『瀬名の好きな飲み物ってなんだっけ。ついでに買ってく』
『今日の夜通話できるけどどうする?』

 体育祭の実行委員はやらないでほしい。そんな勝手なことを頼んだ昼休みから、瀬名にメッセージを送ることが格段に多くなった。これでは、どちらが追いかけている立場なんだか。そう思いはするが、タイムリミットを決めた今となってはなりふり構っていられなかった。瀬名に嫌われる、もうすぐ離れていく。だからできるだけたくさん、今を楽しんでいたい。

 弾き語りの動画は、つい最近新しいものを投稿したところだ。選曲は、叶わぬ恋を唄った男性シンガーの一曲。切ない歌詞に、かわいい後輩との別れを惜しむ心境が重なった。アンミツからのDMには、感情が直球で伝わってくる歌声にうるっときました、と書いてあった。そんな風に感じ取ってもらえる歌を今の俺は奏でるのか、と、桃輔自身も泣いてしまいそうになった。


 十月の中旬、金曜日。体育祭の日はあっという間にやって来た。雲は少しもない晴天。暑さもいくらか落ち着いて、気持ちがいい秋の日だ。

「よっしゃ俺めっちゃ頑張るわ!」
「俺もー。高校最後だし、楽しむしかないよな」
「俺はだりぃ」
「モモは今日も通常運転だな」

 ジャージに着替え、森本と尾方と連れ立って外に出る。あくびを零しながら、ふたりの一歩後ろを歩く。

「森本はなんに出んの?」
「え、そんなんも覚えてないのかよ。寂しいんだけど!? クラス対抗リレーな、ちゃんと応援しろよ? ちなみに部活対抗にも出るから」
「へえ。何部だっけ?」
「はぁ!? モモお前マジで言ってる!?」
「はは、ごめんウソ。サッカーだよな」
「そう! ったく、三年間一緒にいてマジかってビビったわ」
「悪い悪い。で、尾方は? なにに出るんだっけ」
「俺は騎馬戦」
「盛り上がるヤツじゃん」
「ちなみに俺は下で支えるほうな。絶対勝つから任せて。モモは玉入れだよね」
「うん、いちばん楽そうだったから」
「でもちゃんとやれよー? 点入るんだから」
「はいはい」
「怪しいな」
「だな……あ、ちょうどいいところに発破かけてくれそうなヤツいたわ。おーい」

 三人でだらだらと喋っていたところに、森本が誰かを呼び寄せる。発破をかけてくれそうって、誰のことだ? 首を傾げたのも一瞬で、こちらに駆けてくる瀬名と目が合った。

「瀬名くん、モモのヤツやる気なさすぎだからちょっとなんか言ってやって」
「オレっすか?」
「そう~。俺らじゃどうにもならん」

 降参とでも言うように両手を上げて、尾方がこちらのほうに瀬名の背を押した。一歩近づいた瀬名をついマジマジと見てしまう。ジャージをゆるく着こなす姿はやっぱりイケメンだ。今日でファンが増えたりするのだろう。

「モモ先輩、おはよっす」
「はよ」
「先輩は玉入れに出るんですよね、オレ応援するんで」
「んー、さんきゅ。瀬名は借り物競争とクラス対抗リレーだよな」
「そうっす」
「ん、応援してる。頑張れよ」
「っす」
「はいはいちょーっと待った!」

 ふたりで話していると、目を丸くした森本と呆れたような顔をした尾方が割って入ってきた。あまりの勢いに、思わずのけ反る。

「え、モモ? 瀬名くんの競技は覚えてんだ?」
「あー、うん。前から聞いてたし」
「俺らだって言ってたじゃん!」
「しかも自分から応援するって言ったよ? ねえ森本」
「だな。同じクラスの俺らを応援しろよお!」
「モモが先輩してんの見てて嬉しいけど、なにこの複雑な気持ち」
「これが子離れの寂しさ? ってやつ?」
「あ、その夫婦設定まだ続いてたんだ」

 相変わらずの森本と尾方に、つい笑いつつ桃輔はあしらう。すると瀬名もこちらを見ながら、楽しそうに笑う。

「先輩たち仲良いっすね」
「まあな。こいつらのおかげで楽しくやれてるかも」

 森本と尾方はいつもこうだ。騒がしいし、やたらと構ってくる。だがこの空気感が桃輔は好きだった。劣等感でいっぱいの自分がちゃんと高校を全うできそうなのは、ふたりがいてくれたからだと感じている。

「いいな、オレもモモ先輩と同い年に生まれたかった」
「瀬名……」

 正直なところ、そんな風に考えたことは一度もなかった。寂しそうに眉を下げる瀬名に、桃輔の胸まできゅうと狭くなる。

「なあ瀬名、俺はお前が後輩なの、結構気に入ってる」
「え?」
「俺、部活もやってないし、そもそもあんま人と関わんないし。だからモモ先輩って呼んでくれんのも、仲良いって言える後輩も瀬名だけでさ。それって、なんかよくね?」

 自分で決めた瀬名と過ごすタイムリミットが迫っているからだろうか。素直な想いを伝えたくなった。気恥ずかしくて、なんだか顔が上げられないけれど。

 俯いた視界に、瀬名の靴がグラウンドの砂を擦ってこちらに一歩近づくのが見えた。

「モモ先輩……」
『間もなく体育祭の開会式を始めます。生徒の皆さんは校庭に集まってください』

 だが瀬名がなにかを言いかけたところで、集合を促す放送が入った。つられるように顔を上げると、そこには意外な光景が広がっていた。瀬名の顔が赤い。

「え、どうした?」
「あー、もしかしなくてもオレ顔赤いっすよね?」
「うん」
「うわー……」

 他の生徒たちがぞろぞろと校庭に向かい、森本と尾方も「じゃあお先に」と行ってしまった。自分たちも行かないと、教師に叱られてしまう。

「瀬名、俺らも行かないと」
「っす。モモ先輩」
「ん?」
「楽しみましょうね」
「まあ、ぼちぼち」
「はは。じゃあ行きますか」
「だな」

 瀬名に拳を差し出すと、そこに瀬名の拳がコツンとぶつかる。もう一度「じゃあな」と言って校庭へ歩き出せば、だがまたすぐ瀬名に名前を呼ばれた。

「モモ先輩!」
「んー?」

 振り返ると瀬名は、やけに必死な顔でそこに立っていた。

「オレも……やっぱり今のままがいいっす」
「ん?」
「先輩にとっての唯一の後輩ポジション、最高だなって」
「あ。だろ?」

 瀬名は満足そうに頷いて、自身のクラスの列へと向かっていった。さっき赤かったのが嘘のようにすぐに澄ました顔をして、友人たちとなにかを話している。

 本当は、不安な気持ちばかりで今日を迎えたと言ったほうが正しい。瀬名と桜輔ふたりして実行委員になる、なんて事態は避けられたけど。全校生徒が参加する体育祭中、ふたりが出くわす可能性は十分にあるからだ。せめて真実を打ち明けるまで、その瞬間は訪れないでほしいと気が気ではない。

 けれどこんな風に笑い合って楽しもうと言われてしまえば、せっかくだからそうしたいなと思えるから不思議だ。

「おーいモモー! 早く来いよー!」
「今行く!」

 離れたところで手招いてくる、森本と尾方に手を挙げて応える。こういったイベントごとは好きじゃないまま三年生になったけれど。今日はクラスのことも応援してみよう。高校最後の体育祭だという感慨もなかったが、そう思える。これも瀬名のおかげだ。