私は生きている。正確には死んだように生きている。私、畑中鈴《はたなかすず》、三十二歳は一年前に離婚した。もう結婚はこりごりだ。
 ずっと離婚したくて協議に持ち込まれて、それでもなかなかできなかった。よく離婚成立の瞬間「やったー! やっと解放された」なんていう状態になるかと聞かれるけど大間違いだ。

 精も根も尽き果てた、そんな状態だった。
 そしてようやく日常生活を取り戻した。子どもがいなくてよかった。子どもがいたら離婚していないかもしれない。

 悪いのは向こう、切り出したのは私。だけどそれはこちら側の意見で、向こうにも言い分があった。私は月に一度必ず体調が悪くなり、その度に朝には起きず弁当は作らない。そのくせ仕事には行く、帰ってくるとまたお腹が痛いとベッドにもぐり、机の上にお弁当が置いてある、ここが許せないポイントだったようだ。

 私はといえば、他の女性と体の関係を持ったこと、それが継続的に行われていたこと、生活費を当初の予定より入れるのが少なくなってきたこと、それを問いただすと口論おなり、最終的には殴られたこと。

 どっちにも非があるとしてもそれは程度の問題で、もちろん私に慰謝料を払うことで離婚は成立した。

 
 それから一年、死んだように生きていた私にほんとうの生を与えてくれた人が現れた。
 

 それはアイドルグループHOPETOYSのキョウくんだ。私の人生、アイドルにハマったことは一度もなかった。そりゃ流行りの音楽を聞くことがあったり、友達とカラオケで盛り上がることがあったり、そういうのはあったんだけど推しというものに出会ったことがなかった。それなのに突然、しかも年下のキョウくんに心奪われた。

 実際、推しがいる生活は、私の屍のような日々を一変させた。日に焼けることをなにより嫌がっていた私が、灼熱の太陽の赤が肌を焦がすことすら楽しくなった。キョウくんのパフォーマンスが見られるならそんな赤が希望の赤に見えてくる。

 朝いちばんに起きて太陽が出ていることを確認する。この赤はキョウくんの赤だ。リップも小物もなるべく赤を買うようになった。お菓子ですらなんとなく選ぶものはいつだって赤い方を選ぶんだ。

 好きになって初めてのライブ、高倍率のプレミアムチケット、私は奇跡的にチケットを取ることができた。私は嬉しくて舞い踊った。
 ワンルームのマンションの部屋の中、三十過ぎた女がスマホ片手に踊る、傍から見たらどれだけ滑稽だろう。

 だけど、ひとつ困ったことがある。私はわけもわからずチケットを取ったものだからこのチケットは二枚綴りなことに気づいた。どうりで少し高い気がしたわけだ。

 昨今の値上げ続きで値段が高いものにあまり違和感を抱かなくなってきていた。特に推し事となると値段を気にしないところがある。気をつけなければいけない。

 さて、この余ったチケットの一枚を譲るべくSNSを開いた。中には五倍、六倍の値段で転売している人がいる。こんなのファンじゃない。「定価だと言われて買ったら詐欺で逃げられました」なんて人もいた。

 私は少し戸惑った。これだけの人の中からほんとうにHOPETOYSのことが好きでHOPETOYSに会いたい人が見つかるんだろうか?

 私は迷いながらも投稿をした。

『今度のHOPETOYSの東京公演土曜日夜の部二枚取れたので一枚お譲りします。私の隣の席になります。私はキョウくんファンの三十代、女です。ファン歴は一年くらいです。一緒に楽しめる方、ご連絡ください、金額は定価と手数料です』

 反響はすごかった。
 一気に拡散されていき、正直少し怖くなった。

 ――ほしいです。私は十三才のハルヒくんのファンです。キョウくんがきたら一緒にアピールします。
 ――是非お願いします、私は病気でしてこれが最後のライブになる可能性があるため絶対に今回行きたいんです!
 ――定価なわけない、詐欺だろ?笑
 ――子どもがどうしても行きたいと言っておりますので二枚お譲りください
 ――なんで一人なのに二枚取るの?転売目的?
 ――ください
 ――ほしい
 ――席どこですか?
 ――DMでお話聞かせてください
 ――五十代、男、同じキョウくんのファンです。同推しはダメかな?
 ――初めましてこんにちは!こちら四万まで出せます。ご検討お願いします。マナー違反一切いたしません。

 それはもうさまざまな人がいた。
 もう何がなにやら分からない状態だった。