そんな時だった。


「あ、千羽くん。なかなか戻ってこないと思ったら、やっぱりここにいたんだ」


そんな声が聞こえたと共に、俺の隣に誰かが座る気配。

見れば、他校の女子のうちの1人だった。俺とは制服が違う。


「……あぁ」


曖昧な返事をして、再び壁に頭を預ける。最初に自己紹介があったけど、名前なんてそんなもの、1回聞いただけで覚えられるものではない。

特に、数年間友達のいなかった俺にとってはの話なのだが。



「つーか、戻んなくていーの」



たしかコイツ、カラオケを一緒に楽しんでたヤツ……。そんなやつが、なんで俺の様子なんか見にきたんだ……?

怪訝そうに彼女を見ると、ソイツはクスッと笑ってグッと顔を近づけてきた。


「よかったら、2人で抜けない?」


美人ではないと言ったら、嘘になる。そんな顔を近づけた挙句、俺の腕に胸を押し付けるかのようにして密着してきたその女は、まるで俺のことを誘惑しているみたいだった。


「……なんで?」


コイツが何がしたいのかはわからないけど、まともに相手をしない方がいいタイプだろうな。

長年、いいツラを表に出して、胸の内では汚い欲望や目的を抱えた人間を何度も見てきたし、関わってきた。

俺の特技といえば、そんな人間と善良な人間を見分けることができるくらいだ。


役に立つのか立たないのか、わかんねえな。なんてことをぼんやりと考えながら、思わずフッと笑みが漏れてしまう。



「何がしてえの?」


少し意地悪をしてやろうと思って、俺はとぼけるふりをする。

案の定、女は、俺が目的ではないかのように目を細めて口を開いた。



「私ね、真柴くんのこといいな〜、って、思ってるんだよね」

「……」



やっぱりそうかよ。

俺は、なんとも思っていないふりを装って、心の中で舌打ちをした。

最初の自己紹介で、コイツが真柴のことを凝視していたから想定内ではあったのだが、できれば起こってほしくはなかったことだ。



「その反応、やっぱ、千羽くんも真柴くんのこと好きなんでしょ?」

「……は?」

「ずぅーっと真柴くんのこと見てたもんね?バレてないとでも思ってた?」



そいつは、緩く巻いた髪の毛をクルクルと指で弄りながら俺を見て笑みを浮かべた。



「でもごめんね、私も、真柴くんのこと好きになっちゃった」

「……好きにすれば」

「そんなこと言っちゃって、心の中ですごく困惑してるの、隠せてないよ〜?」

「っ、触んな」



俺の頬を突きながら笑うソイツをできるだけ弱い力で押し返す。


だからなんだよ、男の俺が勝てないとでも言いたいのか。そんなこと、俺が1番わかってるというのに。


名もない悔しさが湧き上がってきて、思わず手のひらを握りしめる。



「で?それだけじゃねえだろ、何言いにきたんだよ」


それを悟られたくなくて。

俺の気持ちの内を知られたくなくて、女の興味を逸らそうと話題を変えた。


「はあー……はいはい、全部お見通しってわけね」


ソイツは、前髪をかき上げながらため息をついた。

まるで、「俺に興味なんかない」そう語っているかのように。


「あのね、私とアンタでどれだけ差があるかわかってる?越えられない壁があるってことも」

「……んだよ、何が言いたいんだよ」

「これから私は真柴くんに猛アタックして、付き合う。だから、もうこれ以上近づかないで」

「……」

「私と真柴くんは、"普通"の恋愛をするから」


見れば、ソイツは俺のことを涙目で睨んでいた。

もともと混乱していた俺の頭の中はさらにこんがらがる。怒ったり泣いたり、本当にコイツはなんなんだ。


「だから、邪魔しないでね、千羽くん」


違った声色でそれだけ言うと、ソイツは立ち上がって俺に背を向けた。





ーーアンタも普通になりなよ。





そう言い残して。