配そうに俯いた。
「本当に大丈夫なの?」
「私が学校に行くこと?」
「えぇ、まぁ……。だって美雨はこの前まで意識不明だったのよ。それなのにもう学校なんて早すぎる気がして」
お母さんが心配してくれることは、本当に嬉しかった。大事にされているんだなって分かるから。
でも私はもう決心している。記憶を早く取り戻そう、って。そのためには学校に行く勇気も必要なんじゃないかな。
「大丈夫だよ。何かあったら連絡するし。藤間くんもいるはずだから」
「……そうね。心配しすぎも良くないわね。困ったことがあったらすぐ言ってね。先生にも事情は話してあるから」
「はーい、分かった。ありがとう」
慣れない制服を着て、ローファーを履く。
やっぱり緊張はするけど、一歩踏み出した。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
蝉の声があちこちから聞こえてきて、外に出た瞬間から汗が前髪にへばりつく。
まだまだ夏は終わらないけれど、これから頑張ろうと思いながら学校へ向かった。
「……あれ、綾瀬さんだよね?」
「今日から学校に来るって本当だったんだ……」
校門に着いたとき、二人の女の子たちが私を見て話しているのを聞いてしまった。
けれど少しだけビクビクして怯えている気がするのはなぜだろう。
――頑張って、話しかけなきゃ。
「あ、あの――」
「綾瀬さんっ」
私が話しかけようとした瞬間、向こうから話しかけてくれた。
二人は顔を見合わせながら、私に向かって頭を下げた。
「ごめんなさい!!」
私は理解できず、そのまま立ち尽くしていた。
「とりあえず頭上げて」と言っても、二人は頑なに動こうとしない。
「私たち、綾瀬さんを助けられなくて……!」
「本当に、本当にごめんなさい。許してもらう気はないの」
ハッ、と気がついて思った。
――たぶん、この二人は私が記憶を失っていることを知らないんだ。
私は慌てて口を開いた。
「あ、あの、私記憶喪失なんです」
「えっ……」
「自分のことも家族のことも分からない。もちろん、あなたたちのことも覚えてなくて。私こそごめんね。お名前教えてほしいな」
二人の青ざめた表情はどこかへ飛んでいき、少し笑みを浮かべた。
「私は倉木 雪花です!」
「田中 風穂ですっ」
ボブのサラサラ髪で可愛らしい子が倉木さん、二つ結びで三つ編みしているおしゃれな子が田中さんというらしい。
二人ともすごく優しそうで、素敵な雰囲気の子たちだ。
「倉木さんたちは私と同じクラス、なんだよね?」
「うん、私たちも綾瀬さんも、四組だよ!」
「藤間晴人くんって知ってる?」
もし知っていたらいいな、と思って恐る恐る聞いてみた。
すると田中さんが少し暗い声で「うん」と答えた。
「同じクラスだよ、藤間さん」
私はものすごく驚くと同時に、嬉しかった。
藤間くんと同じクラスだったなんて信じられないけれど、やっぱり仲が良かったんだ、と安心できた。
「そっかぁ。二人は藤間くんと仲良いの?」
「そ、そんなわけない!」
「綾瀬さんこそなんで藤間さんと……」
倉木さんたちは特に藤間くんと仲良いわけではないみたい。なぜだか胸がほっとする。
それより、なんで二人は『藤間さん』なんて呼び方をしているのだろう。
「私はこの前まで入院してたんだけど、そのときに知り合ったの。たまたま同じ高校の人と出会えたんだ」
「えっ、藤間さんも入院してたの?」
二人は目を丸くして驚いている。
そっか、私だけじゃなく藤間くんが入院していたことも知らないんだ。
「そういえば藤間さんも、二週間くらい学校休んでるよね」
「うん、そうなの。……実は藤間くんも記憶喪失らしいの」
そう言うと更に二人は驚いた。
そういえば藤間くんも二週間前から学校休んでいるなら、私が意識不明になったときと時期が同じくらいだ。
そんな偶然あるのだろうか、と不思議に思う。
「じゃあ……綾瀬さんは藤間さんのこと知らない、んだよね?」
「うん、記憶を失う前のことは何も思い出せないよ」
「思い出さなくていいと思う!」
田中さんの突然の大声にビクッとしてしまう。
田中さんたちはきっと、藤間くんのことを何か知っているんだと思う。
でも私と藤間くんの記憶のこともあって、話そうとしないのだろう。
「そっか。でも私は記憶を取り戻したいんだ」
「綾瀬さん……で、でも、また苦しんじゃう」
「ちょ、風穂!」
「あっ、ご、ごめん。綾瀬さん、気にしないで」
そう言われて私は頷くしかなかった。
私が苦しんでしまう、とはどういう意味だろう。記憶を失う前、私は一体何があったのか。
それを聞きたいけれど、倉木さんと田中さんは、教えてはくれなかった。
記憶を失ってからの初めての教室は、すごく緊張した。
教室に足を踏み入れてから、クラスメイトみんなが私をジロジロ見つめてくる。
「綾瀬さん……ごめんね」
「綾瀬さん、本当ごめん」
「綾瀬さんが戻ってきてくれて良かった」
倉木さんたちと同じように、やっぱりみんな私に謝ってくる。
私は自分がどうして記憶喪失になったのか、それまでの経緯を知らない。だからこうしてクラスメイトに謝られる意味を分かっていないんだ。
「大丈夫、私はここにいるから。みんな気にしないでください」
そう言うと、クラスメイトたちは一気にホッとした表情を浮かべた。
だけど教室のドアがガラガラっと空いた瞬間、みるみる青ざめていった。
入ってきたのは背中まである髪を茶色に染めていて、化粧をしている女の子。なんていうか、クラスでのリーダーみたいな雰囲気だ。
背が高くてスタイルが良くて、たぶん女の子からも男の子からも人気だ。
私を見て動揺しているみたいだけど、そりゃあクラスメイトが記憶喪失になっているのだから当たり前だよね。
「……綾瀬さん、本当に真田さんのこと忘れてるんだね」
「でも、忘れたほうが良かったかもよ」
倉木さんたちは私たちに聞こえないように、ヒソヒソ話していた。聞こえてしまっているけれど。
――この子、真田さん、っていうんだ。
「えっと、真田さんていうんだよね?」
「そうだけど、なに」
「私のこと、分かる……?」
クラスの子たちは一斉に私のほうを見て、何だかヒヤヒヤしているように感じる。
確かに真田さんって見た目よりもクールな感じがする。
「……あんた、生きてたんだね」
「へ? ど、どういう――」
「別になんでもない。けど、あたしとは関わらないで」
真田さんはそう言って私の隣をスタスタと歩き、席に着いてしまった。
――なんでだろう。真田さん、私のこと嫌っているのかな。
『生きてたんだね』ってどういう意味なのだろう。
その意味を知りたかったけれど、やっぱり誰も教えてくれなかった。
退院してまだ二日目だけど、今日は学校へ行ってみる。お母さんたちには「無理しないでね」と言われたけれど、藤間くんも行くらしいし、何か記憶を取り戻す手がかりがあればいいなと思ったから。
「おはよう、お母さん。お父さんと美空ちゃんは?」
「おはよう、美空はまだ寝てるわよ。お父さんは仕事。美雨に頑張れって伝えて、って」
「そっか。ありがとう」
お母さんは冷たい麦茶と、あたたかいご飯を出しながら心配そうに俯いた。
「本当に大丈夫なの?」
「私が学校に行くこと?」
「えぇ、まぁ……。だって美雨はこの前まで意識不明だったのよ。それなのにもう学校なんて早すぎる気がして」
お母さんが心配してくれることは、本当に嬉しかった。大事にされているんだなって分かるから。
でも私はもう決心している。記憶を早く取り戻そう、って。そのためには学校に行く勇気も必要なんじゃないかな。
「大丈夫だよ。何かあったら連絡するし。藤間くんもいるはずだから」
「……そうね。心配しすぎも良くないわね。困ったことがあったらすぐ言ってね。先生にも事情は話してあるから」
「はーい、分かった。ありがとう」
慣れない制服を着て、ローファーを履く。
やっぱり緊張はするけど、一歩踏み出した。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
蝉の声があちこちから聞こえてきて、外に出た瞬間から汗が前髪にへばりつく。
まだまだ夏は終わらないけれど、これから頑張ろうと思いながら学校へ向かった。
「……あれ、綾瀬さんだよね?」
「今日から学校に来るって本当だったんだ……」
校門に着いたとき、二人の女の子たちが私を見て話しているのを聞いてしまった。
けれど少しだけビクビクして怯えている気がするのはなぜだろう。
――頑張って、話しかけなきゃ。
「あ、あの――」
「綾瀬さんっ」
私が話しかけようとした瞬間、向こうから話しかけてくれた。
二人は顔を見合わせながら、私に向かって頭を下げた。
「ごめんなさい!!」
私は理解できず、そのまま立ち尽くしていた。
「とりあえず頭上げて」と言っても、二人は頑なに動こうとしない。
「私たち、綾瀬さんを助けられなくて……!」
「本当に、本当にごめんなさい。許してもらう気はないの」
ハッ、と気がついて思った。
――たぶん、この二人は私が記憶を失っていることを知らないんだ。
私は慌てて口を開いた。
「あ、あの、私記憶喪失なんです」
「えっ……」
「自分のことも家族のことも分からない。もちろん、あなたたちのことも覚えてなくて。私こそごめんね。お名前教えてほしいな」
二人の青ざめた表情はどこかへ飛んでいき、少し笑みを浮かべた。
「私は倉木 雪花です!」
「田中 風穂ですっ」
ボブのサラサラ髪で可愛らしい子が倉木さん、二つ結びで三つ編みしているおしゃれな子が田中さんというらしい。
二人ともすごく優しそうで、素敵な雰囲気の子たちだ。
「倉木さんたちは私と同じクラス、なんだよね?」
「うん、私たちも綾瀬さんも、四組だよ!」
「藤間晴人くんって知ってる?」
もし知っていたらいいな、と思って恐る恐る聞いてみた。
すると田中さんが少し暗い声で「うん」と答えた。
「同じクラスだよ、藤間さん」
私はものすごく驚くと同時に、嬉しかった。
藤間くんと同じクラスだったなんて信じられないけれど、やっぱり仲が良かったんだ、と安心できた。
「そっかぁ。二人は藤間くんと仲良いの?」
「そ、そんなわけない!」
「綾瀬さんこそなんで藤間さんと……」
倉木さんたちは特に藤間くんと仲良いわけではないみたい。なぜだか胸がほっとする。
それより、なんで二人は『藤間さん』なんて呼び方をしているのだろう。
「私はこの前まで入院してたんだけど、そのときに知り合ったの。たまたま同じ高校の人と出会えたんだ」
「えっ、藤間さんも入院してたの?」
二人は目を丸くして驚いている。
そっか、私だけじゃなく藤間くんが入院していたことも知らないんだ。
「そういえば藤間さんも、二週間くらい学校休んでるよね」
「うん、そうなの。……実は藤間くんも記憶喪失らしいの」
そう言うと更に二人は驚いた。
そういえば藤間くんも二週間前から学校休んでいるなら、私が意識不明になったときと時期が同じくらいだ。
そんな偶然あるのだろうか、と不思議に思う。
「じゃあ……綾瀬さんは藤間さんのこと知らない、んだよね?」
「うん、記憶を失う前のことは何も思い出せないよ」
「思い出さなくていいと思う!」
田中さんの突然の大声にビクッとしてしまう。
田中さんたちはきっと、藤間くんのことを何か知っているんだと思う。
でも私と藤間くんの記憶のこともあって、話そうとしないのだろう。
「そっか。でも私は記憶を取り戻したいんだ」
「綾瀬さん……で、でも、また苦しんじゃう」
「ちょ、風穂!」
「あっ、ご、ごめん。綾瀬さん、気にしないで」
そう言われて私は頷くしかなかった。
私が苦しんでしまう、とはどういう意味だろう。記憶を失う前、私は一体何があったのか。
それを聞きたいけれど、倉木さんと田中さんは、教えてはくれなかった。
記憶を失ってからの初めての教室は、すごく緊張した。
教室に足を踏み入れてから、クラスメイトみんなが私をジロジロ見つめてくる。
「綾瀬さん……ごめんね」
「綾瀬さん、本当ごめん」
「綾瀬さんが戻ってきてくれて良かった」
倉木さんたちと同じように、やっぱりみんな私に謝ってくる。
私は自分がどうして記憶喪失になったのか、それまでの経緯を知らない。だからこうしてクラスメイトに謝られる意味を分かっていないんだ。
「大丈夫、私はここにいるから。みんな気にしないでください」
そう言うと、クラスメイトたちは一気にホッとした表情を浮かべた。
だけど教室のドアがガラガラっと空いた瞬間、みるみる青ざめていった。
入ってきたのは背中まである髪を茶色に染めていて、化粧をしている女の子。なんていうか、クラスでのリーダーみたいな雰囲気だ。
背が高くてスタイルが良くて、たぶん女の子からも男の子からも人気だ。
私を見て動揺しているみたいだけど、そりゃあクラスメイトが記憶喪失になっているのだから当たり前だよね。
「……綾瀬さん、本当に真田さんのこと忘れてるんだね」
「でも、忘れたほうが良かったかもよ」
倉木さんたちは私たちに聞こえないように、ヒソヒソ話していた。聞こえてしまっているけれど。
――この子、真田さん、っていうんだ。
「えっと、真田さんていうんだよね?」
「そうだけど、なに」
「私のこと、分かる……?」
クラスの子たちは一斉に私のほうを見て、何だかヒヤヒヤしているように感じる。
確かに真田さんって見た目よりもクールな感じがする。
「……あんた、生きてたんだね」
「へ? ど、どういう――」
「別になんでもない。けど、あたしとは関わらないで」
真田さんはそう言って私の隣をスタスタと歩き、席に着いてしまった。
――なんでだろう。真田さん、私のこと嫌っているのかな。
『生きてたんだね』ってどういう意味なのだろう。
その意味を知りたかったけれど、やっぱり誰も教えてくれなかった。