病院の先生が言った通り、僕はその日の夕方には異常はなかったとして無事退院することができた。
 迎えに来てくれた母さんの車に乗りながら紫音との『お手伝い』のルールについて考えてみた。
 ルールは合計三つ。
 一つ目は「僕らの関係を人に言わないこと」
 これはあまり気にしなくていいだろう。
 あんな可愛い陽キャと僕みたいなのがつるんでると学校に広まると心の中で何言われるか分かったものじゃないし、わざわざ僕から言うこともない。
 二つ目は「『お手伝い』が全て終わったらそこであったことを忘れること」
 なにか危なげなことをやらさせるのかと思ったけどこればかりは彼女を信頼するしかない。
 お手伝いが法に触れるようなものでなければ僕は手伝うつもりでいる。それに『お手伝い』が終わった後、それを話す人が僕にはいないし、これから作る気もない。そう考えるとこれも一つ目と同様、あまり考えなくてもいいのかな?
 そして最後、三つ目が「お互いのことを好きにならないこと」
 紫音がなにを考えているのか分からないけど、男女の友情は恋によって崩壊するというのを聞いた事ある。実際に道を歩いている時に「好きだから、この関係を変えたい」と思っている片方と「今までの関係でいたい」と思う片方でお互いの関係が崩れかかっている人達の心の声を少なからず聞いたことがある。
 だとすると、このルールもある意味妥当なのかもしれない。
 そもそも、僕が人のことを好きになることがあるのかなという考えもある。
 心が読めるせいで人が怖いのに、その一歩や二歩も先の恋愛に果たして挑戦できるのか。

 『ねぇ、今、私の心の声聞こえてないでしょ?』

 でも、彼女は何かしらの方法で心の声を僕に聞かせないようにしたり、意図的にそれを解除できたりしていた。
 逆に僕は心の読めない彼女にだったら恋することがあるのだろうか?
 ……いや、色々考えすぎか。
 この二日で起こった出来事が多くて、頭がこんがらがる。
 大きく深呼吸をして背もたれにもたれこんだ。
 明日になれば学校もある。
 とりあえず、彼女になにか言われるまでは僕はいつも通りを過ごせばいいんだ。
 ただその日常に、ほんの少しだけ非日常が加わるだけ。
 今はそう思っとけばいいや。
 「どうしたの蒼唯?なんかわくわく顔して」
 「え?そんな顔してる?」
 車のルームミラーで顔を確認したけど特に変わった様子もなくいつもの僕の顔のように見える。
 「ええ。いつも次の日が学校だとこの世の終わりみたいな顔をしてるから珍しくって」
 「別に……なんにもないよ」
 「そっか。まぁ、とにかく蒼唯が無事で良かった。事故って聞いた時は本当にびっくりしたんだからね。人を助けたのは親として誇らしいけど、もっと自分も大切にしてあげなさい」
 「うん。ごめん」
 「なんで謝るのよ」
 (本当に無事で良かった……)
 そんな心の声が聞こえてきて、心配をかけたことに申し訳なくなってしまう。
 でも、そんなにわくわくした顔してるのかな?
 母が本当に僕がそんな顔をしていると思っているのは心の声から判断ができる。
 どうやら、僕は本当に明日を楽しみにしている子供のような顔をしているらしい。
 彼女の『お手伝い』をする。
 正直に言うと僕にとってメリットなんて何も無い、彼女への償いをするためだけの行動だけど、この話に僕はあろうことか興奮を覚えているのかもしれない。
 さらに言えば、不思議と彼女に振り回されることも別に気分が悪いとも思わない。
 心が読めるからこそ、苦労してきた僕の前に現れた、心の読めない彼女は僕に束の間、小学生の頃のような普通の高校生を体験させてくれた。
 彼女からは、嫌な心の声が無理やり聞こえてくることが無い。
 その事実が、紫音が今まで人と関わることを避けて殻に閉じこもっていた僕を引っ張り出そうとしてくれているみたいで僕も自分が変われることに期待しているのかもしれない。
 彼女との出会いで僕の止まっていた歯車が今、再び回り始めた気がしていた。
  「先生から明日には普通に学校に通っても大丈夫って言われたしこれで一安心ね」
 この母の一言がそんな期待に胸を膨らましていた僕の心に冷水を浴びせた。
 『命の恩人のお見舞いに行きたいんです』と彼女は言ってしまったらしいが、明日学校に行ったらなんて言われるだろうか。
 誰も紫音の命の恩人が誰か分からない状況が一番良い。せめてクラスには広まっていなければ助かるんだけど……。
 ひと握りの期待と漠然とした不安でその日はベッドに横になった。