大きな行事のあとは、決まって学年集会が開かれる。
「遅れないように、速やかに体育館に移動してね〜」
担任はそう言い残し、教室から出て行った。途端にガタガタと席を立ち上がる音や、雑談の声で教室内が騒がしくなる。
ペンケースとしおりを小脇に抱え、廊下へ足を向ける。
「日置、一緒に行こ」
クラスメイトのあとに続けば、渡会が駆け寄ってきた。彼のうしろには、仲里と堀田と守崎の姿も見える。
あぁ、そうだ。友達になったんだった。
一人行動が染みついた体は、ぎこちなく足を止めた。
「俺たちを置いて行くなんてひどい」
「ごめんて」
わざとらしく頬を膨らませる仲里に、形だけの謝罪を返す。
「うわ、きも」
「えー、守崎くんひどい」
身を引く守崎にも、仲里は謎のキャラ設定のまま泣く素振りを見せた。
「てか早く行こーぜ」
茶番を打ち切り、堀田が時計に目線を送った。
休み時間は十分、あっという間に終わってしまう。
二階から体育館へ通じる階段は、修理で封鎖されている。必然的に、一階の廊下を通ることになった。迂回すれば他のルートもあるが、ここが一番早い。
一階の廊下は、たくさんの一年生の生徒で溢れかえっていた。
「…………」
すごく視線を感じる。
すれ違う過半数の生徒は足を止め、女子生徒は廊下側の窓際に集まってキャッキャと声を上げている。
「あ、日置先輩! こんにちは〜!」
「ちは〜!」
四人との距離を空けようとした時、二人の男子生徒が会釈をしてきた。見知った顔に、同じバドミントン部の後輩だと分かる。ただ、申し訳ないことに一年生は入部人数が多く、まだ名前と顔が一致していない。ごめん。
「お疲れ、次移動なの?」
彼らの持っている教科書とリコーダーに目を向ければ、二人の後輩はコクリと頷いた。
「はい! 音楽室に」
「日置先輩も移動ですか?」
「うん。修学旅行のことでなんか集まるらしい……あっ、あとでお土産持ってく」
そう伝えると、後輩はパッと顔を明るくした。
「やった! ありがとうございます!」
「楽しみにしてます!」
「うん。じゃーね」
特別珍しくもないお土産なのに、目を輝かせて喜んでくれる後輩に手を振った。まだ二ヶ月半しか一緒に部活をしていないけど、あの純粋さが可愛い。
「知り合い?」
隣に並んだ渡会は、駆けていく後輩の背中を目で追った。
「部活の後輩」
「ふーん」
俺の言葉に、渡会はもう一度うしろを振り返った。
そんなに気になるのだろうか。
「先輩こんにちは〜!」
「どこ行くんですかー?」
今度は仲良く手を繋ぐ二人の女子生徒が声をかけてきた。その熱のこもった視線は、ビシビシと四人に向けられている。
「……体育館だけど」
仲里は不思議そうに小首を傾げて答えた。
「そうなんですね! 頑張ってください〜!」
「また部活で会いましょう!」
女子生徒は頬を染め、小さく歓声を上げながら駆けていってしまった。
小さくなる背中を見送ると、仲里は頭にハテナを浮かべたまま、さらに首を傾げた。
「誰?」
「いや知らん、誰?」
「俺も知らない」
「マジで誰」
守崎から渡会へ、渡会から堀田へ疑問の連鎖が続く。
なんかごめん。先程の女子生徒に心の中で謝った。
彼らが所属している写真部は、日頃から先輩と後輩の間で挨拶をする文化はないらしい。加えて、四人は形だけ部活に入っている幽霊部員だそう。それでも顔くらいは覚えておけよと思ったが、ついさっき後輩の名前が出てこなかった俺は、グッと言葉を飲み込んだ。
体育館には、プロジェクタースクリーンが用意されていた。
「クラスごとに男女別で並んでくださいー! 一組はここでーす!」
スクリーンに気を取られていると、学年主任がマイクを片手に手を挙げた。その指示に生徒の波が動きだす。
「何の動画見ると思う?」
俺のうしろに並んだ堀田も、やはりスクリーンが気になるようだった。
「さぁ? ……修学旅行のMVPとか」
「MVPは学年主任だろ」
「ははっ、たしかに」
堀田の言葉にケラケラ笑う。
生徒のネタになっているとは知らず、MVP候補の学年主任は、グッとマイクを握り直した。
「皆さん修学旅行お疲れ様でした! 休みの間、しっかりリフレッシュできましたかね? 中間考査も近いので、ぜひ頑張ってください」
修学旅行で浮かれていた気分は、一気に現実に叩き落とされた。周りの生徒も、ウンザリとした表情で学年主任を眺めている。
「今日集まってもらったのは、修学旅行の思い出ムービーを鑑賞するためです。では、スクリーンに注目してください! あ、後列の生徒は見えづらいかもしれないので、適度に移動してもらって構いません」
学年主任がマイクを切るなり、生徒たちは我先にと前列に固まった。俺も続いて腰を上げたが、仲里と堀田に腕を掴まれ、後列へ引きずられた。
「うしろで見ようぜ」
俺を見下ろしながら、堀田はニッと笑った。
なんで? 見えづらくない?
引きずられるまま、遠くなるスクリーンを見つめる。行き着いた先で、仲里は「あげる」と言って俺を渡会の長い脚の間に収めた。
なんで?
二度目の疑問を抱いた。退散すべく腰を浮かせるが、それを制するようにガシッと腕が巻き付いた。
「どこ行くの? ここにいてよ」
渡会は耳元で呟き、立ち上がろうとする俺を抱き寄せた。
今、俺は渡会を背もたれに座っている。女子に見られたら蹴飛ばされそうだ。けれど、先程の言動からとても逃げられるとは思えない。
諦めて渡会に体を預けると、体育館が暗闇に包まれ、軽快な音楽が鳴り響いた。目の前のスクリーンには、晴れ渡った空と修学旅行初日の日付が表示された。意外にも本格的なムービーである。
徐々にBGMの音量が下がる。画面には、でかでかと学年主任が映しだされた。
『先生、今日から修学旅行ですが、どうですか?』
『いや〜、もう行き慣れたもんで、第二の実家みたいなものですよ』
カメラマンの質問に、学年主任は懐かしむような表情を浮かべた。
生徒たちの笑い声が、体育館内に響く。
そこからはダイジェストのように三日間の様子が流れた。
一日目。
能の劇場が映った。その瞬間、背中に冷や汗が流れる。
渡会と手を繋いでるところ、撮られてないよな?
俺の心配を案ずるように、スクリーンはすぐに夕食の場面に切り替わった。
二日目。
本堂の前で撮った集合写真や、自由行動の写真が映る。
活気溢れる商店街や、古き良きゲームセンターなど、興味をそそられる観光スポットに身を乗り出す。テーマパークも良かったが、地域の穴場スポットも回りたかった。
スクリーンに釘付けになっていると、なぜか俺が迷子の男の子を抱っこしている写真が映った。
誰だよ、撮ったの。撮影許可出してませんけど。
スクリーンから距離を取るように頭を引けば、思い切り渡会の胸にぶつけてしまった。
「ごめん……!」
「大丈夫。ソロ写真おめでとう」
渡会は俺のぶつけた頭を撫でながら、祝いの言葉をくれた。仲里と堀田と守崎も「おめでとー」と口にする。
やめてくれ。恥ずかしさに顔を覆い、指の隙間からスクリーンを窺った。
三日目。
各クラスの観光場所が映しだされ、もちろん、着物を身に付け輝きを放つ四人……と、おまけの俺も映る。
女子の間でざわめきが広がった。チラチラとこちらを振り返る生徒もいる。
まずい。渡会を背もたれにしているのがバレたら、ファンに刺される。
今度は逃げるように上体をずり下げたが、そんな行動も意味をなさず、また腹に手を回されて抱き寄せられた。
「そんな下がったら見えないだろ」
「いや、今は見たくないというか見られたくないというか……俺の命が危ない」
「何言ってんの」
渡会は呆れ混じりの溜め息をつくと、俺の腹に手を回したままスクリーンへ目線を戻した。
思い出ムービーは、終盤に差し掛かっていた。お世話になった旅館やホテルのスタッフからのメッセージ動画が映しだされ、エンドロールが流れる。
「それではクラスごとにしおりを回収します! まだの生徒は、ここで書いてから教室へ戻ってください。八割は絶対埋めること!」
学年主任の号令で、立ち上がる者としおりに向き合う者に分かれた。俺たちのグループは後者だった。その中でも半分以上感想を埋めていた俺は、早々に書き上げ、ボーッとしながら四人を待った。
「ちょっと日置借りまーす」
突然降ってきた声に顔を上げる。
一人の男子生徒は、硬い表情で俺を見下ろしていた。彼は、高校から知り合った部活仲間の水無瀬葵。部内一を誇る生粋の甘党だ。バドミントンの実力は、そこそこ。
水無瀬は急かすように俺の背中を膝で突ついた。
「ちょっと借りられてくる」
「……三秒で戻って来て」
水無瀬を一瞥した渡会は、無茶な要望を口にした。その願いを叶えることはできず、首を横に振る。
「日置、お前〜! 話しかけづらいとこにいんなよな!」
渡会たちと距離が広がった途端、水無瀬は小声で文句をぶつけてきた。
「友達だし仕方ないだろ」
「見ろよ、まだ手震えてんだけど……ほら!」
水無瀬は大袈裟に右手を震わせた。震えてるというか、これは振ってる。
「それはやりすぎだろ」
思わず笑ってしまう。
水無瀬は納得できないとでも言いたげに、ジトリとした目を向けてきた。
「よく顔面の暴力みたいなとこにいられるよな」
「そんな近寄りづらい?」
「んー、話したことないのもあるけど、なんか……次元が違うというか……うん、分からん!」
水無瀬は説明を諦めて肩をすくめた。彼の反応に、また声を上げて笑う。
目的地の出入り口には、辻谷に加え、もう一人の部活仲間が待っていた。短い髪を跳ねさせている彼は、猪野俊佑。彼も辻谷と同じく中学も部活も一緒で、俺の数少ない友達だ。
何の偶然か、バトミントン部の二年生全員が集まった。
「来た。陽キャ見習い」
「マジで勘弁しろよな。ジャンケンで誰が呼びに行くか決めたんだから」
「全員で来れば良かったのに」
ブーブー文句を言う辻谷と猪野に、アドバイスを投げる。名案だと思ったのに、水無瀬を含めた三人からは、非難の声が上がった。
「俺ら三人で戦闘力三十くらいなのに無茶言うなよ!」
「武器も何も持ってねーよ!」
「日置足しても戦闘力二十なのに!」
「なんで減ってんだよ」
猪野の一言にツッコむと、四人で顔を見合わせて笑った。
渡会たちといるのも楽しいけど、部活仲間といるのも波長が合って楽しい。
あれ、そういえば。
「俺なんで呼ばれたの?」
スンッと冷静になり、思い出した疑問を口にした。
「あ、そーだ。先輩と後輩へのお土産、誰がどこのクラスに持ってくか決めようと思って……日置は一年担当でいい?」
提案してきた辻谷に快く頷く。体育館に向かう前、後輩とお土産の話をしたからちょうど良かった。
「じゃあ日置は一年で……猪野も一年な。俺と辻谷は三年」
水無瀬の指示で手際良く担当が決まった。
話が一段落すると、辻谷が突然馬鹿でかい声を上げた。
「あっ! やば、俺次の授業の課題やってないわ」
慌てふためきながら駆けていく辻谷を皮切りに、自然と解散の流れになった。
「じゃあ、また部活で」
「頑張れよ、陽キャ見習い」
陽キャ見習いって、なに?
ふざけ合う水無瀬と猪野に手を振り、体育館内へ足を向ければ、もうほとんど生徒はいなくなっていた。
「お待たせ」
座って駄弁っていた四人に声をかける。
渡会は顔を上げるなり、すぐに立ち上がった。
「おかえり。日置のしおりも一緒に提出しちゃったけど大丈夫だった?」
「え、マジで? ありがとう」
パッと笑顔を浮かべれば、こんな些細な感謝でも嬉しいのか、渡会は見えない尻尾を振って満足げに頷いた。
そんな彼の隣に並び、出入り口を目指す。その時、背後から声がかかった。
「仲里君たち、申し訳ないけど窓の戸締まり確認してきてくれない?」
クラス全員分のしおりを抱えた担任は、窓を指差していた。
「了解でーす……上の階と下の階、どっち行く?」
仲里は担任に頷き、俺らに向き直った。
「あ! 待って、日置君は部活で体育館使ってるよね? これ、上の放送室までお願いしてもいい?」
担任は腕にぶら下げていたトートバッグから、マイクとスクリーン用のリモコンを取り出した。それを受け取ると、人差し指を上に向けて四人に示した。
「てことで俺は上に行く」
「じゃあ俺も」
階段のほうへ歩き出せば、渡会も俺に続いた。
放送室は、埃っぽい匂いが立ちこめていた。
「ここ来たことある?」
「いや、初めて来たかも」
渡会は首を振り、キョロキョロと狭い室内を観察している。知ったような口振りで言ったが、俺もこれが二回目で、放送室内に詳しいわけではない。
備え付けの防湿庫を開けてマイクをしまい、リモコンを持って立ち尽くす。
リモコンは、どこへしまえばいいのだっけ。
「さっき何話してたの?」
机周りを物色していると、渡会が声をかけてきた。
「さっき? ……あぁ、部活のお土産のことだけど」
一段一段引き出しを開けながら、リモコンのホームを探す。
それにしても、俺が誰かと話すたびに、毎回似たような質問をしてくる。そんなに気になるのかな。
「なんで? もしかして嫉妬した?」
同種の機材が見えた引き出しにリモコンをしまい、含み笑いを混ぜてからかってみた。
「…………うん」
え。
ここが教室だったら、かき消されそうな小さい声だった。けれど、今は二人きりの静かな空間。俺の耳はしっかり渡会の声を拾った。
思わず振り返った。渡会の表情は逆光でよく見えない。
彼の心情を確かめるために一歩踏み出せば、伸びてきた手が俺の腕を引いた。
渡会に抱き締められ、思考が停止する。体を起こそうとするが、離れるはずの体温はさらに熱を上げた。
彼の意図が分からず、顔を上げる。
「……………………せて」
渡会は、俺の耳元で何かを囁いた。
「え」
意識を集中させ、耳を傾ける。
「……寂しかったから、しばらくこのままでいさせて」
その言葉と共に、腕に力がこもった。
密着した体は、大きく脈打つ鼓動まで伝わってくる。俺と数センチしか身長は変わらないのに、抱き締められるとすごく大きく感じる。いつの間にか、俺は無意識に渡会のジャケットを握っていた。
「友達って、こんなことすんの?」
「……抱き締めるくらいはあるだろ」
「にしては長くない?」
「それは日置だけ」
名残惜しそうに腕がほどける。
逆光で見えなかった彼の表情は、幸せに溢れていた。
「日置は友達とキスってどう思う?」
「それはダメだろ」
渡会から距離を取れば、彼はニコリと笑った。
「まだしないって」
だから、まだってなんだよ。
「おーい、早くしろ~」
下のフロアから聞こえる仲里の声。
いつもの調子に戻った渡会は、放送室の鍵をもてあそびながら扉の向こうへ消えた。
渡会が、何を考えているのか分からない。
彼の言動に呆れつつ、ご機嫌な背中を追って放送室をあとにした。
「遅くね? 何してたん」
出入り口で待っていた守崎は、訝しんだ目を向けてきた。
何て言おう。素直に「抱き合ってました」とか言ったら語弊が生まれて停学になりそう。
「日置がコードに絡まったから、解いてたら時間かかった」
渡会は、指に引っかけている体育館シューズを、ぷらぷら揺らして答えた。
「も~、おっちょこちょいなんだから~」
仲里がまた謎のキャラ設定で俺の肩を叩く。それ、流行ってんの?
「てか、次の授業なに?」
仲里をスルーして首を傾げる堀田。
「……体育だ」
渡会がポツリと呟いた。同時に聞こえる五限の終わりを告げるチャイム。
体育の担当教師は学年主任。遅れたらトラック周回やら雑用やら、何かしらのペナルティが待っている。
状況を理解した俺たちは、弾かれるように駆けだした。
「廊下は走らなーい!」
一年の担当教師の声が聞こえた。
立ち止まるわけにはいかず、平謝りをしながら階段を駆け上がる。
六限が始まるまで、あと十分。
誰もいなくなった体育館には、夏の訪れを告げる蝉の声が響き渡っていた。
「遅れないように、速やかに体育館に移動してね〜」
担任はそう言い残し、教室から出て行った。途端にガタガタと席を立ち上がる音や、雑談の声で教室内が騒がしくなる。
ペンケースとしおりを小脇に抱え、廊下へ足を向ける。
「日置、一緒に行こ」
クラスメイトのあとに続けば、渡会が駆け寄ってきた。彼のうしろには、仲里と堀田と守崎の姿も見える。
あぁ、そうだ。友達になったんだった。
一人行動が染みついた体は、ぎこちなく足を止めた。
「俺たちを置いて行くなんてひどい」
「ごめんて」
わざとらしく頬を膨らませる仲里に、形だけの謝罪を返す。
「うわ、きも」
「えー、守崎くんひどい」
身を引く守崎にも、仲里は謎のキャラ設定のまま泣く素振りを見せた。
「てか早く行こーぜ」
茶番を打ち切り、堀田が時計に目線を送った。
休み時間は十分、あっという間に終わってしまう。
二階から体育館へ通じる階段は、修理で封鎖されている。必然的に、一階の廊下を通ることになった。迂回すれば他のルートもあるが、ここが一番早い。
一階の廊下は、たくさんの一年生の生徒で溢れかえっていた。
「…………」
すごく視線を感じる。
すれ違う過半数の生徒は足を止め、女子生徒は廊下側の窓際に集まってキャッキャと声を上げている。
「あ、日置先輩! こんにちは〜!」
「ちは〜!」
四人との距離を空けようとした時、二人の男子生徒が会釈をしてきた。見知った顔に、同じバドミントン部の後輩だと分かる。ただ、申し訳ないことに一年生は入部人数が多く、まだ名前と顔が一致していない。ごめん。
「お疲れ、次移動なの?」
彼らの持っている教科書とリコーダーに目を向ければ、二人の後輩はコクリと頷いた。
「はい! 音楽室に」
「日置先輩も移動ですか?」
「うん。修学旅行のことでなんか集まるらしい……あっ、あとでお土産持ってく」
そう伝えると、後輩はパッと顔を明るくした。
「やった! ありがとうございます!」
「楽しみにしてます!」
「うん。じゃーね」
特別珍しくもないお土産なのに、目を輝かせて喜んでくれる後輩に手を振った。まだ二ヶ月半しか一緒に部活をしていないけど、あの純粋さが可愛い。
「知り合い?」
隣に並んだ渡会は、駆けていく後輩の背中を目で追った。
「部活の後輩」
「ふーん」
俺の言葉に、渡会はもう一度うしろを振り返った。
そんなに気になるのだろうか。
「先輩こんにちは〜!」
「どこ行くんですかー?」
今度は仲良く手を繋ぐ二人の女子生徒が声をかけてきた。その熱のこもった視線は、ビシビシと四人に向けられている。
「……体育館だけど」
仲里は不思議そうに小首を傾げて答えた。
「そうなんですね! 頑張ってください〜!」
「また部活で会いましょう!」
女子生徒は頬を染め、小さく歓声を上げながら駆けていってしまった。
小さくなる背中を見送ると、仲里は頭にハテナを浮かべたまま、さらに首を傾げた。
「誰?」
「いや知らん、誰?」
「俺も知らない」
「マジで誰」
守崎から渡会へ、渡会から堀田へ疑問の連鎖が続く。
なんかごめん。先程の女子生徒に心の中で謝った。
彼らが所属している写真部は、日頃から先輩と後輩の間で挨拶をする文化はないらしい。加えて、四人は形だけ部活に入っている幽霊部員だそう。それでも顔くらいは覚えておけよと思ったが、ついさっき後輩の名前が出てこなかった俺は、グッと言葉を飲み込んだ。
体育館には、プロジェクタースクリーンが用意されていた。
「クラスごとに男女別で並んでくださいー! 一組はここでーす!」
スクリーンに気を取られていると、学年主任がマイクを片手に手を挙げた。その指示に生徒の波が動きだす。
「何の動画見ると思う?」
俺のうしろに並んだ堀田も、やはりスクリーンが気になるようだった。
「さぁ? ……修学旅行のMVPとか」
「MVPは学年主任だろ」
「ははっ、たしかに」
堀田の言葉にケラケラ笑う。
生徒のネタになっているとは知らず、MVP候補の学年主任は、グッとマイクを握り直した。
「皆さん修学旅行お疲れ様でした! 休みの間、しっかりリフレッシュできましたかね? 中間考査も近いので、ぜひ頑張ってください」
修学旅行で浮かれていた気分は、一気に現実に叩き落とされた。周りの生徒も、ウンザリとした表情で学年主任を眺めている。
「今日集まってもらったのは、修学旅行の思い出ムービーを鑑賞するためです。では、スクリーンに注目してください! あ、後列の生徒は見えづらいかもしれないので、適度に移動してもらって構いません」
学年主任がマイクを切るなり、生徒たちは我先にと前列に固まった。俺も続いて腰を上げたが、仲里と堀田に腕を掴まれ、後列へ引きずられた。
「うしろで見ようぜ」
俺を見下ろしながら、堀田はニッと笑った。
なんで? 見えづらくない?
引きずられるまま、遠くなるスクリーンを見つめる。行き着いた先で、仲里は「あげる」と言って俺を渡会の長い脚の間に収めた。
なんで?
二度目の疑問を抱いた。退散すべく腰を浮かせるが、それを制するようにガシッと腕が巻き付いた。
「どこ行くの? ここにいてよ」
渡会は耳元で呟き、立ち上がろうとする俺を抱き寄せた。
今、俺は渡会を背もたれに座っている。女子に見られたら蹴飛ばされそうだ。けれど、先程の言動からとても逃げられるとは思えない。
諦めて渡会に体を預けると、体育館が暗闇に包まれ、軽快な音楽が鳴り響いた。目の前のスクリーンには、晴れ渡った空と修学旅行初日の日付が表示された。意外にも本格的なムービーである。
徐々にBGMの音量が下がる。画面には、でかでかと学年主任が映しだされた。
『先生、今日から修学旅行ですが、どうですか?』
『いや〜、もう行き慣れたもんで、第二の実家みたいなものですよ』
カメラマンの質問に、学年主任は懐かしむような表情を浮かべた。
生徒たちの笑い声が、体育館内に響く。
そこからはダイジェストのように三日間の様子が流れた。
一日目。
能の劇場が映った。その瞬間、背中に冷や汗が流れる。
渡会と手を繋いでるところ、撮られてないよな?
俺の心配を案ずるように、スクリーンはすぐに夕食の場面に切り替わった。
二日目。
本堂の前で撮った集合写真や、自由行動の写真が映る。
活気溢れる商店街や、古き良きゲームセンターなど、興味をそそられる観光スポットに身を乗り出す。テーマパークも良かったが、地域の穴場スポットも回りたかった。
スクリーンに釘付けになっていると、なぜか俺が迷子の男の子を抱っこしている写真が映った。
誰だよ、撮ったの。撮影許可出してませんけど。
スクリーンから距離を取るように頭を引けば、思い切り渡会の胸にぶつけてしまった。
「ごめん……!」
「大丈夫。ソロ写真おめでとう」
渡会は俺のぶつけた頭を撫でながら、祝いの言葉をくれた。仲里と堀田と守崎も「おめでとー」と口にする。
やめてくれ。恥ずかしさに顔を覆い、指の隙間からスクリーンを窺った。
三日目。
各クラスの観光場所が映しだされ、もちろん、着物を身に付け輝きを放つ四人……と、おまけの俺も映る。
女子の間でざわめきが広がった。チラチラとこちらを振り返る生徒もいる。
まずい。渡会を背もたれにしているのがバレたら、ファンに刺される。
今度は逃げるように上体をずり下げたが、そんな行動も意味をなさず、また腹に手を回されて抱き寄せられた。
「そんな下がったら見えないだろ」
「いや、今は見たくないというか見られたくないというか……俺の命が危ない」
「何言ってんの」
渡会は呆れ混じりの溜め息をつくと、俺の腹に手を回したままスクリーンへ目線を戻した。
思い出ムービーは、終盤に差し掛かっていた。お世話になった旅館やホテルのスタッフからのメッセージ動画が映しだされ、エンドロールが流れる。
「それではクラスごとにしおりを回収します! まだの生徒は、ここで書いてから教室へ戻ってください。八割は絶対埋めること!」
学年主任の号令で、立ち上がる者としおりに向き合う者に分かれた。俺たちのグループは後者だった。その中でも半分以上感想を埋めていた俺は、早々に書き上げ、ボーッとしながら四人を待った。
「ちょっと日置借りまーす」
突然降ってきた声に顔を上げる。
一人の男子生徒は、硬い表情で俺を見下ろしていた。彼は、高校から知り合った部活仲間の水無瀬葵。部内一を誇る生粋の甘党だ。バドミントンの実力は、そこそこ。
水無瀬は急かすように俺の背中を膝で突ついた。
「ちょっと借りられてくる」
「……三秒で戻って来て」
水無瀬を一瞥した渡会は、無茶な要望を口にした。その願いを叶えることはできず、首を横に振る。
「日置、お前〜! 話しかけづらいとこにいんなよな!」
渡会たちと距離が広がった途端、水無瀬は小声で文句をぶつけてきた。
「友達だし仕方ないだろ」
「見ろよ、まだ手震えてんだけど……ほら!」
水無瀬は大袈裟に右手を震わせた。震えてるというか、これは振ってる。
「それはやりすぎだろ」
思わず笑ってしまう。
水無瀬は納得できないとでも言いたげに、ジトリとした目を向けてきた。
「よく顔面の暴力みたいなとこにいられるよな」
「そんな近寄りづらい?」
「んー、話したことないのもあるけど、なんか……次元が違うというか……うん、分からん!」
水無瀬は説明を諦めて肩をすくめた。彼の反応に、また声を上げて笑う。
目的地の出入り口には、辻谷に加え、もう一人の部活仲間が待っていた。短い髪を跳ねさせている彼は、猪野俊佑。彼も辻谷と同じく中学も部活も一緒で、俺の数少ない友達だ。
何の偶然か、バトミントン部の二年生全員が集まった。
「来た。陽キャ見習い」
「マジで勘弁しろよな。ジャンケンで誰が呼びに行くか決めたんだから」
「全員で来れば良かったのに」
ブーブー文句を言う辻谷と猪野に、アドバイスを投げる。名案だと思ったのに、水無瀬を含めた三人からは、非難の声が上がった。
「俺ら三人で戦闘力三十くらいなのに無茶言うなよ!」
「武器も何も持ってねーよ!」
「日置足しても戦闘力二十なのに!」
「なんで減ってんだよ」
猪野の一言にツッコむと、四人で顔を見合わせて笑った。
渡会たちといるのも楽しいけど、部活仲間といるのも波長が合って楽しい。
あれ、そういえば。
「俺なんで呼ばれたの?」
スンッと冷静になり、思い出した疑問を口にした。
「あ、そーだ。先輩と後輩へのお土産、誰がどこのクラスに持ってくか決めようと思って……日置は一年担当でいい?」
提案してきた辻谷に快く頷く。体育館に向かう前、後輩とお土産の話をしたからちょうど良かった。
「じゃあ日置は一年で……猪野も一年な。俺と辻谷は三年」
水無瀬の指示で手際良く担当が決まった。
話が一段落すると、辻谷が突然馬鹿でかい声を上げた。
「あっ! やば、俺次の授業の課題やってないわ」
慌てふためきながら駆けていく辻谷を皮切りに、自然と解散の流れになった。
「じゃあ、また部活で」
「頑張れよ、陽キャ見習い」
陽キャ見習いって、なに?
ふざけ合う水無瀬と猪野に手を振り、体育館内へ足を向ければ、もうほとんど生徒はいなくなっていた。
「お待たせ」
座って駄弁っていた四人に声をかける。
渡会は顔を上げるなり、すぐに立ち上がった。
「おかえり。日置のしおりも一緒に提出しちゃったけど大丈夫だった?」
「え、マジで? ありがとう」
パッと笑顔を浮かべれば、こんな些細な感謝でも嬉しいのか、渡会は見えない尻尾を振って満足げに頷いた。
そんな彼の隣に並び、出入り口を目指す。その時、背後から声がかかった。
「仲里君たち、申し訳ないけど窓の戸締まり確認してきてくれない?」
クラス全員分のしおりを抱えた担任は、窓を指差していた。
「了解でーす……上の階と下の階、どっち行く?」
仲里は担任に頷き、俺らに向き直った。
「あ! 待って、日置君は部活で体育館使ってるよね? これ、上の放送室までお願いしてもいい?」
担任は腕にぶら下げていたトートバッグから、マイクとスクリーン用のリモコンを取り出した。それを受け取ると、人差し指を上に向けて四人に示した。
「てことで俺は上に行く」
「じゃあ俺も」
階段のほうへ歩き出せば、渡会も俺に続いた。
放送室は、埃っぽい匂いが立ちこめていた。
「ここ来たことある?」
「いや、初めて来たかも」
渡会は首を振り、キョロキョロと狭い室内を観察している。知ったような口振りで言ったが、俺もこれが二回目で、放送室内に詳しいわけではない。
備え付けの防湿庫を開けてマイクをしまい、リモコンを持って立ち尽くす。
リモコンは、どこへしまえばいいのだっけ。
「さっき何話してたの?」
机周りを物色していると、渡会が声をかけてきた。
「さっき? ……あぁ、部活のお土産のことだけど」
一段一段引き出しを開けながら、リモコンのホームを探す。
それにしても、俺が誰かと話すたびに、毎回似たような質問をしてくる。そんなに気になるのかな。
「なんで? もしかして嫉妬した?」
同種の機材が見えた引き出しにリモコンをしまい、含み笑いを混ぜてからかってみた。
「…………うん」
え。
ここが教室だったら、かき消されそうな小さい声だった。けれど、今は二人きりの静かな空間。俺の耳はしっかり渡会の声を拾った。
思わず振り返った。渡会の表情は逆光でよく見えない。
彼の心情を確かめるために一歩踏み出せば、伸びてきた手が俺の腕を引いた。
渡会に抱き締められ、思考が停止する。体を起こそうとするが、離れるはずの体温はさらに熱を上げた。
彼の意図が分からず、顔を上げる。
「……………………せて」
渡会は、俺の耳元で何かを囁いた。
「え」
意識を集中させ、耳を傾ける。
「……寂しかったから、しばらくこのままでいさせて」
その言葉と共に、腕に力がこもった。
密着した体は、大きく脈打つ鼓動まで伝わってくる。俺と数センチしか身長は変わらないのに、抱き締められるとすごく大きく感じる。いつの間にか、俺は無意識に渡会のジャケットを握っていた。
「友達って、こんなことすんの?」
「……抱き締めるくらいはあるだろ」
「にしては長くない?」
「それは日置だけ」
名残惜しそうに腕がほどける。
逆光で見えなかった彼の表情は、幸せに溢れていた。
「日置は友達とキスってどう思う?」
「それはダメだろ」
渡会から距離を取れば、彼はニコリと笑った。
「まだしないって」
だから、まだってなんだよ。
「おーい、早くしろ~」
下のフロアから聞こえる仲里の声。
いつもの調子に戻った渡会は、放送室の鍵をもてあそびながら扉の向こうへ消えた。
渡会が、何を考えているのか分からない。
彼の言動に呆れつつ、ご機嫌な背中を追って放送室をあとにした。
「遅くね? 何してたん」
出入り口で待っていた守崎は、訝しんだ目を向けてきた。
何て言おう。素直に「抱き合ってました」とか言ったら語弊が生まれて停学になりそう。
「日置がコードに絡まったから、解いてたら時間かかった」
渡会は、指に引っかけている体育館シューズを、ぷらぷら揺らして答えた。
「も~、おっちょこちょいなんだから~」
仲里がまた謎のキャラ設定で俺の肩を叩く。それ、流行ってんの?
「てか、次の授業なに?」
仲里をスルーして首を傾げる堀田。
「……体育だ」
渡会がポツリと呟いた。同時に聞こえる五限の終わりを告げるチャイム。
体育の担当教師は学年主任。遅れたらトラック周回やら雑用やら、何かしらのペナルティが待っている。
状況を理解した俺たちは、弾かれるように駆けだした。
「廊下は走らなーい!」
一年の担当教師の声が聞こえた。
立ち止まるわけにはいかず、平謝りをしながら階段を駆け上がる。
六限が始まるまで、あと十分。
誰もいなくなった体育館には、夏の訪れを告げる蝉の声が響き渡っていた。