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 入館証を受付に返し、病院の外へ出た。
 大きく息を吐き、空を見上げると、世界は夕焼け色に染まっていた。
 敷地内は木々が多く、いくつもの命が芽吹いている。その一方で、院内には今にも消え入りそうな命が横たわっていて、燃え尽きた順に静かに眠りについていく。なんて皮肉なのだろう、と思う。
 そばにいたかった。
 俺に恋を教えてくれた、彼女の笑顔をずっと見ていたかった。
 でも、それももう叶わない。桜庭は嘘をついている——そう思っていても、桜庭の〝そうしたい〟という意思を否定することはできなかった。
 桜庭ははじめから、俺のことなんて好きじゃなかった。
 ただ、恋をしたいだけだった。
 その嘘を受け止め、俺は、桜庭から離れる。明確に打たれたピリオドを、甘んじて受け入れる。
 桜庭があんなことを言ったのはきっと、俺が傷つくのを少しでも和らげるためだ。
 それが彼女の望みなら、俺は、その通りにするしか……。

「陽斗、くん?」

 声をかけられ前方を向くと、冴子さんがこちらへ歩いてくる姿が見えた。
 冴子さんは桜庭の母親だ。お見舞いに行くうちに話すようになった。ただ、あまり気を遣わせたくないから、冴子さんがいる時間は長居はしなかったけれど。
 冴子さんは疲弊している。この距離でもやつれた表情をしているのがわかる。こけた頬に、目の下のクマに、疲れが表れている。
 それでも、娘の友人に笑顔を見せようとしてくれる冴子さんは、すてきな母親だ。

「帰るの? 今日は、あの子と話せた?」
「はい。ちょうど起きてくれて……。……また、寝ちゃいましたけど」
「あぁよかったわ。彩葉ったら、昔から眠がりだから」

 〝昔から〟という言葉に反応したのか、冴子さんがうっすらと涙ぐむ。自分の言葉の欠片に反応してしまうほど、憔悴している。
 桜庭がいなくなったら、冴子さんはどうやって生きていくのだろう。
 桜庭がいなくなったら、俺は、どうやって生きていけばいいのだろう。
 今は、なにも考えられなかった。いや、意図的に考えることを拒んでいた。
 冴子さんが目の前までやってくる。
 桜庭に似た、柔らかな笑顔がそこにあった。

「でも、もう無理はしないでいいからね」

 無理、の意味を考える。
 おそらくお見舞いのことを言っているのだろう。俺は桜庭が入院してからずっと病院に通っていた。
 疲れなんかよりも、早く桜庭と話したいがための行動だった。

「あ、いえ……。無理なんて、してないです。桜庭さんと話せるのは俺もうれしいので……」
「でも、もう少ししたら退院なのよ。あなたまで毎日通ってたら倒れちゃうわ。それに彩葉は、もうあの小説を書き終えたんでしょう?」

 ——え?