「ネコを飼いましょう」

その一言から、全ては始まった。



とある住宅街から外れた一軒家に、三人の女性が集まり、かれこれ半年の間シェアハウスしている。
メンバーは、

①比嘉 まさ美(30歳)
仕事:調剤薬局の事務
趣味:引きこもり

②華原 モエナ(23歳)
仕事:美容学校の専門学生
趣味:美容オタク

③五十嵐 朋子(45歳)
仕事:医薬品メーカーの営業
趣味:猫を吸う

の三人で、職種は多種多様――にも関わらず、たまたま休日が一緒になった今日(こんじつ)。最年長の朋子から、大々的な提案がなされた。

「ネコを飼いましょう」

現在、朝の九時。
各々が気怠い体を起こし、部屋から這い出た時間。
〝自身の提案に必ず許可をもらうべく〟、〝あまり脳が覚醒しきっていないこの瞬間〟を、朋子は狙った。
しかし二人のシェアハウスメンバーは、一筋縄ではいかないらしい。

「ネコを飼いたいって、本気なんですか?」
薬局事務員・黒髪ボブのまさ美は、全員分のトーストを焼く準備をしながら眉間にシワを寄せる。「信じられない」の顔だ。

「一番家にいない人がソレ言っちゃうって、ヤバ」
学生・茶髪ロングのモエナはあざ笑うように、片方の口角を上げる。彼女が手にしているのはスマホ。いつか朋子が「スマホの見過ぎよ」と注意したが「ニュース見てるんで」と返された。
もちろんモエナのウソである。
騙されたことを根に持っている朋子は「話を聞く時間」と、モエナのスマホを容赦なくスリープする。

「あー、ちょっとー。今日の美容トレンドを検索してたのに」
「美容は一日にしてならず。急に降って湧いたトレンドが、世の女性を美しくすると思ってるの?」
「ソレって、朋さんにブーメランじゃなーい?」
「ゔ……」

黒髪ショート・朋子は医薬品メーカーで働く営業部。医薬品と言えば、病院や薬局に薬を売る事で有名だが、朋子の会社は美容にも精通している。美容液から始まりサプリに至るまで、幅広い品ぞろえを誇っている。

そんな朋子の会社の商品を使い、効果の程を宣伝しているのがモエナだ。モエナはいわゆる「契約」をしていて、朋子の会社の新商品を試しては感想を述べる動画を、定期的にアップしている。

「この前の新商品も悪くなかったけどさぁ〝三日間で変わる!〟はさすがに誇大広告だよ。モエナが実感したのは、四日目の朝かな」
「それは三日間の範疇じゃないの?」
「四日目の朝からデートが入ってる子の美容は、どうでもいいの?その日のために気合いを入れる子が、少しでも時短でキレイになろうとする気持ちを無下にするんだ?」
「ぐぅ……」

ザ・正論。
〝三日間で変わる!〟のキャッチコピーにした理由は「急いでキレイになりたい女の人へ」とターゲットを絞った上での事だ。本末転倒な発言をしてしまい、朋子は唸りながら自戒する。

「一応確認なんだけど、四日目で効果が出たとか、動画の中で……」
「言うわけないじゃん。それに、まだアップしてないし」
「良かった。急いで改良するから、そのままアップしないでちょうだい」

スマホのロックを解除しながら「っていうか朋さんも動画確認したじゃん」と三日前のことを言われ、朋子は急いで記憶を呼び覚ます。

「それにしても、なんでネコを飼うんですか?だって朋子さん、休みの日はいつもネコカフェに行ってるじゃないですか」
「そんで、すっからかんで帰ってくるんだよねー」

まさ美とモエナの発言後、トーストが焼きあがる音が室内に響く。それと同時に、秋めいた温度を中和するように、トーストの湯気が空間に充満した。

香ばしく、それでいて甘い匂い。
力の入った頭が弛緩していく感覚。

心地いい空間に、朋子は思わずほっこりした。だが、熱々のトーストに触れた瞬間――目が覚め、現実にもどる。

「だから、それよ。それ」
机上にバターが出ていないことに気付き、冷蔵庫に向かいながら朋子は反論。

「お金がね、いくらあっても足りないのよ。そして時間もないの」
長方形のバターをポンとテーブルに置いた後。ケトルの湯が沸いたので、慣れた手つきで傾ける。

お湯が目指す先は、コップの底にある、眠気が覚める茶色の粉だ。

途中、コップの水面がハネて、黒い点がキッチン台を汚した。ちょうど通りがかったまさ美が、黒いシミを見て固まる。「ゲ」の顔をしたのは、朋子。まさ美の「とある性格」を知っているからだ。

「あーあ、一番見られたくない人に見られちゃった」
「いいから。早く拭いてください。落ちなくなります」
「はいはーい」

キレイに拭き終えたのを見届け、まさ美は何事もなかったように席へ戻る。その背中に、朋子のため息がぶつかった。

「そのキレイ好き、なんとかならないの?」
「性分なので」
「キレイ好きなのに、よくシェアハウスに住もうと思ったわね……」
「どうかーん」

二人の攻撃も意に介さないまさ美は、「そんな事より」と、右手でバターナイフを握る。

「ネコちゃんの話はどうなったんですか?」
「あぁ、そうそう。だから、ネコちゃんに会いに行くためのお金と時間を時短すべく、いっそ家にお招きしようって話よ」

朋子が言い終わると、「あ~」と二人。
理由は分かった。だけど賛同しかねる――という声色だ。

「さっきも言ったけど、朋さんが一番家にいないじゃん」
「ネコ買うにも、お金と時間がかかるって知ってます?」

コーヒーカップ片手に、朋子も椅子に座る。短い髪は既にキレイに整えられており、化粧もバッチリだ。全ては新しい同居人・ネコちゃんをお迎えに行くため――といっても、雲行きは怪しさを増すばかり。負けじと朋子も反論する。

「生き物を飼うんだもの。お金と時間がかかるのは、もちろん知ってるわ。だから今日から、一つの命を大事に育んでいきましょうって話よね?」
「いえ、まだその段階じゃないです」
「メンバーの許可取ってくだサーイ」

二人の思わぬ反応に、朋子は唸る。ネコを飼いたい理由には納得してくれたのに、どうしてこうも拒否されるのか。

「まさ美はキレイ好きだから、ネコが嫌なの?」
「キレイ好きうんぬんかんぬんの前に、私ミニマリストなんです」

「……それが?」
「もし災害が起きて、どこかへ避難するってなった時。自分の荷物だけで手いっぱいじゃないですか?」

「んん?」予期せぬ話題に、朋子は唸る。

「そこにプラスしてネコとネコの荷物までなんて、無理です。もし避難所にネコを連れていけなかったらどうするんですか?荷が重すぎます」
「荷物が重くて避難できなかったら元も子もないしね。あ、それで荷が重すぎるって?まさ美さん、ウマー」

突如、モエナのスマホから音が流れる。「広告ウザ」と舌打ちしたマイペースな最年少メンバーを見て、朋子はため息を吐く。

「まさ美が重度の心配性って知ってたけど、想像以上だわ」
「むしろ想像してくださいよ。命が増えるのが、どういう事かを。時間よりもお金よりも、必要なのは覚悟ですよ」

バターをトーストに塗るまさ美。決まった角度でナイフが滑り、均等に塗られていく。淡々とした動きだけど、つい見入ってしまう。一切の無駄がなく、更には余白もなく。トーストが服を着るように色を変えていくのは、見ていて飽きない。

「まさ美って、端までしっかりバターを塗るわよね」
「味がないところが嫌いなんです」

「私は冷める方が嫌だから適当にバター落として、すぐ食べちゃうのよね」
「あれ、本当に意味がわからないでふ」

サクッとトーストを頬張りながら、まさ美。

「朋子さんって、バターを〝塗る〟んじゃなくて〝置いて〟ますよね?ただ、そこに、置くだけですよね?真ん中にポトンって」
「それが?」

「バターのついてる部分が少な過ぎませんか?」
「トーストが熱いから、自然に溶けていくのよ。私はシーソーみたいに、ゆらゆら動かしてればいいんだから楽なもんでしょ?」

「っつっても朋さん、いつも溶け切る前に完食じゃん。トーストの真ん中の方で、いっつもバター噛んでるじゃん」
「あらモエちゃん、知らないの?固まったバターって美味しいのよ?」

どやさ、と口角を上げるも、二人は頭を横に振る。

「バターは溶けてなんぼです」
「歯につくし、嫌いー」

意に反して、二人は首を横に振った。

「……もう」

今日は否定されてばかりの朋子の眉が、ついに不機嫌に跳ね上がる。

「っていうか、そもそもですよ。そもそも」

その時、トーストを半分ほど食べたまさ美が、バターの油で艶めく唇を動かした。