「紫音!ご飯できたわよ」
 「え、お母さん……なんで生きて……」
 「紫音?涙なんて流して何かあったの?高校で嫌なことでもあった?」
 お母さんは私の涙を拭って、頭を撫でてくれた。
 あれ?私、なんで泣いてたんだっけ?
 「今日は紫音の好きなグラタン作ったから元気出して!」
 「え?!グラタン、やった!」
 「あら、すぐに元気になっちゃって。全く作りがいのある子ね」
 急いで手を洗い、席についてグラタンを口いっぱいに頬張った。
 甘いホワイトソースとチーズにマカロニとベーコンとたけのこ。
 お母さんのグラタンだ。
 「久しぶりに食べたけど、やっぱり美味しいな」
 「久しぶりって、この前も食べたじゃない。秋になるとすぐにグラタンをリクエストしてくるんだから。やっと涼しくなってきた頃だっていうのに」
 「あれ?そうだっけ?」
 なんで私はお母さんのグラタンを久しぶりって思ったんだっけ。
 さっきから何か変だ。
 何か大事なことを忘れている気がする。
 「高校に入ってからどうなの?何かあった?」
 「楽しく過ごしてるよ!中学校からの友達二人と私と、もう一人の四人でよく一緒に過ごしてるの」
 あれ、もう一人って誰だっけ?
 大輝と乃々ちゃんのことは思い出せるのに、あと一人が記憶に霧がかかったかのようで、何も思い出せない。
 「そう、楽しそうでなにより」
 「お母さんは最近私がいない間は何してるの?」
 「私?そうね……。ずっと紫音のことを考えているわ」
 「私のこと?」
 「そう。紫音が毎日楽しく過ごせますようにって」
 「なにそれ、変なの」
 思わずぶっきらぼうに言い放ってしまった。
 もう一口、グラタンを頬張る。
 コリコリとたけのこの食感がした。
 「あれ?そういえばお父さんは?」
 そういえば食卓はいつも家族三人で囲むのが我が家のルールのはずなのに、席には私とお母さんの二人しか座っていない。
 料理だって、二人分しか並べられていないのを見ておかしいと感じた。
 「お父さんは、まだここにはいないから」
 「いないってどういうこと?」
 お母さんは悲しそうな顔をして席を立ち、座っている私を後ろから抱きしめた。
 「紫音が元気そうに過ごせているのを見れて本当に良かった。でも、そろそろお別れの時間よ」
 「なに……それ?私まだお母さんと一緒に居たい!」
 「私だって紫音と一緒に居たい。それこそいつまでもずっと一緒に」
 お母さんは泣いていた。
 テーブルの上にお母さんの涙がポツポツと落ちていく。
 「でも、それは今じゃない。紫音はまだここに来るべきじゃない」
 お母さんはテーブルがある方とは反対の、庭へ出入りするための大きな窓を開けた。
 「さぁ、行って。大丈夫、紫音ならどこへ行けばいいかきっと分かるはずだから」
 「なんで?!お母さんも一緒に行こうよ!」
 「それは無理よ。私はもうそちら側には行けない」
 「なら、私もここにいる!お母さんと一緒に居たいよ!」
 「紫音!!」
 泣き喚く子を一喝するような声でお母さんら私の声を遮った。
 「紫音、停滞してばかりじゃあ何も起こらない。きっと紫音なら大丈夫よ」
 すると、男の子の声が私の頭に響いた。
 『……ん、……おん!起きてよ紫音!』
 この声は……。
 「――蒼唯?」
 そう、蒼唯!
 なんで今まで忘れていたんだろう。
 私は病気が原因で倒れて……。
 そうだ!蒼唯は無事なの?!
 まだ意識が戻っていないはず。
 「さぁ、紫音。行って。あなたの大事な人が待ってるわよ」
 窓の向こうは闇で覆われていて先が見えなかった。
 でも、闇の向こうから匂う金木犀の甘い香りは私を呼んでいるような気がした。
 「ねぇ、お母さん。お母さんの最期に立ち会えなくてごめんなさい。私、ずっとそのことを後悔してた」
 すると、お母さんは優しく私に微笑んだ。
 「‎いいのよ。普段から紫音には言いたいことは言っていたし、それに今こうやってあなたに会えたもの」
 お母さんの優しさに涙が溢れそうだった。
 「ねぇ、私ね、今度お母さんに紹介したい人がいるの」
 「へぇ、どんな人?」
 「世界で一番かっこいい、私の大好きな人!」
 「そっか。なら楽しみに待ってる。だから今度は二人でゆっくりしてからこっちに来なさいよ」
 「ありがとう。お母さん」
 お母さんはまた、私の頭を撫でた。
 正直、まだお母さんと居たい。
 けど、それ以上に私は蒼唯に会いたかった。
 蒼唯が私を前向きな気持ちにさせてくれたんだ。
 「これも持って行きなさい。大事なものなんでしょう?」
 お母さんは私に白のブレスレットを手渡した。
 「うん。ありがとう!」
 私はそれを右手に着け、窓の外の闇へ金木犀の香りを辿って一歩、また一歩と歩き出した。