「わたしは……だれ?」
私は、目が覚めると病院のベッドで眠っていた。
何が起きているのか状況を理解できず、日差しが強い窓の外をぼーっと眺める。
私を見ながら、女性と男性、そして女の子が今にも涙を流しそうな表情をしているのが目に入った。
「美雨、美雨! お母さんよ。もう大丈夫だからね、美雨……」
「ごめんな、お父さんたち、美雨の辛さに気づいてあげられなくて……」
「お姉ちゃん……っ」
みう……?
お母さん? お父さん? お姉ちゃん……?
この人たちは何を言っているのだろうと、そう疑問に思った。
涙を流しているこの人たちの、この世の終わりかのような絶望した顔を見るのは、数分後、医者の言葉を聞いたときだった。
「綾瀬美雨さん、だね。美雨さん、自分のこと、分かるかな?」
「……みう? みうって……私のこと、なんですか?」
先程から何度も聞いている、みうという名前の人物。
誰のことを指しているか分からなかったけれど、どうやら私のことみたいだ。
――どうして私ら自分のこと、分からないの……?
「美雨さん、この人たちのことは分かるかな?」
「……わからない、です」
私は首を横に振りながら、そう答えた。
すると目の前にいる人たちみんな、青ざめた表情をした。
「ご家族の皆さん、大変言いづらいのですが……。美雨さんは、記憶喪失になっているようです」
キオクソウシツ。その言葉が頭の中でもう一度再生された。
記憶喪失とは、自分や身内の名前や関係性、物事を忘れてしまうこと……だと思う。
――私は記憶喪失になっているの?
だけど、なぜだろう。悲しむことができない。反対に、少し胸が高鳴ってしまうのはどうしてだろうか。
「美雨……っ、お母さんのこと、覚えてないの!?」
取り乱す女性を、男性がなんとか落ち着かせる。女の子は、ずっと泣き続けたままだ。
この人たちがきっと、私の家族なのだろう。すぐには理解できないけれど、何となくそう思った。
「あまり、美雨さんのことを刺激させないほうがよろしいかと思います。記憶は何かをきっかけに思い出すこともありますが、無理に思い出させようとすると逆効果です」
「じゃあ、美雨は一生思い出せないかもしれないんですかっ……!」
「まだ分からないです。そのまま永遠に思い出さない方も多いですが、突然記憶が戻る方も少なくありませんので。それでは、私は失礼します」
女性医師はそう言って、病室を後にした。
私はベッドから体を起こし、目の前にいる人たちの顔を一人一人見ていく。
だけど何も感じない。初めて会った人にしか思えないのだ。
「美雨……っ」
「えっと……お母さん、お父さん、なんですよね? あと私の妹?」
「お姉ちゃん……!」
女の子は、私に抱きついてきた。涙が洋服に染み付いて、それを見ると心が苦しくなった。
私は女の子のことを、優しくそっと抱きしめ返した。
「えっと、名前は?」
「美空だよ、お姉ちゃん……。忘れちゃったの?」
「うん、ごめんね。そうみたいだね。私……自分のことも、分からないや」
お母さんとお父さんから話を聞いて分かったことは、私は四人家族だと言うこと。妹がいて、その子は小学三年生。
そして、私は綾瀬美雨という名前で、年齢は高校一年生。
ごく普通の女子高生なのだろう。
「気になったんですけど、私、何でここの病院で寝てたんですか? 何で記憶喪失になってしまったのかなって、気になって……」
そう言うと、お母さんたちは一斉に暗い顔を浮かべた。
何か気に障ることを言ってしまっただろうか、と不安になる。
「それはまだ知らなくていいと思うわ、美雨。お母さんたちは、美雨が無理に記憶を思い出さなくてもいいと思ってるの」
「もちろん、まだお父さんたちを本当の家族だと思うのは難しいかもしれないけど、慣れてほしい」
お母さんとお父さんが心配そうに私の頭を撫でながら、そう言った。
『美雨が無理に記憶を思い出さなくてもいい』。
そう言ってくれるのは嬉しいけれど、私はどうして記憶を失ったのか興味がある。
――二人が教えてくれないのなら、自分で探すしかない。頑張って思い出すしかない。
「……はい、ありがとうございます」
「敬語もやめてね、本当の家族なんだから」
「あっ、はい……じゃ、なくて、うん」
何だかお母さんとお父さんの笑みが少しだけ怖く感じたのは、気のせいだろうか。
まだ家族だとハッキリ分かっていないから、きっとそれのせいだろう。
私は念の為、今日から一週間入院することになった。
気分転換に病院の外へ行き、辺りを見渡した。
景色を見れば、もしかしたら何か思い出せるかも、と思ったからだ。
「うーん……」
だけど、何もピンと来なかった。
お母さんたちが言うのは、私は小さい頃からここの病院へよく通っていたということ。
昔からここの病院へよく行っていたのであれば、きっと景色に慣れているはずだと思ったけれど、期待外れだ。
「はぁ……」
「ねぇ、きみ、ここの病院に入院してる?」
突然、背後から声が聞こえた。
振り返ると、同い年くらいの男の子が不思議そうに私を見つめていた。
突然のことで何て答えればいいか分からなかった私は、とりあえず頷いた。
「そうだよね。俺も入院したばかりなんだ。年も近そうだから、声掛けちゃったんだ、ごめん」
――この人も、最近入院したのかな。
仲間がいるような気持ちになって、私はどこか嬉しくなる。
「なんて名前?」
突然に名前を聞かれて、目をぱちくりさせてしまう。
でも答えない訳にはいかなかったので、私は口を開いた。
「えっと、綾瀬美雨……?」
「え、なんで疑問形なの」
「……私、記憶を失ってるんです。自分の名前は教えてもらったけど、全く思い出せなくて」
「まじか」
男の子は手を口に当てて、すごく驚いた顔をした。
その途端にびゅーっと肌寒くなる風が横切る。
重たい前髪で隠れていた男の子の瞳は、私を映している鏡のようだった。
「俺も記憶を失ってるんだよね」
これが、私とあなたの、不思議な出会いでした。
私は、目が覚めると病院のベッドで眠っていた。
何が起きているのか状況を理解できず、日差しが強い窓の外をぼーっと眺める。
私を見ながら、女性と男性、そして女の子が今にも涙を流しそうな表情をしているのが目に入った。
「美雨、美雨! お母さんよ。もう大丈夫だからね、美雨……」
「ごめんな、お父さんたち、美雨の辛さに気づいてあげられなくて……」
「お姉ちゃん……っ」
みう……?
お母さん? お父さん? お姉ちゃん……?
この人たちは何を言っているのだろうと、そう疑問に思った。
涙を流しているこの人たちの、この世の終わりかのような絶望した顔を見るのは、数分後、医者の言葉を聞いたときだった。
「綾瀬美雨さん、だね。美雨さん、自分のこと、分かるかな?」
「……みう? みうって……私のこと、なんですか?」
先程から何度も聞いている、みうという名前の人物。
誰のことを指しているか分からなかったけれど、どうやら私のことみたいだ。
――どうして私ら自分のこと、分からないの……?
「美雨さん、この人たちのことは分かるかな?」
「……わからない、です」
私は首を横に振りながら、そう答えた。
すると目の前にいる人たちみんな、青ざめた表情をした。
「ご家族の皆さん、大変言いづらいのですが……。美雨さんは、記憶喪失になっているようです」
キオクソウシツ。その言葉が頭の中でもう一度再生された。
記憶喪失とは、自分や身内の名前や関係性、物事を忘れてしまうこと……だと思う。
――私は記憶喪失になっているの?
だけど、なぜだろう。悲しむことができない。反対に、少し胸が高鳴ってしまうのはどうしてだろうか。
「美雨……っ、お母さんのこと、覚えてないの!?」
取り乱す女性を、男性がなんとか落ち着かせる。女の子は、ずっと泣き続けたままだ。
この人たちがきっと、私の家族なのだろう。すぐには理解できないけれど、何となくそう思った。
「あまり、美雨さんのことを刺激させないほうがよろしいかと思います。記憶は何かをきっかけに思い出すこともありますが、無理に思い出させようとすると逆効果です」
「じゃあ、美雨は一生思い出せないかもしれないんですかっ……!」
「まだ分からないです。そのまま永遠に思い出さない方も多いですが、突然記憶が戻る方も少なくありませんので。それでは、私は失礼します」
女性医師はそう言って、病室を後にした。
私はベッドから体を起こし、目の前にいる人たちの顔を一人一人見ていく。
だけど何も感じない。初めて会った人にしか思えないのだ。
「美雨……っ」
「えっと……お母さん、お父さん、なんですよね? あと私の妹?」
「お姉ちゃん……!」
女の子は、私に抱きついてきた。涙が洋服に染み付いて、それを見ると心が苦しくなった。
私は女の子のことを、優しくそっと抱きしめ返した。
「えっと、名前は?」
「美空だよ、お姉ちゃん……。忘れちゃったの?」
「うん、ごめんね。そうみたいだね。私……自分のことも、分からないや」
お母さんとお父さんから話を聞いて分かったことは、私は四人家族だと言うこと。妹がいて、その子は小学三年生。
そして、私は綾瀬美雨という名前で、年齢は高校一年生。
ごく普通の女子高生なのだろう。
「気になったんですけど、私、何でここの病院で寝てたんですか? 何で記憶喪失になってしまったのかなって、気になって……」
そう言うと、お母さんたちは一斉に暗い顔を浮かべた。
何か気に障ることを言ってしまっただろうか、と不安になる。
「それはまだ知らなくていいと思うわ、美雨。お母さんたちは、美雨が無理に記憶を思い出さなくてもいいと思ってるの」
「もちろん、まだお父さんたちを本当の家族だと思うのは難しいかもしれないけど、慣れてほしい」
お母さんとお父さんが心配そうに私の頭を撫でながら、そう言った。
『美雨が無理に記憶を思い出さなくてもいい』。
そう言ってくれるのは嬉しいけれど、私はどうして記憶を失ったのか興味がある。
――二人が教えてくれないのなら、自分で探すしかない。頑張って思い出すしかない。
「……はい、ありがとうございます」
「敬語もやめてね、本当の家族なんだから」
「あっ、はい……じゃ、なくて、うん」
何だかお母さんとお父さんの笑みが少しだけ怖く感じたのは、気のせいだろうか。
まだ家族だとハッキリ分かっていないから、きっとそれのせいだろう。
私は念の為、今日から一週間入院することになった。
気分転換に病院の外へ行き、辺りを見渡した。
景色を見れば、もしかしたら何か思い出せるかも、と思ったからだ。
「うーん……」
だけど、何もピンと来なかった。
お母さんたちが言うのは、私は小さい頃からここの病院へよく通っていたということ。
昔からここの病院へよく行っていたのであれば、きっと景色に慣れているはずだと思ったけれど、期待外れだ。
「はぁ……」
「ねぇ、きみ、ここの病院に入院してる?」
突然、背後から声が聞こえた。
振り返ると、同い年くらいの男の子が不思議そうに私を見つめていた。
突然のことで何て答えればいいか分からなかった私は、とりあえず頷いた。
「そうだよね。俺も入院したばかりなんだ。年も近そうだから、声掛けちゃったんだ、ごめん」
――この人も、最近入院したのかな。
仲間がいるような気持ちになって、私はどこか嬉しくなる。
「なんて名前?」
突然に名前を聞かれて、目をぱちくりさせてしまう。
でも答えない訳にはいかなかったので、私は口を開いた。
「えっと、綾瀬美雨……?」
「え、なんで疑問形なの」
「……私、記憶を失ってるんです。自分の名前は教えてもらったけど、全く思い出せなくて」
「まじか」
男の子は手を口に当てて、すごく驚いた顔をした。
その途端にびゅーっと肌寒くなる風が横切る。
重たい前髪で隠れていた男の子の瞳は、私を映している鏡のようだった。
「俺も記憶を失ってるんだよね」
これが、私とあなたの、不思議な出会いでした。