「モモ先輩!」
「っ……」

 やっと校庭から離れられる、というところまで歩いてきた時だった。背後から声をかけられた。その呼び方をするのはたったひとりだけだ。あんなに一緒にいる時間が楽しくて、たった数時間前も笑顔を交わしたのに。今は顔を見るのがひどく怖い。

「モモ先輩? どこ行くんすか?」
「瀬名……ごめんな」
「…………? なにがですか?」

 2~3メートルほど離れたところに立ち止まっている瀬名が首を傾げる。なにがだなんて、分かっているだろうに。全てを知っていながら騙されていてくれたのだろう瀬名の仕草ひとつひとつが、今はひどく胸に痛い。

「もう、今日で終わりな」
「え? だからなにが……」
「っ、俺はもう耐えらんねえよ!」
「……っ、モモ先輩?」

 こんなことになってやっと理解した。いつか桜輔に瀬名の想いを返すのだと自身に言い聞かせながら、その実、期待をしていたのだということに。

 一目惚れをした相手が桜輔だとしても。たくさんの時間を一緒に過ごしたのだから、自分を好きになってくれるかもしれない。

 そう、好きでいてほしかった。そんな身勝手なことを願うくらい、瀬名を好きになってしまっていた。

「……もう、お前の顔見てらんねえ。勝手だけど、もうやめよ」

 気づいてしまったからには、桜輔を想う瀬名を見ているのは一秒だって苦しい。瀬名が離れていくのだとばかり思っていたけれど、自分の心も耐えきれなかった。

 後ずさる靴の下から響く、グラウンドの砂を擦る音が耳障りだ。賑やかな体育祭のアナウンスはこの胸にアンバランスで、ああだけど、ノイズは自分に似合っているなとも思う。

「なんで、なに言って……」
「じゃあな。俺のことはなんも気にしなくていいから」

 自分はいつだって劣っている、敵うはずもない。まっすぐな瀬名だから、その恋心がブレることだってない。どう足掻いたって、愛してもらえるはずもなかった。

「バイバイ、瀬名」


 そこからはどこをどう歩いて、家にたどり着いたのか全く思い出せない。いつの間にか自室のベッドに体を横たえていた。顔に当たるシーツは濡れている。

 あんなにいつも、自分に言い聞かせてきたのに。瀬名が一目惚れをしたのは、桜輔だと。だから、世界でいちばん好きになってはいけない相手だったのに。涙が止めどなく落ち、胸がちぎれそうに焦がれてしまうほどの初恋を、瀬名にしてしまうなんて。

「ほんっと、馬鹿だよなー……」


 静まり返った部屋に、自嘲が吸いこまれていく。息ってどうやるんだっけ。今までどう生きてきたかな。明日からはどうやって生きていこう。切ないのがいいのだと好んで聴く音楽は、励ましてもらえるどころか再生ボタンを押す気力すら残っていない。

 猫のぬいぐるみがベッドから落ちる様子が、視界の端っこに映った。