体育祭の開会が実行委員から告げられ、各クラスから歓声が上がった。桃輔が出場する玉入れは、午前の3番目にプログラムされている。クラスのテント下から、「モモー! ここから見てるからなー! がんばれー!」「玉いっぱい入れんだぞー!」なんて森本と尾方の声が聞こえてきた。楽そうだからと選んだ種目だが、なんだか恥ずかしくなってくる。どれを選んだって免れなかった事態だろうが、本当にふたりの子どもかのような声かけだ。
「勘弁しろよなー……」
小さく愚痴を言いつつ、ふと顔を上げると。実行委員に案内された待機位置は、ちょうど瀬名のクラスのテント前だった。瀬名は後ろのほうに立っていて、隣にはいつもの女子がべったりだ。その隣では、いつかの昼休みに目が合った女子がこちらを見ていた。瀬名に再び目をやれば、口パクで「がんばれ」と応援してくる。周りの一年生たちはクラスメイトたちを懸命に応援しているから、気を使っているのだろう。
「まかせろ」
同じく口の動きで伝え、親指を立てる。とりあえず、恥ずかしさは忘れて真面目にやってみよう。森本と尾方は瀬名に感謝するべきだ。
健闘の結果、桃輔のクラスは3学年の中で2位という好成績を収めることができた。森本と尾方に髪をかき混ぜられ、やめろと怒鳴ってみたがふたりはケラケラ笑うだけだった。
盛り上がったまま午前の競技は終わり、昼の休憩時間になった。クラスで団結する今日くらいは教室で過ごしてほしいと、昨日のうちに瀬名には伝えてあった。不服そうにくちびるを尖らせていたが、最後は了承してくれた。もうちょっと粘られていたら折れたのは自分だったなと昨日を思い出しつつ、瀬名も久しぶりに教室で昼休みを過ごした。
そうして始まった、体育祭午後の部。最初の競技は、瀬名も出場する借り物競争だ。名物のひとつとも言える競技で、眼鏡だとか三角コーンだとか比較的簡単なお題に加え、中には“好きな人”なんて際どいものもある。万が一難しいお題に瀬名が当たってしまったら、どう切り抜けるのだろうか。心配と期待が入り混じる。
「瀬名くんは最後の走者か」
「ぽいな」
「“仲のいい先輩”ってお題とか当たって、モモが連れてかれたりしてな」
好き勝手言う森本と尾方の声を話半分に聞いていたら、すぐに瀬名の番がやってきた。スタート位置について、ピストルの音で5人が一斉にスタートする。
「おー、瀬名のヤツ足速っ」
「ほんとだ」
「すげーな!? こりゃクラス対抗リレー燃えるわー」
スタート位置から半周先のテーブルにお題は置いてある。たったそれだけの距離なのに、瀬名の足の速さがよく分かった。アドバンテージは充分で、お題さえクリアできれば一位を取れそうだ。
「うちのクラスのヤツもいんのに、つい瀬名くん応援しそうになるわ」
「分かる」
「俺も」
「モモは普通に瀬名くん応援してんじゃん」
瀬名がいちばんにお題の紙を取った。だが後から到着した他の生徒に、瀬名は置いていかれてしまう。紙を開いたまま、なぜか微動だにしない。
「瀬名? どうしたんだ?」
「難しいの当たったっぽいな」
数秒置いて、意を決したような深呼吸をしたのが分かった。かと思えば、瀬名の視線がまっすぐにこちらへ飛んできた。
「ん? モモのこと見てね?」
「マジで“仲のいい先輩”だったりして」
「でもそうだったらあんな悩むことなくね?」
桃輔は悪い予感を覚える。もしかするとその紙には、“好きな人”だとか“片想いしている相手”なんて書いてあるのではないだろうか。だからあんなに躊躇っているのかもしれない。焦りのような、期待のような。すぐには判別のつかない鼓動が桃輔の胸を揺さぶる。
ごくりと息を飲む桃輔から、だが瀬名は目を逸らした。なぜ、苦しそうな顔をしているのだろう。その足は、実行委員が集まる本部テントのほうへと向かい始める。
「ん? こっちじゃないな」
「モモじゃないんだ?」
「…………」
ああ、さっきまでの鼓動は甘やかだったんだな、なんて。ドクドクと痛いほど苦しい胸のせいで今頃気づく。
こわい。なあ瀬名、どうして。
なぜ瀬名はそちらへ行くのだろう。まっすぐに脇目も振らず、ある一か所を目指している。その真摯な視線の先にいるのは――桜輔だ。
「モモの兄ちゃんじゃん」
「どういうお題? 仲いい先輩の兄弟?」
「それはさすがにないんじゃね? この学校に兄弟いないヤツのが多いだろ。なあ? モモ」
「…………」
「モモ?」
森本と尾方がなにかを言っているのは分かるのに、全く頭に入ってこない。血の気が引いて指先が冷たい気がするけれど、それも定かではない。
混乱している桃輔を置いてきぼりにするかのように、瀬名と桜輔が共にゴールテープを切った。着順は分からない。それどころではない。
『ゴールした方はこちらに来てくださーい。お名前は? 水沢くん。一年生ですね。三年生の笹原桜輔くんを連れてきたようですが……お題をチェックしてみましょう』
ゴールした者は、マイクを持った実行委員が読み上げながらお題に沿っているかチェックをする。どういった理由で連れてきたのか、時にはインタビューも行われたりする。回らない頭を押さえていた桃輔だが、瀬名と桜輔の名が聞こえ体が震えた。
『それでは読み上げます! お題はー、恋の……んぶっ!』
途中まで読んだところで、マイクのハウリング音が実行委員のくぐもった声と共に学校中に響いた。瀬名が実行委員の口を塞いでいるのが見える。それをぼんやりと眺めながら、途中まで読まれたお題を桃輔は反芻する。恋の――ああ、“恋のお相手”か。瀬名は桜輔に一目惚れしたのだから、間違いない。
『あー、音声が乱れ失礼しました。水沢くんたっての希望で、お題を読み上げることは控えさせて頂きます。プライバシーの保護は大切ですからね。ですが、連れて来られた笹原桜輔くんがお題にしっかりと沿っていることは確認が取れました。水沢くんは三位でゴールということになります!』
「…………? モモ? どこ行くんだ? トイレか?」
「モモ? おーい」
放送の声と、森本と尾方の呼ぶ声。恋というワードが出たからか、1年のテント辺りはザワついている。
全てがどこか遠くに聞こえる中、桃輔はフラフラと立ち上がった。今すぐここから逃げ出したかった。
「帰る」
「は? 帰る? ……っておい、どうした!」
「……頭痛ぇ。ごめんな森本、リレーの応援できなくて。頑張ってな」
「それはいいけど……」
「保健室行くか? 俺ついてくよ」
「平気。尾方は俺の分も森本の応援してやって」
「でも……」
「ほんと大丈夫。ありがとな」
テントの下を出て、できるだけ早くと校舎のほうへ向かう。だが足元が覚束なくて、それを阻む。そのくらいショックが大きい。いや、違う。ショックを受ける権利はない、罪悪感に耐え切れないのだ。
「勘弁しろよなー……」
小さく愚痴を言いつつ、ふと顔を上げると。実行委員に案内された待機位置は、ちょうど瀬名のクラスのテント前だった。瀬名は後ろのほうに立っていて、隣にはいつもの女子がべったりだ。その隣では、いつかの昼休みに目が合った女子がこちらを見ていた。瀬名に再び目をやれば、口パクで「がんばれ」と応援してくる。周りの一年生たちはクラスメイトたちを懸命に応援しているから、気を使っているのだろう。
「まかせろ」
同じく口の動きで伝え、親指を立てる。とりあえず、恥ずかしさは忘れて真面目にやってみよう。森本と尾方は瀬名に感謝するべきだ。
健闘の結果、桃輔のクラスは3学年の中で2位という好成績を収めることができた。森本と尾方に髪をかき混ぜられ、やめろと怒鳴ってみたがふたりはケラケラ笑うだけだった。
盛り上がったまま午前の競技は終わり、昼の休憩時間になった。クラスで団結する今日くらいは教室で過ごしてほしいと、昨日のうちに瀬名には伝えてあった。不服そうにくちびるを尖らせていたが、最後は了承してくれた。もうちょっと粘られていたら折れたのは自分だったなと昨日を思い出しつつ、瀬名も久しぶりに教室で昼休みを過ごした。
そうして始まった、体育祭午後の部。最初の競技は、瀬名も出場する借り物競争だ。名物のひとつとも言える競技で、眼鏡だとか三角コーンだとか比較的簡単なお題に加え、中には“好きな人”なんて際どいものもある。万が一難しいお題に瀬名が当たってしまったら、どう切り抜けるのだろうか。心配と期待が入り混じる。
「瀬名くんは最後の走者か」
「ぽいな」
「“仲のいい先輩”ってお題とか当たって、モモが連れてかれたりしてな」
好き勝手言う森本と尾方の声を話半分に聞いていたら、すぐに瀬名の番がやってきた。スタート位置について、ピストルの音で5人が一斉にスタートする。
「おー、瀬名のヤツ足速っ」
「ほんとだ」
「すげーな!? こりゃクラス対抗リレー燃えるわー」
スタート位置から半周先のテーブルにお題は置いてある。たったそれだけの距離なのに、瀬名の足の速さがよく分かった。アドバンテージは充分で、お題さえクリアできれば一位を取れそうだ。
「うちのクラスのヤツもいんのに、つい瀬名くん応援しそうになるわ」
「分かる」
「俺も」
「モモは普通に瀬名くん応援してんじゃん」
瀬名がいちばんにお題の紙を取った。だが後から到着した他の生徒に、瀬名は置いていかれてしまう。紙を開いたまま、なぜか微動だにしない。
「瀬名? どうしたんだ?」
「難しいの当たったっぽいな」
数秒置いて、意を決したような深呼吸をしたのが分かった。かと思えば、瀬名の視線がまっすぐにこちらへ飛んできた。
「ん? モモのこと見てね?」
「マジで“仲のいい先輩”だったりして」
「でもそうだったらあんな悩むことなくね?」
桃輔は悪い予感を覚える。もしかするとその紙には、“好きな人”だとか“片想いしている相手”なんて書いてあるのではないだろうか。だからあんなに躊躇っているのかもしれない。焦りのような、期待のような。すぐには判別のつかない鼓動が桃輔の胸を揺さぶる。
ごくりと息を飲む桃輔から、だが瀬名は目を逸らした。なぜ、苦しそうな顔をしているのだろう。その足は、実行委員が集まる本部テントのほうへと向かい始める。
「ん? こっちじゃないな」
「モモじゃないんだ?」
「…………」
ああ、さっきまでの鼓動は甘やかだったんだな、なんて。ドクドクと痛いほど苦しい胸のせいで今頃気づく。
こわい。なあ瀬名、どうして。
なぜ瀬名はそちらへ行くのだろう。まっすぐに脇目も振らず、ある一か所を目指している。その真摯な視線の先にいるのは――桜輔だ。
「モモの兄ちゃんじゃん」
「どういうお題? 仲いい先輩の兄弟?」
「それはさすがにないんじゃね? この学校に兄弟いないヤツのが多いだろ。なあ? モモ」
「…………」
「モモ?」
森本と尾方がなにかを言っているのは分かるのに、全く頭に入ってこない。血の気が引いて指先が冷たい気がするけれど、それも定かではない。
混乱している桃輔を置いてきぼりにするかのように、瀬名と桜輔が共にゴールテープを切った。着順は分からない。それどころではない。
『ゴールした方はこちらに来てくださーい。お名前は? 水沢くん。一年生ですね。三年生の笹原桜輔くんを連れてきたようですが……お題をチェックしてみましょう』
ゴールした者は、マイクを持った実行委員が読み上げながらお題に沿っているかチェックをする。どういった理由で連れてきたのか、時にはインタビューも行われたりする。回らない頭を押さえていた桃輔だが、瀬名と桜輔の名が聞こえ体が震えた。
『それでは読み上げます! お題はー、恋の……んぶっ!』
途中まで読んだところで、マイクのハウリング音が実行委員のくぐもった声と共に学校中に響いた。瀬名が実行委員の口を塞いでいるのが見える。それをぼんやりと眺めながら、途中まで読まれたお題を桃輔は反芻する。恋の――ああ、“恋のお相手”か。瀬名は桜輔に一目惚れしたのだから、間違いない。
『あー、音声が乱れ失礼しました。水沢くんたっての希望で、お題を読み上げることは控えさせて頂きます。プライバシーの保護は大切ですからね。ですが、連れて来られた笹原桜輔くんがお題にしっかりと沿っていることは確認が取れました。水沢くんは三位でゴールということになります!』
「…………? モモ? どこ行くんだ? トイレか?」
「モモ? おーい」
放送の声と、森本と尾方の呼ぶ声。恋というワードが出たからか、1年のテント辺りはザワついている。
全てがどこか遠くに聞こえる中、桃輔はフラフラと立ち上がった。今すぐここから逃げ出したかった。
「帰る」
「は? 帰る? ……っておい、どうした!」
「……頭痛ぇ。ごめんな森本、リレーの応援できなくて。頑張ってな」
「それはいいけど……」
「保健室行くか? 俺ついてくよ」
「平気。尾方は俺の分も森本の応援してやって」
「でも……」
「ほんと大丈夫。ありがとな」
テントの下を出て、できるだけ早くと校舎のほうへ向かう。だが足元が覚束なくて、それを阻む。そのくらいショックが大きい。いや、違う。ショックを受ける権利はない、罪悪感に耐え切れないのだ。