麗華は、その名前のようにとても綺麗な容姿をしていた。手足はすらりと長くて、頭もお尻も鼻の穴も小さい。なのに、胸と目は大きくて。見つめられてしまったらドキドキとして、これは恋? なんて勘違いしてしまいそうだ。藤原先生のような大人の雰囲気はないけれど、お嬢様学校に通っていますと言い切っても嘘には聞こえない容姿をしている。実際に通っているのは、私と同じありふれた公立高校だけれど。
「麗華って、どうしてそんなに綺麗なの」
 ある時あまりに率直過ぎる質問をしたら、麗華は豪快に笑った。何の躊躇いもなく訊いてくる人は、今までいなかったらしい。きっと、幼い頃から容姿について色々と言われてきたのだろう。綺麗な容姿をしていることは憧れの的になるのと同時に、嫉妬の対象にもなりやすい。こそこそと、陰で意地の悪いことを言う人たちがいたのかもしれない。
「真白だって可愛いじゃん。私、真白の色が白いところとか、ほっぺのぷにぷにしているところ好きだよ。あと髪の毛。サラサラで羨ましい」
 麗華は、肩先で揺れる私の髪の毛に触れて笑みを見せる。麗華に褒められると自信を持つことができる。
 麗華は小学校三年生の時にこの町に越して来て、母親と二人で暮らしていた。母親は「アヤメ」というスナックで生計を立てている。麗華の話だと、母親と別れた旦那。麗華の父親は、手に負えないほどの暴力をふるう。所謂、DVというやつだったらしい。その上甲斐性もなく、生活にとても困っていた。麗華のママは、暴力におびえ身体に生傷を作り、必死に麗華のことだけは守ろうとしてくれた。それでも、女の力などたかが知れているから、麗華自身も何度も暴力を受けたと話していた。麗華のママは麗華を抱え、どうにかその地獄から抜け出そうと努力した。旦那に隠れて抜け出す方法を模索し、殺される前に慰謝料を取れるだけ取って逃げるように別れた。弁護士を間に挟んで、二度と二人に近づかないようにという誓約書も交わしたとか。麗華の母親は暴力旦那の実家の貯えから慰謝料を手にし、この町に越してスナックを始め。以来、麗華は父親と一度も会っていないという。
「もしも会いに来たらどうする?」
 訊ねると、麗華は一瞬だけ宙を見るようにして目を鋭くさせ、何か面白い話でもするみたいに口角を上げた。
「会いに来たら殺すよ」
 美人で整った顔で笑いながら放った言葉は、少しも冗談には聞こえない狂気の鋭さがあった。麗華の中で父親という存在は、血のつながりよりも、母親と自分を貶めた相手でしかなく、殺すに値するほどの人物なのだ。
「私ね、いつもナイフを持ち歩いてるんだ」
 麗華は小さな緑色のポーチを見せた。落ち着いた緑色は、例えるなら、太陽の光が細い線で降り注ぐ森の中にいるみたいな色だった。安らぎをイメージするような緑色のポーチとは対照的に、中に潜んでいるだろう鋭利なナイフはとても異質だ。ナイフを持ち歩く麗華に対して怖いと思うよりも。今の自分たちを壊すものなど絶対に許さないという強い信念みたいなものを感じた。麗華が守ろうとしている母親への愛が見えた。
 殺すと冗談のように言う麗華を見ながら強く願った。どうかその父親が麗華に会いに来ませんように。この町に現れませんように。大切な友達が殺人者になんて、鳴りませんように。
 麗華の母親も、とても綺麗な人だ。面長の輪郭に二重の瞳。花のような唇から漏れる言葉は、いらっしゃいという一言でさえうっとりさせる。麗華の家というか、スナックに顔を出すたび。麗華の母親の綺麗さに何度釘付けになったことか。DV旦那がどうして暴力を振るい始めたのかは知らないけれど。麗華の母親があまりに綺麗でうっとりしてしまうから、正気に戻ろうと努力したのかもしれない。だとしても、正気に戻るなら自分を痛めつけるべきだ。
 麗華の自宅は、スナックの二階にあった。スナックの裏に回ると外階段がり、上っていくと玄関ドアがある。麗華は夜ご飯の時、スナックの隅で客と一緒に食事を摂っていた。私も何度かご馳走になったことがある。麗華の母親が作る焼うどんや焼きそばは、とても美味しいのだ。どちらも麺類というのが面白い。
 アヤメに来る客は、どういうわけか殆どが礼儀正しいおじさま風情が多かった。スナックと聞けば、顔が脂ぎりテカテカさせたおっさん連中ばかりを想像してしまうが、アヤメの客は違った。まるで、テレビで見るようなおしゃれなバーにでもやって来ているみたいに、落ち着いていて紳士な客が多い。中には、場違い的に一見さんでやって来る客もいるけど。そういう客の二度目の来店はない。それが何故なのか、大人の事情と笑う麗華の母親の表情に、少し怖いような不思議な納得感を得る。麗華に言わせれば、権力者が客の中にいるという。その権力者とかいう人が、どんな手を使っているのか聞くのは恐ろしいので訊ねたことはない。
 渡り廊下を出た先にあるベンチに座った。仕事をし始めた太陽の光が燦々と降り注ぐ。まだ午前中だというのに、既に暑さが増していた。さっきまでと違い、一生懸命に働き過ぎだ。
「真白」
 不意に呼ばれて首を巡らせると、陽射しを受けた麗華がいた。太陽が眩しいのか、麗華自身の存在が眩しいのか解らない。目を細めて笑みを返す。
「こんなところにいたの?」
 サクサクと土や雑草を踏みしめて麗華が隣に腰掛けた。今日もとても整っていて綺麗だ。麗華の顔に見惚れていたら、膝を見て痛い? って訊ねるから頷いた。
「松下が怪我させたって、担任の沢山に報告してるの聞いて心配したよ」
「ぼんやりしてたら転んじゃった」
「転んだんじゃないでしょ。松下に押されて転ばされた。でしょ」
 力強く口にされると、なんだかちょっとだけ喉の奥の方がキリリと傷んだ。
「私がぼんやりしてたせいだから」
「それは松下の方だよ。あいつ、次に真白を怪我させたら、絶対に許さない」
 拳を握る姿は顔に似合わず正義感に満ちていて、護られてるなぁってあったかい気持ちになる。麗華の真っ直ぐで正直なところが好きだ。
「ねぇ。今日買い物へ行く予定だったけど。どうする?」
 今日は土曜で、授業は午前だけで終わりだ。明日は学校も休みだから、麗華と二人で少し羽目を外しに行く予定だった。けれど、この足では電車に乗って渋谷まで出るだけでもキツい。
「ごめん」
「いいよ。真白のせいじゃないんだし。私、送っていこうか。あ、それとも早退しようとしてた?」
 麗華に言われるまで、早退なんて考えてもみなかった。さっきの授業にも出なかったし、鞄は手元にあるし。このまま帰るのもありかな。私に雑草のような根性はない。
「今日は帰るよ」
 担任の沢山には報告しておくからと、麗華が校門まで肩を貸してくれた。バイバイって麗華に向かって手を振る時に、松下が二階にある教室の窓辺にいることに気が付いた。松下の視線は、はるか遠くを見ているようだった。