白い……壁?
目が覚めたと思ったら目に飛び込んできたのは真っ白な病室の天井だった。
よく小説とかでこういうシーンがあるけどまさか僕がその立場になる日が来るなんて夢にも思わなかった。
白い布団、赤く染った紅葉が見える窓と靡くカーテン、僕の頭には包帯が巻かれてて、膝元には寝落ちしてる女の子。
ん?女の子?!
「え?だれ?!」
「え!?あ、おはよう?」
急いで体を起こし、寝惚け眼を擦る彼女には見覚えがあった。
僕と同じ高校の制服、カッターシャツの首元につけられた緑色のリボンは一年生、つまり僕と同級生であることを示している。それに灰色のセーターを上手く着こなしていて、スラッとした体型、顔も目はぱっちり二重で綺麗な白い肌。一言で表すなら可愛い人。
間違いない。彼女は今日僕が助けた女子高生だ。
(邪魔が入った……)
「あっ……」
その言葉が頭をよぎって警戒態勢を取る。
いったい、何が『邪魔』だったのだろうか。
もし、邪魔というのが僕が助けに入ったことだとしたら?
彼女はあの小学生の兄妹二人を殺そうとしていたことはならないか?
彼女の方を横目でちらりと見てみるけど、とても小学生を故意に事故に合わすような凶悪な殺人鬼のようには見えない。
でも、人は見た目で判断できない。
それを僕はよく知っているはずだろう?!
ベッドのどこかにあるはずのナースボタンの位置を彼女に悟られないように手探りで探す。
自分は子供を庇っているように見せて、その実二人を事故に合わせようとしていたなんて……とんでもない悪党じゃないか!
邪魔をされた怒りで今度は僕を殺しに来ているのかもしれない。
この状況では、僕はいつ殺されてもおかしくない。
少しでも、時間を稼ぎたい。
あわよくばもう一度彼女の心の声を聞いて事の顛末を知って警察に託さなければ……。
これ以上、彼女による被害が増えては駄目だ!
「なんか、私の事警戒してる?」
見透かされてしまったのかも。
彼女の問いかけにボタンを探していた右手が止まる。
「あ、私分かる?君が道路で助けてくれた……」
「……あの時は必死だったのでうる覚えですが」
「なら、良かった。改めて自己紹介させてよ。私は花宮紫音。紫の音で紫音ね!」
声はハキハキとしていて、高い声なのに聞き取りやすい声だ。
対照的に人とずっと喋ってこなかったせいで上手く喋れていない自分が嫌になる。
「君の名前は?」
「……比奈蒼唯」
「漢字は花の葵?」
「いや、難しい方の蒼に唯一の唯で、蒼唯……です」
「そっか、蒼唯君ね。かっこいい!いい名前じゃん」
ニコッと笑う彼女の笑顔はとても眩しくて、とても殺人犯のような顔には見えなくて、思わず判断が鈍りそうだ。
というか、いきなり下の名前呼び?!
この人、絶対陽キャだ。滲み出るオーラもそう言ってる。……こんな人でも凶悪犯になりうるのか。
「蒼唯君は事故で頭を打っちゃったみたいだから今日、明日は検査入院だって」
そう言うと彼女は「あ、お見舞いも持ってきたんだよ!」と、矢継ぎ早に林檎が三個入った籠を取り出した。
本当によく喋る人だ。
人のいる所を避けている僕にとって、無言の時間が無いような空間は久しぶりだった。
思えばそもそも、こんなに人と話すこと自体久しぶりだ。
一息ついていると彼女の取り出したその籠の中には果物ナイフが入っていて、思わず体を仰け反るとベッドの手すりに鈍い音を立て腕をぶつけてしまった。
「わっ!?どうしたの?なにかあった?」
彼女はいかにも心配そうな顔でこちらを見てきたが恐怖でそれどころじゃない。
でも、この際だ、思い切って聞いてしまおう。
そもそも話慣れてない僕が、人と対話でどうこうしようとしてたのが間違いだったのかもしれない。
こんな状況なら、心が読める力を宝の持ち腐れにするくらいなら断然こっちの方がいい。
彼女の目を見て、深く息を吸いんだ。これが、最後の深呼吸かもなぁ、なんて思いながら。
「あの、あなたが助けてた小学生はどうなりましたか?」
「へ?あぁ!あの二人なら今頃学校にでも行ってるんじゃないかな?」
「死んでたり……してないですよね?」
「大袈裟だなぁ〜。この事故で一番の大怪我は蒼唯君だよ。運転手の人も無傷。スマホのながら運転で今頃は警察署だと思うよ」
「じゃあ……『邪魔が入った』っていうのは、どういう意味ですか?」
そう言った時、笑顔を絶えさなかった彼女の顔が一瞬引き攣ったのが分かった。
「……どういうこと?邪魔ってなにが?事故は偶然だったんだよ。今説明したじゃん!」
すぐに明るく、ハキハキとした声に戻ったけど、今回ばかりは相手が悪い。僕相手にその動揺した顔を隠すのは無謀に近しい行為だ。
「僕は……人の心が読めます」
この力を人に話すのは小学生の頃以来だ。
母さんにも話したことはあるけど、取り合ってくれず僕は不貞腐れたが、親友の心の声を聞いて以来、母さんにもその話はしていない。きっと子供の戯言だと思っているだろう。
おおよそ、父が居なくなった寂しさから構って欲しかったのだろうと思われていると思う。
その後、僕は心を読めることを隠し、人と関わるのを避けてきた。
だから、僕が人と関わるのを避けるようになってから心の声が聞けることを明かすのはこれが初めて。
この際、全部ぶつけてしまおう。
僕は今ここで死んでしまうかもしれないのだから。
人と久しぶりに話したからか、生命の危機が目の前に迫っているからか、テンションもハイになっているんだろう。
少しでも彼女による被害が減るのなら僕はなんだってしようと決めたのだ。
「どうしたの?いきなりそんなこと言って……。ハッ!まさか、頭を打った衝撃で……!」
「ねぇ、好きな食べ物は?」
「えっ?好きな食べ物?」
彼女は脈絡もない突然の質問に呆気に取られていたが少しでも心の中で考えてくれる。それだけで十分だった。
「えーっとね」
「「いちごのいっぱい乗ったパフェ」」
「え?!」
驚く彼女をよそに畳み掛けてみる。
「好きな色は?」
「「黄色」」
「嫌いなものは」
「「部屋の中を飛び回る蚊」」
彼女は徐々にすごいすごいと言わんばかりに手で口を抑え、座ったままぴょんぴょんと小刻みに跳ねた。
「じゃあ、君の好きな動物は……」
そこで、僕の口は止まった。
心の声が聞こえなくなった……?
「ん?どうしたの?」
そう聞いてくる彼女は先程と変わらず、別に異変はないように見える。
なら、なんで?
今までこんなことなかったのに……。
「ほんとに心、読めるんだね」
「……認めてくれて良かったです」
「認めるしかないでしょ。私と君は今日会ったばっかりだよ?まぁ、蒼唯君が私の熱烈なファンだって線もあるけどね」
「すみませんが、本当に初対面ですし、ファンでもないです」
「そっか、それは残念!私にもついにファンができたかと思ったのに」
彼女は怒った魚のように口を膨らまして僕に訴えかけてきたが僕はそれどころじゃなかった。
なんで心の声が聞こえなくなった?
今までそんなこと無かったのに。
「ねぇ、今、私の心の声聞こえてないでしょ?」
「……どうやってるんですか?」
「内緒〜!私にもプライバシーってものがあるんだからね。勝手に乙女の心の中なんて覗いたら駄目だよ!」
「望んで覗いてるわけじゃないです。……あと多分、本当に乙女な人は自分を乙女とは言わないと思います」
「手厳しい!」
彼女は今度はわざとらしく仰け反って見せた。
彼女のリアクションは毎回オーバーだが雰囲気を明るくする力を持っているようだ。
僕からしたら事態はより悪化していっているというのに。
「これで、蒼唯君はもう、私の心は読めないね」
ずっと消えたらいいと思っていた力もこんな状況じゃ、使えなくなった瞬間にこんなにも心細くなるのか。
「それで、蒼唯君は事故に遭う時、私の心の中を読んだみたいだけど。結局何が言いたいの?」
さっきまでずっと明るかった彼女の雰囲気が少し、張り詰めた。
手に汗を握るという言葉があるけど実際にはこんな感じなんだろうな。
「今から僕を……殺すつもりですか?」
もう、駆け引きは無駄だ。
僕は心が読めなければただの運動神経の悪い高校生に過ぎない。
情けない話だが、いくら女性といえどナイフなんて持っていたら太刀打ちなんてできっこない。
どうか、殺すなら苦しくない方法で……。
そう思い、目をギュッと瞑ったが、いくら待てども僕の体にナイフが突き刺されることはなかった。
その代わり、彼女の笑い声が病室を満たした。
「もしかして、あの言葉、そう意味で受け取ったの?!」
「え?違うんですか?」
「違う違う!あの兄妹二人も本当に無事だし、君を殺すつもりなんてないよ!そもそも殺すなら君が寝てる間に殺してるよ」
「じゃあ、そのナイフも……」
「これも本当に林檎の皮を剥くための果物ナイフだよ?!見る?私のナイフ捌き!林檎なら途切れずに皮剥けるよ!」
どうやら僕は盛大な勘違いをしていたみたいで彼女のドヤ顔にリアクションができなくなるくらい恥ずかしかった。
彼女は本当にあの小学生二人を助けたかっただけの女子高生のようだ。
なんだ、恥はかいたけど杞憂で本当によかった。
「にしても、殺人鬼扱いされたのなんて人生で初めてだよ」
腹を抱えるほど笑った後、彼女は僕に言った。
「その節は本当にすみません……」
「いいのいいの!責めてるわけじゃないから頭上げて!怪我人なんだから安静にしてよね!」
「いや、でも、なにか僕のできる範囲でお詫びさせてください」
あろうことか僕は小学生を庇った勇気ある人を殺人鬼呼ばわりしてしまったんだ。
人と関わらないという僕の基本方針は変わらない。
ただ、人への謝罪の気持ちまで無くしたいわけじゃない。
人の心が読めることは僕にとっていい事ばかりではない。
人と関わりたくないと思うことなんて、自分で言うのもなんだけど、心が読めたら正直誰でもそう思うだろう妥当な判断だと思う。
ただ、僕は嫌な人にはなりたくはなかった。
人の悪い部分が全部見えるからこそ、僕もああはなりたくない。
彼女が望むなら僕はできる限りの事はするつもりだ。
「うーん、そうだなぁ」
彼女は自分の右手を左手の手のひらに軽く打ち付けてから言った。
「じゃあ、私の『お手伝い』をしてもらいます」
「お手伝い?」
「そう!具体的には私のしたいことに付き合ってもらいます!ちなみにこれは一回きりのお願いじゃないからね。これから色んなことをしていく予定だからそのつもりで!」
彼女の提案に僕はいい反応はできなかった。
それは彼女と何度も会う。つまり、彼女と深く関わりを持つことを意味する。
それは僕にとってあまりにも酷な事だった。
心の中で不満をぶつけられても会うのがそれっきりの人と、明日も合わなければいけない人とでは心へのダメージは大きく違う。
彼女の人柄のおかげで今は少し喋れているけど、本来は人と話すことすら難しい僕にはそれは難しかった。
「ごめんなさい、花宮さん。僕は……人と関わるのが少し怖くって。だから、違うものが嬉しいな。もちろん、代替案なら僕ができる範囲で全力でやらせてもらうから……」
「そっか。心なんて読めたら人と関わるのも嫌になるよね」
うんうんと相槌を打ってくれたのを見てほっと胸をなでおろした。
彼女も分かってくれたみたいで良かった。
「うん。だから……」
「で、今。蒼唯君は私の心は読めてるの?」
「えっ?」
そういえば、一度聞こえなくなってから今まで、花宮さんの心の声は聞こえていない。
それが彼女の力なのか、はたまた技術なのか。原理は分からないけど確かに聞こえない。
僕の反応を見て察した花宮さんはベッドに頬杖をついて僕に笑って見せた。
「これで断る理由なくなっちゃったね」
……嘘でしょ。
「それじゃ、詳細は明日またここに来てから話すね!今日は一日安静にしておくこと!」
「えっ、ちょっと待っ――」
彼女は青色のスクールバッグを肩にかけ、速やかに病室のドアまで行きドアノブに手をかけた。
「それじゃ、私は学校にお昼からは登校しないといけないから、また明日!」
花宮さんは僕に何かを言わす隙も与えず、病室を出ていってしまった。
「明日も来るつもりなの?」
椅子のように上半身が上がったベッドに力なくもたれかかり、両手で顔を覆い隠す。
時計をチラリと見ると十二時十五分を示していた。
『お手伝い』
彼女がしたいことに付き合えばいいらしいが具体的なことは明日にならないと分からない。
そもそも、彼女について分からないことが多すぎる。
結局何が『邪魔』だったのかも分からないし、なんで急に心の声が読めなくなったかも不明だ。
今でもドアの向こう側にいるであろう看護師さん二人の声は絶えず聞こえている。
僕の方がおかしいわけじゃないだろう。
彼女が何かをしたのだ。
僕の知らない何か、心を読めなくする方法を。
考えれば考えるほど気が重くなっていく。
人と関わる。
この力が与えられるまで、ずっと無意識に、気楽にやっていた行為は今や僕の心を蝕んでいく行為になっている。
「はぁ〜……」
静かになった白い病室の中には僕の大きなため息と彼女が残していった、金木犀の香りが満ちていた。
これからの日々は彼女に振り回される波乱の日々になりそうだ。
目が覚めたと思ったら目に飛び込んできたのは真っ白な病室の天井だった。
よく小説とかでこういうシーンがあるけどまさか僕がその立場になる日が来るなんて夢にも思わなかった。
白い布団、赤く染った紅葉が見える窓と靡くカーテン、僕の頭には包帯が巻かれてて、膝元には寝落ちしてる女の子。
ん?女の子?!
「え?だれ?!」
「え!?あ、おはよう?」
急いで体を起こし、寝惚け眼を擦る彼女には見覚えがあった。
僕と同じ高校の制服、カッターシャツの首元につけられた緑色のリボンは一年生、つまり僕と同級生であることを示している。それに灰色のセーターを上手く着こなしていて、スラッとした体型、顔も目はぱっちり二重で綺麗な白い肌。一言で表すなら可愛い人。
間違いない。彼女は今日僕が助けた女子高生だ。
(邪魔が入った……)
「あっ……」
その言葉が頭をよぎって警戒態勢を取る。
いったい、何が『邪魔』だったのだろうか。
もし、邪魔というのが僕が助けに入ったことだとしたら?
彼女はあの小学生の兄妹二人を殺そうとしていたことはならないか?
彼女の方を横目でちらりと見てみるけど、とても小学生を故意に事故に合わすような凶悪な殺人鬼のようには見えない。
でも、人は見た目で判断できない。
それを僕はよく知っているはずだろう?!
ベッドのどこかにあるはずのナースボタンの位置を彼女に悟られないように手探りで探す。
自分は子供を庇っているように見せて、その実二人を事故に合わせようとしていたなんて……とんでもない悪党じゃないか!
邪魔をされた怒りで今度は僕を殺しに来ているのかもしれない。
この状況では、僕はいつ殺されてもおかしくない。
少しでも、時間を稼ぎたい。
あわよくばもう一度彼女の心の声を聞いて事の顛末を知って警察に託さなければ……。
これ以上、彼女による被害が増えては駄目だ!
「なんか、私の事警戒してる?」
見透かされてしまったのかも。
彼女の問いかけにボタンを探していた右手が止まる。
「あ、私分かる?君が道路で助けてくれた……」
「……あの時は必死だったのでうる覚えですが」
「なら、良かった。改めて自己紹介させてよ。私は花宮紫音。紫の音で紫音ね!」
声はハキハキとしていて、高い声なのに聞き取りやすい声だ。
対照的に人とずっと喋ってこなかったせいで上手く喋れていない自分が嫌になる。
「君の名前は?」
「……比奈蒼唯」
「漢字は花の葵?」
「いや、難しい方の蒼に唯一の唯で、蒼唯……です」
「そっか、蒼唯君ね。かっこいい!いい名前じゃん」
ニコッと笑う彼女の笑顔はとても眩しくて、とても殺人犯のような顔には見えなくて、思わず判断が鈍りそうだ。
というか、いきなり下の名前呼び?!
この人、絶対陽キャだ。滲み出るオーラもそう言ってる。……こんな人でも凶悪犯になりうるのか。
「蒼唯君は事故で頭を打っちゃったみたいだから今日、明日は検査入院だって」
そう言うと彼女は「あ、お見舞いも持ってきたんだよ!」と、矢継ぎ早に林檎が三個入った籠を取り出した。
本当によく喋る人だ。
人のいる所を避けている僕にとって、無言の時間が無いような空間は久しぶりだった。
思えばそもそも、こんなに人と話すこと自体久しぶりだ。
一息ついていると彼女の取り出したその籠の中には果物ナイフが入っていて、思わず体を仰け反るとベッドの手すりに鈍い音を立て腕をぶつけてしまった。
「わっ!?どうしたの?なにかあった?」
彼女はいかにも心配そうな顔でこちらを見てきたが恐怖でそれどころじゃない。
でも、この際だ、思い切って聞いてしまおう。
そもそも話慣れてない僕が、人と対話でどうこうしようとしてたのが間違いだったのかもしれない。
こんな状況なら、心が読める力を宝の持ち腐れにするくらいなら断然こっちの方がいい。
彼女の目を見て、深く息を吸いんだ。これが、最後の深呼吸かもなぁ、なんて思いながら。
「あの、あなたが助けてた小学生はどうなりましたか?」
「へ?あぁ!あの二人なら今頃学校にでも行ってるんじゃないかな?」
「死んでたり……してないですよね?」
「大袈裟だなぁ〜。この事故で一番の大怪我は蒼唯君だよ。運転手の人も無傷。スマホのながら運転で今頃は警察署だと思うよ」
「じゃあ……『邪魔が入った』っていうのは、どういう意味ですか?」
そう言った時、笑顔を絶えさなかった彼女の顔が一瞬引き攣ったのが分かった。
「……どういうこと?邪魔ってなにが?事故は偶然だったんだよ。今説明したじゃん!」
すぐに明るく、ハキハキとした声に戻ったけど、今回ばかりは相手が悪い。僕相手にその動揺した顔を隠すのは無謀に近しい行為だ。
「僕は……人の心が読めます」
この力を人に話すのは小学生の頃以来だ。
母さんにも話したことはあるけど、取り合ってくれず僕は不貞腐れたが、親友の心の声を聞いて以来、母さんにもその話はしていない。きっと子供の戯言だと思っているだろう。
おおよそ、父が居なくなった寂しさから構って欲しかったのだろうと思われていると思う。
その後、僕は心を読めることを隠し、人と関わるのを避けてきた。
だから、僕が人と関わるのを避けるようになってから心の声が聞けることを明かすのはこれが初めて。
この際、全部ぶつけてしまおう。
僕は今ここで死んでしまうかもしれないのだから。
人と久しぶりに話したからか、生命の危機が目の前に迫っているからか、テンションもハイになっているんだろう。
少しでも彼女による被害が減るのなら僕はなんだってしようと決めたのだ。
「どうしたの?いきなりそんなこと言って……。ハッ!まさか、頭を打った衝撃で……!」
「ねぇ、好きな食べ物は?」
「えっ?好きな食べ物?」
彼女は脈絡もない突然の質問に呆気に取られていたが少しでも心の中で考えてくれる。それだけで十分だった。
「えーっとね」
「「いちごのいっぱい乗ったパフェ」」
「え?!」
驚く彼女をよそに畳み掛けてみる。
「好きな色は?」
「「黄色」」
「嫌いなものは」
「「部屋の中を飛び回る蚊」」
彼女は徐々にすごいすごいと言わんばかりに手で口を抑え、座ったままぴょんぴょんと小刻みに跳ねた。
「じゃあ、君の好きな動物は……」
そこで、僕の口は止まった。
心の声が聞こえなくなった……?
「ん?どうしたの?」
そう聞いてくる彼女は先程と変わらず、別に異変はないように見える。
なら、なんで?
今までこんなことなかったのに……。
「ほんとに心、読めるんだね」
「……認めてくれて良かったです」
「認めるしかないでしょ。私と君は今日会ったばっかりだよ?まぁ、蒼唯君が私の熱烈なファンだって線もあるけどね」
「すみませんが、本当に初対面ですし、ファンでもないです」
「そっか、それは残念!私にもついにファンができたかと思ったのに」
彼女は怒った魚のように口を膨らまして僕に訴えかけてきたが僕はそれどころじゃなかった。
なんで心の声が聞こえなくなった?
今までそんなこと無かったのに。
「ねぇ、今、私の心の声聞こえてないでしょ?」
「……どうやってるんですか?」
「内緒〜!私にもプライバシーってものがあるんだからね。勝手に乙女の心の中なんて覗いたら駄目だよ!」
「望んで覗いてるわけじゃないです。……あと多分、本当に乙女な人は自分を乙女とは言わないと思います」
「手厳しい!」
彼女は今度はわざとらしく仰け反って見せた。
彼女のリアクションは毎回オーバーだが雰囲気を明るくする力を持っているようだ。
僕からしたら事態はより悪化していっているというのに。
「これで、蒼唯君はもう、私の心は読めないね」
ずっと消えたらいいと思っていた力もこんな状況じゃ、使えなくなった瞬間にこんなにも心細くなるのか。
「それで、蒼唯君は事故に遭う時、私の心の中を読んだみたいだけど。結局何が言いたいの?」
さっきまでずっと明るかった彼女の雰囲気が少し、張り詰めた。
手に汗を握るという言葉があるけど実際にはこんな感じなんだろうな。
「今から僕を……殺すつもりですか?」
もう、駆け引きは無駄だ。
僕は心が読めなければただの運動神経の悪い高校生に過ぎない。
情けない話だが、いくら女性といえどナイフなんて持っていたら太刀打ちなんてできっこない。
どうか、殺すなら苦しくない方法で……。
そう思い、目をギュッと瞑ったが、いくら待てども僕の体にナイフが突き刺されることはなかった。
その代わり、彼女の笑い声が病室を満たした。
「もしかして、あの言葉、そう意味で受け取ったの?!」
「え?違うんですか?」
「違う違う!あの兄妹二人も本当に無事だし、君を殺すつもりなんてないよ!そもそも殺すなら君が寝てる間に殺してるよ」
「じゃあ、そのナイフも……」
「これも本当に林檎の皮を剥くための果物ナイフだよ?!見る?私のナイフ捌き!林檎なら途切れずに皮剥けるよ!」
どうやら僕は盛大な勘違いをしていたみたいで彼女のドヤ顔にリアクションができなくなるくらい恥ずかしかった。
彼女は本当にあの小学生二人を助けたかっただけの女子高生のようだ。
なんだ、恥はかいたけど杞憂で本当によかった。
「にしても、殺人鬼扱いされたのなんて人生で初めてだよ」
腹を抱えるほど笑った後、彼女は僕に言った。
「その節は本当にすみません……」
「いいのいいの!責めてるわけじゃないから頭上げて!怪我人なんだから安静にしてよね!」
「いや、でも、なにか僕のできる範囲でお詫びさせてください」
あろうことか僕は小学生を庇った勇気ある人を殺人鬼呼ばわりしてしまったんだ。
人と関わらないという僕の基本方針は変わらない。
ただ、人への謝罪の気持ちまで無くしたいわけじゃない。
人の心が読めることは僕にとっていい事ばかりではない。
人と関わりたくないと思うことなんて、自分で言うのもなんだけど、心が読めたら正直誰でもそう思うだろう妥当な判断だと思う。
ただ、僕は嫌な人にはなりたくはなかった。
人の悪い部分が全部見えるからこそ、僕もああはなりたくない。
彼女が望むなら僕はできる限りの事はするつもりだ。
「うーん、そうだなぁ」
彼女は自分の右手を左手の手のひらに軽く打ち付けてから言った。
「じゃあ、私の『お手伝い』をしてもらいます」
「お手伝い?」
「そう!具体的には私のしたいことに付き合ってもらいます!ちなみにこれは一回きりのお願いじゃないからね。これから色んなことをしていく予定だからそのつもりで!」
彼女の提案に僕はいい反応はできなかった。
それは彼女と何度も会う。つまり、彼女と深く関わりを持つことを意味する。
それは僕にとってあまりにも酷な事だった。
心の中で不満をぶつけられても会うのがそれっきりの人と、明日も合わなければいけない人とでは心へのダメージは大きく違う。
彼女の人柄のおかげで今は少し喋れているけど、本来は人と話すことすら難しい僕にはそれは難しかった。
「ごめんなさい、花宮さん。僕は……人と関わるのが少し怖くって。だから、違うものが嬉しいな。もちろん、代替案なら僕ができる範囲で全力でやらせてもらうから……」
「そっか。心なんて読めたら人と関わるのも嫌になるよね」
うんうんと相槌を打ってくれたのを見てほっと胸をなでおろした。
彼女も分かってくれたみたいで良かった。
「うん。だから……」
「で、今。蒼唯君は私の心は読めてるの?」
「えっ?」
そういえば、一度聞こえなくなってから今まで、花宮さんの心の声は聞こえていない。
それが彼女の力なのか、はたまた技術なのか。原理は分からないけど確かに聞こえない。
僕の反応を見て察した花宮さんはベッドに頬杖をついて僕に笑って見せた。
「これで断る理由なくなっちゃったね」
……嘘でしょ。
「それじゃ、詳細は明日またここに来てから話すね!今日は一日安静にしておくこと!」
「えっ、ちょっと待っ――」
彼女は青色のスクールバッグを肩にかけ、速やかに病室のドアまで行きドアノブに手をかけた。
「それじゃ、私は学校にお昼からは登校しないといけないから、また明日!」
花宮さんは僕に何かを言わす隙も与えず、病室を出ていってしまった。
「明日も来るつもりなの?」
椅子のように上半身が上がったベッドに力なくもたれかかり、両手で顔を覆い隠す。
時計をチラリと見ると十二時十五分を示していた。
『お手伝い』
彼女がしたいことに付き合えばいいらしいが具体的なことは明日にならないと分からない。
そもそも、彼女について分からないことが多すぎる。
結局何が『邪魔』だったのかも分からないし、なんで急に心の声が読めなくなったかも不明だ。
今でもドアの向こう側にいるであろう看護師さん二人の声は絶えず聞こえている。
僕の方がおかしいわけじゃないだろう。
彼女が何かをしたのだ。
僕の知らない何か、心を読めなくする方法を。
考えれば考えるほど気が重くなっていく。
人と関わる。
この力が与えられるまで、ずっと無意識に、気楽にやっていた行為は今や僕の心を蝕んでいく行為になっている。
「はぁ〜……」
静かになった白い病室の中には僕の大きなため息と彼女が残していった、金木犀の香りが満ちていた。
これからの日々は彼女に振り回される波乱の日々になりそうだ。