「お母さん、お父さん!!」

 「美雨……!」

 「……美雨、そんなに焦って、どうしたんだ」

 急いで階段を降りたから、はぁ、はぁと息が乱れる。
 深呼吸をして勇気を振り絞ってから、私は口を開いた。

 「私は、邪魔だった?」

 「え……?」

 「美空とは、違うから。美空みたいに私は優秀じゃなくて、取り柄もなくて、落ちこぼれで。私はいらない存在だった?」

 自分で発した言葉なのに、心がぎゅーっと痛む。
 この痛みは、私が記憶喪失になる前、感じたもの。この痛み全部を、私は知っているから。
 グッと拳を握りしめて、再び口を開く。

 「私は……お母さんたちのこと、嫌いだった。どうして助けてくれないのって。どうして娘の痛みに気づいてくれないのって思ってた。美空のことも、羨ましかった、妬ましかった……っ」

 「み、う……」

 私が目を覚ましたとき、二人は『美雨の辛さに気づいてあげられなくてごめんね』と謝っていた。
 あのときは分からなかったけれど、今は分かる。私は一番、家族に助けを求めていた。でも、助けてくれなかった。それがどれだけ苦しかったか、今なら分かる。

 「邪魔なわけ、ないじゃない!」

 「えっ……」

 「娘のことを邪魔に思う母親なんて、どこにいるの! 私は美空も美雨も、どちらも同じくらい大切……」

 涙がきらりと、お母さんの頬にこぼれ落ちる。
 予想していなかった返答に動揺してしまって、私は何も言えなくなる。

 「……美雨がそう思っているなんて、全然分からなかった。ごめんね。本当に、ごめんなさい」

 「お母さん……」

 「お母さん、美空ばかり見ているせいで、美雨のことを見ることができていなかった。美雨は私の大事な娘なのに。……母親、失格ね」

 「お父さんも、ごめん。でも、頼ってほしかったんだよ。話してほしかった。そしたらきっと、役に立つことができたと思うんだ」

 言い出せなかった。
 真田さんと藤間さんのことを話して、当然お父さんたちは学校に相談して。そうしたら、きっと二人に話が行くと思う。
 私が受けてきたいじめがエスカレートしてしまうかもしれない。だから怖かった。怖くて、怖くて夜も眠れなくて。
 家族にすら、言うことができなかったの。

 「でも、本当は美雨の口から聞くんじゃなくて、気づくべきだったんだな。美雨は我慢強いところがあるから、お父さんから話を聞けば良かったんだって反省しているよ、すごく」

 「お父さん……」

 「美雨、話してくれてありがとう。本当に本当に、謝りきれない。でもこれだけは信じて。美雨も美空も生きてくれているだけで、健康でいてくれるだけで、お母さんたちは幸せなの」

 私は、お母さんとお父さんにちゃんと愛されていた。
 美空みたいに得意なこともなくて、好きなこともなくて。そんな私だけど、ちゃんと娘だと思ってくれていた。
 その事実があるなら、もう私が言うことはなにもない。

 「今日病院に行けなかったのはね、トウマ先生に止められたからなの」

 「え? トウマ先生に……?」

 「私と美雨さんで話をしてから、お母さんたちは美雨さんの気持ちを聞いてあげてくださいって言われたの。だからお母さんたち、家で待機してたの。行けなくてごめんね」

 ――そうだったんだ。
 トウマ先生がそう言ってくれていたなんて驚きだけれど、確かにトウマ先生は私を分かってくれているから。
 記憶が戻った瞬間に家族がいたら、私がパニックになってしまうかもしれない。そういうことかな。
 今度トウマ先生にお礼を伝えよう、と思った。

 「お姉ちゃん!!」

 「美空……」

 美空が部屋から飛び出してきて、勢いよく私に抱きついてきた。
 瞼が腫れているのが分かる。私のために泣いてくれていたのだろうか。

 「美空、お姉ちゃんのこと大好きだよ」

 「美空……」

 「だから、嫌いなんて言わないで。美空、いい子にする。だから、だから……っ」

 泣きじゃくる美空を、私はそっと抱きしめた。

 「言わない……ううん、言えないよ。だってお姉ちゃんも、美空のこと大好きだから。嫌いなんて言ってごめんね」

 これからもっと仲良くしよう。そう言って、仲良しの指切りげんまんをした。
 昔美空と喧嘩したときも、こうやって指切りげんまんをすることで必ず仲直りしていた。
 私が小学生の頃だから大分前で、本当に些細な喧嘩だった。
 例えば私が大切にしていた宝物を美空が壊したり。私は歌番組を観たかったけれど、美空はアニメを観たくて、言い争ったり。今はもう私が高校生だから、大抵は譲っているけれど。
 ――懐かしいなぁ、なんて思う。時がどんどん過ぎていくにつれて、私も美空も成長しているんだなぁ、って。

 「美空ね、お姉ちゃんが前買ってくれた色鉛筆、大切に使ってるの」

 そう言って見せてきたのは、黄色とオレンジの色鉛筆だった。
 私が薬局へ買いに行く途中、藤間さんとたまたま出会ったときのこと。確かにそんなこともあったなと思う。
 毎日趣味のお絵描きをしている美空ちゃん。数ヶ月前に買った色鉛筆なら、もう捨ててもいいくらいだろう。
 だけど私が買ってくれたからという理由で、最後の最後まで使おうとしているんだ。そう思うと、何だか鼻の頭がじーんとする。
 短くなった色鉛筆を見て、私は微笑んだ。

 「ありがとう。また一緒にお絵描きしよう」

 「うん、お姉ちゃん!」

 ――良かった。家族に自分の気持ちを伝えることができた。
 ほっと一息吐いていたとき、お父さんが優しい目でこう言った。

 「いいのか、ここにいて。美雨には、大切な仲間がいるんだろう」

 雪花ちゃんと、風穂ちゃん。
 大切な仲間と言われて、すぐ頭に思い浮かんだのは、その二人だった。記憶を失っているとき、ずっと隣で支えてくれた友人。
 すぐに二人に連絡をして、私は家を出る。

 「行ってらっしゃい、美雨」

 「行ってきます!」

 まだ始まったばかりかもしれない。
 だけど、私のスタートは着々と進んでいっているような気がした。