うちの高校に通う人間は大きく、電車通学、バス通学、自転車通学にわかれる。
裏門を使う人間は、自転車で通っている生徒。正門を使う人間は電車で通っている生徒だ。バスは正門にも裏門にも通じている。
正門の方角には駅がある。俺は裏門を使っているから行ったことはないけれど、特に遊べるようなところはないらしい。
駅までは住宅ばかりのうえ、今の俺たちは誰かに見られないように裏道を通っているから、余計に見どころがない。
「やっぱり、なにもないんじゃない」
目の前には赤い糸が伸びているから、俺としては一応〝糸を追える〟というメリットはある。でも桜庭にとっては、なんのおもしろみもない道だろう。
「この先になにかあるかもしれないよ。私も普段は裏門使ってるから、こっちのほうは知らないんだ」
「駅前ですら栄えてないらしいから、あんまり期待できないと思うけど」
「でも、知らない場所を歩くのって刺激になっていいと思う!」
刺激……って、俺は人生の中に刺激なんて求めてないけど。
こんな場所でも刺激になるものなのか?
「結構、緑が多い道だよね。空気がおいしー」
その言葉と同時に、左手に柔らかな感触が触れた。
見ると、桜庭が手をつなごうとしている。
驚き、飛び退くようにして離れた。桜庭は俺の慌てように、立ち止まって笑いはじめる。
「浅見くん、シャイ!」
「……やめろよ」
一応デートはしてるけど、そこまで許可してない。……いや、桜庭の解釈では俺は今日一日だけ〝カレシ〟なのだから、当然の行動なのか。
それにしても、左手には触らないでほしい。
赤い糸は、俺の左手の小指に結ばれている。
別に、そこは聖域だから触るななんて言うつもりはない。ただ、桜庭にも赤い糸の相手にも、なんとなく申し訳ない気持ちになるだけだ。
「あ、ほら。神社がある!」
少し歩くと、小さな森に包まれた神社が見えてきた。
背丈くらいの石垣に階段がついていて、脇に木製の案内板が立っている。木が多く、階段の先は見えない。
この周囲だけ民家が少なく、小さいながらに厳かな雰囲気がある。
「行ってみる?」
「神社……」
正直、興味はなかった。
神社なんて元旦に一度行くだけで、本当は神さまなんて信じていないし。赤い糸が神社の中へ入っていくのなら別だけれど、糸は神社を素通りし、駅のほうへと進んでいる。
「あ、あれは? かわいいパン屋さん!」
俺の思考を読んだのか、桜庭は話を変えて遠くの店を指差した。
近寄ると、小さな店構えであるものの、パステルカラーを基調としたオシャレなパン屋があった。
「見て見て。あのチョコベーグルおいしそう」
「二時間前にご飯食べたばっかだろ」
「そんなのとっくに消化済みだよぉ」
外から眺めただけで中に入らず、桜庭は歩き出す。
俺はその横をついていきながら、前方に伸びている赤い糸を見ていた。
赤い糸がずっと、東に向かっているのは知っていた。
このまま進んでいけば、終着点にたどり着く可能性はゼロじゃない。でも、それは相当運がよければだろう。この糸がどこまで続いているかなんて、誰にもわからないのだから。
だからきっと、赤い糸を辿っても意味なんかない。
「……こんなんで、いいの」
桜庭が、ん、と振り返る。
聞くまでもなく楽しそうな桜庭に、じわりと罪悪感が湧き出てくる。
「こんなことしてても楽しくないだろ」
「そんなことないよ」
「俺、女子を楽しませる才能ないし」
「それを言うなら私もないよ。友達はほとんど女の子だし」
スカートを翻し、桜庭がまた前を向いた。
「でも今、私は楽しいよ」
そのまま先を歩いていく。
リズミカルに動く、桜庭の細い足首を見つめる。
「……楽しさの閾値が低いんだな」
「なんでも楽しめる人と言ってほしい!」
羨ましい。
俺は、なにをしていても心を動かされない。
友達と話すことや遊びに行くことは楽しいけれど、それでも〝それなり〟だ。ましてやこんな町並み、無理やり楽しもうと思っても楽しめるものじゃない。
赤い糸がなければきっと、歩きたいとも思わなかった。
俺と桜庭は、とことん正反対の人間だと感じる。
「メモしとこっ」
桜庭はバッグからスマホを取り出すと、ちょうど見つけた公園へと走っていった。
砂場で遊んでいる幼児にもかまわず、ベンチを陣取る。そして慣れた手つきでスマホに入力をはじめた。
俺もベンチの端に座ると、入力し終えたらしい桜庭が、文章を読み上げる。
「神社には興味がない。放課後になってもお腹は空かない。楽しさの基準が高い。でも、屋上から見える道の先が気になっちゃう、冒険心がある人!」
それって……全部、俺の情報じゃんか。
「え……ちょっと、やめろよ」
「カレシのことは、ひとつでも多く知っておきたいのです!」
にこ、と、またあのあどけない表情をして笑う。その顔を見て、なにも言えなくなってしまった。
本気で言ってるのだろうか。
俺たちは、今日で終わる関係。こんなデート、きっとあと少しで終わる。
なのになんで、そんなに楽しめるんだ。
こんなの、〝ごっこ〟でしかない。こんな思い出、すぐに消える。記録なんてしたってなんの意味ないのに。
なのに、どうして。
どうして、桜庭は……。
裏門を使う人間は、自転車で通っている生徒。正門を使う人間は電車で通っている生徒だ。バスは正門にも裏門にも通じている。
正門の方角には駅がある。俺は裏門を使っているから行ったことはないけれど、特に遊べるようなところはないらしい。
駅までは住宅ばかりのうえ、今の俺たちは誰かに見られないように裏道を通っているから、余計に見どころがない。
「やっぱり、なにもないんじゃない」
目の前には赤い糸が伸びているから、俺としては一応〝糸を追える〟というメリットはある。でも桜庭にとっては、なんのおもしろみもない道だろう。
「この先になにかあるかもしれないよ。私も普段は裏門使ってるから、こっちのほうは知らないんだ」
「駅前ですら栄えてないらしいから、あんまり期待できないと思うけど」
「でも、知らない場所を歩くのって刺激になっていいと思う!」
刺激……って、俺は人生の中に刺激なんて求めてないけど。
こんな場所でも刺激になるものなのか?
「結構、緑が多い道だよね。空気がおいしー」
その言葉と同時に、左手に柔らかな感触が触れた。
見ると、桜庭が手をつなごうとしている。
驚き、飛び退くようにして離れた。桜庭は俺の慌てように、立ち止まって笑いはじめる。
「浅見くん、シャイ!」
「……やめろよ」
一応デートはしてるけど、そこまで許可してない。……いや、桜庭の解釈では俺は今日一日だけ〝カレシ〟なのだから、当然の行動なのか。
それにしても、左手には触らないでほしい。
赤い糸は、俺の左手の小指に結ばれている。
別に、そこは聖域だから触るななんて言うつもりはない。ただ、桜庭にも赤い糸の相手にも、なんとなく申し訳ない気持ちになるだけだ。
「あ、ほら。神社がある!」
少し歩くと、小さな森に包まれた神社が見えてきた。
背丈くらいの石垣に階段がついていて、脇に木製の案内板が立っている。木が多く、階段の先は見えない。
この周囲だけ民家が少なく、小さいながらに厳かな雰囲気がある。
「行ってみる?」
「神社……」
正直、興味はなかった。
神社なんて元旦に一度行くだけで、本当は神さまなんて信じていないし。赤い糸が神社の中へ入っていくのなら別だけれど、糸は神社を素通りし、駅のほうへと進んでいる。
「あ、あれは? かわいいパン屋さん!」
俺の思考を読んだのか、桜庭は話を変えて遠くの店を指差した。
近寄ると、小さな店構えであるものの、パステルカラーを基調としたオシャレなパン屋があった。
「見て見て。あのチョコベーグルおいしそう」
「二時間前にご飯食べたばっかだろ」
「そんなのとっくに消化済みだよぉ」
外から眺めただけで中に入らず、桜庭は歩き出す。
俺はその横をついていきながら、前方に伸びている赤い糸を見ていた。
赤い糸がずっと、東に向かっているのは知っていた。
このまま進んでいけば、終着点にたどり着く可能性はゼロじゃない。でも、それは相当運がよければだろう。この糸がどこまで続いているかなんて、誰にもわからないのだから。
だからきっと、赤い糸を辿っても意味なんかない。
「……こんなんで、いいの」
桜庭が、ん、と振り返る。
聞くまでもなく楽しそうな桜庭に、じわりと罪悪感が湧き出てくる。
「こんなことしてても楽しくないだろ」
「そんなことないよ」
「俺、女子を楽しませる才能ないし」
「それを言うなら私もないよ。友達はほとんど女の子だし」
スカートを翻し、桜庭がまた前を向いた。
「でも今、私は楽しいよ」
そのまま先を歩いていく。
リズミカルに動く、桜庭の細い足首を見つめる。
「……楽しさの閾値が低いんだな」
「なんでも楽しめる人と言ってほしい!」
羨ましい。
俺は、なにをしていても心を動かされない。
友達と話すことや遊びに行くことは楽しいけれど、それでも〝それなり〟だ。ましてやこんな町並み、無理やり楽しもうと思っても楽しめるものじゃない。
赤い糸がなければきっと、歩きたいとも思わなかった。
俺と桜庭は、とことん正反対の人間だと感じる。
「メモしとこっ」
桜庭はバッグからスマホを取り出すと、ちょうど見つけた公園へと走っていった。
砂場で遊んでいる幼児にもかまわず、ベンチを陣取る。そして慣れた手つきでスマホに入力をはじめた。
俺もベンチの端に座ると、入力し終えたらしい桜庭が、文章を読み上げる。
「神社には興味がない。放課後になってもお腹は空かない。楽しさの基準が高い。でも、屋上から見える道の先が気になっちゃう、冒険心がある人!」
それって……全部、俺の情報じゃんか。
「え……ちょっと、やめろよ」
「カレシのことは、ひとつでも多く知っておきたいのです!」
にこ、と、またあのあどけない表情をして笑う。その顔を見て、なにも言えなくなってしまった。
本気で言ってるのだろうか。
俺たちは、今日で終わる関係。こんなデート、きっとあと少しで終わる。
なのになんで、そんなに楽しめるんだ。
こんなの、〝ごっこ〟でしかない。こんな思い出、すぐに消える。記録なんてしたってなんの意味ないのに。
なのに、どうして。
どうして、桜庭は……。