僕が目覚めてから一年が経ち、紫音と出会ってから三度目の秋が訪れた。
 僕の全身の骨折や打撲は無事に完治し幸いなことに特に後遺症も残らず程なくして学校にも復帰した。
 大輝と乃々さんはそのことを泣いて喜んでくれた。
 しかしその一方で紫音が目覚めることはなく、一年間機械に繋がれたまま眠り続けている。
 紫音の病状は世界で初めとのことで、世界中の医者達が紫音が回復する術を研究している。
 まだ、紫音は目覚めるかもしれない。
 その一縷にも縋る思いで翔吾さんは紫音の延命を続けている。
 しかし、その願いももはや叶わず、翔吾さんは紫音の入院費や薬代などを稼ぐために働き過ぎ、ついこの前過労で倒れてしまった。
 病室もいつまでも占領できないとのことであと一ヶ月でこの延命治療も打ち切りという話も上がっているらしい。
 僕も毎日紫音の元に通った。
 平日は学校が終わってから面会時間の終わりまで、休日は一日紫音の病室で過ごした。
 大輝や乃々さんも紫音のお見舞いに何度も来てくれたが、二人の呼びかけも紫音には届かなかった。
 「紫音、起きてくれ。紫音!お願い起きて!紫音!」
 今日も紫音に呼びかけてみるがいつも通り反応がなかった。
 この頃は受験勉強も始まり、大輝も乃々さんもあまりお見舞いに来れていない。
 大輝は野球の推薦で県外の強豪校へ、乃々さんも専門学校へ行くためにここを出るらしい。
 進学してしまえば二人も今までのようにはお見舞いには来れなくなってしまう。
 そのことを二人はとても悲しそうにしていた。
 僕の方も紫音の目を目覚めさせることを目的に医者になろうと決意し、猛勉強を始めた。
 家や学校だけでは時間が足りず、最近では病室の紫音の隣で勉強のラストスパートをかけている。
 今から医者になっても、もう紫音のことは間に合わないかもしれないというのに……。
 それだけ僕は紫音のことを諦めきれずにいた。
 「紫音、今日も隣で勉強させてもらうね」
 病室の小さな机に参考書とノートを鞄から出していくと鞄の中に小さな紙袋を入れていたのを思い出した。
 「そうだ紫音、今日はお土産を持ってきたんだ」
 紙袋から金木犀の香りのするフレグランスを取り出した。
 「昨日、ショッピングモールに行った時見つけたんだ。さすがに金木犀の花を持って来ることはできなかったけどこれは僕たちの思い出の花だから」
 小瓶の蓋を開けて、スティクを手元で数本入れてどこへ置こうかと周りを見渡した。
 紫音のベッドの横の棚、紫音のブレスレットが置いてある隣のスペースがまだ空いてるかな。
 「紫音、上通るね」
 ベッドを挟んで向かい側にある棚の上にフレグランスを置こうとするとさっきまで座っていた椅子に足を引っ掛けて手元のフレグランスの中の液体が紫音が被っている布団にかかってしまった。
 「わっ!ごめん紫音。拭くものは……」
 フレグランスを一旦勉強するための机に置いて、ポケットからテッシュを取り出し慌てて布団の濡れた部分を拭き取ろうとする。
 「これ看護師さんに怒られるかな?布団から金木犀の甘い匂いするもんなぁ……」
 (蒼唯――)
 僕は驚きで固まった。
 この声を僕が聞き違えるはずがない。
 さっき頭に響いた声は――。
 「紫音!起きて!紫音!」
 僕が呼びかける紫音の瞼はピクリと動き、次の瞬間、紫音は瞼を開けた。
 「紫音!僕が誰だか分かる?」
 「あ、蒼唯……?おはよう、起きたんだね。なんだか大きくなった?」
 「あぁ……」
 奇跡だ。
 奇跡が起こったんだ。
 「紫音、記憶が……」
 「うん。全部思い出した。蒼唯のことも、みんなのことも、全部」
 紫音は何もついていない右手の手首を眺め、さすっていた。
 (お母さんのおかげかな……)
 僕にはその真意は分からなかった。
 でも、今はそれを気にできるほど僕も冷静じゃなかった。
 紫音が起きるどころか、記憶まで全部戻ってるなんて。
 「蒼唯、今度は約束守ってね」
 「うん。ずっと一緒にいるよ。今度こそ、紫音を一人にはさせない」
 僕はそう言って紫音を抱きしめた。
 その体はとても暖かかった。
 「これからもよろしくね。大好きだよ、蒼唯」