シオンたちは五日間、ケアード公爵邸に滞在した。これから王都セッテへ向かい、そちらも視察してくるのだとか。
 もちろん、父親が彼らを案内する。そのついでに、砂糖の新しい販路も検討してくるようだ。
「お父さま」
 顔を貸してと言わんばかりに、セシリアは手を振って父親を呼ぶ。
「どうした、セシリア。寂しいのか? お父様は寂しいぞ。かわいいセシリアと離れたくない」
 父親がセシリアを力強く抱きしめた。
「あ、はい。寂しいのは寂しいのですが。イライザさまがどうされているか、確認してきてもらってもいいですか? 本来であれば、そろそろイライザさまが聖女さまだと公表されるはずなのです」
 それは謎の記憶によるものだ。そろそろ王都では聖女誕生だと喜びに満ちているはず。
 だけど、そういった話が聞こえてこないのだ。王都セッテとフェルトンではどうしても距離があるから、仕方ないのかもしれない。
「わかった。私のかわいいエレノアを傷つけたやつらだからな。どうしているか、確認しておくよ」
 イライザが聖女かもしれないという話は、フェルトンの街に来る前にそれとなく家族には伝えた。父親は、そんなセシリアの妄想のような話を、頭の片隅にいれておいてくれたのだ。
 ニタリと笑った父親は、セシリアの身体を解放した。

 それから十日後。父親たちが戻ってきた。シオンもコンスタッドも、ふたたびフェルトンの街を訪れ、しばらくの間、滞在するとのこと。エレノアが小さく喜んだのをセシリアは見逃さなかった。
「王城は大混乱だったよ」
 夕食の席で父親がそう言った。
「ジェラルド殿下とイライザ殿の婚約もまとまっていなかったようですしね。それに、ジェラルド殿下もイライザ殿も、シオン殿下を本当に私の従者だと思っていたのには、笑いが込み上げてきましたよ。近隣諸国の王族の顔すら覚えていないような者が、国のトップにふさわしいとは思えませんがね。この国の行く末は、少し心配ですね」
 ははっと笑ったコンスタッドは、そのままエレノアに視線を向けた。するとそれに答えるかのように、エレノアもにっこりと微笑む。
「あと十年、持つか持たないかだろう」
 シオンがそう言うと、グラスの中の水を見つめている。なんとなく、気まずい空気が流れた。
 その流れを断ち切ったのコンスタッドだ。
「そうそう、ケアード公爵。国に戻ったら、正式に申し込みをしてもよろしいでしょうか?」
 彼はワイングラスを手にし、緊張をほぐすかのようにコクリと一口飲んだ。
「何をだろうか?」
 父親の声が普段よりも低く聞こえた。
「エレノア嬢に結婚の申し込みを」
 シンとその場が静まり返る。エレノアは恥ずかしそうに顔を伏せ、カトラリーを持つ手を動かす。
「なるほど。申し込むのは自由だ。その答えがどうなるかはわからないがな」
「では、そのお言葉に甘えさせていただきます」
 やはり緊張していたのだろう。コンスタッドは残りのワインを一気に飲み干した。
「ダメです」
 セシリアの甲高い声が響いた。
「ダメです。お姉さまは結婚してはダメです。お姉さま、シング公爵と結婚したらロックウェルに行ってしまうのでしょう? いやです。セシリア、寂しいです」
「そういうことのようだ、シング公爵」
 なぜか父親が勝ち誇った笑みを浮かべている。
「セシリア嬢。何も、今すぐエレノア嬢と結婚してロックウェルに連れて帰るというわけではないよ? そうだね、まずは結婚の約束だ。一緒にデートしませんか? というお願いをする。これならどうだい?」
 エレノアとコンスタッドがデートする。
 それなら何も問題ないだろう。
「それなら……いいですよ……?」
 渋々といったセシリアの返事に、コンスタッドも苦笑した。
「なるほど。ケアード公爵よりもセシリア嬢の許可をとるほうが、難しそうだ」
「なんだ。今回の視察はコンスタッドの嫁捜しでおしまいか……」
 さも残念そうにシオンが言う。
「アッシュクロフ王国に聖女が現れたというのは、嘘だったのだな」
「シオンさまは、聖女さまに会いに来たのですか?」
 セシリアが尋ねると「そうだ」と返ってくる。
「聖女の治癒能力。それを頼りたかったのだが……まあ、いい。次の作戦を考えるだけだ」
「どなたか、具合が悪いのですか?」
「母上がな」
 シオンの母となればロックウェル王妃。
(お身体が弱いのだわ。それをイライザが聖魔法で救って……あ、イライザの聖魔法を導いたのは、賢者モリス……)
 セシリアの頭の中には、久しぶりに謎の記憶が浮かんできた。
 学園を卒業して半年後に聖属性の魔法が使えるとわかったイライザだが、それは王都セッテを訪れていた賢者モリスによって引き出されたものだ。
(つまり、イライザはモリスと出会っていないから、聖属性の魔力に目覚めていない?)
 本来であれば、セッテに聖女がいると聞きつけたロックウェルの第二王子シオンがイライザに会い、彼から話を聞いたイライザは王妃を助ける。それによって、ロックウェル王国とアッシュクロフ王国の関係が強固なものとなるのだ。
(あ……お姉様を処刑したのは、シング公爵だわ。ロックウェルの騎士団長。これもロックウェル王国とアッシュクロフ王国の関係を見せつけるために)
「どうした? セシリア。急に黙り込んで」
 スプーンを持ったまま、ぴくりとも動かぬセシリアを心配したのだろう。尋ねるシオンの声はやさしい。
「あの。お砂糖はお薬にもなります。もし、咳が酷いのであれば、砂糖をお湯にとかして湯気を吸い込むようにしながら、ゆっくり飲むといいですよ。でも、身体が冷えているのであれば、黒いお砂糖のほうがいいのですが、まだ黒いお砂糖は作っていません」
「セシリア」
 父親に名を呼ばれ、はっとしてセシリアは口をつぐんだ。
「申し訳ない。セシリアは、砂糖のことになると、夢中になってしまって。今も、次のお菓子のレシピでも考えていたのかな?」
 コクコクと頷いて、スープ皿にスプーンを突っ込んだ。
 この場にはコンスタッドもシオンもいる。セシリアの能力が知られてしまうのはよくない。
 そこから父親が話題をかえ、コンスタッドたちと談笑にふけった。

 シオンとコンスタッドがロックウェル王国へ戻るという。
「ケアード公爵。とても有意義な時間を過ごさせていただきました。何かありましたら、私たちを頼ってください」
 コンスタッドが父親と熱く握手を交わすものの、父親は複雑な表情をしていた。それはコンスタッドであれば、エレノアを任せられると、そう思っているからなのだろう。
 セシリアだって微妙な気持ちだ。エレノアには幸せになってもらいたいけれども、ロックウェル王国には行ってほしくない。
 だが、砂糖の件もあるから、エレノアもあと数年はフェルトンの街にいるだろう。
「また、遊びにいらしてください」
 エレノアの華やかな声に、コンスタッドも顔をほころばせた。
「シオンさまも、また来てください。それまでには、新しいお菓子とお砂糖を考えておきます」
「わかった。楽しみにしている」
 シオンはぽんぽんとセシリアの頭をなでる。
「では、ケアード公爵。十年後には、この国とセシリアをもらうからな」
 そう言ってシオンは、コンスタッドと一緒に馬車へと乗り込んだ。
 父親は驚き、大きく目を見開いていたが、セシリアにはその言葉の意味がさっぱりとわからなかった。

【完】