ショッピングモールを出て、駅までの道を歩く。時刻はもうすぐで18時になるところだ。思いのほかゲームセンターでたっぷりと遊んで、小腹が空いたということでドーナツを食べた。心と一緒に腹まで満ち足りている帰り道だ。

「瀬名ほんと上手いのな、クレーンゲーム」
「モモ先輩も結構上手でしたよ」
「瀬名のアドバイスありきだけどな」

 桃輔の手には、大きな袋がぶら下がっている。中にはゲームセンターで瀬名が獲得した大量のお菓子と、抱き枕にでもできそうなくらいの大きさの猫のぬいぐるみ。こんなにたくさん気が引けるのに、先輩のために獲ったとあの犬みたいな顔で言われたら、断ることなんてできなかった。

 だが瀬名が獲ってくれたものの中でもいちばんのお気に入りは、この袋の中にはない。スマートフォンにぶら下がっている。もう何度も眺めている猫のぬいぐるみストラップをまた見ていると、隣の瀬名がくすりと笑った。

「めっちゃ気に入ってくれてますね」
「うん、すげーかわいい」
「よかった。オレも気に入ってます。先輩が獲ってくれたヤツだし、おそろいだし」

 そう言って、瀬名もスマートフォンを取り出す。そこにあるのは、桃輔のと同じものだ。

 桃輔のものは、瀬名が獲ってくれた。反対に瀬名のものは、アドバイスを貰いながら桃輔が獲った。たった2回で獲得した瀬名と違い、8回を要してしまったが。2つ下の後輩はなんでもスマートにできて、なんだかちょっと憎らしい気さえする。

「ちなみにそれ、俺の初ゲットだから」
「え、そうだったんすか!? うわー、先輩の初めてか」
「そう。大事にしろよな」

 わざと恩着せがましく、ニヤリと笑ってみせた。だが瀬名は目を丸くして、キラキラと目を輝かせ始める。

「うん。宝物にするっす」
「はは、それは大袈裟すぎ」
「なに言ってんすか、オレは至って真面目っすよ。おそろいなのも最高だし」
「そっか。うん、俺も大事にする」

 おそろいのぬいぐるみをポケットから揺らしながら、鈍行の電車に乗りこむ。桃輔の家は急行の停まらない駅だからだ。

「瀬名んちの最寄りってどこだっけ。同じ電車でよかったのか?」
「オレは学校の最寄りと同じっす」
「あ、そうなん? 家あの辺なんだ」
「ですね。徒歩圏内です」
「へえ、近いのいいな。てか、じゃあ急行でよかったんじゃん。乗る前に聞けばよかったな、ごめん」
「大丈夫っす。先輩ともっと一緒にいたいから、普通に一緒のに乗るつもりだったし」
「お前……恥ずかしいな」
「えー? あざす」
「全然褒めてないけど?」

 ドアの近くに立ちながら、周りの迷惑にならないようにと小声で会話する。そんなことすらいつもと違うなと感じ取って、逐一大事に思えるのは新鮮だ。

 妙なことを言う瀬名の腹にそっとパンチを当てれば、距離を詰められる。

「だって、恥ずかしいってことは意識してくれたってことっすよね」
「は……?」
「オレが先輩を“そういう意味”で好きだってこと、ちゃんと忘れないでいてくれてるんだなって」
「……うるせ」
「はは。ちなみに先輩はどこで降りるんですか?」
「俺はここからあと4駅のとこ」
「じゃあ先輩が降りるの先っすね」
「そうだな」

 そこからはお互いに、なにも話さなくなった。ただ電車に揺られて、夕焼けに染まりはじめる町を興味もないのに眺めて。

 そうしていると4駅なんてあっという間だった。じきに到着だと車内アナウンスが入る。

「瀬名、今日めっちゃ楽しかった。ありがとな」
「こちらこそです。また会えますか?」
「夏休み中に?」
「はい」
「バイトのシフト確認して、あとで連絡する」

 電車が停止し、ドアが開く。じゃあなと手を振ると、瀬名はまたあのしゅんと眉を下げた顔をする。帰ったらすぐに、連絡を入れよう。そう思ったのだが――

「やっぱ無理、今一緒にいたいです」
「へ……いやいや」
「だめっすか?」
「だめっすかってお前、電車行っちゃったじゃん!」

 ドアが閉まる寸前、瀬名はホームに降り立ってしまった。呆然とする桃輔をよそに、瀬名は平然とした顔をしている。

「モモ先輩の家、門限あります?」
「……いや、特にないけど」
「じゃあもうちょっとだけ。公園とかで喋るのどうっすか? あ、この辺にあります? 公園」
「…………」
「先輩?」
「ふ、あははっ! 瀬名ってほんと、面白え」
「えー、そんな笑うとこ?」

 まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。こみ上げてくる笑いをどうにか抑えたくても、なかなかうまくいかない。だってこんなヤツ初めてなのだ。自由奔放で、けれどまっすぐで。そんな根のいい人間に懐かれて、嫌なはずがなかった。胸の中が目映い光でいっぱいになっている。

 不服そうにくちびるを尖らせる瀬名の頭に、少しかかとをあげて手を乗せる。わしゃわしゃと犬にするように撫でると、瀬名はくすぐったそうに肩を竦めた。

「強引だよな、瀬名って。まあそんなの最初からだけど」
「う……すみません」
「嫌とは言ってないだろ」
「え」
「ほら、行くぞ。公園ならすぐそこにある」

 一緒の電車から降りた人たちは、すでに改札を抜けた頃だろう。周りに自分たち以外誰もおらず、夕焼けのホームに声がよく通る。

「なあ瀬名、負けたほうがジュース奢りでどうだ?」
「へ? 奢るのはいいっすけど、なんの勝負……」
「お先!」

 ニヤリと笑ってみせてから、一気に走り出した。気分が高揚しているのだと、自分でよく分かる。

「あ、先輩ずりい! 待って!」
「待たなーい! 公園がゴールな!」

 ふたりして競うように改札を出て、公園へ入った。遊具で遊ぶ子どもたちの姿はひとりもない。

「はあっ、俺の勝ち、だな」
「くっそ……色々ずるい気がするんすけど」
「まあそれはそう」

 勝負はタッチの差で桃輔の勝ち。だがそれも無理はない。先に走り出したのはもちろん、公園の場所を瀬名は知らないのだから。桃輔の後をついてくるしかなかった。

 息を整える瀬名を横目に、公園内の自動販売機に小銭を入れる。瀬名はさっきコーヒーを飲んでいたが、走った後だからと水を2本購入した。

「はい、水」
「え。負けたのオレっすよ」
「いいんだよ、走って楽しかったし。これ、いっぱいもらったし。お礼」
「ええ、そんなんよかったのに……いいんすか?」
「うん。なあ、あそこのベンチ座ろ」
「あざす、じゃあいただきます」

 ベンチに腰を下ろして、お互い無言でペットボトルを呷る。ふと隣を見ると、溢れてしまった水が瀬名の顎を通って喉仏を濡らしていた。「先輩?」と首を傾げられて初めて、見入ってしまっていたことに気づいた。

「どうかしました?」
「いや、なんでもない」
「そうっすか?」
「うん、全っ然なんでもない」
「はは、なんでムキになってんすか」

 やましいことなんてひとつもないはずなのに、なぜこんなに動揺してしまうのだろう。まさか……と考え始めたところで首を横に振る。

 いやいや、ない。ただぼんやり見つめてしまっただけで、見惚れたわけでは決してない。瀬名のことは確かに好ましく思っている。だがそれは、ただただ後輩としてだ。瀬名が言うところの“そういう意味で好き”なわけではない。

 瀬名の想いをちゃんと、桜輔へと返す。その使命を忘れてなんかいない。

「先輩はよくこの公園来るんすか?」
「……え? あー、ここ? いや全然だな。学校の近くの公園は帰りに寄ったりとかたまにするけど」

 必死に決意を再確認していたから、返事に間が空いてしまった。気を取り直すように座り直し、一旦蓋をしたペットボトルを手の中で踊らせる。

「……へえ、友だちと?」
「いや、ひとりの時だな。あ、前に話したただろ、キジトラの猫がいたって。あれも同じ公園」
「……そうっすね」
「ん? そうっすね、って?」
「あー、いや……確かにそれ聞いたなって思い出して」
「なるほど」
「モモ先輩」
「んー?」

 名前を呼ばれて隣に顔を向けると、ベンチの上に空いていたすき間を瀬名が詰めて少し詰めた。思わず息を飲んだ桃輔の瞳を、背を屈めて覗きこんでくる。

「モモ先輩」
「……なんだよ」
「手、繋ぎたい」
「は……いやなんでだよ」
「繋ぎたいから」
「そのまんまじゃん」
「ダメ?」
「瀬名……その顔は反則だからやめろ。許したくなる」
「先輩、気をつけたほうがいいっすよ。じゃないと、オレみたいのにつけこまれる」
「お前がそれ言ってどうすんだよ……あっ」
「嫌なら言ってください、すぐやめます」

 いいよ、なんて言っていないのに、ベンチについていた手に瀬名の手が重なった。ぴくんと跳ねてできたすき間に、指先が滑りこんでくる。驚く暇もなく、あっという間に手は繋がれてしまった。ジトリとした目を向けると、へへ、と気の抜けたような緩んだ顔で瀬名は笑った。

「はあ……もう好きにしろ」
「嫌じゃない、ってことでいいっすか?」
「まあ、初めてじゃないしな」
「それは確かに」
「手繋ぐくらい、別にどうってことないし」
「……ふうん? じゃあ」
「…………?」

 ふたりの間にあった繋がれた手を、瀬名が不意に持ち上げた。なにかと首を傾げたのも束の間、あとほんの少し空いていたすき間すら瀬名は詰めてきた。もう数センチしか残っていなくて、体がくっつきそうなくらいだ。持ち上げられた手が、瀬名の足の上に乗せられる。

「モモ先輩」
「…………」

 呼ばれた名前に引っ張り上げられると、すぐ目の前に瀬名の顔。こんなに近くで見たことがあったっけ。呼吸ひとつにすら緊張していると、瀬名の額が桃輔のそれにやさしくぶつかった。

「ちょ、瀬名……」
「キスは? いい?」
「っ、は!?」
「キスするのも、どうってことない?」
「……いやある、すげーどうってことある」
「じゃあ、しちゃダメ?」
「ダメに決まってんだろ……」
「どうしても?」

 縋るような声色でせがみながら、瀬名が額を擦りつけてくる。甘えられているみたいで、胸が妙にくすぐったい。気合を入れないと、うっかり流されてしまいそうだ。

「ん、ダメ」
「えー……ほっぺも?」
「……ダメだろ」
「減るもんじゃないのに……」

 確かに瀬名の言うことは一理あるのかもしれない。正直なところ、それくらいならいいかもと思ってしまう自分だっている。受け入れてしまいたい。そのほうが頑なに拒むより圧倒的に楽だ。

 だが、だからこそだと桃輔は思う。大事にしたい、瀬名の心を。そう願うなら、受け入れないことが正解だ。

「減るもんじゃないから、じゃね?」
「…………? どういう意味っすか?」
「ずっと残るだろ、その、こういう思い出って。大事じゃん、初めては尚更。だから、ダメ」
「先輩……」

 瀬名の瞳をまっすぐに見て言うと、瀬名が肩に崩れ落ちてきた。慌ててその背中に手を添えると、もう片手は瀬名の手に握りこまれてしまった。

「瀬名? どうした?」
「今、また先輩のこと好きになりました」
「……は?」
「めっちゃかっこよかった」
「はあ? 今ののどこが」
「ぱっと見はちょっとヤンキーっぽいのに、そういうの大事にするところ」
「……うっせ」
「あ、照れてます?」

 肩に頭を乗せたまま、こちらを見上げてくる。迫ってみたと思ったら甘えたり、匙加減が絶妙だ。

「バカ、こっち見んな」
「へへ、見ますー。あ、一個気になったんすけど」
「ん?」
「さっき初めてって言ってましたけど、もしかしてファーストキスまだですか?」
「あ、お前そういうのバカにするタイプ?」
「バカになんてしてないっすよ! むしろ嬉しいっす。大事にしててくれてよかったなって」
「……別にお前にやるとは言ってない」
「そんなこと言わないでください……他のヤツがって考えただけでしんどい」
「はは、瀬名ってほんと面白ぇな」

 背中をトントンとたたくと、どさくさに紛れてぎゅっと抱きしめられてしまった。

「ちょ、瀬名! はは、苦しいって」
「えー、そんなに強くしてないっすよ」
「お前なあ。ったく」

 これは戯れのハグだろうか。楽しそうな瀬名の空気がそう思わせる。だからいいよなと自分に言い聞かせて、桃輔も「はいはい」なんて言いながら抱きしめ返した。