人を好きになるってどういう感覚なんだろう。
それはきっと、言葉では説明できない感情だ。
たとえば、好きな人からチャットが来たら喜んで飛び跳ね、なんと返すか小一時間考え込んでしまう……そういうものなんじゃないかと思う。
〈今日の放課後、一緒に帰ろ! 部室で待ってるね! 来なかったら、屋上にいたこと先生に言っちゃうよ〜〉
「……は?」
つまり、桜庭からのチャットを見て凍りつく俺は、彼女が好きではないということになる。
いや、その前に。
……なんで、桜庭と俺のチャットがつながってるんだ。
朝日が差し込むベッドの上で、寝返りを打ちながら考えた。そうだ、あれだ。あのときしかない。
文芸部の部室で桜庭がスマホを触っていた、あのとき……。
彼女は自分のバッグを長机の上に置いていた。俺のバッグの真横だ。そして俺は、スマホをいつもバッグのポケットに入れている。
あのとき、桜庭は俺のスマホを触ったに違いない。
桜庭は自分のスマホを操作しながら、隙を見て、俺のスマホも触っていた。俺のスマホは黒で、これといった特徴がない。おそらく彼女のスマホもシンプルなもので、ふたつを交互に操作していたとしても、俺は気づけなくて。
「……ロック、かけとけばよかった」
危機感のなさが悔やまれる。
うつ伏せになり、しばらく悶えてから体を起こした。
明日、赤い糸の相手が現れたらどうすんだよ……。
頭の中で愚痴をこぼしながら立ち上がる。
小指から垂れ下がる赤い糸に目を向けた。持ち上げてみても糸はなんの反応もなく、ただの木綿糸のような顔をしてカーペットの上に落ちるだけだ。
この糸の先にはたぶん、女性がいる。彼女も同年代だとしたら、今ごろ学校へ行く準備をしているかもしれない。家族に挨拶をし、顔を洗い、朝ごはんの席に座っているころかもしれない。
そんなことを想像しながら、一方で桜庭のことも考えている俺は、ちぐはぐな気がしてならない。
「……はぁ」
やめよう。とりあえず今は、学校だ。
気を取り直し、自室を出ようとした。
しかしあることを思い出し、枕元へと引き返す。そこに置いてある、一冊の小説を見下ろす。
俺は夜、寝る前に小説を読む習慣があった。
ただ、それを趣味として人に話したことはなかった。漫画と同様、小説も人に話せるほど読んでいるわけじゃない。そしてなによりも、読んでいる小説のジャンルが気になって、人に話せずにいた。
小説を手に取り、部屋を出る。そして、真正面にある部屋のドアノブをそっと握った。
この部屋は、姉ちゃんの部屋だ。社会人になった姉ちゃんはもうこの家を出ていて、使われなくなった部屋は姉ちゃんの私物置き場のようになっている。
俺が読む小説はすべて姉ちゃんのもので、勝手に借りては読んでいる。
次の小説を借りとくか、と思い、ドアノブをまわした。
その瞬間、ドアの隙間から太陽光ではない、照明の明かりが漏れていることに気づいた。
「うわ‼︎」
突然声がして、驚く。
そっとドアの向こうを見ると、部屋着姿の姉ちゃんがベッドに寝転がっていた。予期せぬ大声のせいで、まだ心臓が鳴っている。