「……一回だけ?」
ひとつ息を吐いて聞くと、桜庭がぱっとこちらを向く気配がした。
「……うん! 一回だけ! 今日だけでいいから!」
そっと横を見ると、桜庭の目は先ほどの、キラキラしたものに戻っていた。
たった一回きりのデートに、そんなに喜べるものだろうか。桜庭の気持ちがわからない。
それでも俺は、彼女と離れられれば……それでいい。
「……で。今日、なの? 今から行ける場所なんて、あんの」
デートってなんだろう。
動物園。遊園地。水族館。それっぽいところは思いつくけれど、今から行く時間なんてあるだろうか。映画館なら夜までやっているだろうけど。
「行きたいところなら、あるよ」
桜庭が立ち上がり、また窓辺へ走っていった。
そして、外に向かって指を差す。俺も桜庭の横に立ち、指の先を追った。
けれどそこにあるのは、いつもと変わらないのっぺりとした住宅街だけだ。
「どこ?」
「あそこ、行ってみたい。浅見くんが言ってた、〝道の向こう〟」
「……え?」
意外な言葉に、思わず彼女の顔を見つめた。
「あの向こうになにがあるのかって、昨日言ってたでしょ? 見に行ってみようよ。行けるところまででいいから」
道の、向こう……。
そんなことでいいのか?
こんな住宅街、なにもないのに。一回きりのデートに、そんな地味な場所を選ぶ必要なんてない。
それに、あの道の向こうを知りたいと言ったのは俺だ。
せっかくのデートだというのに、桜庭の意思が反映されていない。
「いや……いいよ。そんなことしなくて」
しかも、俺が知りたいのは厳密に言うと道の向こうじゃない。
……赤い糸の、先なんだ。
俺は街を見たいわけじゃない。俺も桜庭も望んでいないデートなんて、不毛すぎる。
「なんで? 気になったんでしょ?」
桜庭が首を傾げる。返答に困ってしまった。
「……屋上から、見えたから。もういいよ」
「でも、屋上から見えるよりもっと先を見たかったんじゃないの?」
「それは、まぁ……無理だし」
「行ってみたらなにか楽しいことが待ってるかもしれないよ」
「そんなことより、桜庭の行きたいところはないのかよ」
桜庭が満足するデートじゃないと意味がない。別に俺は困らないけれど、さすがにここは、桜庭の意見を取り入れるべきだ。
すると、桜庭がふふ、と声を漏らした。
両手を口元に添え、感情を隠すように笑っている。
なんの笑いだかわからない。
けど、なんだか腹立たしい。
こっちはまじめに話しているというのに。
「浅見くん。カノジョというのはね、カレシのしたいことを一緒にしたいものなのです」
カノジョ……。
今日だけカノジョ、っていう設定か。
誰かと付き合ったことがないくせに、堂々とした知ったかぶりだ。
「浅見くん、いつも登下校で使ってるのって裏門のほうだよね?」
「そう……だけど」
「じゃあ、あっちのほうは歩いたことないでしょ。行ってみようよ」
まっすぐに俺を見る彼女の視線は、まるで揺らぐことがない。
……やっぱり俺は、彼女の前では流されるしかないみたいだ。
窓枠に両手を置き、うなだれた。
「……正門の先の、公園で待ってて。十分遅れて行くから」
誰かに見られないための措置だ。昨日彼女を介抱したあの公園なら、一般的な通学路からひとつ曲がるから生徒も通らないだろう。
「了解です!」
桜庭は右手で敬礼のポーズをとると、元気よく部室を出ていく。
……なんで、俺なんだろう。
なんで、俺にこだわるんだろう。
屋上から自分を見つけてくれたから? 助けてくれた王子さまだから? それだけで恋のターゲットにできるのなら、やっぱり彼女は夢見る少女だ。
わざわざ俺なんか選ばなくてもいいのに。桜庭なら、ほかの選択肢だっていくらでも……。
……でも、もういい。
今日さえ終われば、平凡な日常が戻ってくる。
女子と関わらない、穏やかな日々に戻れる。
だから、これで、いいんだ。
正門へ向かって走る彼女を見届けて、俺も部室を出た。
ひとつ息を吐いて聞くと、桜庭がぱっとこちらを向く気配がした。
「……うん! 一回だけ! 今日だけでいいから!」
そっと横を見ると、桜庭の目は先ほどの、キラキラしたものに戻っていた。
たった一回きりのデートに、そんなに喜べるものだろうか。桜庭の気持ちがわからない。
それでも俺は、彼女と離れられれば……それでいい。
「……で。今日、なの? 今から行ける場所なんて、あんの」
デートってなんだろう。
動物園。遊園地。水族館。それっぽいところは思いつくけれど、今から行く時間なんてあるだろうか。映画館なら夜までやっているだろうけど。
「行きたいところなら、あるよ」
桜庭が立ち上がり、また窓辺へ走っていった。
そして、外に向かって指を差す。俺も桜庭の横に立ち、指の先を追った。
けれどそこにあるのは、いつもと変わらないのっぺりとした住宅街だけだ。
「どこ?」
「あそこ、行ってみたい。浅見くんが言ってた、〝道の向こう〟」
「……え?」
意外な言葉に、思わず彼女の顔を見つめた。
「あの向こうになにがあるのかって、昨日言ってたでしょ? 見に行ってみようよ。行けるところまででいいから」
道の、向こう……。
そんなことでいいのか?
こんな住宅街、なにもないのに。一回きりのデートに、そんな地味な場所を選ぶ必要なんてない。
それに、あの道の向こうを知りたいと言ったのは俺だ。
せっかくのデートだというのに、桜庭の意思が反映されていない。
「いや……いいよ。そんなことしなくて」
しかも、俺が知りたいのは厳密に言うと道の向こうじゃない。
……赤い糸の、先なんだ。
俺は街を見たいわけじゃない。俺も桜庭も望んでいないデートなんて、不毛すぎる。
「なんで? 気になったんでしょ?」
桜庭が首を傾げる。返答に困ってしまった。
「……屋上から、見えたから。もういいよ」
「でも、屋上から見えるよりもっと先を見たかったんじゃないの?」
「それは、まぁ……無理だし」
「行ってみたらなにか楽しいことが待ってるかもしれないよ」
「そんなことより、桜庭の行きたいところはないのかよ」
桜庭が満足するデートじゃないと意味がない。別に俺は困らないけれど、さすがにここは、桜庭の意見を取り入れるべきだ。
すると、桜庭がふふ、と声を漏らした。
両手を口元に添え、感情を隠すように笑っている。
なんの笑いだかわからない。
けど、なんだか腹立たしい。
こっちはまじめに話しているというのに。
「浅見くん。カノジョというのはね、カレシのしたいことを一緒にしたいものなのです」
カノジョ……。
今日だけカノジョ、っていう設定か。
誰かと付き合ったことがないくせに、堂々とした知ったかぶりだ。
「浅見くん、いつも登下校で使ってるのって裏門のほうだよね?」
「そう……だけど」
「じゃあ、あっちのほうは歩いたことないでしょ。行ってみようよ」
まっすぐに俺を見る彼女の視線は、まるで揺らぐことがない。
……やっぱり俺は、彼女の前では流されるしかないみたいだ。
窓枠に両手を置き、うなだれた。
「……正門の先の、公園で待ってて。十分遅れて行くから」
誰かに見られないための措置だ。昨日彼女を介抱したあの公園なら、一般的な通学路からひとつ曲がるから生徒も通らないだろう。
「了解です!」
桜庭は右手で敬礼のポーズをとると、元気よく部室を出ていく。
……なんで、俺なんだろう。
なんで、俺にこだわるんだろう。
屋上から自分を見つけてくれたから? 助けてくれた王子さまだから? それだけで恋のターゲットにできるのなら、やっぱり彼女は夢見る少女だ。
わざわざ俺なんか選ばなくてもいいのに。桜庭なら、ほかの選択肢だっていくらでも……。
……でも、もういい。
今日さえ終われば、平凡な日常が戻ってくる。
女子と関わらない、穏やかな日々に戻れる。
だから、これで、いいんだ。
正門へ向かって走る彼女を見届けて、俺も部室を出た。