この曲を投稿したら、瀬名に会いに行く。そう決めたからかなかなか勇気が出ず、結局投稿はできないままに夜は明けてしまった。だがいつまでも躊躇ってるわけにはいかない。今日を逃したら冬休みになってしまう。瀬名に会うのも簡単にはいかなくなる。

「モモー、帰るぞー」
「あー、うん。いや……ちょっと用事あるから先帰って」
「マジ? 別に用ないし待ってるけど」
「俺も」
「さんきゅ。でもいいわ、何時になるか分かんねぇし」
「そ? じゃあ先帰るか。……あれ、もしかしてよいお年を、ってヤツ?」
「うわそうじゃん。モモ、よいお年を~」
「一気に年末感出すじゃん。ん、よいお年を」

 教室を出ていく森本と尾方に手を振る。ふたりといつものような会話をしていても、心臓はバクバクとうるさかった。

 のんびりはしていられない。どの学年も今日は午前中で終わる。瀬名も帰ってしまうかもしれない。

 深呼吸をして、インスタの投稿画面を開く。ああ、でも――いざ瀬名に声をかけてもしもそっけなくされたら、絶対に立ち直れない自信がある。

 最後のボタンをタップできないでいると、外から賑やかな声が響いてきた。窓から覗けばそこには、昇降口のほうから出てきた一年生の姿。見覚えがある。瀬名といるところを何度か見かけたことのある、男子生徒だ。どうしよう、本当に瀬名が帰ってしまう。

「くそ……っ」

 焦っている場合じゃない。バッグを引っ掴んで、一気に階段を駆け下りる。急いで昇降口にたどり着くと、今にも外に出てしまいそうな瀬名の背中が見えた。間に合った。

「……っ、瀬名!」
「っ、モモ先輩!」

 大きく息を吸いこんだ後、どうにでもなれと瀬名の名を叫んだ。すると、瀬名が勢いよく振り返る。見開かれたまぶたの上で、眉がくしゅっと寄せられた。

 ああ、怖い。今更なんだよ、と思われているかもしれない。だが強張る膝に力を入れ、一歩踏み出す。現状を打破したいなら、それは背中を向けた自分にしかできないことだ。

「瀬名……あの、急にごめん。話、したくて」
「先輩……ちょっと待ってくださいね」

 外へ出ていた友人たちのところへ駆けていって、瀬名はすぐに戻ってきた。昇降口に散らばる砂粒が、瀬名の靴の下でザラザラと音を立てる。一歩、また一歩と目の前まで来てくれる。

「友だちと帰るとこだったんで、先に帰ってって言ってきました。モモ先輩……あー、どうしよ。声かけてくれてすげー嬉しい。もう話せないと思ってたから」
「瀬名……」

 そんな風に言ってもらえるなんて、思ってもみなかった。一瞬でこみ上げてくる涙がうまく飲みこめない。だが鼻を啜る音は、自分じゃなくて目の前から聞こえてくる。顔を上げると、瀬名の目も潤んでいた。早く、早く言わなければ。だが口を開いた瞬間、他の生徒が気まずそうに横を通った。

「あー……外出てもいい?」
「っすね」

 靴を履くのも忘れていたと今更気がついた。自身の靴箱に移動し、瀬名のもとへ走り寄る。このたった数歩すら、進む足がぎこちない。

 昇降口を出て、少し離れたところの木のそばへ移動する。空気は痛いほど冷えていて、でも体は熱くて。変な感覚だ。

「瀬名……俺、瀬名に謝らなきゃいけないことがいっぱいある」

 切り出した瀬名の名前が掠れてしまった。だがそんなことに構っていられない。勢いに任せて、最後まで言い切る。

「謝ること?」
「体育祭の後、ずっと無視してごめん。ラインも電話も、教室まで会いに来てくれたのも。瀬名の気持ちより、自分が怖いの優先した。ほんと、ごめん」
「…………? 怖い?」
「瀬名といるのが楽しかったからって、最低だった。瀬名が勘違いしてんの利用して、こんなにずっと……」
「……モモ先輩、えっと。オレ、先輩がなにを言ってるのか全然分かってない、と思う」
「そんなことねえだろ。だって……違えじゃん。瀬名が一目惚れしたのは、俺じゃないだろ」
「……え? モモ先輩だよ。なんで?」
「なんで、って……だって、そうじゃん」
「…………?」

 なぜ話が噛み合わないのだろう。いつの間にか、ふたりして首を傾げていた。それでもちゃんと伝えなければと、瀬名へ一歩近づく。

「俺は、受験生向けの説明会に関わってない。あの日、その時間にはもう学校にはいなかった。だから、瀬名が一目惚れしたのは俺じゃない。……俺の双子の、桜輔だ。瀬名ももう分かってるよな? だって体育祭の時も、桜輔と……」

 そこまで言った時だった。いつの間にか瀬名以外が見えなくなっていたところに、別の人間の声が届いた。

「モモ?」

 桜輔だ。

「っ、桜輔……」
「やっと水沢くんと話せたんだ、よかったね。……あれ、あんまり上手く話進んでない感じ?」
「…………」
「…………」

 瀬名とふたりして黙りこむと、桜輔がこちらへと近づいてきた。まったくしょうがないな、と言いたげな顔をしているのが腹立たしい。

「ねえモモ、もっと自信持って。モモはモモだよ。俺とも、誰とだって、比べられるところなんかない。モモに届くものを、見誤らないで」
「は? マジ意味分かんねえ……」

 なにを言っているのか、本当に意味が分からない。なのにどうしてだろう。桜輔からかけられた言葉に、乾きかけていた瞳がじわりと熱くなる。そんな弟にはお構いなしといった風に、桜輔は今度は瀬名に向き直る。

「水沢くん」
「はい」
「モモは捻くれてるわけじゃないんだけど、たくさん気持ちを渡してあげないと、伝わらないところがあるから」
「は? 桜輔、お前なに言って……」
「そばにいた俺ができたらよかったんだけど……俺はそれが下手くそだったみたい。でも、水沢くんならできるよ。モモのこと、よろしくお願いします」
「……はい」

 頷いた瀬名を見て、桜輔は満足そうな顔をした。「じゃあ」と笑顔で手を振ってくる。校門のほうに歩きだして、だがすぐに踵を返し走ってきた。

「モモ!」
「……なんだよ」

 子どもじみた不貞腐れた顔をしていると、自分で分かっている。だが取り繕う気にもなれず素っ気なく返事をすると、桜輔が口元に手を添えて近づいてきた。思わず耳を寄せると、「ちゃんと素直になるんだよ」と囁かれる。

「は? どういう意味……」
「水沢くんに告白するんでしょ? 応援してる」
「っ、は? お、お前、なに言って……」

 その言い方はまるで、瀬名に恋をしていると知っているかのようだ。話した覚えはない、誰にも言ったことなんてないのに。これも双子の不思議な力、というヤツなのだろうか。

 厄介すぎる……とため息をつけば、不敵な笑みを浮かべ追い打ちをかけてくる。

「幸せだって分かるまで帰ってきちゃダメだからね」
「っ、うるせえよ! 勝手に決めんな!」

 そもそも、今日は今までのことを詫びるために話にきただけだ。告白するつもりなんてないし、仮にそうしたってフラれるのは分かり切っているのに。大体、幸せだって()()()()()、とはどういう意味だ。

「あはは! じゃあ今度こそ、バイバイ」
「早く帰れ」
「はいはーい」

 追い払うように手を振って、桜輔はやっと去っていった。がっくりと項垂れれば、瀬名の小さな笑い声が耳に届く。

「仲いいんすね」
「どこがだよ……」

 桜輔と話しているところを見られて、気まずい思いはある。だがそれはもう今更だろう。それよりも、瀬名とどこまで話したんだっけ。俯いたまま考えていたら、ポケットから顔を出す猫のぬいぐるみがふと目に入った。そうだ、昇降口まで走り下りてくる前、インスタへ投稿しようとしていたのだった。

 すっかり忘れていた。瀬名に告白するかどうかは置いておいても、作った曲は瀬名への想いだ。この日を迎えることを目標に、完成させることができた。きちんと話をする前に、やはり投稿しておきたい。

「瀬名、やんなきゃいけないことあるからちょっと待ってもらっていいか? 3秒、いや1秒で済むから」
「もちろん。何秒でも待ちますよ」

 たくさん時間をかけたら、またいつまでも進めない気がする。ここは勢いが大事だ。

“初めてオリジナル曲を作ってみました。誰か聴いてくれたら嬉しいです”

 下書きに保存してあったキャプションのまま、動画を添付してすかさず投稿のボタンをタップする。数秒経った後、“投稿が完了しました”との表示が出た。

「ふう……」

 ひとまずの安堵と、いよいよ瀬名に全てを話すのだという緊張感と。入り混じった息を深くつくと、なにかの通知音が聞こえた。どうやら瀬名のスマートフォンに届いたもののようだ。瀬名がポケットから取り出す。そこには今も、おそろいの猫のぬいぐるみがぶら下がっている。外さないでいてくれたのだ、離れていた間も。じんわりと胸を温かくしていると、瀬名が大きな声を上げた。

「えっ」

 その視線はなぜか、画面から勢いよく桃輔へと移ってきた。どうしたのだろう。気になってつい瀬名のスマートフォンを覗いてしまった。ロック画面に表示されている通知欄に、今度は桃輔が驚く番だった。

“momoが動画を投稿しました”

「……は?」

 目を疑ったが、間違いなくそう書いてある。頭がぐわんと揺れる。

 どうして瀬名がこのアカウントを知っている? 教えた覚えはない。森本や尾方にだって伝えていない、知り合いには完全に秘密で作ったものなのに。

 凝視している間に、瀬名はその通知をタップした。まだ誰にも閲覧されていない投稿が開かれる。間違いなくmomoのアカウントだ。

「へ……オリジナル? えっ、モモ先輩オリジナル曲作ったんすか!?」
「……うん」

 恥ずかしいだとか、いやそうじゃなくてなんで知ってるんだよとか。思っていることはたくさんあるのに、思考がこんがらがって頷くことしかできない。瀬名の手はわずかに震えているように見える。その指先が、再生ボタンの上にかざされた。慌ててその手を掴む。

「待った! え、聴くの?」
「当たり前じゃないすか」
「いやいや、無理だって」

 この歌はたしかに瀬名を想って作った。だが、本人に聴いてもらおうなんてつもりはちっともなかった。だって聴かれたら困る。瀬名のことが好きだと、焦がれるほどに想っていると知られてしまう。そんなの好きだと言葉にするより、裸を見られるより恥ずかしい。

「オレだって無理です。モモ先輩が作る曲、ずっと聴きたいって思ってた」
「…………? 意味分かんねぇよ」

 さっきからずっと、瀬名がなにを言っているのか分からないままだ。それが悔しくて、どんどん悲しくもなってきて、くしゃりと髪を握りこむ。するとそこに瀬名の手がそっと重ねられた。強張った指先をほどくように絡んできて、やわらかな声で「モモ先輩」と呼ばれる。

「……なに」
「オレのほうこそ、先輩に謝らなきゃいけないことがたくさんあります。聞いてくれる?」
「瀬名が謝ることなんてないと思うけど……お前が俺に話してくれることは全部……全部受け取りたいって思ってるよ」
「よかった。じゃあ、オレんちに行ってもいい?」
「今から?」
「うん」
「ん、分かった」