空の色に見える雪。その謎が解けたのは、高校生になった時だった。
 ある日、ネットで記事を見つけた。「雪の中が青く見えるのは」というタイトルを見つけて、自然と文章を目で追っていた。
 雪が白く見えるのは、可視光線のためだという。赤、緑、青。全ての色が混ざりあうと人の目に映るのは白だ。雪が白く見えるのは、乱反射した赤、緑、青が混ざっているから。雪を掘った先が青く見えるのは、波長の長い赤を雪が吸収したために、波長の短い青が残り青色に見えるという。この時、赤の波長が長くて青の波長が短いというのも初めて知った。祖母が話していた空色の謎が解けた日だった。
 このことを知った時、学年やクラスで仲がいいと言えば麗華しかいなくて。同じクラスにいる同級生とは挨拶程度の仲だった。もちろん、松下空とだって、まともに口をきいたこともなかった。けれど、雑草とコンクリートを踏みつけて、膝を怪我したあの時から。雪の青色を考えるようになった。松下空のことを、考えるようになっていた。
 空という名前。もしかしたら松下は、雪の中から生まれてきたのかもしれない。松下の両親が、高く積もった雪を一生懸命に掘り。その先に見えた青い色に向かって必死に進み。辿り着いた先の優しい空色をしっかりと抱き締めた。それが松下空だ。
 ファンタジーな空想は、誰に話すこともないけれど。私の中で松下空は、雪の中にいる優しい空色になっていった。
 松下を見ていると、家族にとても愛されているような気がした。過保護というのとは少し違う。けれど、家族というものの大切さを理解し、育てられてきたように思えた。
 国語の授業は、とてもつまらない。沼田の話す声はお経みたいだ。授業は単調で面白みもなく、睡眠を誘発するに十分な威力を持っていた。
うつらうつらする中、黒板に増えていくチョークの文字を目で追った。板書は嫌いじゃない。寧ろ、文字を書くことは好きな方だ。授業の内容どうこうはおいといて。黒板に書かれた文字をどれだけ綺麗にノートへと写し書くかが趣味のようになっていた。眠気を吹き飛ばすために、沼田が書く汚い字を一文字一文字、丁寧にノートへと書き写すことで、なんとか眠気に勝つことができた。
 沼田は、よく授業を脱線させる。自分のうんちくを語りたいのだろうけれど、誰も聞いてはいない。今日も季節的なことを持ち出し、急に青木昆陽(あおきこんよう)なんて人物について話し始めた。当然、誰も聞いていない。青木昆陽はサツマイモの栽培や普及に貢献したらしい。歴史の授業でもないのに江戸時代の儒学者のことを話されたって、興味など沸くわけもない。と言うか、歴史の授業だったとしても、サツマイモにさえ興味がないのだからスルーのはずだった。だけど、青木昆陽の「青」に興味は一点集中し。そこからの連想はダイレクトに「空」へと繋がっていった。とても単純な思考だ。
「空」黒板にない文字を、初めてノートに書いた。「空」「空」「空」三つ空をかいたところで、松下空と書きそうになる手を慌てて止めた。誰に見られるかわからないのだから、さすがに固有名詞を書くのは憚られる。心臓が少しだけ騒がしくなる。それでも書く手は止まらず、まるで次のテストに必ず出る問題みたいに「空」という字を書いた。ノートに書いた「空」を何度も目で追い、人差し指でなぞっていたらチャイムが鳴った。沼田の授業が終わった。
「なにそれ」
 ノートを閉じる前に現れた麗華が、いっぱいに書かれた「空」を見て訊ねた。祖母から聞いた雪の話を口にしようとすると、斜め前にいる松下空と目があって私の動きが止まる。
「ああ」
 麗華が、したり顔で私と松下を交互に見た。
「ちがうよっ」
 慌てた口から飛び出た言葉に、麗華はニヤニヤする。
 違うのに……。
 否定してみたけれど、本当に違うのかどうか自分でも疑問だった。自分のことなのに、よくわからない。松下のことを気になり始めているのはホントだけれど、麗華が思っているようなことなのかどうなのかはわからない。だから、違うようで、そうではないようで、どちらなのだろう。
「松下って、グレーっぽいイメージじゃない?」
 ノートの「空」から色を連想したのか、麗華は松下を見たまま言う。私は開いていたノートをそっと閉じ、大切なものを扱うように机の引き出しに入れた。
「グレーって、曖昧な感じがするでしょ。松下って無駄にでかくて、いつもぬぼーっとしてて、何を考えているのか解らないところあるし」
 麗華が話した松下のイメージは、確かにそうなのだろう。バスケのシュートを華麗に決めても、運動部の誘いは一切断り続けているし。授業中の背中を見ていても、ノートをとっている感じもないし、先生の話を聞いている風もない。なのに、この間のテストでは五本の指に入っていた。信じられない。そもそもの頭の造りが違うのだろうか。松下は、同中だったという池田正人とよく一緒にいる。この二人はとても仲がよさそうだ。それ以外は決まってはいないけれど、いつも誰かしらがそばにいて楽しそうにしていた。松下は声を上げて笑うことがない。口の端を上げて笑みを作る程度で、高らかに声を上げ、ふざけ合ってはしゃぐなんてことがない。なんて言うのだろう。幼い子が急いで大人になったみたいな雰囲気だ。そうすることで、自分の居場所を確保しているような、そんな切ない雰囲気を持っている。
 麗華はグレーというけれど、私の中ではやっぱり空色だ。雪の中から探しだされ、大切に抱き締め育てられた印象だ。
「ほんと、いつもぼんやりしてるよね。無駄に背が高いから目立つのに、見るとぼやっとしてるからこっちの気が抜ける。あんなんだから真白にぶつかるんだよ」
 麗華は、松下が私とぶつかり怪我したことを未だに根に持っているのか、言葉がとても辛らつだ。ただこうやってきついこと口にしていても、実際のところ根っこの部分はとても優しい。いつだって相手のことを考えながら行動するのが麗華だ。
 さっきまで松下がいた場所へ視線を向けたら、知らぬ間に窓辺へと移動していた。眩しそうな顔をしてグラウンドの向こうを見ている。池田は自席に戻り、そんな松下の姿を眺めていた。
 松下は、フェンスで区切られた向こう側に何があるのか探るみたいに目を細めている。その向こうにある何かへ近づこうと、目を凝らして見ているみたいだった。その姿は、麗華からぼんやりしていると嘆息されている松下ではなかった。吸い込まれるように真っすぐで真剣で必死だった。その目の中に、私も映り込みたい。松下が近づきたいと思うそこへ、私も行ってみたい。松下空が見つめる先にある何かを、私も知りたい。