「屋上でなにしてたの?」
「ご飯、食べてただけだけど」
「そうだろうけどさ。外見てたでしょ。あんな大っぴらに立ってたら、先生に怒られそうだなぁって」

 痛いところを突かれる。
 頭を回転させ、なんとか言い訳をでっち上げた。

「まぁ、あの距離なら生徒が立ってても、俺だってことまでは見えないだろうし……」

 ……と言いながら、俺たちは校庭よりも遠い距離で互いを認識し合っていたことは、横に置いておく。

「それに、屋上行ったら普通、見下ろしてみたくなるもんじゃないの」

 この部室は屋上よりも低いけれど、四階だからそこそこの高さがある。
 窓を開けて空気の入れ替えをするとき、俺はいつも外を眺めてしまう。ほかの人もそういうものだと思っていた。

「そうなんだ。私は、空見上げたくなるなぁ」

  そっと横を見ると、桜庭はたしかに校庭ではなく、空を見ていた。

「だって、屋上ってここら辺で一番天国に近いところでしょ? 屋上からなら、天使さまともおしゃべりできるかも!」

 そう言って、空に向かって手を振る。
 天使……。
 もちろん見えるわけがない。
 そもそも俺は、天使や天国が存在するとも思っていない。

「……なんか、ファンタジーな思考だな」

 笑うのは耐えたものの、つい口から出てしまった。
 運命だとか、天使だとか。桜庭はどこか、少女漫画のキャラクターのような面を感じる。

「えー。じゃあ、浅見くんはなんで街のほう見てたの? ちゃんと理由を述べてください!」

 少しむくれた顔をして、桜庭が問いただしてくる。
 なんでって言われても、高いところへ行くとそうするのが普通じゃないか。
 ちょっと視点が変わるだけで、世界は変わる。違って見える。その差がおもしろいから、人はスカイツリーからの景色にはしゃいだり、ロープウェイに乗っては写真を撮るのだろう。
 ただ、俺の理由はそこにあるわけじゃない。
 俺の意識は、いつだって……。

「俺は、ただ……あの道の向こうに、なにがあるのか気になっただけ」

 赤い糸が伸びる街並みを思い返した。
 俺は高いところへ立つと、糸の行方を追ってしまう。
 糸の、終着点を見てみたい。なにがあるのか知りたい。この糸が本当に運命の赤い糸だとしたら、そこにどんな人がいるのか、見てみたい。
 なんて思ったところで、きっと見えることはないのだろうけど。
 だってこの糸は、何十キロ、何百キロ伸びているのかわからないのだ。もし糸の先に人がいるとしても、きっと、俺たちが出会うであろう未来を待つしかない。

「ふふ。浅見くんも結構、ファンタジーじゃない?」

 桜庭が笑う。
 自分が言った言葉を反芻して、たしかに、と思ってしまった。

「ファンタジーっていうか、詩人かな? かっこいい! 〝あの道の向こうには、なにがあるのか〟……」
「繰り返すなよ……。別に詩人じゃないし。ただ本当に、そう思っただけ」
「そっかぁ。でもかっこいいな」

 桜庭が納得したように、道の先に視線を送る。
 なんだか、不思議な気分だった。
 今、俺は女子と話している。
 しかも、辿々しいけれどなんとかキャッチボールができている。機械的なやり取りではなく、それっぽい〝雑談〟ができている。
 桜庭の顔を盗み見た。
 彼女は俺の真似をしているのか、道の先を見つめている。よく見るとかわいらしい顔立ちをしているけれど、横から見るときれいなEラインが浮き上がって、意外と大人っぽくもある。
 ……俺と話したいなんて、変わった人だな。
 そんなことを考えていると、不意に、その視線に影が落ちた。

「道の向こうかぁ、私も行ってみたいな。……でももう、遠いところは無理かな」

 桜庭が窓辺を離れた。
 振り返ると、彼女は長机のそばにあったパイプ椅子に座り、背を丸めていた。
 しばらくそうしていて、桜庭は俺の視線に気づくと、笑顔を作った。

「今日、午後に体育あってね。ハードル走だったの。本気で走りすぎちゃって、今は立ってるのもやっとになっちゃった」
「なんだ、まだ体調悪いのかよ……。もう帰ったら。っていうか、ちょっと体、弱すぎるんじゃないの」
「そうかも。余命半年だからかな」

 理解不能な言葉が落ちた。
 桜庭が長机の上に寝そべる。その態勢のままバッグに手を入れ、スマホを取り出すと、友達からチャット来てるー、と言ってタップしはじめた。