「モスのあと、久しぶりにカラオケ行きたいなー」
「いーね。俺、結構歌えるよ」
放課後になり、楽しそうに通り過ぎていく生徒たちを横目に、帰る支度をした。
スクールバッグを肩にかけ、数人の男子と挨拶を交わして廊下へ出る。女子の団体が前から歩いてくるのを、視線を壁に這わせてやり過ごす。
渡り廊下を通り、別館に入る。
部室は、二号館の最上階にあった。
人気のない空き教室。ドアを開けるとやはり誰もおらず、むっとした空気だけが俺を出迎える。
うちの高校には、生徒全員が部活に入るという決まりがあった。
だけれど、どの学年にも帰宅部志望の生徒はいるものだ。そんな生徒に与えられた救済策が、ここ。
文芸部に入ることだった。
昔の文芸部はやる気のある生徒がちゃんといて、部誌を発行する程度には機能していたらしい。けれどだんだんと人が減り、かわりに大量の幽霊部員が増えて、うまいこと利用されるようになっていた。
俺もご多分に洩れず、帰宅部志望だ。
でも最近、俺は部室に顔を出している。
それは、この誰もいない部室が勉強にぴったりだからだ。
遠くに感じる人の気配。それが、無音よりも程よい空気感で俺を包み込む。
俺は渉のように上位の大学を狙っているわけじゃない。けれど進学希望だ。そんな中、適当に挑んだ中間テストの結果があまりにも悪かったので、さすがに期末まではまじめにやろうと思い直すに至った。
本当は、面倒くさい。帰ってごろごろしていたい。だけど、この先を生きていくためにはしかたのないことなんだ。
長机に荷物を起き窓を開けると、空気が息を吹き返した。
風を浴びながら、外を見る。ふと、赤い糸が目に入る。
真っ赤な糸は鮮やかで、どんな場所にあってもよく目立つ。
……あの糸の先には、俺の明るい未来が待っているのだろうか。
「あ、いた!」
思いがけず声がして、驚いて振り返った。
教室の入り口を見ると、笑顔の桜庭が立っていた。
廊下から顔だけをひょっこりと出して、うれしそうにはしゃいでいる。その顔を認識して、思わず口が半開きになってしまった。
「おはよ、浅見くん。あ、もうおはようって時間じゃないか」
「なんで、ここに」
「浅見くんこそ、こんなところでなにしてるの」
桜庭が教室に入ってくる。
なんだか急に落ち着かなくなってきた。
女子とふたりきりになるのは苦手だ。昨日は緊急事態だったからまだよかったけれど、俺は本来、女子と関わりたくないのだ。
教室にふたりだけなんて、密室じゃないとしても、どうしたらいいのかわからなくなる。
「俺は、ただ……勉強しようと思っただけ。家だと集中できなくて、外でやるのが習慣だから……。……桜庭は、俺になにか用だった?」
「別に、用っていう用じゃないんだけどね。ただ、昨日のことちゃんとお礼を言いたくて。あと、浅見くんとちょっと話してみたいなぁって思って」
話したい……。……って、なんだ?
お礼はともかく、なんで俺と話したいのかわからない。話すって、なにを? ……世間話とか?
でも、そんなの無理だ。
俺は今まで、女子とまともに話したことがないんだ。高校に入ってからも、連絡事項といった必要最低限のことしか話してこなかった。そんな俺に、急に普通の会話なんてできるわけがない。
桜庭がなにを考えているのかわからない。
けれど、ここは穏便に、でも速やかに、彼女を追い出したい。
「……それなら気にしなくていいよ。体調が悪い人を見つけたら、助けるのはお互いさまだし……。元気になったならよかった。ただ、一応ここ部室だから、部外者はあんまり入らないほうが」
「部外者じゃないよ」
長机の上、俺の荷物の横にバッグを置いて、桜庭が近づいてくる。
そして隣の窓を開け、こちらを向いた。
「私、文芸部」
驚いて、目を見開いてしまった。
「え。……マジ」
「マジ! 一年のときから文芸部だよ。まぁ、ここに人なんて来ないから、私も浅見くんが文芸部だってさっき知ったんだけどね」
話によると、桜庭は先ほどA組で俺のことを探して、クラスメイトに居場所を聞いたらしい。
桜庭も文芸部だなんて知らなかった。
というか、桜庭はあまり帰宅部志望に見えない。どちらかというと吹奏楽部とか陸上部とか、まじめに部活に取り組むタイプのように見える。
だって、こうして話していると桜庭は〝陽〟の人間だ。
体調が悪かったときは彼女の本質が見えなかったけれど、元気になった今は違う。意外とおしゃべりで、明るくて、部活動もまじめに励みそうな生徒に見える。
「昨日はありがとう。本当に、助かったんだ」
「いや、別に……」
お礼を言われ、曖昧な返事をする。流れが悪い方向に進んでいる。
お礼はいいから、早く帰ってほしい。けれど、そうはならないだろう。
「ね。浅見くんって、よく屋上行くの?」
外を眺めながら、桜庭が当然のように話題を振ってきた。
こうなったら、気が済むまで付き合うしかないようだ。
「いや……。滅多に行かないよ。昨日はたまたま、そういう気分だっただけで」
「そうなんだ。なんか意外! 浅見くんって屋上に忍び込むみたいな、悪いことはしないイメージだったから」
「……そう?」
桜庭が俺のなにを知っているというんだろう。
俺のことを、友達の友達の友達から聞いたと言っていた。けど、どうにも胡散臭い。
そもそも女子の間で俺のことが話題にあがることも考えられない。
「いーね。俺、結構歌えるよ」
放課後になり、楽しそうに通り過ぎていく生徒たちを横目に、帰る支度をした。
スクールバッグを肩にかけ、数人の男子と挨拶を交わして廊下へ出る。女子の団体が前から歩いてくるのを、視線を壁に這わせてやり過ごす。
渡り廊下を通り、別館に入る。
部室は、二号館の最上階にあった。
人気のない空き教室。ドアを開けるとやはり誰もおらず、むっとした空気だけが俺を出迎える。
うちの高校には、生徒全員が部活に入るという決まりがあった。
だけれど、どの学年にも帰宅部志望の生徒はいるものだ。そんな生徒に与えられた救済策が、ここ。
文芸部に入ることだった。
昔の文芸部はやる気のある生徒がちゃんといて、部誌を発行する程度には機能していたらしい。けれどだんだんと人が減り、かわりに大量の幽霊部員が増えて、うまいこと利用されるようになっていた。
俺もご多分に洩れず、帰宅部志望だ。
でも最近、俺は部室に顔を出している。
それは、この誰もいない部室が勉強にぴったりだからだ。
遠くに感じる人の気配。それが、無音よりも程よい空気感で俺を包み込む。
俺は渉のように上位の大学を狙っているわけじゃない。けれど進学希望だ。そんな中、適当に挑んだ中間テストの結果があまりにも悪かったので、さすがに期末まではまじめにやろうと思い直すに至った。
本当は、面倒くさい。帰ってごろごろしていたい。だけど、この先を生きていくためにはしかたのないことなんだ。
長机に荷物を起き窓を開けると、空気が息を吹き返した。
風を浴びながら、外を見る。ふと、赤い糸が目に入る。
真っ赤な糸は鮮やかで、どんな場所にあってもよく目立つ。
……あの糸の先には、俺の明るい未来が待っているのだろうか。
「あ、いた!」
思いがけず声がして、驚いて振り返った。
教室の入り口を見ると、笑顔の桜庭が立っていた。
廊下から顔だけをひょっこりと出して、うれしそうにはしゃいでいる。その顔を認識して、思わず口が半開きになってしまった。
「おはよ、浅見くん。あ、もうおはようって時間じゃないか」
「なんで、ここに」
「浅見くんこそ、こんなところでなにしてるの」
桜庭が教室に入ってくる。
なんだか急に落ち着かなくなってきた。
女子とふたりきりになるのは苦手だ。昨日は緊急事態だったからまだよかったけれど、俺は本来、女子と関わりたくないのだ。
教室にふたりだけなんて、密室じゃないとしても、どうしたらいいのかわからなくなる。
「俺は、ただ……勉強しようと思っただけ。家だと集中できなくて、外でやるのが習慣だから……。……桜庭は、俺になにか用だった?」
「別に、用っていう用じゃないんだけどね。ただ、昨日のことちゃんとお礼を言いたくて。あと、浅見くんとちょっと話してみたいなぁって思って」
話したい……。……って、なんだ?
お礼はともかく、なんで俺と話したいのかわからない。話すって、なにを? ……世間話とか?
でも、そんなの無理だ。
俺は今まで、女子とまともに話したことがないんだ。高校に入ってからも、連絡事項といった必要最低限のことしか話してこなかった。そんな俺に、急に普通の会話なんてできるわけがない。
桜庭がなにを考えているのかわからない。
けれど、ここは穏便に、でも速やかに、彼女を追い出したい。
「……それなら気にしなくていいよ。体調が悪い人を見つけたら、助けるのはお互いさまだし……。元気になったならよかった。ただ、一応ここ部室だから、部外者はあんまり入らないほうが」
「部外者じゃないよ」
長机の上、俺の荷物の横にバッグを置いて、桜庭が近づいてくる。
そして隣の窓を開け、こちらを向いた。
「私、文芸部」
驚いて、目を見開いてしまった。
「え。……マジ」
「マジ! 一年のときから文芸部だよ。まぁ、ここに人なんて来ないから、私も浅見くんが文芸部だってさっき知ったんだけどね」
話によると、桜庭は先ほどA組で俺のことを探して、クラスメイトに居場所を聞いたらしい。
桜庭も文芸部だなんて知らなかった。
というか、桜庭はあまり帰宅部志望に見えない。どちらかというと吹奏楽部とか陸上部とか、まじめに部活に取り組むタイプのように見える。
だって、こうして話していると桜庭は〝陽〟の人間だ。
体調が悪かったときは彼女の本質が見えなかったけれど、元気になった今は違う。意外とおしゃべりで、明るくて、部活動もまじめに励みそうな生徒に見える。
「昨日はありがとう。本当に、助かったんだ」
「いや、別に……」
お礼を言われ、曖昧な返事をする。流れが悪い方向に進んでいる。
お礼はいいから、早く帰ってほしい。けれど、そうはならないだろう。
「ね。浅見くんって、よく屋上行くの?」
外を眺めながら、桜庭が当然のように話題を振ってきた。
こうなったら、気が済むまで付き合うしかないようだ。
「いや……。滅多に行かないよ。昨日はたまたま、そういう気分だっただけで」
「そうなんだ。なんか意外! 浅見くんって屋上に忍び込むみたいな、悪いことはしないイメージだったから」
「……そう?」
桜庭が俺のなにを知っているというんだろう。
俺のことを、友達の友達の友達から聞いたと言っていた。けど、どうにも胡散臭い。
そもそも女子の間で俺のことが話題にあがることも考えられない。