オリジナル楽曲を作る気はない。ましてや、失恋をどう抱えていいか分からない今は到底無理だ――そう思ったはずなのにな、と苦笑が漏れる。

 桃輔は新しく買った、けれどすでに端っこがよれてきた小さめのノートをブレザーのポケットから取り出した。端から歌詞として書き出そうとしたのは、最初だけだった。そんな神業みたいなことは、無理だとすぐに悟った。とりあえず今は、心の中を片っ端から書き出すだけ。整えるのは後だ。

 電車の中や教室、移動教室で廊下に出ている時にでも、思い浮かんだ言葉があればペンを走らせる。

「モモは最近なに書いてんの?」
「もしかして勉強!?」
「勉強じゃないけど。内緒」

 まだまだブームが去らないらしいコロッケパンを頬張る森本と、それに呆れた顔をする尾方は相変わらずだ。適度にそっとしておいてくれるのがありがたい。


 歌詞になればと書き殴ることはとりあえずできていても、作曲の知識は全くない。右も左も分からない状態で、だがまずはとギターに再び触れることから始めた。家に帰ってすぐ部屋に籠り、風呂と夕飯をなるべく早く済ませたらまた戻る。本当は学校にも行かないで、ギターにだけ触れていたいくらいだった。バイトをしてお金を貯めて、初めて自分のギターを手にできた時のように夢中になっている。

 だが気持ちがどれだけ乗ったところで、簡単に完成するわけではもちろんなかった。なにが正解かも分からない。たまにアンミツがDMをくれるが、作曲を始めたと言えるほどの成果は出ていないなと、既読の印をつけるだけになっている。

「ふう……」

 一旦休憩をしようと、ギターをスタンドに戻す。体を丸めていたからと伸びをして、ベッドに置いてあったノートを手に取る。表紙を捲り、綴られた言葉をつぶやいていく。

「人を想うのは苦しい、本当は大事にしたかった、騙したかったわけじゃない……」

 未だ歌詞とは到底呼べない、日記みたいなものだ。だがページをどれだけ捲っても、そこにあるのは瀬名への気持ちばかりで。ラブソングを書こうと決めたわけじゃないのに、と苦笑が漏れる。そして改めて強く思う、こんなにも瀬名が好きなのだと。

「絶対に叶わないのに。馬鹿じゃん」

 双子はシンパシーを感じることがある。同じ瞬間に同じことを考えていたり、相手がどうしたいのかが手に取るように分かったり。だったら桜輔も、瀬名を好きになる可能性は十分にある。いや、もしかするともう付き合っているかもしれない。だったらこの歌は失恋ソングと名づけるのがよく似合う。現に、今じゃもう瀬名が会いに来ることはない。ラインに溜まる通知の数も止まった。嘘つきのことなんて、きっともうどうだっていいのだ。

「それで正解だよ、瀬名」

 ぽつり呟いて、再びギターを手に取る。ブルージーな音色に、ツンとした鼻の奥の痛みを隠した。



 十二月に入った。寒さはずいぶんと厳しくなってきて、寝起きのフローリングの床につま先は丸くなる。

 土曜日の九時過ぎ。昨夜もずっとギターを触っては歌詞を作って、としていたら、いつの間にか外が明るくなっていた。休日だから、たまにはたっぷり寝ようかと思いはしたのだが。夢の中でも楽曲制作をしていて、気が焦ったのか目は覚めてしまった。結局三時間ほどしか眠れていない。

 喉が乾燥している感覚がする。水を飲もうと部屋を出ると、桜輔と出くわしてしまった。桜輔も隣の自室から出てきたところのようで、あまりの近さについのけ反った。

「モモ。おはよう」
「……はよ」

 しまった、と思う。こんなに真正面から顔を合わせるのは久しぶりだ。親のいるところでしか会わないで済むよう、調整していたのに。寝起きだからか、つい無防備に扉を開けてしまった。

 起きてしまったことはもう仕方がない。さっさと喉を潤して、戻ってこよう。そう思ったのだが、

「モモ」

 と引き止められてしまう。

「……なんだよ」
「目の下、隈がひどいよ」
「ああ、うん。平気」
「平気じゃないよね。ここ最近ずっとじゃん。寝れてないの?」
「そんなんじゃねえよ、ほっとけって」

 お節介を焼いてくるのが鬱陶しい。適当にあしらって、下に降りようとしたのに。歩き出そうとしたら、桜輔に手首を掴まれた。思わず目を見開いて振り向く。桜輔がこんな風に強硬な態度に出てくることは、ひどく珍しい。

「え、なに」
「はあ、もう限界」
「は? なにが……」
「ほっとけってなんだよ! ……ほっとけるわけないだろ、大事な兄弟だぞ」
「桜輔……」

 日頃温厚な桜輔が怒っているところなんて、ほとんど見たことがない。語気も荒っぽくなっている。

 こんな桜輔を最後に見たのは確か、小学校に上がったばかりの頃だったか。桜輔の注意にも構わず道路を走って、転んで怪我をした時。モモくんが怪我するの嫌だ、と大泣きしながら怒られたことがあった。

 まるであの時みたいだなと、必死な顔をしている桜輔を見て思い出す。

「……はっ、大事とか。ウケる」

 でも今はもう、小さな子どもじゃない。過保護に心配をされても、と苦笑が零れる。だが桜輔の怒りは、ちっとも収まらないようだ。

「はあ……モモは本当になにも分かってない」
「なにがだよ」
「モモは自分と俺を比べて劣等感を抱いてるみたいだけど」

 図星を突かれ、思わず睨みつけた。それを桜輔に言われるのは、なによりも腹が立つ。だが桜輔はちっとも怯まない。

「自分が人にどう想われてて、本当はその手になにを持ってるのか。目を背けてばっかりだよな」
「……は? 意味分かんねえ」
「…………」

 歯痒いとでも言わんばかりに、桜輔は自身の髪をくしゃりと握りこむ。視線を少し彷徨わせて、口を開いては噤んで。なにかを言うのを躊躇っているように見える。

「なんだよ、言えよ」
「……俺が勝手に色々言っていいことじゃないんだよ。でも、このままでいいの?」
「だからなにが」
「水沢くんのこと」
「……っ! お前……」

 ふたりに面識があることなんて、体育祭の時に嫌というほど分かった。その後のことだって様々な想像をした。だが実際に桜輔の口から瀬名の名が出ると、落ち着いてなどいられない。カッと頭に血が昇ったような感覚がして、掴まれたままだった手首を振りほどく。今すぐにここから逃げ出したい。

「借り物競争!」

 だが桜輔がそうはさせてはくれない。桜輔の叫んだ言葉に階段へ向かいかけた足を止め、勢いよく振り返る。

「……なんなんだよお前!」
「モモはなんだと思ってんの。水沢くんが引いた、借り物競争のお題」
「だからそれは! 恋のお相手、とでも書いてあったんだろ! お前が……桜輔が! 瀬名の好きなヤツってことだろうが!」
「あー……なるほどね。全然違う」
「……は? 別に隠す必要もねえだろ、俺には分かんだよ」
「ううん、やっぱり全然分かってない。正解は教えられないけど、絶対に違う」
「……嘘だ、だって瀬名は」
「念のため言っておくけど、付き合ってたりもないからね」
「…………」

 頭が痛いほどにこんがらがる。一体なにが違うというのだ。瀬名はずっと桜輔が好きだったのだから、“恋”というワードが入ったお題なんて、それしかないに決まっているのに。

 髪を掻きむしるようにして、くしゃりと握りこむ。冷静に考えることができない。脱力しそうな背を壁に預けずるずると座りこむと、ため息とも呼べないか弱い息が途切れ途切れに漏れ出る。

「モモ……ちゃんと本人と話したほうがいい」
「…………」

 先ほどまでの怒気をすっかりしまった桜輔が、隣に腰を下ろす。肩がトンとぶつかったが、反発する気力はもうない。

「少なくとも水沢くんは、話をしようとしてたんじゃないの?」
「…………」

 体育祭の日、グラウンドを抜け出すと瀬名はすぐに追ってきた。その後も連絡は何度もあったし、教室まで来たこともあった。もしかすると桜輔の言う通り、何かしらの説明をしたかったのかもしれない。だがメッセージはまだ見られないままでいるし、ふたりで過ごす昼休みを絶ったのも自分だ。今更都合よく話しかけるなんてできない。

「もう遅えよ」
「水沢くんがそう言ったの?」
「違え、けど……」
「じゃあ遅いなんてないよ。モモなら大丈夫だから」
「なにも大丈夫じゃねえよ……」
「ううん、大丈夫。俺が保証する」
「はあ? 何様だよ」
「んー? そりゃあ双子のお兄ちゃんだよね。他のなにが分かんなくても、モモの気持ちは大体分かってると思う」

 顎を少し上げ、桜輔は得意げに笑ってみせる。それからあろうことか、桃輔の髪を両手でくしゃくしゃと撫でてきた。子ども扱いみたいで腹が立つのに、突っぱねる気にはなれなかった。その手が眼差しが、よく見える心が、ただただ自分を応援しているのだと伝えてくるから。

「桜輔って怖ぇー……」
「えー、どこが?」
「なんでもお見通しっぽいとこ」
「ああ。でもそれはモモも同じでしょ。今俺がなに考えてるか分かってるくせに」
「……まあ、な。双子だし」
「ふふ、だよね」

 冷たい廊下にふたり分の白い息が浮かぶ。久しぶりの桜輔との会話は最初こそ一触即発の状況だったが、案外悪くなかった。そう思えた自分は少しだけ、前を向けているのかもしれない。