病院を出た後も学校へ行く気分にはなれず、僕はそのまま家へ帰った。
大輝と乃々さんには紫音の要望通り、紫音の身体は大丈夫。でももう会いにこないでと言っていたことをメールで伝えた。
大輝からも乃々さんからも鬼のようにメッセージと着信があったけど今の僕にはそれに返信する元気もなく、スマホの電源を切ってベッドの上に投げ捨てた。
『何も知らない人には分からないよ……』
紫音の言葉が耳にこびりついて離れない。
僕はこの一年間で紫音のおかげで色んなことを知れて、多くのことができるようになった。
僕一人なら絶対に得ることのなかった体験もたくさんした。
紫音のおかげで僕の人生は元の、人を嫌っていた頃とは比べ物にならないくらい明るいもの変わった。
でも、僕は紫音に何をしてあげられた?
紫音に「何も知らない」と言われて僕は言い返すことすらできなかった。
実際に僕は紫音のことを全然知らなかった、知ろうとしてこなかったから。
いつもはぐらかしてくるからなんて勝手に自分で逃げ道を作って、紫音の出してるサインに気がつくことすらできなかった。
結局、僕は父さんと母さんが離婚した時から根の部分が変わってないんだ。
根本的で肝心なことに気がつかない。
結局、僕は自分のことしか見ていなかったんだ。
そう思うと紫音に与えられてばかりの自分が途端に醜く見えた。
「蒼唯〜!帰ってるの?」
静かだった家に母さんの声が響いた。
今日は仕事が早く終わったのかな?
僕は重い体を無理矢理動かして二階の自室から一階のリビングまで歩く。
「まだ学校の時間じゃないの……って酷い顔!体調悪いの?」
「いや……別に体調は大丈夫。熱もないよ」
「そう。なら何かあった?」
母さんは荷物を置くとダイニングテーブル用の椅子に座り、僕を手招きして呼んだ。
どうやら僕も座れということらしい。
今は人と話している気分なんかではなかったけれど、勝手に帰ってきた身として怒られないだけマシだと思うことにして僕も椅子に座った。
「それで何があったの?」
「……」
少しばかりの沈黙が続いた。
今の僕にはこの状況をなんて説明すればいいかすらも分からなかった。
母さんに言いたいこと、伝えたいことはたくさんある。
僕らのこの関係は最初は心の声を読めることを広めると紫音に脅されて始まった。
その時は、紫音のことは所詮は他人だとずっと思っていた。
次第に紫音のことを友達だと言えるような関係になって、一緒に大輝と乃々さんの恋を叶える計画を企てたパートナーのような存在になった。
そして、僕は禁止されていたけど、紫音に恋をした。
『お手伝い』のルールでお互いへの恋を禁止してるのに僕はそれを破ってしまった。
それくらい彼女のことが、どうしようもないくらい好きだった。
昨日、それが紫音への二度目の恋になるかもしれないとも知った。
一度目は転校前の小学生の時。唯一心を読める力を否定せずに受け入れてくれた金木犀を腕いっぱいに抱えて僕を慰めてくれた女の子……シオンに。
二度目は今の、僕が心を読めると知ってなお、明るい陽だまりへ連れてきてくれた紫音に。
結局その二人が同一人物であるかどうかはまだ確認できていないけど……。
これまでの紫音と僕の軌跡や、紫音の入院がきっかけで起きた紫音の態度の変化。そして、突然の縁切り。
僕はそれを母さんに伝えることができなかった。
今まで人を避けて、話してこなかったからそのやり方が分からなかった。
こんなところでつけが回って来るなんて思ってもいなかった。
黙りこくっていると母さんはため息をついた。
(この子はまたこんなことになって……)
やっぱり、僕は何をしても駄目なやつでしかないんだ。
僕には紫音の隣に立つなんて、ましてや恋心を抱くなんて分不相応だったのかもしれない。
この一年間ももしかしたら夢だったのかも……。
「蒼唯の悪いところよ。いつも自分一人でなんでも背負おうとするところ」
母さんはテーブル越しの僕の額にデコピンを強烈な一発食らわせた。
「いたっ!」
「いい?蒼唯は一人で塞ぎ込まないでもっと人に頼りなさい。人を頼ることも紛れもないその人の力よ」
母さんの目はしっかりと僕を捉えていた。
「昔私たちが離婚してすぐの頃、蒼唯がショックで部屋に閉じこもって『僕のせいだ』なんて悲しそうな声で自分を責めているのを聞いちゃったことがあったけど、あの時の私は何も言ってあげられなかった。私のせいでこの子がこんなになっているのに蒼唯に「あなたのせいじゃない、気にしないで早く立ち直って」なんて言う資格はないと思っていたから。でも私はあの時の選択を後悔してるの。無理をしてでも蒼唯のことを抱きしめてあげるべきだった」
母さんは僕の左手を両手で優しく握った。
その手は幼い頃に握って以来の力強くて暖かい手だった。
「でも僕が無理に二人が一緒に過ごすようにしてたから……!そんなことしなければもしかしたら関係だって良くなっていたかもしれないのに!」
「離婚は蒼唯のせいなんかじゃない。それはただ、私とお父さんが合わなかっただけ。蒼唯がそんなことをしていなくても遅かれ早かれこうなっていたと思う。でも蒼唯のその気遣いは何よりも嬉しい。そしてごめんなさい。今まで蒼唯の思いに気がついてあげられなくて」
母さんは頭を下げた。
ここまで母さんと面と向かって話したのはこれが初めてだった。
心が読めるようになって、母さんが僕をなんと思っているのか分かってしまうからと母さんとすらも会話を避けてしまっていたんだ。
実際は僕への負い目からきていた母さんと僕の間にある心の壁のせいで何一つ、僕は母さんのことを知ることはできなかったというのに。
「でももう後悔しないようにしたい。今度は今深刻そうな顔をする蒼唯の力になりたい。今更都合のいいようだけど、こんなお母さんを蒼唯は許してくれるなら何があったかゆっくりでいいから話してみてほしい」
「それはずるいよ……僕が母さんを許さないわけないじゃないか」
母さんは僕に向かってはにかんだ。
それから僕はダムが決壊したように涙を流しながら今までのことと今の紫音について話した。
僕が話している間、母さんはずっと真剣な顔で黙って聞いてくれた。
「そっか。その紫音ちゃんって子に蒼唯は救われたのね」
「うん。でも紫音とはもう縁を切られた。僕には何をするべきかがもう分からないんだ」
「そんなの答えは一つよ」
僕がさっきまで頭を抱えて悩んでいた問題を母さんは話を聞いてたった一分足らずで結論を出してしまった。
「蒼唯、あなたは今どうしたいの?」
僕がどうしたいか……?
そんなの決まってる。
「もう一度、紫音に会いたい」
僕はあの悲しそうな声で「寂しい」と言っていた紫音を見なかったことにはしたくない。
僕のブレスレットにわざわざ振動を送ってきたということは紫音は本心では誰かに助けてもらいたいと思っているはずだから。
「僕はまだ紫音に紫音自身のことを何も聞けてない!」
「ほら、もう答え出てるじゃん」
母さんはまるで僕の心にもう答えがあるだろうと言わんばかりに胸の辺りを親指で指さした。
「蒼唯までさっき私が言ったような後悔をしなくていいの。来ないでと言われようがそれが彼女のためにならないと思ったんなら後悔する前に行動しなさい」
母さんは立ち上がり座っている僕の背中からハグをした。
母の温もりってこういうことなんだろうな。
荒れていた心が少しづつ凪いでいっているように感じる。
「明日は学校に一日欠席の連絡を入れといてあげる。ただし今回だけだからね」
母さんは回していた腕を引っ込めると今度は僕の背中を押すようにバシッと叩いて喝を入れた。
「紫音ちゃんとしっかり話してくるように。いいね?」
「……うん!ありがとう母さん」
「どうってことないよ……そうだ、買い物に行かないと行けないんだった。直ぐに行って来るから、それじゃあ」
そそくさと出ていく母さんの手には車の鍵だけで財布なんて握られていなかった。
(ありがとうなんて言うのは私の方よ。蒼唯、私の子供に生まれてくれてありがとう)
いつまでも出発しない車からまるで何かを堪えるように震える声が僕の頭の中にずっと響いていた。
大輝と乃々さんには紫音の要望通り、紫音の身体は大丈夫。でももう会いにこないでと言っていたことをメールで伝えた。
大輝からも乃々さんからも鬼のようにメッセージと着信があったけど今の僕にはそれに返信する元気もなく、スマホの電源を切ってベッドの上に投げ捨てた。
『何も知らない人には分からないよ……』
紫音の言葉が耳にこびりついて離れない。
僕はこの一年間で紫音のおかげで色んなことを知れて、多くのことができるようになった。
僕一人なら絶対に得ることのなかった体験もたくさんした。
紫音のおかげで僕の人生は元の、人を嫌っていた頃とは比べ物にならないくらい明るいもの変わった。
でも、僕は紫音に何をしてあげられた?
紫音に「何も知らない」と言われて僕は言い返すことすらできなかった。
実際に僕は紫音のことを全然知らなかった、知ろうとしてこなかったから。
いつもはぐらかしてくるからなんて勝手に自分で逃げ道を作って、紫音の出してるサインに気がつくことすらできなかった。
結局、僕は父さんと母さんが離婚した時から根の部分が変わってないんだ。
根本的で肝心なことに気がつかない。
結局、僕は自分のことしか見ていなかったんだ。
そう思うと紫音に与えられてばかりの自分が途端に醜く見えた。
「蒼唯〜!帰ってるの?」
静かだった家に母さんの声が響いた。
今日は仕事が早く終わったのかな?
僕は重い体を無理矢理動かして二階の自室から一階のリビングまで歩く。
「まだ学校の時間じゃないの……って酷い顔!体調悪いの?」
「いや……別に体調は大丈夫。熱もないよ」
「そう。なら何かあった?」
母さんは荷物を置くとダイニングテーブル用の椅子に座り、僕を手招きして呼んだ。
どうやら僕も座れということらしい。
今は人と話している気分なんかではなかったけれど、勝手に帰ってきた身として怒られないだけマシだと思うことにして僕も椅子に座った。
「それで何があったの?」
「……」
少しばかりの沈黙が続いた。
今の僕にはこの状況をなんて説明すればいいかすらも分からなかった。
母さんに言いたいこと、伝えたいことはたくさんある。
僕らのこの関係は最初は心の声を読めることを広めると紫音に脅されて始まった。
その時は、紫音のことは所詮は他人だとずっと思っていた。
次第に紫音のことを友達だと言えるような関係になって、一緒に大輝と乃々さんの恋を叶える計画を企てたパートナーのような存在になった。
そして、僕は禁止されていたけど、紫音に恋をした。
『お手伝い』のルールでお互いへの恋を禁止してるのに僕はそれを破ってしまった。
それくらい彼女のことが、どうしようもないくらい好きだった。
昨日、それが紫音への二度目の恋になるかもしれないとも知った。
一度目は転校前の小学生の時。唯一心を読める力を否定せずに受け入れてくれた金木犀を腕いっぱいに抱えて僕を慰めてくれた女の子……シオンに。
二度目は今の、僕が心を読めると知ってなお、明るい陽だまりへ連れてきてくれた紫音に。
結局その二人が同一人物であるかどうかはまだ確認できていないけど……。
これまでの紫音と僕の軌跡や、紫音の入院がきっかけで起きた紫音の態度の変化。そして、突然の縁切り。
僕はそれを母さんに伝えることができなかった。
今まで人を避けて、話してこなかったからそのやり方が分からなかった。
こんなところでつけが回って来るなんて思ってもいなかった。
黙りこくっていると母さんはため息をついた。
(この子はまたこんなことになって……)
やっぱり、僕は何をしても駄目なやつでしかないんだ。
僕には紫音の隣に立つなんて、ましてや恋心を抱くなんて分不相応だったのかもしれない。
この一年間ももしかしたら夢だったのかも……。
「蒼唯の悪いところよ。いつも自分一人でなんでも背負おうとするところ」
母さんはテーブル越しの僕の額にデコピンを強烈な一発食らわせた。
「いたっ!」
「いい?蒼唯は一人で塞ぎ込まないでもっと人に頼りなさい。人を頼ることも紛れもないその人の力よ」
母さんの目はしっかりと僕を捉えていた。
「昔私たちが離婚してすぐの頃、蒼唯がショックで部屋に閉じこもって『僕のせいだ』なんて悲しそうな声で自分を責めているのを聞いちゃったことがあったけど、あの時の私は何も言ってあげられなかった。私のせいでこの子がこんなになっているのに蒼唯に「あなたのせいじゃない、気にしないで早く立ち直って」なんて言う資格はないと思っていたから。でも私はあの時の選択を後悔してるの。無理をしてでも蒼唯のことを抱きしめてあげるべきだった」
母さんは僕の左手を両手で優しく握った。
その手は幼い頃に握って以来の力強くて暖かい手だった。
「でも僕が無理に二人が一緒に過ごすようにしてたから……!そんなことしなければもしかしたら関係だって良くなっていたかもしれないのに!」
「離婚は蒼唯のせいなんかじゃない。それはただ、私とお父さんが合わなかっただけ。蒼唯がそんなことをしていなくても遅かれ早かれこうなっていたと思う。でも蒼唯のその気遣いは何よりも嬉しい。そしてごめんなさい。今まで蒼唯の思いに気がついてあげられなくて」
母さんは頭を下げた。
ここまで母さんと面と向かって話したのはこれが初めてだった。
心が読めるようになって、母さんが僕をなんと思っているのか分かってしまうからと母さんとすらも会話を避けてしまっていたんだ。
実際は僕への負い目からきていた母さんと僕の間にある心の壁のせいで何一つ、僕は母さんのことを知ることはできなかったというのに。
「でももう後悔しないようにしたい。今度は今深刻そうな顔をする蒼唯の力になりたい。今更都合のいいようだけど、こんなお母さんを蒼唯は許してくれるなら何があったかゆっくりでいいから話してみてほしい」
「それはずるいよ……僕が母さんを許さないわけないじゃないか」
母さんは僕に向かってはにかんだ。
それから僕はダムが決壊したように涙を流しながら今までのことと今の紫音について話した。
僕が話している間、母さんはずっと真剣な顔で黙って聞いてくれた。
「そっか。その紫音ちゃんって子に蒼唯は救われたのね」
「うん。でも紫音とはもう縁を切られた。僕には何をするべきかがもう分からないんだ」
「そんなの答えは一つよ」
僕がさっきまで頭を抱えて悩んでいた問題を母さんは話を聞いてたった一分足らずで結論を出してしまった。
「蒼唯、あなたは今どうしたいの?」
僕がどうしたいか……?
そんなの決まってる。
「もう一度、紫音に会いたい」
僕はあの悲しそうな声で「寂しい」と言っていた紫音を見なかったことにはしたくない。
僕のブレスレットにわざわざ振動を送ってきたということは紫音は本心では誰かに助けてもらいたいと思っているはずだから。
「僕はまだ紫音に紫音自身のことを何も聞けてない!」
「ほら、もう答え出てるじゃん」
母さんはまるで僕の心にもう答えがあるだろうと言わんばかりに胸の辺りを親指で指さした。
「蒼唯までさっき私が言ったような後悔をしなくていいの。来ないでと言われようがそれが彼女のためにならないと思ったんなら後悔する前に行動しなさい」
母さんは立ち上がり座っている僕の背中からハグをした。
母の温もりってこういうことなんだろうな。
荒れていた心が少しづつ凪いでいっているように感じる。
「明日は学校に一日欠席の連絡を入れといてあげる。ただし今回だけだからね」
母さんは回していた腕を引っ込めると今度は僕の背中を押すようにバシッと叩いて喝を入れた。
「紫音ちゃんとしっかり話してくるように。いいね?」
「……うん!ありがとう母さん」
「どうってことないよ……そうだ、買い物に行かないと行けないんだった。直ぐに行って来るから、それじゃあ」
そそくさと出ていく母さんの手には車の鍵だけで財布なんて握られていなかった。
(ありがとうなんて言うのは私の方よ。蒼唯、私の子供に生まれてくれてありがとう)
いつまでも出発しない車からまるで何かを堪えるように震える声が僕の頭の中にずっと響いていた。