北千住駅で降り、河川敷へと向かった。
 栄えている駅前を通り過ぎ、高架下を進んでいくと、すぐに落ち着いた街並みが現れる。緑の土手に行き着き、階段を上ると視界が開けて大きな水の流れが見えた。

「川だぁ!」

 桜庭が花火そっちのけで、川のほとりへと走っていく。海から遠い街に住む俺たちは、水の気配を感じるだけでも心が躍る。
 あたりは暗くなりつつあり、花火をやるには最適な環境だ。
 荷物を置き、さっそく準備をはじめた。
 草原の上にレジャーシートを置き、荷物とミニバケツを置く。メインの花火を中央に並べ、ついでにお菓子や飲み物も脇に置くと、これからパーティーでもはじまるみたいだった。
 桜庭は戻ってくると、並んだ花火をまじまじと見た。

「あれ。花火の量、なんか多くない?」
「こっちのセットも気になって買い足したの。余ったら余ったで持って帰ればいいしさ」
「すごーい。豪華!」

 どれにする、と聞くと、最初ということで桜庭はシンプルなものを手に取った。
 手持ち花火なんて小さいころしかしたことがないから、火力のイメージが湧かない。俺からやろうかと提案してみるものの、桜庭は首を振り、さぁこいとばかりにチャッカマンを渡してくる。
 ちょっとだけビビっている自分を悟られないように、桜庭の花火に火を付けた。
 じじじ、と、予告のような音が続き、本編がはじまると、世界が変わった。

「わっ、きれい!」

 小さくも力強い光が、暗闇を引き裂いた。
 火花が飛び散り、爆ぜるたびに心地のいい音を立てる。夜を吹き飛ばすその光は、あまりに明るく、まるで桜庭自身から放たれているようにも見えた。
 火の色は五回変化し、緩やかに消えていく。

「すごいすごい! きれい! テンション上がるね」
「あ、終わってからも気をつけて。こっち。バケツに入れて」
「ふふ。浅見くん、過保護! 次は浅見くんがやってよ」

 俺の番らしい。思いのほか緊張してしまい、短時間で終わりそうなものを選んだ。こっちのハイパワーのは? と聞かれたものの、それは桜庭用だから、とお茶を濁した。
 でも、いざ火を付けると怖いことなんてなく、むしろ高揚した。
 自分の指のほんの先で、幻想的な世界が生み出される。打ち上げ花火のような派手さはないけれど、間近で繊細な輝きを見せられ、息を呑んだ。
 食わず嫌い、ならぬ、やらず嫌いだったのだろう。俺はそういうところがある。
 桜庭が二本目に火を付けた。輝く花火と照らされる桜庭が美しくて、俺は自然とスマホを向けていた。
 本当は、彼女の姿を目に焼き付けたかった。
 でも、そうできる自信がなかった。
 否が応でも記憶は消えていく。あんなに必死になって覚えた公式たちを、テストが終わるとぽろぽろと忘れてしまうように。いま目の前にある景色も同じなのかもしれない。この感情も、この夏の終わりに、そして秋の終わりに、消えてしまうのかもしれない。
 信じたくはなかった。
 それでも未来はやってくる。
 彼女はいなくなって、俺はいつか、ほかの誰かと恋に落ちる。
 悪夢のような未来はすでに、確定事項として存在している。

「わ、きれいに撮れてる! うれしい!」

 本格的な撮影タイムになると、俺はカメラマンとなりさまざまな桜庭の動画を撮った。
 輝く水面と光に包まれた桜庭は、地球上で一番美しい存在だった。
 隙を見て、桜庭も俺の写真を撮る。慌てる俺を見て、桜庭が笑う。黒歴史がまた桜庭のスマホに収められていく。それもまた思い出のひとつだ。
 花火置き場に戻ると、胸がぎゅっと痛んだ。
 それでも、暗くなりそうな気持ちを心臓の奥に押し返す。表情を整え、先ほどと変わらない自分を意識する。
 花火を手に取り、努めて明るい声で桜庭に渡した。

「線香花火。やっぱり最後はこれかな」

 すると桜庭は、はっとしたように俺の目を見た。

「え、もう終わり?」
「うん。早いな。予定の倍も買ったのにさ」

 すんなり受け取ってくれると思っていた。えー、足りないよぉ、なんて愚痴を言いながら。
 でも、違った。
 桜庭は人形のように固まり、俺の差し出す線香花火を凝視している。

「終わっちゃう」

 その言葉に、どきりとした。
 桜庭は、見たことのない表情をしていた。

「終わっちゃう……」

 もう一度つぶやく。先ほどまで輝いていた桜庭の瞳が、一瞬で色を失っていく。
 心が押しつぶされそうだった。