「お母さん、ただいま」
 紫音とお墓を綺麗に磨き、線香を立て、僕らは手を合わせた。
 紫音のお母さんが亡くなっているのは話を聞いて頭では分かっていたけれど、いざお墓を目の前にすると現実を突きつけられたようで自分ごとの様に心が痛む。
 紫音のお母さんが亡くなったのはちょうど僕の両親が離婚したくらいの時期と重なる。
 小学生高学年の頃に親がいなくなる寂しさは十分分かっているつもりだ。
 だから今の紫音に僕はかける声が中々見つからずにいた。
 「お母さんに紹介するね。この人は蒼唯。私の同級生で命の恩人なの。言っとくけど彼氏じゃないからね?」
 「……最後の一言余計じゃない?」
 そもそもお互いに好きにならないようにする。なんてルールを作ったのは紫音の方でしょ?
 でも、改めてお墓に向き直る。
 「初めまして。……いつも紫音には助けて貰ってます。本当に、たくさん」
 紫音はそんな僕の言葉を聞いて少し意外そうに目を見開き、また前を向いた。
 (お母さん……)
 紫音の悲痛の声が頭に響いた。
 きっと紫音もまだ自分の母の死を受け止めることができていないのかもしれない。
 僕らは今でもまだ子供だし、お母さんが亡くなった当初は当たり前だけど、今よりもずっと幼かったんだから。
 「僕は向こうに居るよ。ゆっくり話しておいで」
 「……ありがとう」
 紫音はいつにも増して小さな声で呟き、僕は墓地のすぐそばにある木陰の下に入って待った。
 その間も僕はずっと父さんのことを考えていた。
 正直、僕は父さんに会いたいのだと思う。
 でも父さんに会うことを考える度に最終的には「もし父さんに嫌われていたら」という思考に陥って足が止まる。
 嫌われるのを覚悟して自分の思いを告白した大輝や乃々さんがどれだけすごかったのかがよく分かる。
 二人は今の僕と同じように拒絶されるかもしれないという不安を抱えてなお、自分の思いを伝えるという選択をした。
 今の僕にはそんなこと……。
 「まだ悩んでるの?」
 「わっ!びっくりした」
 考え込んでいると下から紫音が顔を覗かせた。
 「そんなにお父さんに会うのは怖い?」
 「怖いよ。拒絶されたらと思うと震える。僕には無理だったんだ。僕がこんな力を望んでしまったから。僕には大輝や乃々さんのような強さがないから……」
 手をぎゅっと握りしめた。
 こんな力があれば、こんなに深刻に考えなくて良かったかも知らないのに。
 大輝や乃々さんと同じ強さを僕が持っていたら、父さんにどう思われてもいいからと会いに行けたのに。
 僕は本当にどうしようもない中途半端なやつだ。
 「僕には無理だよ……」
 「それは自分には無理だと自分に言い聞かせているだけじゃないの?」
 紫音は腰に手を当て、頬を膨らました。
 まるで怒ってますと言わんばかりの格好だ。
 (私は今怒ってます!)
 やっぱり怒っているらしい。
 「なんで紫音が怒ってるの?」
 「私はね、蒼唯には私と同じ後悔はして欲しくないの。だから蒼唯にはお父さんと会って欲しいって思ってる」
 紫音の目の前から隣に移動し、後ろの木にもたれかかった。
 「私、お母さんの死ぬ瞬間に立ち会えなかったの。お母さんが死んでしまうってことが怖くて逃げ出した。私はお母さんが死んでしまうことを認めたくなかったの。でも、本当に馬鹿なことをしたと思ってる。お母さんの最期の時間を私への心配の気持ちに使わせてしまった。お母さんだって私に何か直接言いたかったことがあったはず。私はずっとずっとそのことを後悔してきた」
 いつも意地でも目を合わせようとしてくる紫音は下を向いて僕とは目を合わせようとしなかった。
 心配して紫音を見ていると、ガバッと顔を上げ、僕の顔を見つめた。
 その表情は真剣そのものだった。
 「だから、蒼唯には私と同じ轍を踏んで欲しくない。後悔のない選択をして欲しい」
 紫音の伸ばした人差し指が僕の鼻先に触れた。
 「会いに行きたいなら、会いに行くべきだよ」
 紫音のその思いは本物だった。
 心なんて読まなくても分かる。
 彼女のその言葉の重さが、表情が、意思が、それら全てが本当だと告げていた。
 「じゃあ、もし。僕が父さんに疎まれていたらどうしたらいい……?」
 (やっとその気になったね)
 紫音の声が頭に響くと同時に紫音の手が今度は頭に触れた。
 「その時はこの私が慰めてあげよう。人と接し合う以上、衝突っていうのは避けて通れないものなんだよ。誰かの物語ではいい主人公でも、違う視点からだと悪役になったりする。万人に好かれるなんてことはとっても難しいことなんだよ?蒼唯のお父さんの代わりにはなれないかもしれないけど、少なくとも私は君がいい人だって知ってるからね」
 ……紫音は本当に酷い人だ。
 自分のことは関係が終わったら忘れろなんて言って、好きになったらいけないとも言った君がそんな言葉をくれるのは狡いだろ。
 大輝に言われてからずっと考えていたけど、今ようやく自覚した。
 僕は紫音が好きだ。
 人なんてずっと嫌いだと言っていた僕を暗闇から引っ張り出してくれた君が大好きだ。
 君のおかげで僕は友達が作れて、今まで行かなかったような場所に行って、やらなかったことをたくさんやった。
 全部全部、君のおかげなんだ。
 僕は携帯を取り出して、メッセージアプリを起動した。
 「会ってくるよ。父さんに」
 紫音に見せた携帯の画面の父さんとの会話履歴には最初のメッセージが打ち込まれていた。