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 額に当たる熱に痛みを覚え、目が覚めた。
 そっと瞼を開けると、窓の外はすっかり明るくなっていて、秋の終わりにしては鋭い太陽光が部屋まで入り込んでいた。
 いつのまに眠っていたんだろう。ここ最近は気がつくと寝落ちしている。といっても原因はわかりきっていて、ろくに睡眠をとっていないからだ。今日も徹夜で、ソファに丸まったまま寝てしまったみたいだ。
 寝違えた首をさすりながら、部屋を見渡した。
 はじめての〝自分だけの城〟は、窓を開けていてもやさしい香りに包まれている。
 実家を出たのは大学一年生の夏だった。アルバイトをはじめた俺は、そのまま自立したくなって安アパートを探した。部屋探しで一番に条件をつけたのは、広さだった。
 駅から遠くてもかまわない。ユニットバスでもかまわない。築年数が古くても、街の治安が悪くてもかまわない。ただ、満足できるくらいの広さが欲しかった。
 小説を存分に所有できる、余裕のある広さが。
 今、俺の1Kの部屋には限界まで本棚が設置され、あらゆるジャンルの小説が並べられている。そこには、昔から読んでいた恋愛小説も、高校の部室に並べられていたような純文学たちも、あらゆるジャンルを網羅している。
 部屋には常に、本の香りがする。何度も通った、あの図書館と同じ匂いだ。
 まだ寝ぼけている頭を振り、目の前のテーブルに目を向けた。
 木製の古いローテーブルには、スマホと、大量の紙が散らばったままだ。
 そういえば昨夜、渉からメッセージが来ていたことを思い出す。

〈おーい、生きてるかー? 陽斗、土曜ってたしか授業取ってなかったよな。来週、うちで鍋パでもしねぇ?〉

 渉は毎年、秋になると適当な理由をつけて俺を誘う。それは、俺がなぜか(・・・)この時期になるとひどく落ち込むことを知っているからだろう。
 三年前の高校二年生の秋、俺は一週間ほど学校を休んだ。その間、渉は理由も聞かずに連絡をくれていたけれど、本当はその理由を時任さんに聞いたんじゃないかと思う。
 時任さんと一部の女子生徒だけは、桜庭の承諾を受けて、最期に会えていたから……。
 大学生になって渉はさらに忙しくなっただろうに、ずっと俺のことを気にかけてくれることが、うれしい。
 俺はひとりじゃない。……大切な人がいなくなっても、決してひとりではないのだと教えてくれる。
 だから、今年こそは話そうと思った。
 俺の秘密の、恋の話を。

〈うん。ありがとう。もしよかったら、時任さんも呼んでくれないかな。いろいろ話したいことがあるから、どうせなら、ふたりに聞いてもらいたくて〉

 そう返信をし、ソファに身を預けた。
 窓際に寄せたこの席は、奇しくも図書館のVIP席のように、座ったまま真っ青な空を見上げることができる。
 ——静かだ。
 休日の自室はあまりに静かで、まだ夢の中にでもいるようだった。
 三年前のあの時期は、いつも騒々しかった気がする。心の中は喜びや悲しみで二転三転し、人生の中で、一番感情が揺れ動いていた日々だった。
 月日が流れ、いい意味でも悪い意味でも、俺の心はようやく落ち着きを取り戻していた。
 自分の気持ちと向き合うことができていた。

「……彩葉。ようやく……書き終わったよ」

 テーブルの上の紙を手に取り、ぼんやりとつぶやいた。
 〈どうか、浅見くんの好きなラストを書いてください〉——彩葉に小説を託された日から、俺はずっとそのことだけを考えていた。
 高校生三年生になって、本格的に受験勉強をはじめたときも。第一志望の大学の受験の日も。課題に追われ、四苦八苦していた大学一年生のときも。いつだって小説のことが頭から離れなかった。
 思うことはいろいろあったけれど、ずっと考えていたのは、彩葉の言う〝ラストシーンまで書き終わらなかった〟という意味だ。
 読む限り、彩葉の書いた小説はちゃんと完結していた。知らずに誰かがこの小説を読んだとしても、未完成という印象は抱かないだろう。ただただ切ない、でもどこか勇気をもらえる、美しい小説だった。
 でも、それでもなにかが足りないと言うのなら、それはヒーロー役——〝浅見陽斗〟視点の、エピローグなのかもしれない。
 浅見陽斗は、彼女を亡くしたあとどう生きたのか。
 なにを思い、どう考え、どんな選択をしたのか……。