「綾瀬さん、これ」

 一限目を受けている途中、隣の席の子から一枚の紙が回ってきた。
 何の紙だろうと思い開けてみると、メッセージが書かれてあった。

 『この授業が終わったら、中央階段の踊り場へ来て。一人で来いよ。逃げたら承知しないから』

 「……っ!」

 声にならない、心の叫び声を上げる。
 差出人は書かれていないけれど、このメッセージを見ればすぐに分かる。
 ――きっと、真田さんだ。
 どうして私のことを呼び出すのか考えたけれど、理由が一つしかない。今朝、藤間くんと付き合っていることを知ったから、怒ったのだと思う。

 もし行ったら、何をされる? 何を言われる?
 でも行かなかったら、私はどうなる?

 恐怖で震えが止まらなかった。藤間くんに相談しようと思ったけれど、いつも迷惑を掛けるわけにはいかない。
 雪花ちゃんや風穂ちゃんにも、巻き込まれてほしくない。これは私一人で行かなきゃダメだ。

 授業が終わって、手紙のままに私は一人で中央階段の踊り場へ向かった。

 「ねぇ、どういうつもり?」

 「えっ……?」

 「なんで、晴人と付き合うの? あたしが晴人のこと好きなの絶対知ってたよね?」

 真田さんの声の圧が、すごく怖い。喉の奥に言葉が詰まって、声を発しようと思っても思うように出ない。
 どうすればいいのだろう。なんて答えればいいのだろう。――やっぱり私一人じゃ、何もできない。

 「ていうか、なんで晴人と仲良くなってんの?」

 「……それは、びょ、病院で知り合ったんです。藤間くんも記憶を失っているからって、意気投合して」

 「へぇ、それだけ? あんた、晴人のどこを好きになったの?」

 真田さんが怖くて、思うように口が回らなかったけれど。
 藤間くんの好きなところを聞かれたからには、答えなきゃいけない。藤間くんを巻き込んではいけない。

 「優しいところ、意外といたずらっ子なところ、お母さん思いなところ、言葉は冷たいけど正しい道に導いてくれるところ、笑顔が可愛いところ、ありがとうって必ず言ってくれるところ。全部好きです……っ」

 「あたしは晴人と幼馴染だから、晴人の色々な面を知ってる。晴人への気持ちは、あたしのほうが勝ってるに決まってるの!! それなのにどうしてっ、どうしてあたしから晴人を奪うの!! なんでよ!!」

 「私は、真田さんから藤間くんを奪ったつもりはありません! 藤間くんへ初めて恋をして、頑張った結果、付き合うことができたんです。藤間くんは、真田さんのものではないでしょう!?」

 「……本当、変わらず生意気だね。今度こそ消えればいいのにっ!!」

 えっ、と思ったときには遅かった。
 真田さんに背中をどん、と押され私は階段のほうへ傾く。視界がグラッとして、天井を向いた瞬間。
 ――落ちる……っ!
 そう覚悟したけれど、私は何故か階段から落ちなかった。

 「晴人……!?」

 「ねぇ、なにやってんの、真田、綾瀬」

 藤間くんが間一髪のところで、私の腕を掴んで体に引き寄せてくれた。
 藤間くんが私のことを助けてくれたんだ。

 「違うの、晴人。綾瀬があたしをここに呼び出して突き落とそうとしたの。だから咄嗟に抵抗しただけ。嫌だなぁ、晴人、あたしを疑ってる?」

 ――ねぇ、違うよ、藤間くん。真田さんの言っていることは間違ってるよ。
 ポロポロと涙がこぼれ落ちる。藤間くんの裾を強くぎゅっと握って、藤間くんの目を見つめた。
 藤間くんはずっと、真田さんのことを睨んでいる。

 「真田、本当に最低だな、見損なった。お前のやったことは、一歩俺が遅かったら殺人になるかもしれないんだ。それを分かってる!?」

 「違うってば、晴人、聞いてよ! あたしのこと信じて」

 「お前、綾瀬の目を見てみろ。綾瀬は必死に俺に助けを求めてる。嘘を吐かないやつだって分かってる。悪いけど、俺は綾瀬を信じてるから」

 藤間くん。
 藤間くん、ありがとう。藤間くん、助けてくれてありがとう。
 恐怖で声にならない言葉を心のなかで何度も何度も繰り返した。

 「あたしのことは信じないっていうの……?」

 「お前のことを信じたくないわけじゃない、だけど、好きな女の言うことを信じるのが当たり前でしょ」

 ――好きな女。
 私のことをそう言ってくれるなんて、信じてくれるなんて、これ以上の幸せはないと思った。
 私のために必死になってくれている藤間くんは、本当にヒーロー。私だけの特別な人なんだ。
 そう思うと、もっと涙が溢れ出てきた。

 「とにかく、これは教師沙汰になると思うから、覚悟しとけよ」

 「待って、ごめん、晴人!! お願いだから、許して……っ」

 「馬鹿だな、お前が謝る相手は俺じゃない、綾瀬だろ。綾瀬にちゃんと、心から謝るまでもう俺たちに近づくな」

 真田さんの悔しそうな涙を見て、驚いた。――そんなに、藤間くんのことが大切で、好きなんだね。
 真田さんの気持ちはすごく胸に伝わる。私のことが嫌いなのも分かるよ。でもだからって、人を傷つけることをしてはいけないと思う。

 「じゃあ行こう、綾瀬」

 藤間くんに連れられて、私たちは職員室へと向かった。
 真田さんに階段に落とされそうになった、と担任に伝えるため。
 だけど少しだけ戸惑っていた。私は何も悪いことをしていないけれど、真田さんの涙がどうしても心に引っかかって。

 「綾瀬、怖かったよな。大丈夫?」

 「うん、大丈夫だよ。ねぇ、私、真田さんの気持ちが痛いほど分かるの」

 「分かる? あんなやつの気持ちが?」

 「……うん。藤間くんのことが、好き、なんだよ。突然現れた私と付き合っているって聞いて、嫉妬してるんだよ」

 そう言うと、藤間くんは目を丸くして私を見つめた。
 ――真田さんの気持ち、知らなかったんだね。
 藤間くんは、私のことを見てくれているから。だから真田さんのことは見れていなかったんだろう。

 「……いくら嫉妬してるからっておかしい。あわよくば殺人だったろ!?」

 「そうだよ、おかしい。でも私は、真田さんの件を言うことができない。藤間くんの気持ちは本当に嬉しかった、ありがとう。先戻ってるね」

 私は藤間くんの目を見ずに振り返って、教室へ駆け足で向かった。
 藤間くんの恩を仇で返すようなことをしまって、本当に辛い。悲しい。自分が醜い。
 でも私は真田さんの気持ちが分かるの。だから今日の件は、胸にそっと閉まっておくことにする。
 だけど私のために必死になってくれた藤間くんは、すごくかっこよかった。