「やほぉ」
ある日の夕方、スマホが震え着信に出ると、姉ちゃんののんきな声が自室に響いた。
少し前に家に来たばかりだから、久しぶりという感覚はなかった。けれど妙な感じがする。
ベッドの上でごろごろしていた体に勢いをつけ、なんとなく上半身を起こした。
「電話なんてどうしたの。珍しい」
「いや、ね。来年の五月の第二土曜、空けてくれるかなぁと思って。一応受験生だから、だめならまた考えるけど」
「来年?」
一年後のことなんてわからない。俺のことだから、受験生といえども最低限の勉強しかしていない気がするけれど。
それよりも、一年後のピンポイントなその日になにがあるのか気になった。
姉ちゃんはスマホの向こうで、渉よろしく、溜めを作っている気配がする。
「実はね、私……。……結婚することになりました!」
大きな声が鼓膜を突き破った。
いえーい、と元気な雄叫びが聞こえてくる。あまりに突然の話で、心がついていかない。
「……は?」
「でね、式は五月がいいなって。土日がまだ残ってるから、できたらそこを押さえたいの。だから陽斗の予定はどうかなって」
「ちょっと待って。姉ちゃん、そういう人いたの」
「いたの。もうすぐ同棲はじめるよー」
寝耳に水すぎた。
この前引っ越しの話をしにきていたのは、そういう意味だったのか。
「えっと。……おめでとう」
「ありがと!」
もしそばにいたなら抱きついてきそうなテンションだ。いつもはそういう振る舞いを鬱陶しく感じるけれど、今の姉ちゃんは幸せそうで、なんだか感慨深くなってしまう。
「式の日は空けるよ。で、どんな人なの」
んー、と姉ちゃんが考え込む。
椅子の上に三角座りをして、にやにやとその人のことを思い浮かべている姉ちゃんが頭に浮かぶ。
「同じ会社の人なの。物静かな人。落ち着きがあって、冷静で、私がぎゃーぎゃー言っててもちゃんと答えをくれるんだ。見た目はね、くまさんみたいな感じ」
「へぇ」
「お母さんたちとはもう会ってるの。ただ、〝娘さんと結婚させてください!〟の瞬間にあんたまでいると彼がプレッシャーだから、誘えなかったけど。そのうち会食でも開くから、楽しみにしてて!」
いや、それは緊張するから嫌だな……と思いつつ、でも会ってみたい気もした。
姉ちゃんがこの家を飛び出して、新たな世界で出会った恋する人だ。きっとすてきな人に違いない。
「あのさ」
仰向けになって大の字になった。
天井浮かぶシーリングライトが、やけに眩しかった。
「好きになるって、どんな感じなの」
つい聞いてしまった。なんだかんだ言って、姉ちゃんは恥ずかしいことも聞ける、頼れる人だ。
「わ、なになに。陽斗もとうとう好きな人できた?」
「……じゃなくて。俺、あんまりそういう感覚わからないから……参考にまでに。だって、姉ちゃんの近くに物静かな人はほかにもいたでしょ」
「ふーん」
姉ちゃんは俺の言葉を信じていない様子で相槌を打つ。
「好き、の感覚はねぇ……人によるんじゃない? この人といると落ち着くとか、理由はないけど一緒にいたいとか、自分の素を出せるとか。私の場合は、なんかもう、ピーンと来た。この人だ! って、アンテナが立った感じ」
心の中で笑う。参考にはならないけれど、姉ちゃんらしい表現だ。
まぁ、とひと呼吸して、姉ちゃんがまじめな空気を作った。
「陽斗がもし〝あの子のこと好きなのかなぁ〟って考えはじめたとしたら、もう、それは好きってことでいいんじゃないかな」
好きなのか……考えはじめたら。
俺は、あの子を好きなのか……。
「ふーん……」
ずっと、隠してきた。
わからない振りをして、自分をごまかしてきた。
でも……。
「……あのさ。姉ちゃんがこの前俺につけてくれたワックスってなんてやつ? 調べたら、固さとかいろんな種類があるみたいでよくわかんないんだけど」
「お、おしゃれする気になったー? レクチャーしてあげるよぉ」
もう、隠しようがなかった。
俺は、桜庭が好きなんだ。
ある日の夕方、スマホが震え着信に出ると、姉ちゃんののんきな声が自室に響いた。
少し前に家に来たばかりだから、久しぶりという感覚はなかった。けれど妙な感じがする。
ベッドの上でごろごろしていた体に勢いをつけ、なんとなく上半身を起こした。
「電話なんてどうしたの。珍しい」
「いや、ね。来年の五月の第二土曜、空けてくれるかなぁと思って。一応受験生だから、だめならまた考えるけど」
「来年?」
一年後のことなんてわからない。俺のことだから、受験生といえども最低限の勉強しかしていない気がするけれど。
それよりも、一年後のピンポイントなその日になにがあるのか気になった。
姉ちゃんはスマホの向こうで、渉よろしく、溜めを作っている気配がする。
「実はね、私……。……結婚することになりました!」
大きな声が鼓膜を突き破った。
いえーい、と元気な雄叫びが聞こえてくる。あまりに突然の話で、心がついていかない。
「……は?」
「でね、式は五月がいいなって。土日がまだ残ってるから、できたらそこを押さえたいの。だから陽斗の予定はどうかなって」
「ちょっと待って。姉ちゃん、そういう人いたの」
「いたの。もうすぐ同棲はじめるよー」
寝耳に水すぎた。
この前引っ越しの話をしにきていたのは、そういう意味だったのか。
「えっと。……おめでとう」
「ありがと!」
もしそばにいたなら抱きついてきそうなテンションだ。いつもはそういう振る舞いを鬱陶しく感じるけれど、今の姉ちゃんは幸せそうで、なんだか感慨深くなってしまう。
「式の日は空けるよ。で、どんな人なの」
んー、と姉ちゃんが考え込む。
椅子の上に三角座りをして、にやにやとその人のことを思い浮かべている姉ちゃんが頭に浮かぶ。
「同じ会社の人なの。物静かな人。落ち着きがあって、冷静で、私がぎゃーぎゃー言っててもちゃんと答えをくれるんだ。見た目はね、くまさんみたいな感じ」
「へぇ」
「お母さんたちとはもう会ってるの。ただ、〝娘さんと結婚させてください!〟の瞬間にあんたまでいると彼がプレッシャーだから、誘えなかったけど。そのうち会食でも開くから、楽しみにしてて!」
いや、それは緊張するから嫌だな……と思いつつ、でも会ってみたい気もした。
姉ちゃんがこの家を飛び出して、新たな世界で出会った恋する人だ。きっとすてきな人に違いない。
「あのさ」
仰向けになって大の字になった。
天井浮かぶシーリングライトが、やけに眩しかった。
「好きになるって、どんな感じなの」
つい聞いてしまった。なんだかんだ言って、姉ちゃんは恥ずかしいことも聞ける、頼れる人だ。
「わ、なになに。陽斗もとうとう好きな人できた?」
「……じゃなくて。俺、あんまりそういう感覚わからないから……参考にまでに。だって、姉ちゃんの近くに物静かな人はほかにもいたでしょ」
「ふーん」
姉ちゃんは俺の言葉を信じていない様子で相槌を打つ。
「好き、の感覚はねぇ……人によるんじゃない? この人といると落ち着くとか、理由はないけど一緒にいたいとか、自分の素を出せるとか。私の場合は、なんかもう、ピーンと来た。この人だ! って、アンテナが立った感じ」
心の中で笑う。参考にはならないけれど、姉ちゃんらしい表現だ。
まぁ、とひと呼吸して、姉ちゃんがまじめな空気を作った。
「陽斗がもし〝あの子のこと好きなのかなぁ〟って考えはじめたとしたら、もう、それは好きってことでいいんじゃないかな」
好きなのか……考えはじめたら。
俺は、あの子を好きなのか……。
「ふーん……」
ずっと、隠してきた。
わからない振りをして、自分をごまかしてきた。
でも……。
「……あのさ。姉ちゃんがこの前俺につけてくれたワックスってなんてやつ? 調べたら、固さとかいろんな種類があるみたいでよくわかんないんだけど」
「お、おしゃれする気になったー? レクチャーしてあげるよぉ」
もう、隠しようがなかった。
俺は、桜庭が好きなんだ。