エレノアとジェラルドの婚約は解消された。
送られてきた書類に丁寧に書き込みサインをして送り返したところ、翌日、ケアード公爵は国王から呼び出された。
やはりセシリアが言ったとおり、安い賠償金も、収入の見込めない土地も、婚約を解消させないための布石だった。あの場でジェラルドが婚約破棄宣言をしたから形として書類を送ってみたものの、エレノア側から「婚約解消について考え直してほしい」という言葉を引き出したかったようだ。
だが、それもずばっとセシリアがお見通しである。
ケアード公爵は「てっきり、王家側にとっては我が娘にはあれだけの価値しかないのかと、そう思いましたよ」と吐き捨てた。
婚約の継続については、ジェラルドの気持ちがエレノアに向いていない事実を突きつけ、イライザの存在を口にした。
さらにケアード公爵は言葉を続ける。
エレノアの婚約解消を認め、公爵領に戻ることを許可してくれるならば、これ以上は何もしない。だが、エレノアを侮辱するのであれば、こちらとて考えがあると。ケアード公爵が率いる騎士団の存在をにおわせた。
むしろ、アッシュクロフ王国から独立してやるぞ、的に威圧する。そうなれば、国王もたじたじだ。
それからケアード公爵は外交大臣を辞し、王都セッテからさっさと公爵領へと向かった。王都にある別邸は、信頼のおける家令に任せた。
とにかくもう、国王たちは信用ならん、というのがケアード公爵の言い分だった。助けもしないが反抗もしない。もう、そっとしておいてくれ。とでも言うかのように、領地へと戻ることにしたようだ。
しかしセシリアは、両親はてっきり王都セッテに残るものだと思っていた。
だというのに国王に啖呵をきり、大臣まで辞してきた。だから今、エレノアやセシリアたちとフェルトンの街に滞在している。
父親は「新しい領主だとみなに紹介する必要があるからだ」と言っていたが、純粋にエレノアやセシリアのことが心配なのだろう。
エレノアは領主代理としてフェルトンの街に住むことになる。もちろん、セシリアも一緒だ。セシリアが視たものをエレノアが利用する。そしてセシリアに過去視や未来視があることを、知られないようにする。
国直轄からケアード公爵領となったフェルトンの街だが、人々はどことなく沈んでいた。
公爵が町長や商会長などを呼び出し、今後の街の方針について説明をした。そして領主代理のエレノアの指示に従うように、とも。
いくら公爵の指示であったとしても、エレノアは十八歳の成人を迎えたばかりの女性だ。彼らは「こんな小娘に」という不躾な視線を投げてきた。
そこでエレノアが「さとうきび」を使った事業について説明したところ、手のひらをころっと返してきた。やはり彼らも、さとうきびの有用性についてわかっていなかったのだ。
そこからさとうきびを使った事業が始まった。町長や商会長、組合員などの協力も得て、やっとそれらが軌道にのったところで、ケアード公爵は夫人と共に本邸へと戻った。本邸がある公爵領は、フェルトンの街から馬車に揺られて半日もかからない。
そしてこの街に残されたのは、領主代理のエレノアと幼いセシリア。さらに彼女らを守る使用人たち。
フェルトンの街にやってきて、エレノアにも笑顔が戻った。
今日も甘いにおいがどこからか漂っている。
さとうきびから砂糖を作るためには、さとうきびを収穫し二つの工程を経る。砂糖の素となる原料糖を取り出す工程と、原料糖から精製糖を取り出す工程だ。これらをそれぞれ前工程、後工程と呼んでいた。
さらに、その砂糖を使って料理を提供する。
もちろん、これらはセシリアの頭の中に流れ込んできた記憶を利用している。それをエレノアに伝え、彼女が事業計画案としてまとめた。
廃れた街であったフェルトンだが、次第に人が集まり始める。砂糖と砂糖を使った料理の噂を聞きつけたのだろう。
もちろん、そういった噂を流したのはケアード公爵だ。外交大臣だったころの伝手を使い、それとなく砂糖の話を広めた。
そしてエレノアとセシリアがフェルトンの街に住み半年ほど経ったころ、本邸にいるケアード公爵から一通の書簡が届いた。
「お父様もわざわざ書簡だなんて、どうされたのかしら?」
急いで封を切り、中身を確認する。
「お姉さま、お父さまからの手紙には、なんて書いてありましたか?」
まだ両親が恋しいセシリアにとって、父親からの手紙であれば、どんな内容かとわくわくしてしまう。
それでも大好きな両親と離れてフェルトンの街に滞在しているのは、エレノアがいるからだ。そして大好きなエレノアと立ち上げたさとうきび事業。今では、真っ白いきらきらと輝く砂糖がフェルトンの街へと出回り、近隣の町や村、そして王都にも少しずつ広がっている。
フェルトンの砂糖に興味を持つ者も出てきて、さとうきび畑を見学したいとか、砂糖を作る工程を見たいとか、そういった希望も受け入れている。ただ、そのような対応は町長や商会長に任せてあった。
この事業の中心にエレノアがいると知られてしまえば、彼女に求婚者が集まってくるだろうと、父親が心配したからだ。
エレノアだって年頃の、魅力的な女性である。そんなエレノアに変な男たちが寄ってこないようにと、使用人やら護衛の者たちが目を光らせている。さらに町長、商会長、その組合員たちもエレノアを女神のように崇拝しているため、それとなく見張っていた。
その甲斐もあってか、今のところ、エレノアに求婚しようという心臓に毛の生えたような図々しい男性はいない。
「ロックウェル王国のシング公爵家のコンスタッド様が、フェルトンの砂糖に興味を持たれているから、見学に来るそうよ。その間、こちらの屋敷に滞在することになるから、準備をするようにって。あらあら、どうしましょう。忙しくなるわね。お父様も一緒に来られるそうよ」
「やったぁ~」
今回は、隣国ロックウェルの貴族ということもあり、フェルトンの領主であるケアード公爵に打診したのだろう。今までの見学者とは異なる。だからケアード公爵も同伴すると、手紙で知らせてきたのだ。
「では、早速準備にとりかからなくてはね。明後日には来られるそうだから」
「コンスタッド様は、今は本邸のほうにいらっしゃるのですか?」
「そのようね。だけど、今回の訪問はお忍びのようよ」
しっと唇の前に人差し指を立てるエレノアの姿は、普段より幼く見えた。
エレノアが急いで使用人たちを集め、明後日に公爵が客人を連れてやってくる旨を伝える。
「あ、モリスに伝えないと」
セシリアが声をあげる。
「そうね。モリスがへそを曲げてしまっては、たいへんだわ」
モリスとは、二ヶ月ほど前に、フェルトンの街の入り口に倒れていた女性だ。どうやら王都へと向かおうとしていたらしいのだが、道に迷ってフェルトンにたどり着いたらしい。
彼女を見つけたのはセシリアで、人を呼び、モリスを屋敷にと連れて帰ってきた。幼いセシリアであっても、道ばたに年頃の女性を転がしておくのは危険だと思ったのだ。
目を覚ましたモリスは、セシリアに非常に感謝した。さらにフェルトンの街を気に入り、ここに住むとまで言い出す始末。
モリスがこの街を気に入ったのは、もちろん砂糖があるから。食べ物が美味しい、ほかのものは食べられないとまで言っている。
そして、年頃だと思われたモリスだが、実はセシリアの母親よりもちょっとだけ年上だった。
そんなモリスは、今はさとうきび畑の管理人として働いている。彼女は、四属性、すべての魔法が使えた。四属性の魔法を使える者を「賢者」と呼んでいるのだが――。
(賢者モリス……)
セシリアには、なんとなくその名に聞き覚えがあった。おそらく謎の記憶が絡んでいるのだろう。だが、それ以上の情報もないし、記憶も流れ込んでこない。知っているのはモリスが賢者だということだけ。だから、彼女をこの屋敷に住まわせているが、もちろんモリスが賢者であることをエレノアも知っているし、両親にも手紙で知らせた。
また、モリスと一緒に暮らしてわかったのは、彼女は騒がしいところが嫌いだということ。だからエレノア目当てに屋敷にやってくるような人物は、風魔法を使って追い払っていた。エレノアだって風魔法の使い手だが、人を移動させるほどの強烈な魔法は使えない。
こうやってエレノアはみんなから守られているのだ。
そしてセシリアは、母親と同じ水魔法の使い手だろうと、モリスが言った。本来であれば十歳から通い始め津学園で、魔力の種別をみるのだが、セシリアはまだ七歳。学園にも通っていないからわからなかった。
最初はエレノアに魔法を教えてもらおうとしたのだが、それがうまくいかなかったのは、身につけている属性が異なっていたからだ、というのがモリスのおかげでわかった。
どちらにしろ、エレノアは領主代理として忙しくなり、セシリアに魔法を教えるどころではなくなったのだ。だからモリスが、セシリアに魔法を教えている。
屋敷の二階から外を眺めていたセシリアは、正門の前に一台の馬車が止まったのを確認した。ケアード公爵の家紋がついている馬車だ。さらにもう一台、馬車が止まり、護衛の騎士らの姿も見え始めた。
「お姉さま、お父さまが来ました」
使用人たちに最後の仕上げとばかりに指示を出していたエレノアを見つけ伝えると、セシリアも慌てて玄関ホールへと向かった。
「お父さま~」
ホールに入ってきた人影を見て、セシリアはおもいっきり抱きついた。父親に会うのは一ヶ月ぶりだ。
「残念ながら、俺は君のお父様ではないが?」
「セシリア!」
父親の声は、少し遠いところから聞こえた。
おそるおそる顔をあげると、深緑の髪に紫色の瞳の男の顔が見える。父親の髪色は金色だ。
「だれ?」
「セシリア、お客様だよ。離れなさい」
その言葉で、ひしっと彼に抱きついていたことに気づき、ぱっと両手をはなした。
「お恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。セシリア・ケアードです」
今までのことはなかったかのように、スカートの裾を持ち上げて礼をした。
「はじめまして、セシリア嬢。私がコンスタッド・シング。当分の間、お世話になるね」
そう挨拶したのは、セシリアが抱きついた人物の隣にいる、黒髪の背の高い男性だった。茶色の目を細くした柔和な笑顔につられて、セシリアもへにゃりと顔をゆるませる。
「この子は、私の従者。ほら、シオン。挨拶をしなさい」
シオンと呼ばれた彼は、よくよく見るとエレノアよりも年下で、セシリアよりは年上で、むしろ少年と呼べるような男の子だった。そしてセシリアが抱きついた相手がシオンである。
「シオン・クラウス」
「あっ……」
また大量の記憶が、セシリアの頭に流れ込んできた。
(シオン・クラウス。クラウスは母親の姓。彼の本当の名は、シオン・ロックウェル。ロックウェル王国の第二王子)
だが、七歳のセシリアはぽろっと言葉にしてしまう。
「ロックウェルの第二王子……?」
その声は小鳥のさえずりのようなもので、セシリアの側にいた者たちにしか聞こえない。だけどしっかりと父親とシオンの耳には届いたらしく、父親は唇の前に人差し指を当て、必死に「しーっ」としている。
だからセシリアも慌てて口をつぐむ。
「ようこそいらっしゃいました、シング公爵。わたくしが領主代理、エレノア・ケアードです」
その場の空気を一気に変えたのは、エレノアの優雅な挨拶だ。
「では、早速、お部屋に案内いたします」
彼らをエレノアにまかせて、セシリアはそろそろと父親にくっついた。
「お父さま、ごめんなさい」
「いや、問題ない。シオン殿下の髪色は珍しいから、それでわかったということにしておこう。勤勉なセシリア」
どうやら父親は、シオンがロックウェル王国の第二王子であるのを知っているようだった。外交を務めていたのだから、近隣諸国の王族の顔はすべて覚えているのではないだろうかと、思えてしまう。
シオンが身分を隠してフェルトンの街を訪れているのは、何か理由があるのだろうか。
コンスタッドたちを部屋へと案内したセシリアが戻ってきた。
「エレノア、お疲れ様。領主代理も板についてきたな」
父親がエレノアの肩をポンと叩くものの、彼女はどこか上の空のようにも見えた。
「お姉さま?」
「あ、ごめんなさい、セシリア。これからシング公爵たちとお茶をと思ったのだけれど、お外のほうがいいかしら? せっかくだから、砂糖を使ったお菓子を食べていただこうかと思っているの。シング公爵は砂糖に興味があるのよね、お父様」
「そうだ」
父親は鷹揚に頷く。
「フェルトンの砂糖を、ロックウェル王国に輸出しようと思っている」
今までも砂糖を扱いたいといった紹介は多かった。だが、それは国内にかぎって父親が許していたのだ。
「ロックウェル王国は、ケアード公爵領からも近いからな。場合によっては、砂糖の前工程はフェルトンで行い、後工程をロックウェル王国内で行ってもらってもいいと考えている」
「つまり、ロックウェル王国で砂糖を作らせるということですか?」
「ああ、いつまでもフェルトンで独占的に作っていると、ほかからも狙われる。むしろ、アッシュクロフ国王が、もう一度フェルトンを手にしたいと思っているだろうな。そして、エレノアのことも」
「今まで、さんざんもてあましていた土地を、ろくな対策もせずに人に押しつけてきたというのに。砂糖一つでころっと手のひらを返してくるのね。それに、わたくしはもう二度とジェラルド様と一緒になりたいとは思いませんし、この国の王太子妃になりたいわけでもありません。今は、この事業で手一杯ですから」
エレノアは両手を腰に当て、プンプンと怒っている。
「……なるほど。では、私にもチャンスがあると思ってもよろしいでしょうか?」
ホールから続く階段の上には、コンスタッドの姿があった。
「失礼、ちょうど声が聞こえてきたもので。それにエレノア殿との茶会が待ちきれなくてね」
少しだけ首を傾げて微笑む様子に、エレノアがぽっと頬を赤らめたのをセシリアは見逃さなかった。
「お姉さま。シング公爵をお待たせしては失礼ですよ。今日は天気がいいので、東屋がいいと思います。セシリア、みんなに言ってきます」
フェルトンの公爵邸で働いている使用人は最小限であるため、場合によってはセシリアやエレノアが自ら動く。
「そうだね、エレノア。畑や作業場の見学は明日でいいから、今日はシング公爵をゆっくりともてなしてくれないか?」
「お父様は?」
「ケビンと話があるからね。近況報告を聞きたい」
ケビンも今ではフェルトンの屋敷の使用人たちをとりまとめる立場になった。
そして、片目をつむった父親を見て、セシリアにもピンとくるものがあった。たとえ七歳であっても、男女のあれこれには興味津々。
「では、エレノア殿。お言葉に甘えて、案内していただいてもよろしいでしょうか?」
そう言いながらもエスコートしようとするコンスタッドはスマートである。
さらに父親までお膳立てしようとしているのだから、少なくともコンスタッドは父親に認められたのだ。
セシリアは、真っ白いウェディングドレスを着てコンスタッドの隣に立つエレノアを想像し、むふっと笑みをこぼした。
けしてこれは未来視などではなく、セシリアの妄想である。
「あ、厨房にいってきます」
東屋にお茶とお菓子の用意をするようにと、使用人たちに伝えねばならない。
急いで厨房へと向かい、茶会の件を手短に伝える。彼らも意気揚々と、準備に
とりかかった。
それからセシリアは、執務室へと向かった父親にもお茶とお菓子を持って行こうと考えた。
ワゴンを押して室内に入ると、父親はケビンと難しい顔をして話をしているところだった。
「お父さま。お茶を持ってきました。このお菓子は、セシリアが考えました」
「そうです、旦那様。セシリアお嬢様は、こうやって砂糖を使ったお菓子を考えてくださるんですよ」
ケビンまで身を乗り出す。
「ほぅ、きれいなお菓子だね。色のついた氷みたいだ」
「はい、氷みたいな砂糖だから『さとう氷』と名付けました。ゼリーの作り方に似ているのですが、動物の皮からとったゼラチンと果汁を混ぜて乾燥させ、表面を砂糖でコーティングしました」
透明な器の上には、色のついた氷のような菓子がのせられている。それも、紫、黄色と二つの色があった。
「黄色はレモン、紫はブドウです」
「どれ、いただいてみようかな」
父親に食べてもらいたくて仕方ないセシリアは、フォークに『さとう氷』を刺し、口元へと運ぶ父親の様子を、じっくりと見つめていた。
「……これは、美味しいし、食感もおもしろい」
「お父さま。帰るときにはお母さまへお土産に持っていってくださいね」
今回はシング公爵の案内ということもあり、母親は同行しなかった。
「もちろんだ。まちがいなく、お母様も気に入るよ」
そう言った父親は、セシリアの頭をポンとなでた。
これ以上、話しの邪魔をしてはならないと思ったセシリアは、執務室を出る。
エレノアはレナードと茶会。父親は仕事。
となれば、セシリアは一人ぽっち。そして、こういうときにかぎってモリスは外に出ている。いや、さとうきび畑の確認に言っているのだ。つまり、仕事である。
接待も仕事もないセシリアは、厨房に向かうことにした。また、砂糖を使ったお菓子を考えよう。
「おい」
ホールを抜けようとしたとき、頭上から声が振ってきた。
「俺をもてなそうとは思わないのか?」
シオンだった。上からセシリアを見下ろしている。
「シング公爵さまとご一緒ではなかったのですか?」
てっきりエレノアが二人をもてなしているだろうと思っていたのだ。
「人の恋路を邪魔すると、馬に蹴られるんだよ」
また、そのひとことでピンときた。コンスタッドはエレノアに興味を持ってくれている。となれば、やはり真っ白いウェディングドレスに身を包み、彼の隣でやわらかく微笑む姉の姿を想像してしまう。
「おい、セシリア。何を考えている」
何も考えていません。そうとでも言うかのように、ぶんぶんと首を振る。
「あ、あの。サロンにご案内いたします」
すると彼は、一歩、一歩、優雅に階段を下りてきて、腕を差し出した。
わけがわからず、セシリアはコテンと首を横に倒す。
「こういうときは俺の腕をとるんだよ。コンスタッドがやっていただろ?」
どこからか先ほどのコンスタッドとエレノアのやりとりを見ていたにちがいない。
セシリアもそれを思い出し、小さな手でシオンの腕をつかんだ。
開放感あふれるサロンへと彼を案内すると「お茶の用意をしてきますので、お待ちください」と言って、また厨房へと向かった。
さすがにセシリアが言ったり来たりしている様子を見た使用人の一人が「私がお持ちしますよ」と言ってくれたので、セシリアは先にサロンへと戻ることにした。
「お待たせして申し訳ありません。今、お茶の用意が整いますので」
真っ白い丸いテーブル。彼の真向かいに座ってはみたものの、何をしゃべったらいいのかさっぱりとわからない。
「セシリア。おまえ、年はいくつだ?」
「七歳です。もう少しで八歳になります。シオンさまは?」
「十三だ……うん、十年後に結婚しよう。俺はおまえが気に入った」
なぜ急に結婚の話になるのか、セシリアにはさっぱりわからない。
「いやです。セシリアは結婚しません」
「あぁ?」
セシリアの答えが面白くなかったのか、シオンは紫の目でぎろっと睨みつけてきた。
「おまえ。俺がロックウェルの第二王子だと知っていたんだろ? こうやって身分を明かさずにいたのに。俺に気がついたのは、ケアード公爵以外にはおまえだけだ」
「ロックウェルの王族の方は、髪の色が特徴的です。と、お父さまが言ってました」
「なるほどな。さすが外交に長けているケアード公爵の娘だな。やっぱり、おまえ、俺の嫁になれ」
「いやです」
そこへティーワゴンを押しながら使用人がやってきた。テーブルの上にはお茶やらお菓子やらが並べられていく。
「シオンさま。これ、セシリアが作りました。食べてください」
先ほどの結婚話などなかったかのように、セシリアが明るい声をあげる。
セシリアはシオンにも『さとう氷』をすすめ、父親にしたときと同じような説明をした。
「なんだ、これ。かりっとしていて、ふわっとしていて。甘くて美味しい」
シオンも一瞬にして『さとう氷』の虜になったようだ。
「そういえば、なんで公爵は外交大臣を辞めて領地に引きこもったんだ? それに、エレノアは王太子ジェラルドと婚約していたよな?」
セシリアが子どもだから、ずけずけと聞いてくるのだろう。もちろんセシリアは駆け引きなどできずに、馬鹿正直に言葉にする。
「なるほどな。王太子ジェラルドがバカだというのはよくわかった。あと、イライザという女か? まあ、エレノアを捨ててそいつを選んだというのなら、そいつには何か特別な魅力があるのか?」
あやうく「聖女だからです」と言いそうになって、その言葉を呑み込んだ。謎の記憶については、けしてほかの人には言わないようにと父親からきつく言われているし、まだイライザが聖女だという話も聞こえてこない。
そこへ「セシリア~。お腹が空いた~」とモリスがやってきた。
「あれ? お客様?」
「ええと、こちらはロックウェル王国のシング公爵に仕えている従者の方」
シオンが第二王子だというのは秘密なのだ。
「はぁ? バカ王子じゃん」
「げ、賢者のばばぁ。おまえ、アッシュクロフの王都に行くって言っていたよな? なんでここにいるんだ」
「お二人とも、お知り合いですか?」
セシリアはきょとんとして、二人を交互に見やった。
「俺の魔法の師匠だ」
「私のバカ弟子のひとり」
どうやら師弟関係にあったようだ。
「モリスもどうぞ。喉が渇いたでしょう? お菓子もありますよ」
「さっすがセシリア、やさし~」
そう言って、モリスはシオンとセシリアの間に座る。
「セシリア、ばばぁに親切にしてやる必要はない」
「でもモリスは、セシリアの魔法の先生です」
「そうそう、セシリアは私のかわいい生徒。どこかのバカ弟子とは大違いよ」
「あ。シオンさまは、セシリアの兄弟子になるわけですね?」
ぱっとセシリアの明るい声で、シオンはほんのりと耳の下を赤らめ、ぽりぽりと頬をかく。
「いや、それよりもだ。なんで、ばばぁがここにいるんだよ。王都セッテにいるんじゃなかったのかよ」
シオンとモリスが言い合っている間に、セシリアはお茶を淹れ、モリスの前に置いた。
「いやぁ。セッテに行って、新しい弟子を探そうと思ったんだけど。その前に力尽きてね。ここで倒れてたらしい」
「そうです。セシリアがモリスを拾って、連れてきました」
「おいおい。拾うって犬猫じゃないんだから」
そんなぼやきがシオンから聞こえた。
「ですが今は、セシリアの魔法の先生です」
「そうそう。ここで新しい弟子が見つかったのよ」
お茶をずびずび飲みながら、モリスが答えた。
「モリスにはここでさとうきび畑の管理をしてもらってます。魔法でぱぱっと風を起こしたり、水をやったりしてもらってます。モリスはすごいんですよ」
と、モリスを褒めようとすると、シオンは嫌そうな顔をした。
送られてきた書類に丁寧に書き込みサインをして送り返したところ、翌日、ケアード公爵は国王から呼び出された。
やはりセシリアが言ったとおり、安い賠償金も、収入の見込めない土地も、婚約を解消させないための布石だった。あの場でジェラルドが婚約破棄宣言をしたから形として書類を送ってみたものの、エレノア側から「婚約解消について考え直してほしい」という言葉を引き出したかったようだ。
だが、それもずばっとセシリアがお見通しである。
ケアード公爵は「てっきり、王家側にとっては我が娘にはあれだけの価値しかないのかと、そう思いましたよ」と吐き捨てた。
婚約の継続については、ジェラルドの気持ちがエレノアに向いていない事実を突きつけ、イライザの存在を口にした。
さらにケアード公爵は言葉を続ける。
エレノアの婚約解消を認め、公爵領に戻ることを許可してくれるならば、これ以上は何もしない。だが、エレノアを侮辱するのであれば、こちらとて考えがあると。ケアード公爵が率いる騎士団の存在をにおわせた。
むしろ、アッシュクロフ王国から独立してやるぞ、的に威圧する。そうなれば、国王もたじたじだ。
それからケアード公爵は外交大臣を辞し、王都セッテからさっさと公爵領へと向かった。王都にある別邸は、信頼のおける家令に任せた。
とにかくもう、国王たちは信用ならん、というのがケアード公爵の言い分だった。助けもしないが反抗もしない。もう、そっとしておいてくれ。とでも言うかのように、領地へと戻ることにしたようだ。
しかしセシリアは、両親はてっきり王都セッテに残るものだと思っていた。
だというのに国王に啖呵をきり、大臣まで辞してきた。だから今、エレノアやセシリアたちとフェルトンの街に滞在している。
父親は「新しい領主だとみなに紹介する必要があるからだ」と言っていたが、純粋にエレノアやセシリアのことが心配なのだろう。
エレノアは領主代理としてフェルトンの街に住むことになる。もちろん、セシリアも一緒だ。セシリアが視たものをエレノアが利用する。そしてセシリアに過去視や未来視があることを、知られないようにする。
国直轄からケアード公爵領となったフェルトンの街だが、人々はどことなく沈んでいた。
公爵が町長や商会長などを呼び出し、今後の街の方針について説明をした。そして領主代理のエレノアの指示に従うように、とも。
いくら公爵の指示であったとしても、エレノアは十八歳の成人を迎えたばかりの女性だ。彼らは「こんな小娘に」という不躾な視線を投げてきた。
そこでエレノアが「さとうきび」を使った事業について説明したところ、手のひらをころっと返してきた。やはり彼らも、さとうきびの有用性についてわかっていなかったのだ。
そこからさとうきびを使った事業が始まった。町長や商会長、組合員などの協力も得て、やっとそれらが軌道にのったところで、ケアード公爵は夫人と共に本邸へと戻った。本邸がある公爵領は、フェルトンの街から馬車に揺られて半日もかからない。
そしてこの街に残されたのは、領主代理のエレノアと幼いセシリア。さらに彼女らを守る使用人たち。
フェルトンの街にやってきて、エレノアにも笑顔が戻った。
今日も甘いにおいがどこからか漂っている。
さとうきびから砂糖を作るためには、さとうきびを収穫し二つの工程を経る。砂糖の素となる原料糖を取り出す工程と、原料糖から精製糖を取り出す工程だ。これらをそれぞれ前工程、後工程と呼んでいた。
さらに、その砂糖を使って料理を提供する。
もちろん、これらはセシリアの頭の中に流れ込んできた記憶を利用している。それをエレノアに伝え、彼女が事業計画案としてまとめた。
廃れた街であったフェルトンだが、次第に人が集まり始める。砂糖と砂糖を使った料理の噂を聞きつけたのだろう。
もちろん、そういった噂を流したのはケアード公爵だ。外交大臣だったころの伝手を使い、それとなく砂糖の話を広めた。
そしてエレノアとセシリアがフェルトンの街に住み半年ほど経ったころ、本邸にいるケアード公爵から一通の書簡が届いた。
「お父様もわざわざ書簡だなんて、どうされたのかしら?」
急いで封を切り、中身を確認する。
「お姉さま、お父さまからの手紙には、なんて書いてありましたか?」
まだ両親が恋しいセシリアにとって、父親からの手紙であれば、どんな内容かとわくわくしてしまう。
それでも大好きな両親と離れてフェルトンの街に滞在しているのは、エレノアがいるからだ。そして大好きなエレノアと立ち上げたさとうきび事業。今では、真っ白いきらきらと輝く砂糖がフェルトンの街へと出回り、近隣の町や村、そして王都にも少しずつ広がっている。
フェルトンの砂糖に興味を持つ者も出てきて、さとうきび畑を見学したいとか、砂糖を作る工程を見たいとか、そういった希望も受け入れている。ただ、そのような対応は町長や商会長に任せてあった。
この事業の中心にエレノアがいると知られてしまえば、彼女に求婚者が集まってくるだろうと、父親が心配したからだ。
エレノアだって年頃の、魅力的な女性である。そんなエレノアに変な男たちが寄ってこないようにと、使用人やら護衛の者たちが目を光らせている。さらに町長、商会長、その組合員たちもエレノアを女神のように崇拝しているため、それとなく見張っていた。
その甲斐もあってか、今のところ、エレノアに求婚しようという心臓に毛の生えたような図々しい男性はいない。
「ロックウェル王国のシング公爵家のコンスタッド様が、フェルトンの砂糖に興味を持たれているから、見学に来るそうよ。その間、こちらの屋敷に滞在することになるから、準備をするようにって。あらあら、どうしましょう。忙しくなるわね。お父様も一緒に来られるそうよ」
「やったぁ~」
今回は、隣国ロックウェルの貴族ということもあり、フェルトンの領主であるケアード公爵に打診したのだろう。今までの見学者とは異なる。だからケアード公爵も同伴すると、手紙で知らせてきたのだ。
「では、早速準備にとりかからなくてはね。明後日には来られるそうだから」
「コンスタッド様は、今は本邸のほうにいらっしゃるのですか?」
「そのようね。だけど、今回の訪問はお忍びのようよ」
しっと唇の前に人差し指を立てるエレノアの姿は、普段より幼く見えた。
エレノアが急いで使用人たちを集め、明後日に公爵が客人を連れてやってくる旨を伝える。
「あ、モリスに伝えないと」
セシリアが声をあげる。
「そうね。モリスがへそを曲げてしまっては、たいへんだわ」
モリスとは、二ヶ月ほど前に、フェルトンの街の入り口に倒れていた女性だ。どうやら王都へと向かおうとしていたらしいのだが、道に迷ってフェルトンにたどり着いたらしい。
彼女を見つけたのはセシリアで、人を呼び、モリスを屋敷にと連れて帰ってきた。幼いセシリアであっても、道ばたに年頃の女性を転がしておくのは危険だと思ったのだ。
目を覚ましたモリスは、セシリアに非常に感謝した。さらにフェルトンの街を気に入り、ここに住むとまで言い出す始末。
モリスがこの街を気に入ったのは、もちろん砂糖があるから。食べ物が美味しい、ほかのものは食べられないとまで言っている。
そして、年頃だと思われたモリスだが、実はセシリアの母親よりもちょっとだけ年上だった。
そんなモリスは、今はさとうきび畑の管理人として働いている。彼女は、四属性、すべての魔法が使えた。四属性の魔法を使える者を「賢者」と呼んでいるのだが――。
(賢者モリス……)
セシリアには、なんとなくその名に聞き覚えがあった。おそらく謎の記憶が絡んでいるのだろう。だが、それ以上の情報もないし、記憶も流れ込んでこない。知っているのはモリスが賢者だということだけ。だから、彼女をこの屋敷に住まわせているが、もちろんモリスが賢者であることをエレノアも知っているし、両親にも手紙で知らせた。
また、モリスと一緒に暮らしてわかったのは、彼女は騒がしいところが嫌いだということ。だからエレノア目当てに屋敷にやってくるような人物は、風魔法を使って追い払っていた。エレノアだって風魔法の使い手だが、人を移動させるほどの強烈な魔法は使えない。
こうやってエレノアはみんなから守られているのだ。
そしてセシリアは、母親と同じ水魔法の使い手だろうと、モリスが言った。本来であれば十歳から通い始め津学園で、魔力の種別をみるのだが、セシリアはまだ七歳。学園にも通っていないからわからなかった。
最初はエレノアに魔法を教えてもらおうとしたのだが、それがうまくいかなかったのは、身につけている属性が異なっていたからだ、というのがモリスのおかげでわかった。
どちらにしろ、エレノアは領主代理として忙しくなり、セシリアに魔法を教えるどころではなくなったのだ。だからモリスが、セシリアに魔法を教えている。
屋敷の二階から外を眺めていたセシリアは、正門の前に一台の馬車が止まったのを確認した。ケアード公爵の家紋がついている馬車だ。さらにもう一台、馬車が止まり、護衛の騎士らの姿も見え始めた。
「お姉さま、お父さまが来ました」
使用人たちに最後の仕上げとばかりに指示を出していたエレノアを見つけ伝えると、セシリアも慌てて玄関ホールへと向かった。
「お父さま~」
ホールに入ってきた人影を見て、セシリアはおもいっきり抱きついた。父親に会うのは一ヶ月ぶりだ。
「残念ながら、俺は君のお父様ではないが?」
「セシリア!」
父親の声は、少し遠いところから聞こえた。
おそるおそる顔をあげると、深緑の髪に紫色の瞳の男の顔が見える。父親の髪色は金色だ。
「だれ?」
「セシリア、お客様だよ。離れなさい」
その言葉で、ひしっと彼に抱きついていたことに気づき、ぱっと両手をはなした。
「お恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。セシリア・ケアードです」
今までのことはなかったかのように、スカートの裾を持ち上げて礼をした。
「はじめまして、セシリア嬢。私がコンスタッド・シング。当分の間、お世話になるね」
そう挨拶したのは、セシリアが抱きついた人物の隣にいる、黒髪の背の高い男性だった。茶色の目を細くした柔和な笑顔につられて、セシリアもへにゃりと顔をゆるませる。
「この子は、私の従者。ほら、シオン。挨拶をしなさい」
シオンと呼ばれた彼は、よくよく見るとエレノアよりも年下で、セシリアよりは年上で、むしろ少年と呼べるような男の子だった。そしてセシリアが抱きついた相手がシオンである。
「シオン・クラウス」
「あっ……」
また大量の記憶が、セシリアの頭に流れ込んできた。
(シオン・クラウス。クラウスは母親の姓。彼の本当の名は、シオン・ロックウェル。ロックウェル王国の第二王子)
だが、七歳のセシリアはぽろっと言葉にしてしまう。
「ロックウェルの第二王子……?」
その声は小鳥のさえずりのようなもので、セシリアの側にいた者たちにしか聞こえない。だけどしっかりと父親とシオンの耳には届いたらしく、父親は唇の前に人差し指を当て、必死に「しーっ」としている。
だからセシリアも慌てて口をつぐむ。
「ようこそいらっしゃいました、シング公爵。わたくしが領主代理、エレノア・ケアードです」
その場の空気を一気に変えたのは、エレノアの優雅な挨拶だ。
「では、早速、お部屋に案内いたします」
彼らをエレノアにまかせて、セシリアはそろそろと父親にくっついた。
「お父さま、ごめんなさい」
「いや、問題ない。シオン殿下の髪色は珍しいから、それでわかったということにしておこう。勤勉なセシリア」
どうやら父親は、シオンがロックウェル王国の第二王子であるのを知っているようだった。外交を務めていたのだから、近隣諸国の王族の顔はすべて覚えているのではないだろうかと、思えてしまう。
シオンが身分を隠してフェルトンの街を訪れているのは、何か理由があるのだろうか。
コンスタッドたちを部屋へと案内したセシリアが戻ってきた。
「エレノア、お疲れ様。領主代理も板についてきたな」
父親がエレノアの肩をポンと叩くものの、彼女はどこか上の空のようにも見えた。
「お姉さま?」
「あ、ごめんなさい、セシリア。これからシング公爵たちとお茶をと思ったのだけれど、お外のほうがいいかしら? せっかくだから、砂糖を使ったお菓子を食べていただこうかと思っているの。シング公爵は砂糖に興味があるのよね、お父様」
「そうだ」
父親は鷹揚に頷く。
「フェルトンの砂糖を、ロックウェル王国に輸出しようと思っている」
今までも砂糖を扱いたいといった紹介は多かった。だが、それは国内にかぎって父親が許していたのだ。
「ロックウェル王国は、ケアード公爵領からも近いからな。場合によっては、砂糖の前工程はフェルトンで行い、後工程をロックウェル王国内で行ってもらってもいいと考えている」
「つまり、ロックウェル王国で砂糖を作らせるということですか?」
「ああ、いつまでもフェルトンで独占的に作っていると、ほかからも狙われる。むしろ、アッシュクロフ国王が、もう一度フェルトンを手にしたいと思っているだろうな。そして、エレノアのことも」
「今まで、さんざんもてあましていた土地を、ろくな対策もせずに人に押しつけてきたというのに。砂糖一つでころっと手のひらを返してくるのね。それに、わたくしはもう二度とジェラルド様と一緒になりたいとは思いませんし、この国の王太子妃になりたいわけでもありません。今は、この事業で手一杯ですから」
エレノアは両手を腰に当て、プンプンと怒っている。
「……なるほど。では、私にもチャンスがあると思ってもよろしいでしょうか?」
ホールから続く階段の上には、コンスタッドの姿があった。
「失礼、ちょうど声が聞こえてきたもので。それにエレノア殿との茶会が待ちきれなくてね」
少しだけ首を傾げて微笑む様子に、エレノアがぽっと頬を赤らめたのをセシリアは見逃さなかった。
「お姉さま。シング公爵をお待たせしては失礼ですよ。今日は天気がいいので、東屋がいいと思います。セシリア、みんなに言ってきます」
フェルトンの公爵邸で働いている使用人は最小限であるため、場合によってはセシリアやエレノアが自ら動く。
「そうだね、エレノア。畑や作業場の見学は明日でいいから、今日はシング公爵をゆっくりともてなしてくれないか?」
「お父様は?」
「ケビンと話があるからね。近況報告を聞きたい」
ケビンも今ではフェルトンの屋敷の使用人たちをとりまとめる立場になった。
そして、片目をつむった父親を見て、セシリアにもピンとくるものがあった。たとえ七歳であっても、男女のあれこれには興味津々。
「では、エレノア殿。お言葉に甘えて、案内していただいてもよろしいでしょうか?」
そう言いながらもエスコートしようとするコンスタッドはスマートである。
さらに父親までお膳立てしようとしているのだから、少なくともコンスタッドは父親に認められたのだ。
セシリアは、真っ白いウェディングドレスを着てコンスタッドの隣に立つエレノアを想像し、むふっと笑みをこぼした。
けしてこれは未来視などではなく、セシリアの妄想である。
「あ、厨房にいってきます」
東屋にお茶とお菓子の用意をするようにと、使用人たちに伝えねばならない。
急いで厨房へと向かい、茶会の件を手短に伝える。彼らも意気揚々と、準備に
とりかかった。
それからセシリアは、執務室へと向かった父親にもお茶とお菓子を持って行こうと考えた。
ワゴンを押して室内に入ると、父親はケビンと難しい顔をして話をしているところだった。
「お父さま。お茶を持ってきました。このお菓子は、セシリアが考えました」
「そうです、旦那様。セシリアお嬢様は、こうやって砂糖を使ったお菓子を考えてくださるんですよ」
ケビンまで身を乗り出す。
「ほぅ、きれいなお菓子だね。色のついた氷みたいだ」
「はい、氷みたいな砂糖だから『さとう氷』と名付けました。ゼリーの作り方に似ているのですが、動物の皮からとったゼラチンと果汁を混ぜて乾燥させ、表面を砂糖でコーティングしました」
透明な器の上には、色のついた氷のような菓子がのせられている。それも、紫、黄色と二つの色があった。
「黄色はレモン、紫はブドウです」
「どれ、いただいてみようかな」
父親に食べてもらいたくて仕方ないセシリアは、フォークに『さとう氷』を刺し、口元へと運ぶ父親の様子を、じっくりと見つめていた。
「……これは、美味しいし、食感もおもしろい」
「お父さま。帰るときにはお母さまへお土産に持っていってくださいね」
今回はシング公爵の案内ということもあり、母親は同行しなかった。
「もちろんだ。まちがいなく、お母様も気に入るよ」
そう言った父親は、セシリアの頭をポンとなでた。
これ以上、話しの邪魔をしてはならないと思ったセシリアは、執務室を出る。
エレノアはレナードと茶会。父親は仕事。
となれば、セシリアは一人ぽっち。そして、こういうときにかぎってモリスは外に出ている。いや、さとうきび畑の確認に言っているのだ。つまり、仕事である。
接待も仕事もないセシリアは、厨房に向かうことにした。また、砂糖を使ったお菓子を考えよう。
「おい」
ホールを抜けようとしたとき、頭上から声が振ってきた。
「俺をもてなそうとは思わないのか?」
シオンだった。上からセシリアを見下ろしている。
「シング公爵さまとご一緒ではなかったのですか?」
てっきりエレノアが二人をもてなしているだろうと思っていたのだ。
「人の恋路を邪魔すると、馬に蹴られるんだよ」
また、そのひとことでピンときた。コンスタッドはエレノアに興味を持ってくれている。となれば、やはり真っ白いウェディングドレスに身を包み、彼の隣でやわらかく微笑む姉の姿を想像してしまう。
「おい、セシリア。何を考えている」
何も考えていません。そうとでも言うかのように、ぶんぶんと首を振る。
「あ、あの。サロンにご案内いたします」
すると彼は、一歩、一歩、優雅に階段を下りてきて、腕を差し出した。
わけがわからず、セシリアはコテンと首を横に倒す。
「こういうときは俺の腕をとるんだよ。コンスタッドがやっていただろ?」
どこからか先ほどのコンスタッドとエレノアのやりとりを見ていたにちがいない。
セシリアもそれを思い出し、小さな手でシオンの腕をつかんだ。
開放感あふれるサロンへと彼を案内すると「お茶の用意をしてきますので、お待ちください」と言って、また厨房へと向かった。
さすがにセシリアが言ったり来たりしている様子を見た使用人の一人が「私がお持ちしますよ」と言ってくれたので、セシリアは先にサロンへと戻ることにした。
「お待たせして申し訳ありません。今、お茶の用意が整いますので」
真っ白い丸いテーブル。彼の真向かいに座ってはみたものの、何をしゃべったらいいのかさっぱりとわからない。
「セシリア。おまえ、年はいくつだ?」
「七歳です。もう少しで八歳になります。シオンさまは?」
「十三だ……うん、十年後に結婚しよう。俺はおまえが気に入った」
なぜ急に結婚の話になるのか、セシリアにはさっぱりわからない。
「いやです。セシリアは結婚しません」
「あぁ?」
セシリアの答えが面白くなかったのか、シオンは紫の目でぎろっと睨みつけてきた。
「おまえ。俺がロックウェルの第二王子だと知っていたんだろ? こうやって身分を明かさずにいたのに。俺に気がついたのは、ケアード公爵以外にはおまえだけだ」
「ロックウェルの王族の方は、髪の色が特徴的です。と、お父さまが言ってました」
「なるほどな。さすが外交に長けているケアード公爵の娘だな。やっぱり、おまえ、俺の嫁になれ」
「いやです」
そこへティーワゴンを押しながら使用人がやってきた。テーブルの上にはお茶やらお菓子やらが並べられていく。
「シオンさま。これ、セシリアが作りました。食べてください」
先ほどの結婚話などなかったかのように、セシリアが明るい声をあげる。
セシリアはシオンにも『さとう氷』をすすめ、父親にしたときと同じような説明をした。
「なんだ、これ。かりっとしていて、ふわっとしていて。甘くて美味しい」
シオンも一瞬にして『さとう氷』の虜になったようだ。
「そういえば、なんで公爵は外交大臣を辞めて領地に引きこもったんだ? それに、エレノアは王太子ジェラルドと婚約していたよな?」
セシリアが子どもだから、ずけずけと聞いてくるのだろう。もちろんセシリアは駆け引きなどできずに、馬鹿正直に言葉にする。
「なるほどな。王太子ジェラルドがバカだというのはよくわかった。あと、イライザという女か? まあ、エレノアを捨ててそいつを選んだというのなら、そいつには何か特別な魅力があるのか?」
あやうく「聖女だからです」と言いそうになって、その言葉を呑み込んだ。謎の記憶については、けしてほかの人には言わないようにと父親からきつく言われているし、まだイライザが聖女だという話も聞こえてこない。
そこへ「セシリア~。お腹が空いた~」とモリスがやってきた。
「あれ? お客様?」
「ええと、こちらはロックウェル王国のシング公爵に仕えている従者の方」
シオンが第二王子だというのは秘密なのだ。
「はぁ? バカ王子じゃん」
「げ、賢者のばばぁ。おまえ、アッシュクロフの王都に行くって言っていたよな? なんでここにいるんだ」
「お二人とも、お知り合いですか?」
セシリアはきょとんとして、二人を交互に見やった。
「俺の魔法の師匠だ」
「私のバカ弟子のひとり」
どうやら師弟関係にあったようだ。
「モリスもどうぞ。喉が渇いたでしょう? お菓子もありますよ」
「さっすがセシリア、やさし~」
そう言って、モリスはシオンとセシリアの間に座る。
「セシリア、ばばぁに親切にしてやる必要はない」
「でもモリスは、セシリアの魔法の先生です」
「そうそう、セシリアは私のかわいい生徒。どこかのバカ弟子とは大違いよ」
「あ。シオンさまは、セシリアの兄弟子になるわけですね?」
ぱっとセシリアの明るい声で、シオンはほんのりと耳の下を赤らめ、ぽりぽりと頬をかく。
「いや、それよりもだ。なんで、ばばぁがここにいるんだよ。王都セッテにいるんじゃなかったのかよ」
シオンとモリスが言い合っている間に、セシリアはお茶を淹れ、モリスの前に置いた。
「いやぁ。セッテに行って、新しい弟子を探そうと思ったんだけど。その前に力尽きてね。ここで倒れてたらしい」
「そうです。セシリアがモリスを拾って、連れてきました」
「おいおい。拾うって犬猫じゃないんだから」
そんなぼやきがシオンから聞こえた。
「ですが今は、セシリアの魔法の先生です」
「そうそう。ここで新しい弟子が見つかったのよ」
お茶をずびずび飲みながら、モリスが答えた。
「モリスにはここでさとうきび畑の管理をしてもらってます。魔法でぱぱっと風を起こしたり、水をやったりしてもらってます。モリスはすごいんですよ」
と、モリスを褒めようとすると、シオンは嫌そうな顔をした。