「エレノア・ケアード。この場をもって、君との婚約は破棄させてもらう」
アッシュクロフ王立魔法学園の大ホールでは、華々しく卒業パーティーが開かれていた。
天井の中央から吊り下げられているシャンデリアが明々と輝いているのも、魔法によるもの。
魔法を使うための力――魔力は親から子へと引き継がれるが、誰しもその魔力を備えているものではない。魔力を持ち、魔法が使える者は貴族に限られていた。そのためその貴族を、魔法貴族と呼ぶこともある。
風火地水の四属性が魔法の基本属性とされ、生まれた家柄によってどの属性が扱えるか決まってくる。基本は一人一属性だが、まれに両親の双方の属性を受け継ぎ、二属性の魔法を扱える者もいた。
だから結婚相手には、自分と異なる属性魔法を使える者を望むことが多い。
目の前で展開されている婚約破棄の茶番劇だが、その破棄をつきつけられたエレノアは、風属性の魔法を使う公爵令嬢だ。
そして声たかだかに婚約破棄を宣言したのは、アッシュクロフ王国の王太子であるジェラルド。彼本人は、土魔法の使い手である。だからこそ、エレノアを婚約者にと望んだはず。
ホール内は楽団の音楽もやみ、しんと静まり返っていた。
太陽のような緋色のドレスに身をつつむエレノアは、琥珀色の目を大きく見開き、ジェラルドをまっすぐに見据える。
キリッとした紺碧の瞳、すっと通った鼻筋に、艶やかな唇。絹糸のようなさらりとした金色の髪を引き立てているのは、彼が身にまとう金モールの濃紺のジャケットだろう。一国の王太子として見目麗しい姿だ。
それに対してエレノアだって負けてはいない。仮にも王太子の婚約者なのだ。庭園に咲き誇るような勿忘草色の髪はすっきりと結い上げられ、清純さを醸し出している。ぱっちりとした二重の瞳に、ふっくらとした唇も愛らしい。
だというのに、その目だけは鋭くジェラルドを睨みつけていた。
彼女の唇はゆっくりと開く。
「承知いたしました」
スカートの裾をつまみ、淑女の礼をする。
その姿を目にしたとき、母親としっかりと手をつないでいたセシリアの脳内には、誰のものかわからぬ記憶が流れ込んできた。
――エレノアは聖女イライザに毒を盛った。
――エレノアを処刑しろ! 首をはねろ!
(あ、これはネットで限定配信されたアニメのロマンスファンタジー小説『孤独な王子は救済の聖女によって癒される』略して『こどいや』の世界……って、この記憶は何?)
セシリアは、母親とつないでいた手にきゅっと力を込めた。母親もちらりとセシリアに視線を向けたものの、不安そうにエレノアを見守っている。
(わたしはセシリア・ケアード、七歳。エレノア・ケアードの年の離れた妹。このままでは、お姉様は斬首刑に……)
流れ込んできた記憶の処理に追いついていないが、気がつけばセシリアは母親とつないでいた手をはなし、エレノアへと近づいた。
「お姉さま」
子ども特有の甘えた声だ。誰が見てもその子がエレノアの血縁者であるとわかる見目だった。勿忘草色の髪の毛は、垂れたうさぎの耳のように結ばれ、琥珀色の目はぱっちりとしていて愛嬌がある。
「王太子殿下とのお話は終わりましたか? セシリア、人がいっぱいで疲れてしまいました。はやく、おうちに帰りたいです」
ホール内に響くセシリアの声に、両親の慌てる姿が見てとれた。父親なんぞ、額に青筋をたててこちらに走ってきそうな勢いだが、それをゆるりと首を振って制したのはエレノアだ。
「そうね。大事なお話は終わりましたから、今日はもう、帰りましょう」
エレノアは手を伸ばして、セシリアの小さな手をしっかりと握りしめる。
「ジェラルド王太子殿下。手続きに必要な書類については、ケアード公爵邸にお送りください」
もう一度、エレノアが優雅に腰を折ったため、セシリアもそれに倣う。
「わたくしがこの場にいないほうが、みなさまも楽しめるでしょう。せっかくのパーティーですもの、最後までお楽しみください。それではごきげんよう」
その場を去るエレノアの背に、ジェラルドは「待て、まだ話の続きが……」と言いかけていたが、それらは近衛騎士らによってとめられた。
(そうよね。だって国王陛下は、ジェラルド様がこの場で婚約破棄をお姉様に告げるだなんて、知らなかったんですもの。それよりも、ジェラルド様の隣にいたのが聖女イライザ、ってまだ聖女ではないか。それにしてもジェラルド様の瞳と同じ色のドレスだなんて……うぅ……なんか、腹が立ってきたわ)
エレノアと手をつないで会場をあとにすると、後ろからは両親もしっかりとした足取りでついてくる。
(間違いなくお父様は怒り心頭ね。そういえば、婚約解消の手続きをしぶるんだったわ)
ジェラルドからの一方的な婚約破棄宣言は誰も受け入れず、エレノアはそのまま彼の婚約者という地位にとどまった。だから学園を卒業したあと、王太子妃教育を受けるために王城へと住まいを移した。
しかし、ジェラルドの隣にはいつもイライザがいたものの、それでも国王も王妃もまだエレノアを婚約者として認め味方になってくれていたのだ。
(それが突然、イライザに聖属性の魔力が出現するのだったわね)
魔法の基本属性は四属性であるが、そこに属さない特別な属性がある。それが聖と闇で、そのなかでも聖属性を扱える者は聖女とか聖人とか呼ばれていた。聖属性の魔法は治癒の力であるためだ。
エレノアが王城に暮らすようになって半年後、イライザに聖属性の力が出現し、国王も王妃も手のひらを返したかのようにイライザを目にかけるようになる。さらに、エレノアにはジェラルドとの婚約解消をせまり、とうとうそれをエレノアとケアード公爵家は受け入れるのだ。そしてイライザはジェラルドの婚約者の座にまんまとおさまる。
しかしジェラルドを忘れられないエレノアはイライザに対抗するために、禁忌魔法とも呼ばれている闇魔法に手を出した。そしてイライザと対峙するのだが、もちろんエレノアの力はイライザには敵わなかった。
そこでエレノアもあきらめればよいものの、イライザを亡き者にするために、あの手この手を使い、彼女の飲み物に毒を仕込むが、イライザの口に入る前に気づかれる。聖魔法は自身の治癒はできないと言われているため、イライザもそういったことには人一倍、警戒していたのだろう。
エレノアが禁忌魔法に手を出したときは、イライザの温情で刑を免れたが、聖女を殺そうとした罪は重い。そのため、エレノアは処刑されるのだ。
ここまでが物語の前半で、後半はいろいろと反発し合いながらもイライザとジェラルドが結ばれる物語であったはず。
(誰のいつの記憶かわからないけれど、このままではお姉様が禁忌魔法に手を出した挙げ句、処刑されてしまうのがわかったわ。そうなれば、我が公爵家は取り潰しよね……)
隣に座るエレノアの顔を見上げた。ガタガタと微かに揺れる馬車の中は、しんと静まり返っていた。
エレノアと目が合う。彼女はセシリアに向かってやさしく微笑みかけた。
「どうしたの? セシリア。眠かったら眠ってしまってもいいわよ。着いたら、お父様が部屋まで連れていってくれるはずだから」
琥珀色の目を細くして、エレノアはセシリアの頭をゆっくりとなでる。それに甘えて、セシリアは姉に寄りかかるようにして目を閉じた。
さて、ここからが問題だ。よくわからない記憶によれば、エレノアは禁忌魔法に手を出したうえに処刑されるのだ。からの、公爵家の取り潰し。
(きっかけは、お父様が婚約解消をしぶったから……。それに、国王陛下も王妃様も、お姉様のことを気に入ってくださっているから、婚約を解消したくなかったのよね。だからお姉様もジェラルド様をあきらめきれないのよね……いや、むしろプライド? てことは、さっさと婚約解消させてしまえばいいのだわ。問題は、お父様をどうやって説得するか……)
セシリアはまだ七歳だというのに、わからない記憶が流れ込んできたせいで、一気に大人になってしまったような気がした。まるで、長い眠りから目覚めたような。
それでもセシリアとして生きてきた七年間の記憶はばっちりと残っている。そして身体も七歳のまま。思考だけは年齢よりも大人びているが、見た目や行動は今までのセシリアとなんらかわりはなかった。
そのため、心地よい馬車の揺れに負けてしまい、うとうとと眠ってしまう。
――セシリアも重くなったなぁ。
――でも、寝顔はまだまだ子どもよ。あら、よだれまで。
――セシリア、今日はありがとう。大好きよ。
セシリアは家族が大好きだ。外交大臣を務めている父に、おっとりとしている母。そして六年間、学園で勉学に励み、立派な王太子妃になろうと努力してきた姉。
この家族を守りたいと、父親に背負われ夢うつつのセシリアは、考えていたのだった。
アッシュクロフ王立魔法学園の大ホールでは、華々しく卒業パーティーが開かれていた。
天井の中央から吊り下げられているシャンデリアが明々と輝いているのも、魔法によるもの。
魔法を使うための力――魔力は親から子へと引き継がれるが、誰しもその魔力を備えているものではない。魔力を持ち、魔法が使える者は貴族に限られていた。そのためその貴族を、魔法貴族と呼ぶこともある。
風火地水の四属性が魔法の基本属性とされ、生まれた家柄によってどの属性が扱えるか決まってくる。基本は一人一属性だが、まれに両親の双方の属性を受け継ぎ、二属性の魔法を扱える者もいた。
だから結婚相手には、自分と異なる属性魔法を使える者を望むことが多い。
目の前で展開されている婚約破棄の茶番劇だが、その破棄をつきつけられたエレノアは、風属性の魔法を使う公爵令嬢だ。
そして声たかだかに婚約破棄を宣言したのは、アッシュクロフ王国の王太子であるジェラルド。彼本人は、土魔法の使い手である。だからこそ、エレノアを婚約者にと望んだはず。
ホール内は楽団の音楽もやみ、しんと静まり返っていた。
太陽のような緋色のドレスに身をつつむエレノアは、琥珀色の目を大きく見開き、ジェラルドをまっすぐに見据える。
キリッとした紺碧の瞳、すっと通った鼻筋に、艶やかな唇。絹糸のようなさらりとした金色の髪を引き立てているのは、彼が身にまとう金モールの濃紺のジャケットだろう。一国の王太子として見目麗しい姿だ。
それに対してエレノアだって負けてはいない。仮にも王太子の婚約者なのだ。庭園に咲き誇るような勿忘草色の髪はすっきりと結い上げられ、清純さを醸し出している。ぱっちりとした二重の瞳に、ふっくらとした唇も愛らしい。
だというのに、その目だけは鋭くジェラルドを睨みつけていた。
彼女の唇はゆっくりと開く。
「承知いたしました」
スカートの裾をつまみ、淑女の礼をする。
その姿を目にしたとき、母親としっかりと手をつないでいたセシリアの脳内には、誰のものかわからぬ記憶が流れ込んできた。
――エレノアは聖女イライザに毒を盛った。
――エレノアを処刑しろ! 首をはねろ!
(あ、これはネットで限定配信されたアニメのロマンスファンタジー小説『孤独な王子は救済の聖女によって癒される』略して『こどいや』の世界……って、この記憶は何?)
セシリアは、母親とつないでいた手にきゅっと力を込めた。母親もちらりとセシリアに視線を向けたものの、不安そうにエレノアを見守っている。
(わたしはセシリア・ケアード、七歳。エレノア・ケアードの年の離れた妹。このままでは、お姉様は斬首刑に……)
流れ込んできた記憶の処理に追いついていないが、気がつけばセシリアは母親とつないでいた手をはなし、エレノアへと近づいた。
「お姉さま」
子ども特有の甘えた声だ。誰が見てもその子がエレノアの血縁者であるとわかる見目だった。勿忘草色の髪の毛は、垂れたうさぎの耳のように結ばれ、琥珀色の目はぱっちりとしていて愛嬌がある。
「王太子殿下とのお話は終わりましたか? セシリア、人がいっぱいで疲れてしまいました。はやく、おうちに帰りたいです」
ホール内に響くセシリアの声に、両親の慌てる姿が見てとれた。父親なんぞ、額に青筋をたててこちらに走ってきそうな勢いだが、それをゆるりと首を振って制したのはエレノアだ。
「そうね。大事なお話は終わりましたから、今日はもう、帰りましょう」
エレノアは手を伸ばして、セシリアの小さな手をしっかりと握りしめる。
「ジェラルド王太子殿下。手続きに必要な書類については、ケアード公爵邸にお送りください」
もう一度、エレノアが優雅に腰を折ったため、セシリアもそれに倣う。
「わたくしがこの場にいないほうが、みなさまも楽しめるでしょう。せっかくのパーティーですもの、最後までお楽しみください。それではごきげんよう」
その場を去るエレノアの背に、ジェラルドは「待て、まだ話の続きが……」と言いかけていたが、それらは近衛騎士らによってとめられた。
(そうよね。だって国王陛下は、ジェラルド様がこの場で婚約破棄をお姉様に告げるだなんて、知らなかったんですもの。それよりも、ジェラルド様の隣にいたのが聖女イライザ、ってまだ聖女ではないか。それにしてもジェラルド様の瞳と同じ色のドレスだなんて……うぅ……なんか、腹が立ってきたわ)
エレノアと手をつないで会場をあとにすると、後ろからは両親もしっかりとした足取りでついてくる。
(間違いなくお父様は怒り心頭ね。そういえば、婚約解消の手続きをしぶるんだったわ)
ジェラルドからの一方的な婚約破棄宣言は誰も受け入れず、エレノアはそのまま彼の婚約者という地位にとどまった。だから学園を卒業したあと、王太子妃教育を受けるために王城へと住まいを移した。
しかし、ジェラルドの隣にはいつもイライザがいたものの、それでも国王も王妃もまだエレノアを婚約者として認め味方になってくれていたのだ。
(それが突然、イライザに聖属性の魔力が出現するのだったわね)
魔法の基本属性は四属性であるが、そこに属さない特別な属性がある。それが聖と闇で、そのなかでも聖属性を扱える者は聖女とか聖人とか呼ばれていた。聖属性の魔法は治癒の力であるためだ。
エレノアが王城に暮らすようになって半年後、イライザに聖属性の力が出現し、国王も王妃も手のひらを返したかのようにイライザを目にかけるようになる。さらに、エレノアにはジェラルドとの婚約解消をせまり、とうとうそれをエレノアとケアード公爵家は受け入れるのだ。そしてイライザはジェラルドの婚約者の座にまんまとおさまる。
しかしジェラルドを忘れられないエレノアはイライザに対抗するために、禁忌魔法とも呼ばれている闇魔法に手を出した。そしてイライザと対峙するのだが、もちろんエレノアの力はイライザには敵わなかった。
そこでエレノアもあきらめればよいものの、イライザを亡き者にするために、あの手この手を使い、彼女の飲み物に毒を仕込むが、イライザの口に入る前に気づかれる。聖魔法は自身の治癒はできないと言われているため、イライザもそういったことには人一倍、警戒していたのだろう。
エレノアが禁忌魔法に手を出したときは、イライザの温情で刑を免れたが、聖女を殺そうとした罪は重い。そのため、エレノアは処刑されるのだ。
ここまでが物語の前半で、後半はいろいろと反発し合いながらもイライザとジェラルドが結ばれる物語であったはず。
(誰のいつの記憶かわからないけれど、このままではお姉様が禁忌魔法に手を出した挙げ句、処刑されてしまうのがわかったわ。そうなれば、我が公爵家は取り潰しよね……)
隣に座るエレノアの顔を見上げた。ガタガタと微かに揺れる馬車の中は、しんと静まり返っていた。
エレノアと目が合う。彼女はセシリアに向かってやさしく微笑みかけた。
「どうしたの? セシリア。眠かったら眠ってしまってもいいわよ。着いたら、お父様が部屋まで連れていってくれるはずだから」
琥珀色の目を細くして、エレノアはセシリアの頭をゆっくりとなでる。それに甘えて、セシリアは姉に寄りかかるようにして目を閉じた。
さて、ここからが問題だ。よくわからない記憶によれば、エレノアは禁忌魔法に手を出したうえに処刑されるのだ。からの、公爵家の取り潰し。
(きっかけは、お父様が婚約解消をしぶったから……。それに、国王陛下も王妃様も、お姉様のことを気に入ってくださっているから、婚約を解消したくなかったのよね。だからお姉様もジェラルド様をあきらめきれないのよね……いや、むしろプライド? てことは、さっさと婚約解消させてしまえばいいのだわ。問題は、お父様をどうやって説得するか……)
セシリアはまだ七歳だというのに、わからない記憶が流れ込んできたせいで、一気に大人になってしまったような気がした。まるで、長い眠りから目覚めたような。
それでもセシリアとして生きてきた七年間の記憶はばっちりと残っている。そして身体も七歳のまま。思考だけは年齢よりも大人びているが、見た目や行動は今までのセシリアとなんらかわりはなかった。
そのため、心地よい馬車の揺れに負けてしまい、うとうとと眠ってしまう。
――セシリアも重くなったなぁ。
――でも、寝顔はまだまだ子どもよ。あら、よだれまで。
――セシリア、今日はありがとう。大好きよ。
セシリアは家族が大好きだ。外交大臣を務めている父に、おっとりとしている母。そして六年間、学園で勉学に励み、立派な王太子妃になろうと努力してきた姉。
この家族を守りたいと、父親に背負われ夢うつつのセシリアは、考えていたのだった。