大好きなお姉さまが悪役令嬢?!処刑回避のためにひきこもったら、隣国の王子に狙われているようです?

「エレノア・ケアード。この場をもって、君との婚約は破棄させてもらう」
 アッシュクロフ王立魔法学園の大ホールでは、華々しく卒業パーティーが開かれていた。
 天井の中央から吊り下げられているシャンデリアが明々と輝いているのも、魔法によるもの。
 魔法を使うための力――魔力は親から子へと引き継がれるが、誰しもその魔力を備えているものではない。魔力を持ち、魔法が使える者は貴族に限られていた。そのためその貴族を、魔法貴族と呼ぶこともある。
 風火地水の四属性が魔法の基本属性とされ、生まれた家柄によってどの属性が扱えるか決まってくる。基本は一人一属性だが、まれに両親の双方の属性を受け継ぎ、二属性の魔法を扱える者もいた。
 だから結婚相手には、自分と異なる属性魔法を使える者を望むことが多い。
 目の前で展開されている婚約破棄の茶番劇だが、その破棄をつきつけられたエレノアは、風属性の魔法を使う公爵令嬢だ。
 そして声たかだかに婚約破棄を宣言したのは、アッシュクロフ王国の王太子であるジェラルド。彼本人は、土魔法の使い手である。だからこそ、エレノアを婚約者にと望んだはず。
 ホール内は楽団の音楽もやみ、しんと静まり返っていた。
 太陽のような緋色のドレスに身をつつむエレノアは、琥珀色の目を大きく見開き、ジェラルドをまっすぐに見据える。
 キリッとした紺碧の瞳、すっと通った鼻筋に、艶やかな唇。絹糸のようなさらりとした金色の髪を引き立てているのは、彼が身にまとう金モールの濃紺のジャケットだろう。一国の王太子として見目麗しい姿だ。
 それに対してエレノアだって負けてはいない。仮にも王太子の婚約者なのだ。庭園に咲き誇るような勿忘草色の髪はすっきりと結い上げられ、清純さを醸し出している。ぱっちりとした二重の瞳に、ふっくらとした唇も愛らしい。
 だというのに、その目だけは鋭くジェラルドを睨みつけていた。
 彼女の唇はゆっくりと開く。
「承知いたしました」
 スカートの裾をつまみ、淑女の礼をする。
 その姿を目にしたとき、母親としっかりと手をつないでいたセシリアの脳内には、誰のものかわからぬ記憶が流れ込んできた。
 ――エレノアは聖女イライザに毒を盛った。
 ――エレノアを処刑しろ! 首をはねろ!
(あ、これはネットで限定配信されたアニメのロマンスファンタジー小説『孤独な王子は救済の聖女によって癒される』略して『こどいや』の世界……って、この記憶は何?)
 セシリアは、母親とつないでいた手にきゅっと力を込めた。母親もちらりとセシリアに視線を向けたものの、不安そうにエレノアを見守っている。
(わたしはセシリア・ケアード、七歳。エレノア・ケアードの年の離れた妹。このままでは、お姉様は斬首刑に……)
 流れ込んできた記憶の処理に追いついていないが、気がつけばセシリアは母親とつないでいた手をはなし、エレノアへと近づいた。
「お姉さま」
 子ども特有の甘えた声だ。誰が見てもその子がエレノアの血縁者であるとわかる見目だった。勿忘草色の髪の毛は、垂れたうさぎの耳のように結ばれ、琥珀色の目はぱっちりとしていて愛嬌がある。
「王太子殿下とのお話は終わりましたか? セシリア、人がいっぱいで疲れてしまいました。はやく、おうちに帰りたいです」
 ホール内に響くセシリアの声に、両親の慌てる姿が見てとれた。父親なんぞ、額に青筋をたててこちらに走ってきそうな勢いだが、それをゆるりと首を振って制したのはエレノアだ。
「そうね。大事なお話は終わりましたから、今日はもう、帰りましょう」
 エレノアは手を伸ばして、セシリアの小さな手をしっかりと握りしめる。
「ジェラルド王太子殿下。手続きに必要な書類については、ケアード公爵邸にお送りください」
 もう一度、エレノアが優雅に腰を折ったため、セシリアもそれに倣う。
「わたくしがこの場にいないほうが、みなさまも楽しめるでしょう。せっかくのパーティーですもの、最後までお楽しみください。それではごきげんよう」
 その場を去るエレノアの背に、ジェラルドは「待て、まだ話の続きが……」と言いかけていたが、それらは近衛騎士らによってとめられた。
(そうよね。だって国王陛下は、ジェラルド様がこの場で婚約破棄をお姉様に告げるだなんて、知らなかったんですもの。それよりも、ジェラルド様の隣にいたのが聖女イライザ、ってまだ聖女ではないか。それにしてもジェラルド様の瞳と同じ色のドレスだなんて……うぅ……なんか、腹が立ってきたわ)
 エレノアと手をつないで会場をあとにすると、後ろからは両親もしっかりとした足取りでついてくる。
(間違いなくお父様は怒り心頭ね。そういえば、婚約解消の手続きをしぶるんだったわ)
 ジェラルドからの一方的な婚約破棄宣言は誰も受け入れず、エレノアはそのまま彼の婚約者という地位にとどまった。だから学園を卒業したあと、王太子妃教育を受けるために王城へと住まいを移した。
 しかし、ジェラルドの隣にはいつもイライザがいたものの、それでも国王も王妃もまだエレノアを婚約者として認め味方になってくれていたのだ。
(それが突然、イライザに聖属性の魔力が出現するのだったわね)
 魔法の基本属性は四属性であるが、そこに属さない特別な属性がある。それが聖と闇で、そのなかでも聖属性を扱える者は聖女とか聖人とか呼ばれていた。聖属性の魔法は治癒の力であるためだ。
 エレノアが王城に暮らすようになって半年後、イライザに聖属性の力が出現し、国王も王妃も手のひらを返したかのようにイライザを目にかけるようになる。さらに、エレノアにはジェラルドとの婚約解消をせまり、とうとうそれをエレノアとケアード公爵家は受け入れるのだ。そしてイライザはジェラルドの婚約者の座にまんまとおさまる。
 しかしジェラルドを忘れられないエレノアはイライザに対抗するために、禁忌魔法とも呼ばれている闇魔法に手を出した。そしてイライザと対峙するのだが、もちろんエレノアの力はイライザには敵わなかった。
 そこでエレノアもあきらめればよいものの、イライザを亡き者にするために、あの手この手を使い、彼女の飲み物に毒を仕込むが、イライザの口に入る前に気づかれる。聖魔法は自身の治癒はできないと言われているため、イライザもそういったことには人一倍、警戒していたのだろう。
 エレノアが禁忌魔法に手を出したときは、イライザの温情で刑を免れたが、聖女を殺そうとした罪は重い。そのため、エレノアは処刑されるのだ。
 ここまでが物語の前半で、後半はいろいろと反発し合いながらもイライザとジェラルドが結ばれる物語であったはず。
(誰のいつの記憶かわからないけれど、このままではお姉様が禁忌魔法に手を出した挙げ句、処刑されてしまうのがわかったわ。そうなれば、我が公爵家は取り潰しよね……)
 隣に座るエレノアの顔を見上げた。ガタガタと微かに揺れる馬車の中は、しんと静まり返っていた。
 エレノアと目が合う。彼女はセシリアに向かってやさしく微笑みかけた。
「どうしたの? セシリア。眠かったら眠ってしまってもいいわよ。着いたら、お父様が部屋まで連れていってくれるはずだから」
 琥珀色の目を細くして、エレノアはセシリアの頭をゆっくりとなでる。それに甘えて、セシリアは姉に寄りかかるようにして目を閉じた。
 さて、ここからが問題だ。よくわからない記憶によれば、エレノアは禁忌魔法に手を出したうえに処刑されるのだ。からの、公爵家の取り潰し。
(きっかけは、お父様が婚約解消をしぶったから……。それに、国王陛下も王妃様も、お姉様のことを気に入ってくださっているから、婚約を解消したくなかったのよね。だからお姉様もジェラルド様をあきらめきれないのよね……いや、むしろプライド? てことは、さっさと婚約解消させてしまえばいいのだわ。問題は、お父様をどうやって説得するか……)
 セシリアはまだ七歳だというのに、わからない記憶が流れ込んできたせいで、一気に大人になってしまったような気がした。まるで、長い眠りから目覚めたような。
 それでもセシリアとして生きてきた七年間の記憶はばっちりと残っている。そして身体も七歳のまま。思考だけは年齢よりも大人びているが、見た目や行動は今までのセシリアとなんらかわりはなかった。
 そのため、心地よい馬車の揺れに負けてしまい、うとうとと眠ってしまう。
 ――セシリアも重くなったなぁ。
 ――でも、寝顔はまだまだ子どもよ。あら、よだれまで。
 ――セシリア、今日はありがとう。大好きよ。
 セシリアは家族が大好きだ。外交大臣を務めている父に、おっとりとしている母。そして六年間、学園で勉学に励み、立派な王太子妃になろうと努力してきた姉。
 この家族を守りたいと、父親に背負われ夢うつつのセシリアは、考えていたのだった。
 セシリアは夢をみていた。
 卒業パーティーでジェラルドの隣にいたイライザは、商売人の娘だったが母親が下位貴族の出だった。
 母親は家に出入りしていた商人と駆け落ちをして、国の外れの田舎に居をかまえた。そこで授かったのがイライザだ。
 イライザは生まれながらにして魔力を備えていたわけではない。それは魔法貴族の血が半分しか流れていないのが原因だった。
 しかし十五歳で魔力が出現し、焦った母親が生家に連絡をいれ、家を継いでいた母親の兄――伯父の養女となった。
 そんななかイライザは、十六歳になる年に魔法学園の後期課程一年として入学してきた。後期課程からという中途半端な時期に入学してきたイライザに、最初に声をかけたのはエレノアだ。イライザが心細いだろうという気持ちからの行動であったが、どうやらイライザのなかでは「余計なお世話」に分類されたらしい。
 最初は、エレノアをはじめとする幾人かの女子生徒がイライザに声をかけていた。そのたびに、彼女が鬱陶しいとでも言いたげな態度をとるため、自然と誰もが声をかけなくなった。
 ところが、一人でぽつんとしているイライザの姿にジェラルドが興味を示す。一国の王子という立場もあり、正義感も働いたのだろう。
 ジェラルドが声をかけると、イライザは堰を切ったように話し始めた。中途半端な時期からの入学で勉強が大変だ、ほかの生徒は話しかけても無視をする、など。
 ジェラルドは婚約者のエレノアに相談するも、エレノア自身がイライザとの付き合い方に悩んでいた。
 そんなエレノアの様子が、ジェラルドにはイライザを仲間はずれにしているように見えたのだ。
 だからジェラルド本人がイライザの面倒をみ始め、それによってジェラルドの側にいた魔法貴族の子息たちも、イライザとの距離を縮めていく。そうなれば、ほかの令嬢たちも騒ぎ始め――。
(え? これって、ジェラルド様がまんまとイライザ様の思惑にはまってしまったのでは?)
「――セシリア、朝よ。起きなさい」
 鈴を転がすような声が聞こえて、セシリアは目を開ける。
「あ、お姉さま。おはようございます」
「おはよう、セシリア。あなたがなかなか目覚めないから、アニーが困っていたわ。昨日は、よっぽど疲れていたのね」
 アニーがいくら声をかけてもセシリアが起きないため、困り果てた彼女は両親とエレノアに助けを求めたようだ。そしてその話を聞いたエレノアが、わざわざ部屋にまでやってきて、こうやって起こしてくれたわけだ。
「さあ、セシリア。お父様もお母様も、お腹を空かせて食堂で待っているわ。さっさと着替えましょう」
 そう言ったエレノアは、部屋の隅に控えていたアニーに目配せをする。
 あれよあれよといううちに、セシリアの身支度は整った。
 白いレースのエプロンがついている、ラベンダー色のエプロンドレスだ。髪の毛は、エレノアが手早く三つ編みを二本作ってくれた。
「では、食堂にいきましょう」
 エレノアとしっかりと手をつないで、目的地に爪先を向けた。
 食堂にはすでに両親がそろっていて、にこやかにセシリアたちを迎えてくれた。
「おはよう、エレノア、セシリア」
「おはようございます、お父さま、お母さま」
「おはようございます。今日のセシリアはお寝坊さんだったのよ。わたくしが起こして、やっと起きたの」
 執事が椅子を引きエレノアは自然と座るものの、口だけはしっかりと動いている。
「昨日は慣れない場で疲れたのだろう。今日はゆっくりと休んでいなさい」
 父親のその声が合図になったかのように、食事が運ばれてきた。
 セシリアがぐっすりと眠りこけてしまったのは、わけのわからない記憶のせいだ。
 夢だと思っていた。いや、あれは間違いなく夢だった。ただ夢から覚めても、内容はばっちりと覚えている。
 横目でチラリとエレノアを確認すると、目が合った。
「セシリア、こちらのジャムも美味しいわよ」
 エレノアがオレンジ色のジャムを手渡した。
 婚約破棄をつきつけられて落ち込んでいると思われたエレノアだが、そうでもなかった。しかし、夢の中の彼女は間違いなくジェラルドが好きだった。いや、執着かもしれない。そのいきすぎた歪んだ愛の先に待っているのが処刑である。
(早ければ今日。婚約解消の書類が届くはず。だけど陛下もお姉様のことを気に入っているから、意思確認のような書類だったはず)
 エレノアがすすめてくれたジャムをパンにたっぷりと塗りつける。
(婚約解消による慰謝料が提示されるけれど、それが最低金額で……ほかに領地をという話だったけれど、その領地も王家がもてあましている場所で……。だからお父様は婚約解消するメリットが見いだせず、陛下の思惑とおり、お姉様とジェラルド様の婚約は解消されず、このあとも続くのよね)
 ジェラルドがあの場で婚約破棄宣言をしても、簡単にそれが実現されるわけではない。国王も巻き込んで、後腐れないように手続きする必要があるのだが、やはり国王は二人の婚約解消については反対なのだ。
 王太子妃として、エレノア以上にふさわしい女性はいないだろう。魔法公爵家の娘で、父親は外交大臣を務め国内外に顔が広い。母親も、独身時代には学園で教鞭をふるっている。また、水魔法を繊細に操るため、水害が起こったときにはたまに呼び出される。この国の水瓶を守っているのはケアード公爵夫人とも、裏ではささやかれているほど。
「セシリア。今日はたくさん食べたのね」
 そんな母親の声で我に返る。
「はい」
 元気よく返事をして、牛乳をごくりと飲んだ。

 朝食後、少し休んでセシリアは、エレノアを庭園の散歩に誘った。
「お姉さまは、もう、学校に行かなくていいんですよね?」
 気づいたら、セシリアはそう尋ねていた。
 昨日は卒業パーティーだった。卒業パーティーには卒業生の家族も参加できる。だからセシリアも両親と共にあの場にいて、エレノアの門出を祝う予定だった。
「そうね。卒業したからね」
 その口調は、どこか寂しそうにも聞こえた。
 ふわりと風が吹き、花の香りをのせてくる。
「今日から、セシリアはお姉さまと一緒にいられるのですよね? お姉さまはずっとお屋敷におりますよね? セシリアにも魔法を教えてください」
 セシリアはエレノアが大好きだ。謎の記憶が流れ込んできても、セシリアの本質がかわるわけではない。たった七歳の、姉と両親が大好きな女の子。
 毎朝、学園へと向かうエレノアの後ろ姿を寂しく見送っていた。エレノアが学園に通わなければならないのもわかっていた。そしてセシリアも、十二歳になったら学園に通い始める。
 だけど、そこにエレノアの姿はない。学園に大好きな姉と一緒に通えないのが不満だった。年が離れているから仕方ないのだが、それでも姉と同じ制服を着て、一緒に学園へと向かいたかった。
「そう、ね。今日からはセシリアと一緒にいられるわね。いつの間にか、この庭園にもたくさんの花が咲いたのね」
 庭園の花を愛でる時間もないほど、エレノアは勉学に励んだ。朝早くから、夜遅くまで。王太子の婚約者としてふさわしい振る舞いをと思っていたところもあるのだろう。
「お姉さま。このお花は、わたしがお母さまと一緒に植えたのです」
「まぁ、きれいね。それにこのお花……水魔法がかけられている?」
「そうです。お母様が水魔法の研究だといって、水やりをしなくても育つお花にしました」
「そうなのね」
 その場にしゃがみ込んだエレノアは、水魔法がかかっている花をじっと見つめた。
「こんな身近なところに、模範となるような人がいたのね。それに気づかないとは、わたくしも浅はかだわ」
 エレノアが何を言っているのか、セシリアにはさっぱりとわからなかった。
「よし。これからはこのエレノア様が、かわいいセシリアにしっかりと魔法を教えてあげましょう」
 わざとらしいくらいの明るい声だ。
 そしてセシリアは「やったぁ」と元気に飛び跳ねる。
「あ、お姉さま。さっそくですが、お姉さまに教えていただきたいことがあります」
「なあに?」
「ええと。初めて来たところなのに、前にも来たことがあるって思うことありますよね?」
「そうね。それは前世の記憶が関係しているとも言われているわ」
「そうなんですか?」
 前世の記憶。この世界では魂が輪廻回生するとも言われている。セシリアがセシリアとして生を受ける前に、『ほかの誰か』として生き、その魂がセシリアとして生まれ変わった。だから、初めて訪れた場所であるのに、以前にも来た感じがしたのは、セシリアとなる前の『ほかの誰か』の記憶が関係しているのだと、エレノアは言った。
「前世の記憶が()えるのは、過去視(かこし)という魔法の一種ね。これは使える属性とは別に身につく魔法だけれども、本当に選ばれた者しか使えないのよ。わたくしも、この魔法を使える人を知らないわ。学園の先生方も、国家魔法使いも、過去視を使えるという話を聞いたことがないもの。ほかにも、未来が視える未来視(みらいし)、遠くのものが視える遠視(とおし)なんかもあるわね」
 いつの間にか、エレナによる魔法談義となっていた。だけど、こうやって丁寧に教えてくれるのは、エレノアがセシリアを認めている証拠。できるだけセシリアにもわかりやすい言葉で、という配慮も伝わってくる。
「昨日。お姉さまのパーティーに行ったとき、学園のホールに入ったのは初めてだったのですが、ここに来たことがあるかもって思いました」
「そうなの? あ、だから早く帰りたいって言ったのかしら? 過去の記憶が視えて、気持ちが悪くなってしまったとか?」
「それは、本当に疲れただけです。たくさん人がいたからです。セシリア、あんなにたくさんの人がいるのは、初めて見ました」
 公爵邸で開くパーティーは、こぢんまりとしたものが多い。それにセシリアはまだ夜会にも参加できない。だから、昨日の卒業パーティーが、セシリアの知るパーティーでは一番参加人数が多いものだった。
 それでもエレノアは、目を細くしてセシリアに視線を向ける。それはまるで何かを疑っているように、怪しんでいるようにも感じた。
「エレノアお嬢様。ここにいらしたのですね」
 そう声をあげながら走ってきたのは、執事の息子のケビンだった。まだ年若い彼は、執事としての仕事を学んでいるところだ。また、その若さを生かして、先触れとして駆けずりまわることもある。
「どうしたの? ケビン」
 彼の姿をとらえたエレノアは、すっと立ち上がった。
「旦那様がお呼びです」
 その一言で、エレノアの顔が強張った。
 セシリアは、すかさず姉の手を握る。
 驚いたようにセシリアを見下ろしたエレノアだが、その表情は凜としていた。

「なんだ。セシリアも一緒なのか」
 父親の執務室に入ると、セシリアの姿を見つけた父が、開口一番そう言った。
「お父様。セシリアには聞かせられないようなお話を、わたくしにするおつもりですか?」
「いや、そうではないのだが。まぁ、座りなさい」
 促されたソファにエレノアとセシリアは並んで座る。目の前には両親が座っているものの、母親の目はどことなく憂いていた。
「ジェラルド殿下との婚約の件だ。婚約解消の手続きに必要な書類が送られてきたのだが……」
 セシリアもテーブルの上に並べられた書類を、じっくりと観察する。
(思っていたよりも早かったわね。陛下も、さっさと決着をつけたいのね)
「もし、婚約を解消するならば、ジェラルド殿下側の落ち度ということで慰謝料を支払うと。だが、提示された金額はたったのこれだけだ」
 あのような場で婚約破棄宣言を一方的にしたのはジェラルドだ。特にその理由の説明もなかった。いや、あのあと、くどくどと理由を並べ立てようとしたのかもしれない。それより先に、セシリアがエレノアの手を引っ張って、会場から抜け出した。
「まるでエレノアにはこれだけの価値しかないような仕打ちだ。それにもう一つ。国預かりの領地もという話だが、このリストを見てくれ」
 エレノアが身を乗り出したところで、セシリアも真似をした。
「この場所……」
「さすがエレノアだな。ここにある土地は、国としてもたいした収入にならず、手を焼いている場所だ。そのような場所を我々に授けると……」
「つまり陛下は、お姉さまが王太子殿下と婚約解消をされては、困るということですよね?」
 セシリアが口を挟むと、三人から視線が集まった。
「セシリア?」
「お姉さま。陛下は認めたくないのですよ。お姉さまと王太子殿下の婚約解消を。だから、こんな安っぽい慰謝料と手のかかる場所を提示してきたのです」
「つまり、エレノアにはまだ希望があるということだな? ジェラルド殿下とやり直せるかもしれない」
 父親の言葉に、セシリアは力強く首を横に振った。勿忘草の髪も、一緒に揺れ動く。
「お父さま。昨日の殿下の様子を思い出してください。殿下の隣には誰がおりましたか?」
 セシリアの言葉に、三人は黙り込む。
「本来であれば、あの場所にはお姉さまがいるべきでした。それなのに、なぜかイライザ様がいらっしゃいました。それにイライザ様が着ていたドレス……あれは、殿下の瞳と同じ色のドレスです」
 たたみかけるセシリアの言葉に、三人は大きく頷く。
「お姉さまは、まだ殿下のことが好きなのですか?」
「え?」
 セシリアの問いにエレノアは顔をあげて、はっとする。
「わたくしが殿下を好きかどうか? 考えてもみなかったわ。婚約が決まって、立派な王太子妃にならなければと、そんな気持ちでいっぱいだったし」
「お姉さまは殿下に未練がありますか? 殿下と結婚したいですか? お姉さまと婚約しているのに、ほかの女性を隣に置くような殿下と、結婚したいですか?」
 セシリアがぐいぐいとせまると、エレノアも真剣な眼差しで考え込む。
 しかし、それに声をあげたのは母親だった。
「私は反対ね。このまま殿下と婚約関係を続け結婚したとしても、エレノアが幸せになれるとは思えません」
「お母様?」
 今まで沈黙を貫いていた母親が意見を口にしたことで、エレノアも動揺を隠せない。
「だけど、あなたが殿下のことが大好きで、信じたいと言うのであれば別。この婚約を続けるかどうかは、あなたの気持ち次第よ。親としては、やはり娘には幸せになってもらいたいの。私たちのようにね」
 驚いた父親は顔をあげ、愛する妻の顔を見る。夫婦の間には、なんともいえない甘い空気が漂い始めた。
「……そうですね。お母様のおっしゃるとおり。わたくしは、殿下との婚約解消を受け入れます。慰謝料とか領地とかいらないですが、くれるというのであればもらっておきましょう」
「だが、どこを選んでも収入の見込めない土地だぞ?」
「お父さま。土地のリストを見せてください」
 セシリアが明るく声をあげた。
 父親は「お前にわかるのか?」という表情も出さずに、言われたとおりにリストをセシリアに手渡した。幼くても一人の人として扱ってくれる。
 リストをエレノアと一緒に確認する。
(そうだわ。アニメ版のオープニングには、さとうきび畑が描かれていた。クリエーターが沖縄出身で、ほんの遊び心だったと。ええと、その場所はケアード公爵領からも近い……)
 謎の記憶が蘇ってきた。
「フェルトンの街がいいです。ここなら、ケアード公爵領から近いです」
 また三人の視線がセシリアに集まった。
「フェルトンか……まぁ、どこも似たり寄ったりだからな。だったら、領地から近いという理由で選んでもいいな」
 だけど、エレノアの視線は鋭い。まるでセシリアを睨みつけるかのよう。
「お姉さま。どうされました? お顔が、怖いです」
「セシリア。あなた、視えてるの?」
「はい? お姉さまの顔ならばっちりと見えています」
「違うわよ。もしかして、未来が視えているの?」
 間違いなく、焦った気持ちが顔に出た。しまったと思った瞬間、両親が驚いた表情をしたからだ。
 七歳の女児に演技など、どだい無理な話だ。ずばりと指摘されたら、誤魔化せない。
「エレノア、どういうことだ? セシリアには未来視が備わっていると?」
「おそらく。セシリア自身は気づいていないかもしれませんが……」
 そこでエレノアは説明を始めた。
 まずセシリアが学園の大ホールで既視感を覚えたこと。それをセシリア自身が疑問に思い、エレノアに尋ねてきたこと。
 さらに会ったこともないイライザの名前を言い当てたこと。そして今、土地のリストから迷わずにフェルトンの街を選んだこと。領地から近いと言っているが、絶対にほかの理由があるはずだと。
 セシリアの顔はしだいに青ざめていく。昨日、脳内に流れ込んできた謎の記憶。そして今朝方、夢だと思っていたエレノアの記憶。
 それが過去視や遠視といった魔法の力である可能性が出てきた。そしてこの能力は選ばれし人間にしか使えない。
「うぅむ」
 腕を組み、眉間に深くしわを刻む父親は、大きくうなった。母親も両手をしっかりと組み合わせ、はらはらとしている。
「エレノアの話を聞く限り、まだ半信半疑のところはあるが……。セシリア、本当の理由を言いなさい。フェルトンの街を選んだ、本当の理由」
「お父さま、怒らない?」
 セシリアとしてはそれが怖かった。流れ込んだ記憶をしゃべったら、怒られるのではないか。七歳の女の子が考える内容としては妥当である。
「怒らない。怒るわけがないだろう?」
 やさしく微笑む父親を見て、セシリアはほっと胸をなでおろす。隣からエレノアが手を伸ばし、セシリアの手をゆるりと握りしめた。
 セシリアは流れ込んできた記憶の一部――フェルトンの街にはさとうきびがあり、さとうきびから砂糖が作れると説明した。
「砂糖?」
 父親だって耳にしたことがない言葉なのだろう。セシリアだって、謎の記憶――前世の記憶がなければ知らない言葉だった。
「甘味料の一つで、白い粉のようなものです。今は、料理に甘い味をつけるために、果物の果汁やはちみつを使っていますけど、やはり独特の風味があります。ですが、砂糖にはそれがありません。クッキーやケーキに使うと、とっても美味しく作れます」
「まぁ、それは画期的ね」
 甘いものには目のない母親が、瞳を輝かせた。
「まだこの国には砂糖がありません。フェルトンの街にあるさとうきびで砂糖を作り、売ればそれなりの収入になるかと思います」
 セシリアの言葉に、エレノアはぱちぱちと目を瞬いた。信じられないとでも言いたいようだ。
 父親も右手で口元をおさえ、何やら考え込んでいる様子。
「やはり、エレノアの言うとおりかもしれないな。セシリアには未来視、もしかしたら過去視なども備わっているのかも知れない。だが、幼いがゆえ、その力をうまく制御できないのだろう。誰かがきちんと導いてやらねば……」
 まるで独り言のように呟いた父親は、まっすぐにセシリアを見つめてきた。
「セシリア。その力はとても危険なんだ。使い方を間違えれば、怖いことが起こる。だから、その力で視えたことは、家族以外にはけしてしゃべってはならないよ?」
「はい」
 セシリアは力強く頷いた。
 エレノアとジェラルドの婚約は解消された。
 送られてきた書類に丁寧に書き込みサインをして送り返したところ、翌日、ケアード公爵は国王から呼び出された。
 やはりセシリアが言ったとおり、安い賠償金も、収入の見込めない土地も、婚約を解消させないための布石だった。あの場でジェラルドが婚約破棄宣言をしたから形として書類を送ってみたものの、エレノア側から「婚約解消について考え直してほしい」という言葉を引き出したかったようだ。
 だが、それもずばっとセシリアがお見通しである。
 ケアード公爵は「てっきり、王家側にとっては我が娘にはあれだけの価値しかないのかと、そう思いましたよ」と吐き捨てた。
 婚約の継続については、ジェラルドの気持ちがエレノアに向いていない事実を突きつけ、イライザの存在を口にした。
 さらにケアード公爵は言葉を続ける。
 エレノアの婚約解消を認め、公爵領に戻ることを許可してくれるならば、これ以上は何もしない。だが、エレノアを侮辱するのであれば、こちらとて考えがあると。ケアード公爵が率いる騎士団の存在をにおわせた。
 むしろ、アッシュクロフ王国から独立してやるぞ、的に威圧する。そうなれば、国王もたじたじだ。
 それからケアード公爵は外交大臣を辞し、王都セッテからさっさと公爵領へと向かった。王都にある別邸は、信頼のおける家令に任せた。
 とにかくもう、国王たちは信用ならん、というのがケアード公爵の言い分だった。助けもしないが反抗もしない。もう、そっとしておいてくれ。とでも言うかのように、領地へと戻ることにしたようだ。
 しかしセシリアは、両親はてっきり王都セッテに残るものだと思っていた。
 だというのに国王に啖呵をきり、大臣まで辞してきた。だから今、エレノアやセシリアたちとフェルトンの街に滞在している。
 父親は「新しい領主だとみなに紹介する必要があるからだ」と言っていたが、純粋にエレノアやセシリアのことが心配なのだろう。
 エレノアは領主代理としてフェルトンの街に住むことになる。もちろん、セシリアも一緒だ。セシリアが視たものをエレノアが利用する。そしてセシリアに過去視や未来視があることを、知られないようにする。
 国直轄からケアード公爵領となったフェルトンの街だが、人々はどことなく沈んでいた。
 公爵が町長や商会長などを呼び出し、今後の街の方針について説明をした。そして領主代理のエレノアの指示に従うように、とも。
 いくら公爵の指示であったとしても、エレノアは十八歳の成人を迎えたばかりの女性だ。彼らは「こんな小娘に」という不躾な視線を投げてきた。
 そこでエレノアが「さとうきび」を使った事業について説明したところ、手のひらをころっと返してきた。やはり彼らも、さとうきびの有用性についてわかっていなかったのだ。
 そこからさとうきびを使った事業が始まった。町長や商会長、組合員などの協力も得て、やっとそれらが軌道にのったところで、ケアード公爵は夫人と共に本邸へと戻った。本邸がある公爵領は、フェルトンの街から馬車に揺られて半日もかからない。
 そしてこの街に残されたのは、領主代理のエレノアと幼いセシリア。さらに彼女らを守る使用人たち。
 フェルトンの街にやってきて、エレノアにも笑顔が戻った。

 今日も甘いにおいがどこからか漂っている。
 さとうきびから砂糖を作るためには、さとうきびを収穫し二つの工程を経る。砂糖の素となる原料糖を取り出す工程と、原料糖から精製糖を取り出す工程だ。これらをそれぞれ前工程、後工程と呼んでいた。
 さらに、その砂糖を使って料理を提供する。
 もちろん、これらはセシリアの頭の中に流れ込んできた記憶を利用している。それをエレノアに伝え、彼女が事業計画案としてまとめた。
 廃れた街であったフェルトンだが、次第に人が集まり始める。砂糖と砂糖を使った料理の噂を聞きつけたのだろう。
 もちろん、そういった噂を流したのはケアード公爵だ。外交大臣だったころの伝手を使い、それとなく砂糖の話を広めた。
 そしてエレノアとセシリアがフェルトンの街に住み半年ほど経ったころ、本邸にいるケアード公爵から一通の書簡が届いた。
「お父様もわざわざ書簡だなんて、どうされたのかしら?」
 急いで封を切り、中身を確認する。
「お姉さま、お父さまからの手紙には、なんて書いてありましたか?」
 まだ両親が恋しいセシリアにとって、父親からの手紙であれば、どんな内容かとわくわくしてしまう。
 それでも大好きな両親と離れてフェルトンの街に滞在しているのは、エレノアがいるからだ。そして大好きなエレノアと立ち上げたさとうきび事業。今では、真っ白いきらきらと輝く砂糖がフェルトンの街へと出回り、近隣の町や村、そして王都にも少しずつ広がっている。
 フェルトンの砂糖に興味を持つ者も出てきて、さとうきび畑を見学したいとか、砂糖を作る工程を見たいとか、そういった希望も受け入れている。ただ、そのような対応は町長や商会長に任せてあった。
 この事業の中心にエレノアがいると知られてしまえば、彼女に求婚者が集まってくるだろうと、父親が心配したからだ。
 エレノアだって年頃の、魅力的な女性である。そんなエレノアに変な男たちが寄ってこないようにと、使用人やら護衛の者たちが目を光らせている。さらに町長、商会長、その組合員たちもエレノアを女神のように崇拝しているため、それとなく見張っていた。
 その甲斐もあってか、今のところ、エレノアに求婚しようという心臓に毛の生えたような図々しい男性はいない。
「ロックウェル王国のシング公爵家のコンスタッド様が、フェルトンの砂糖に興味を持たれているから、見学に来るそうよ。その間、こちらの屋敷に滞在することになるから、準備をするようにって。あらあら、どうしましょう。忙しくなるわね。お父様も一緒に来られるそうよ」
「やったぁ~」
 今回は、隣国ロックウェルの貴族ということもあり、フェルトンの領主であるケアード公爵に打診したのだろう。今までの見学者とは異なる。だからケアード公爵も同伴すると、手紙で知らせてきたのだ。
「では、早速準備にとりかからなくてはね。明後日には来られるそうだから」
「コンスタッド様は、今は本邸のほうにいらっしゃるのですか?」
「そのようね。だけど、今回の訪問はお忍びのようよ」
 しっと唇の前に人差し指を立てるエレノアの姿は、普段より幼く見えた。
 エレノアが急いで使用人たちを集め、明後日に公爵が客人を連れてやってくる旨を伝える。
「あ、モリスに伝えないと」
 セシリアが声をあげる。
「そうね。モリスがへそを曲げてしまっては、たいへんだわ」
 モリスとは、二ヶ月ほど前に、フェルトンの街の入り口に倒れていた女性だ。どうやら王都へと向かおうとしていたらしいのだが、道に迷ってフェルトンにたどり着いたらしい。
 彼女を見つけたのはセシリアで、人を呼び、モリスを屋敷にと連れて帰ってきた。幼いセシリアであっても、道ばたに年頃の女性を転がしておくのは危険だと思ったのだ。
 目を覚ましたモリスは、セシリアに非常に感謝した。さらにフェルトンの街を気に入り、ここに住むとまで言い出す始末。
 モリスがこの街を気に入ったのは、もちろん砂糖があるから。食べ物が美味しい、ほかのものは食べられないとまで言っている。
 そして、年頃だと思われたモリスだが、実はセシリアの母親よりもちょっとだけ年上だった。
 そんなモリスは、今はさとうきび畑の管理人として働いている。彼女は、四属性、すべての魔法が使えた。四属性の魔法を使える者を「賢者」と呼んでいるのだが――。
(賢者モリス……)
 セシリアには、なんとなくその名に聞き覚えがあった。おそらく謎の記憶が絡んでいるのだろう。だが、それ以上の情報もないし、記憶も流れ込んでこない。知っているのはモリスが賢者だということだけ。だから、彼女をこの屋敷に住まわせているが、もちろんモリスが賢者であることをエレノアも知っているし、両親にも手紙で知らせた。
 また、モリスと一緒に暮らしてわかったのは、彼女は騒がしいところが嫌いだということ。だからエレノア目当てに屋敷にやってくるような人物は、風魔法を使って追い払っていた。エレノアだって風魔法の使い手だが、人を移動させるほどの強烈な魔法は使えない。
 こうやってエレノアはみんなから守られているのだ。
 そしてセシリアは、母親と同じ水魔法の使い手だろうと、モリスが言った。本来であれば十歳から通い始め津学園で、魔力の種別をみるのだが、セシリアはまだ七歳。学園にも通っていないからわからなかった。
 最初はエレノアに魔法を教えてもらおうとしたのだが、それがうまくいかなかったのは、身につけている属性が異なっていたからだ、というのがモリスのおかげでわかった。
 どちらにしろ、エレノアは領主代理として忙しくなり、セシリアに魔法を教えるどころではなくなったのだ。だからモリスが、セシリアに魔法を教えている。

 屋敷の二階から外を眺めていたセシリアは、正門の前に一台の馬車が止まったのを確認した。ケアード公爵の家紋がついている馬車だ。さらにもう一台、馬車が止まり、護衛の騎士らの姿も見え始めた。
「お姉さま、お父さまが来ました」
 使用人たちに最後の仕上げとばかりに指示を出していたエレノアを見つけ伝えると、セシリアも慌てて玄関ホールへと向かった。
「お父さま~」
 ホールに入ってきた人影を見て、セシリアはおもいっきり抱きついた。父親に会うのは一ヶ月ぶりだ。
「残念ながら、俺は君のお父様ではないが?」
「セシリア!」
 父親の声は、少し遠いところから聞こえた。
 おそるおそる顔をあげると、深緑の髪に紫色の瞳の男の顔が見える。父親の髪色は金色だ。
「だれ?」
「セシリア、お客様だよ。離れなさい」
 その言葉で、ひしっと彼に抱きついていたことに気づき、ぱっと両手をはなした。
「お恥ずかしいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。セシリア・ケアードです」
 今までのことはなかったかのように、スカートの裾を持ち上げて礼をした。
「はじめまして、セシリア嬢。私がコンスタッド・シング。当分の間、お世話になるね」
 そう挨拶したのは、セシリアが抱きついた人物の隣にいる、黒髪の背の高い男性だった。茶色の目を細くした柔和な笑顔につられて、セシリアもへにゃりと顔をゆるませる。
「この子は、私の従者。ほら、シオン。挨拶をしなさい」
 シオンと呼ばれた彼は、よくよく見るとエレノアよりも年下で、セシリアよりは年上で、むしろ少年と呼べるような男の子だった。そしてセシリアが抱きついた相手がシオンである。
「シオン・クラウス」
「あっ……」
 また大量の記憶が、セシリアの頭に流れ込んできた。
(シオン・クラウス。クラウスは母親の姓。彼の本当の名は、シオン・ロックウェル。ロックウェル王国の第二王子)
 だが、七歳のセシリアはぽろっと言葉にしてしまう。
「ロックウェルの第二王子……?」
 その声は小鳥のさえずりのようなもので、セシリアの側にいた者たちにしか聞こえない。だけどしっかりと父親とシオンの耳には届いたらしく、父親は唇の前に人差し指を当て、必死に「しーっ」としている。
 だからセシリアも慌てて口をつぐむ。
「ようこそいらっしゃいました、シング公爵。わたくしが領主代理、エレノア・ケアードです」
 その場の空気を一気に変えたのは、エレノアの優雅な挨拶だ。
「では、早速、お部屋に案内いたします」
 彼らをエレノアにまかせて、セシリアはそろそろと父親にくっついた。
「お父さま、ごめんなさい」
「いや、問題ない。シオン殿下の髪色は珍しいから、それでわかったということにしておこう。勤勉なセシリア」
 どうやら父親は、シオンがロックウェル王国の第二王子であるのを知っているようだった。外交を務めていたのだから、近隣諸国の王族の顔はすべて覚えているのではないだろうかと、思えてしまう。
 シオンが身分を隠してフェルトンの街を訪れているのは、何か理由があるのだろうか。
 コンスタッドたちを部屋へと案内したセシリアが戻ってきた。
「エレノア、お疲れ様。領主代理も板についてきたな」
 父親がエレノアの肩をポンと叩くものの、彼女はどこか上の空のようにも見えた。
「お姉さま?」
「あ、ごめんなさい、セシリア。これからシング公爵たちとお茶をと思ったのだけれど、お外のほうがいいかしら? せっかくだから、砂糖を使ったお菓子を食べていただこうかと思っているの。シング公爵は砂糖に興味があるのよね、お父様」
「そうだ」
 父親は鷹揚に頷く。
「フェルトンの砂糖を、ロックウェル王国に輸出しようと思っている」
 今までも砂糖を扱いたいといった紹介は多かった。だが、それは国内にかぎって父親が許していたのだ。
「ロックウェル王国は、ケアード公爵領からも近いからな。場合によっては、砂糖の前工程はフェルトンで行い、後工程をロックウェル王国内で行ってもらってもいいと考えている」
「つまり、ロックウェル王国で砂糖を作らせるということですか?」
「ああ、いつまでもフェルトンで独占的に作っていると、ほかからも狙われる。むしろ、アッシュクロフ国王が、もう一度フェルトンを手にしたいと思っているだろうな。そして、エレノアのことも」
「今まで、さんざんもてあましていた土地を、ろくな対策もせずに人に押しつけてきたというのに。砂糖一つでころっと手のひらを返してくるのね。それに、わたくしはもう二度とジェラルド様と一緒になりたいとは思いませんし、この国の王太子妃になりたいわけでもありません。今は、この事業で手一杯ですから」
 エレノアは両手を腰に当て、プンプンと怒っている。
「……なるほど。では、私にもチャンスがあると思ってもよろしいでしょうか?」
 ホールから続く階段の上には、コンスタッドの姿があった。
「失礼、ちょうど声が聞こえてきたもので。それにエレノア殿との茶会が待ちきれなくてね」
 少しだけ首を傾げて微笑む様子に、エレノアがぽっと頬を赤らめたのをセシリアは見逃さなかった。
「お姉さま。シング公爵をお待たせしては失礼ですよ。今日は天気がいいので、東屋(ガゼボ)がいいと思います。セシリア、みんなに言ってきます」
 フェルトンの公爵邸で働いている使用人は最小限であるため、場合によってはセシリアやエレノアが自ら動く。
「そうだね、エレノア。畑や作業場の見学は明日でいいから、今日はシング公爵をゆっくりともてなしてくれないか?」
「お父様は?」
「ケビンと話があるからね。近況報告を聞きたい」
 ケビンも今ではフェルトンの屋敷の使用人たちをとりまとめる立場になった。
 そして、片目をつむった父親を見て、セシリアにもピンとくるものがあった。たとえ七歳であっても、男女のあれこれには興味津々。
「では、エレノア殿。お言葉に甘えて、案内していただいてもよろしいでしょうか?」
 そう言いながらもエスコートしようとするコンスタッドはスマートである。
 さらに父親までお膳立てしようとしているのだから、少なくともコンスタッドは父親に認められたのだ。
 セシリアは、真っ白いウェディングドレスを着てコンスタッドの隣に立つエレノアを想像し、むふっと笑みをこぼした。
 けしてこれは未来視などではなく、セシリアの妄想である。
「あ、厨房にいってきます」
 東屋にお茶とお菓子の用意をするようにと、使用人たちに伝えねばならない。
 急いで厨房へと向かい、茶会の件を手短に伝える。彼らも意気揚々と、準備に
とりかかった。
 それからセシリアは、執務室へと向かった父親にもお茶とお菓子を持って行こうと考えた。
 ワゴンを押して室内に入ると、父親はケビンと難しい顔をして話をしているところだった。
「お父さま。お茶を持ってきました。このお菓子は、セシリアが考えました」
「そうです、旦那様。セシリアお嬢様は、こうやって砂糖を使ったお菓子を考えてくださるんですよ」
 ケビンまで身を乗り出す。
「ほぅ、きれいなお菓子だね。色のついた氷みたいだ」
「はい、氷みたいな砂糖だから『さとう氷』と名付けました。ゼリーの作り方に似ているのですが、動物の皮からとったゼラチンと果汁を混ぜて乾燥させ、表面を砂糖でコーティングしました」
 透明な器の上には、色のついた氷のような菓子がのせられている。それも、紫、黄色と二つの色があった。
「黄色はレモン、紫はブドウです」
「どれ、いただいてみようかな」
 父親に食べてもらいたくて仕方ないセシリアは、フォークに『さとう氷』を刺し、口元へと運ぶ父親の様子を、じっくりと見つめていた。
「……これは、美味しいし、食感もおもしろい」
「お父さま。帰るときにはお母さまへお土産に持っていってくださいね」
 今回はシング公爵の案内ということもあり、母親は同行しなかった。
「もちろんだ。まちがいなく、お母様も気に入るよ」
 そう言った父親は、セシリアの頭をポンとなでた。
 これ以上、話しの邪魔をしてはならないと思ったセシリアは、執務室を出る。
 エレノアはレナードと茶会。父親は仕事。
 となれば、セシリアは一人ぽっち。そして、こういうときにかぎってモリスは外に出ている。いや、さとうきび畑の確認に言っているのだ。つまり、仕事である。
 接待も仕事もないセシリアは、厨房に向かうことにした。また、砂糖を使ったお菓子を考えよう。
「おい」
 ホールを抜けようとしたとき、頭上から声が振ってきた。
「俺をもてなそうとは思わないのか?」
 シオンだった。上からセシリアを見下ろしている。
「シング公爵さまとご一緒ではなかったのですか?」
 てっきりエレノアが二人をもてなしているだろうと思っていたのだ。
「人の恋路を邪魔すると、馬に蹴られるんだよ」
 また、そのひとことでピンときた。コンスタッドはエレノアに興味を持ってくれている。となれば、やはり真っ白いウェディングドレスに身を包み、彼の隣でやわらかく微笑む姉の姿を想像してしまう。
「おい、セシリア。何を考えている」
 何も考えていません。そうとでも言うかのように、ぶんぶんと首を振る。
「あ、あの。サロンにご案内いたします」
 すると彼は、一歩、一歩、優雅に階段を下りてきて、腕を差し出した。
 わけがわからず、セシリアはコテンと首を横に倒す。
「こういうときは俺の腕をとるんだよ。コンスタッドがやっていただろ?」
 どこからか先ほどのコンスタッドとエレノアのやりとりを見ていたにちがいない。
 セシリアもそれを思い出し、小さな手でシオンの腕をつかんだ。
 開放感あふれるサロンへと彼を案内すると「お茶の用意をしてきますので、お待ちください」と言って、また厨房へと向かった。
 さすがにセシリアが言ったり来たりしている様子を見た使用人の一人が「私がお持ちしますよ」と言ってくれたので、セシリアは先にサロンへと戻ることにした。
「お待たせして申し訳ありません。今、お茶の用意が整いますので」
 真っ白い丸いテーブル。彼の真向かいに座ってはみたものの、何をしゃべったらいいのかさっぱりとわからない。
「セシリア。おまえ、年はいくつだ?」
「七歳です。もう少しで八歳になります。シオンさまは?」
「十三だ……うん、十年後に結婚しよう。俺はおまえが気に入った」
 なぜ急に結婚の話になるのか、セシリアにはさっぱりわからない。
「いやです。セシリアは結婚しません」
「あぁ?」
 セシリアの答えが面白くなかったのか、シオンは紫の目でぎろっと睨みつけてきた。
「おまえ。俺がロックウェルの第二王子だと知っていたんだろ? こうやって身分を明かさずにいたのに。俺に気がついたのは、ケアード公爵以外にはおまえだけだ」
「ロックウェルの王族の方は、髪の色が特徴的です。と、お父さまが言ってました」
「なるほどな。さすが外交に長けているケアード公爵の娘だな。やっぱり、おまえ、俺の嫁になれ」
「いやです」
 そこへティーワゴンを押しながら使用人がやってきた。テーブルの上にはお茶やらお菓子やらが並べられていく。
「シオンさま。これ、セシリアが作りました。食べてください」
 先ほどの結婚話などなかったかのように、セシリアが明るい声をあげる。
 セシリアはシオンにも『さとう氷』をすすめ、父親にしたときと同じような説明をした。
「なんだ、これ。かりっとしていて、ふわっとしていて。甘くて美味しい」
 シオンも一瞬にして『さとう氷』の虜になったようだ。
「そういえば、なんで公爵は外交大臣を辞めて領地に引きこもったんだ? それに、エレノアは王太子ジェラルドと婚約していたよな?」
 セシリアが子どもだから、ずけずけと聞いてくるのだろう。もちろんセシリアは駆け引きなどできずに、馬鹿正直に言葉にする。
「なるほどな。王太子ジェラルドがバカだというのはよくわかった。あと、イライザという女か? まあ、エレノアを捨ててそいつを選んだというのなら、そいつには何か特別な魅力があるのか?」
 あやうく「聖女だからです」と言いそうになって、その言葉を呑み込んだ。謎の記憶については、けしてほかの人には言わないようにと父親からきつく言われているし、まだイライザが聖女だという話も聞こえてこない。
 そこへ「セシリア~。お腹が空いた~」とモリスがやってきた。
「あれ? お客様?」
「ええと、こちらはロックウェル王国のシング公爵に仕えている従者の方」
 シオンが第二王子だというのは秘密なのだ。
「はぁ? バカ王子じゃん」
「げ、賢者のばばぁ。おまえ、アッシュクロフの王都に行くって言っていたよな? なんでここにいるんだ」
「お二人とも、お知り合いですか?」
 セシリアはきょとんとして、二人を交互に見やった。
「俺の魔法の師匠だ」
「私のバカ弟子のひとり」
 どうやら師弟関係にあったようだ。
「モリスもどうぞ。喉が渇いたでしょう? お菓子もありますよ」
「さっすがセシリア、やさし~」
 そう言って、モリスはシオンとセシリアの間に座る。
「セシリア、ばばぁに親切にしてやる必要はない」
「でもモリスは、セシリアの魔法の先生です」
「そうそう、セシリアは私のかわいい生徒。どこかのバカ弟子とは大違いよ」
「あ。シオンさまは、セシリアの兄弟子になるわけですね?」
 ぱっとセシリアの明るい声で、シオンはほんのりと耳の下を赤らめ、ぽりぽりと頬をかく。
「いや、それよりもだ。なんで、ばばぁがここにいるんだよ。王都セッテにいるんじゃなかったのかよ」
 シオンとモリスが言い合っている間に、セシリアはお茶を淹れ、モリスの前に置いた。
「いやぁ。セッテに行って、新しい弟子を探そうと思ったんだけど。その前に力尽きてね。ここで倒れてたらしい」
「そうです。セシリアがモリスを拾って、連れてきました」
「おいおい。拾うって犬猫じゃないんだから」
 そんなぼやきがシオンから聞こえた。
「ですが今は、セシリアの魔法の先生です」
「そうそう。ここで新しい弟子が見つかったのよ」
 お茶をずびずび飲みながら、モリスが答えた。
「モリスにはここでさとうきび畑の管理をしてもらってます。魔法でぱぱっと風を起こしたり、水をやったりしてもらってます。モリスはすごいんですよ」
 と、モリスを褒めようとすると、シオンは嫌そうな顔をした。
 シオンたちは五日間、ケアード公爵邸に滞在した。これから王都セッテへ向かい、そちらも視察してくるのだとか。
 もちろん、父親が彼らを案内する。そのついでに、砂糖の新しい販路も検討してくるようだ。
「お父さま」
 顔を貸してと言わんばかりに、セシリアは手を振って父親を呼ぶ。
「どうした、セシリア。寂しいのか? お父様は寂しいぞ。かわいいセシリアと離れたくない」
 父親がセシリアを力強く抱きしめた。
「あ、はい。寂しいのは寂しいのですが。イライザさまがどうされているか、確認してきてもらってもいいですか? 本来であれば、そろそろイライザさまが聖女さまだと公表されるはずなのです」
 それは謎の記憶によるものだ。そろそろ王都では聖女誕生だと喜びに満ちているはず。
 だけど、そういった話が聞こえてこないのだ。王都セッテとフェルトンではどうしても距離があるから、仕方ないのかもしれない。
「わかった。私のかわいいエレノアを傷つけたやつらだからな。どうしているか、確認しておくよ」
 イライザが聖女かもしれないという話は、フェルトンの街に来る前にそれとなく家族には伝えた。父親は、そんなセシリアの妄想のような話を、頭の片隅にいれておいてくれたのだ。
 ニタリと笑った父親は、セシリアの身体を解放した。

 それから十日後。父親たちが戻ってきた。シオンもコンスタッドも、ふたたびフェルトンの街を訪れ、しばらくの間、滞在するとのこと。エレノアが小さく喜んだのをセシリアは見逃さなかった。
「王城は大混乱だったよ」
 夕食の席で父親がそう言った。
「ジェラルド殿下とイライザ殿の婚約もまとまっていなかったようですしね。それに、ジェラルド殿下もイライザ殿も、シオン殿下を本当に私の従者だと思っていたのには、笑いが込み上げてきましたよ。近隣諸国の王族の顔すら覚えていないような者が、国のトップにふさわしいとは思えませんがね。この国の行く末は、少し心配ですね」
 ははっと笑ったコンスタッドは、そのままエレノアに視線を向けた。するとそれに答えるかのように、エレノアもにっこりと微笑む。
「あと十年、持つか持たないかだろう」
 シオンがそう言うと、グラスの中の水を見つめている。なんとなく、気まずい空気が流れた。
 その流れを断ち切ったのコンスタッドだ。
「そうそう、ケアード公爵。国に戻ったら、正式に申し込みをしてもよろしいでしょうか?」
 彼はワイングラスを手にし、緊張をほぐすかのようにコクリと一口飲んだ。
「何をだろうか?」
 父親の声が普段よりも低く聞こえた。
「エレノア嬢に結婚の申し込みを」
 シンとその場が静まり返る。エレノアは恥ずかしそうに顔を伏せ、カトラリーを持つ手を動かす。
「なるほど。申し込むのは自由だ。その答えがどうなるかはわからないがな」
「では、そのお言葉に甘えさせていただきます」
 やはり緊張していたのだろう。コンスタッドは残りのワインを一気に飲み干した。
「ダメです」
 セシリアの甲高い声が響いた。
「ダメです。お姉さまは結婚してはダメです。お姉さま、シング公爵と結婚したらロックウェルに行ってしまうのでしょう? いやです。セシリア、寂しいです」
「そういうことのようだ、シング公爵」
 なぜか父親が勝ち誇った笑みを浮かべている。
「セシリア嬢。何も、今すぐエレノア嬢と結婚してロックウェルに連れて帰るというわけではないよ? そうだね、まずは結婚の約束だ。一緒にデートしませんか? というお願いをする。これならどうだい?」
 エレノアとコンスタッドがデートする。
 それなら何も問題ないだろう。
「それなら……いいですよ……?」
 渋々といったセシリアの返事に、コンスタッドも苦笑した。
「なるほど。ケアード公爵よりもセシリア嬢の許可をとるほうが、難しそうだ」
「なんだ。今回の視察はコンスタッドの嫁捜しでおしまいか……」
 さも残念そうにシオンが言う。
「アッシュクロフ王国に聖女が現れたというのは、嘘だったのだな」
「シオンさまは、聖女さまに会いに来たのですか?」
 セシリアが尋ねると「そうだ」と返ってくる。
「聖女の治癒能力。それを頼りたかったのだが……まあ、いい。次の作戦を考えるだけだ」
「どなたか、具合が悪いのですか?」
「母上がな」
 シオンの母となればロックウェル王妃。
(お身体が弱いのだわ。それをイライザが聖魔法で救って……あ、イライザの聖魔法を導いたのは、賢者モリス……)
 セシリアの頭の中には、久しぶりに謎の記憶が浮かんできた。
 学園を卒業して半年後に聖属性の魔法が使えるとわかったイライザだが、それは王都セッテを訪れていた賢者モリスによって引き出されたものだ。
(つまり、イライザはモリスと出会っていないから、聖属性の魔力に目覚めていない?)
 本来であれば、セッテに聖女がいると聞きつけたロックウェルの第二王子シオンがイライザに会い、彼から話を聞いたイライザは王妃を助ける。それによって、ロックウェル王国とアッシュクロフ王国の関係が強固なものとなるのだ。
(あ……お姉様を処刑したのは、シング公爵だわ。ロックウェルの騎士団長。これもロックウェル王国とアッシュクロフ王国の関係を見せつけるために)
「どうした? セシリア。急に黙り込んで」
 スプーンを持ったまま、ぴくりとも動かぬセシリアを心配したのだろう。尋ねるシオンの声はやさしい。
「あの。お砂糖はお薬にもなります。もし、咳が酷いのであれば、砂糖をお湯にとかして湯気を吸い込むようにしながら、ゆっくり飲むといいですよ。でも、身体が冷えているのであれば、黒いお砂糖のほうがいいのですが、まだ黒いお砂糖は作っていません」
「セシリア」
 父親に名を呼ばれ、はっとしてセシリアは口をつぐんだ。
「申し訳ない。セシリアは、砂糖のことになると、夢中になってしまって。今も、次のお菓子のレシピでも考えていたのかな?」
 コクコクと頷いて、スープ皿にスプーンを突っ込んだ。
 この場にはコンスタッドもシオンもいる。セシリアの能力が知られてしまうのはよくない。
 そこから父親が話題をかえ、コンスタッドたちと談笑にふけった。

 シオンとコンスタッドがロックウェル王国へ戻るという。
「ケアード公爵。とても有意義な時間を過ごさせていただきました。何かありましたら、私たちを頼ってください」
 コンスタッドが父親と熱く握手を交わすものの、父親は複雑な表情をしていた。それはコンスタッドであれば、エレノアを任せられると、そう思っているからなのだろう。
 セシリアだって微妙な気持ちだ。エレノアには幸せになってもらいたいけれども、ロックウェル王国には行ってほしくない。
 だが、砂糖の件もあるから、エレノアもあと数年はフェルトンの街にいるだろう。
「また、遊びにいらしてください」
 エレノアの華やかな声に、コンスタッドも顔をほころばせた。
「シオンさまも、また来てください。それまでには、新しいお菓子とお砂糖を考えておきます」
「わかった。楽しみにしている」
 シオンはぽんぽんとセシリアの頭をなでる。
「では、ケアード公爵。十年後には、この国とセシリアをもらうからな」
 そう言ってシオンは、コンスタッドと一緒に馬車へと乗り込んだ。
 父親は驚き、大きく目を見開いていたが、セシリアにはその言葉の意味がさっぱりとわからなかった。

【完】


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