「乃々ちゃんに何事もなくて良かったね」
 「本当にそれに尽きるよ」
 紫音と二人の帰り道にしみじみと言う紫音に思わず深く頷いた。
 結局、乃々さんが落ち着いた後は僕らは大人しく学校に戻りこっぴどく叱られた。
 その後四人仲良く欠席した授業分の補習を受け、辺りはすっかり夕日に染まっている。
 「紫音は乃々さんの告白受け入れなくて良かったの?」
 紫音にとっても乃々さんは他の友達と違ってより距離も近かったし、『お手伝い』として乃々さんの恋を成就させたいと願うほど乃々さんのことを大切に思っていた。
 紫音の心の声が聞こえないからそれが恋愛感情かどうかは分からないけど紫音にとって乃々さんは特別なのに違いないはず。
 「乃々ちゃんのことはもちろん大切で大好きだよ。でも多分私のこの好きの気持ちと乃々ちゃんの好きの気持ちは違う。私は友達として紫音のことが大好きなの。なのにそんな気持ちで乃々ちゃんの気持ちを受け入れてしまったらそれこそ不誠実だよ。私は乃々ちゃん達とはお互い対等で大切に思い合える存在でいたい……それに私は恋人なんて作る気ないから」
 紫音が決めたルールの中でも『お互いに恋をしないこと』というルールがあったように紫音は昔に恋愛関係で何かあったのだろうか?
 紫音は歪で少し苦しそうな顔で笑っていた。
 「でも乃々ちゃんと大輝の両方が立ち直ってくれて良かったよね」
 パッといつもの笑顔になり、露骨に話を逸らしてきた紫音に僕は何も言わなかった。
 出会った時から紫音にはそういう節があった。
 紫音本人は自覚してないだろうけど、紫音は人に嘘こそつかないけど都合が悪くなったり言いにくいことがあったらすぐに有耶無耶にして話をはぐらかす。
 紫音が心を読ませないようにしている以上、その秘密を聞くには紫音の口から聞き出さないといけないがそんな酷な事をお願いすることは僕にはできないからいつもこうして紫音に流されている。
 いつか、僕も紫音の力になれたらいいのだけど今の僕にはできそうにもないから今回も大人しく紫音に流されておくことしかできない。
 「二人とも本当に強い人だよ。でも紫音のおかげでもあるでしょ?」
 あの後も乃々さんは僕らに対して責任を感じていたみたいだけどそこはさすがコミュニケーション強者の紫音と大輝と言ったところで下校する時には二人のおかげですっかりいつも通りの乃々さんに戻っていた。
 下校も今日は部活がオフだからと大輝が乃々さんを家まで送って行ってくれるみたいで僕らも安心して二人を送り出せた。
 大輝だって傷心中だと言うのに、本当に彼は良い奴 人だ。
 一方紫音と僕も今日は駅まで一緒に帰る約束をして帰路に着いた。
 「二人が居てくれたから乃々さんも変に責任を感じずに済んだし本当に助かったよ」
 「蒼唯だって乃々ちゃんのことずっと気にかけてたし、乃々ちゃんが今何を気にしているのかを逐一教えてくれたから私達もベストな対応ができたんだよ?」
 「この力が役に立つこともあるんだね」
 「何言ってるの?私達が出会えたのもその力のおかげでしょ?」
 そういえば、紫音と出会ったきっかけは心の声で助けを呼ばれたからだったな。
 今までこの力を理由に引きこもり、何もしてこなかった僕にとって紫音と出会ってからの一年間はあまりにも濃い日々で僕らが出会ったのが昔のように思えてしまう。
 「蒼唯、すごく変わったよね?」
 「僕が……変わった?」
 「うん!自分で思い当たる節が無いわけじゃないでしょ?」
 確かに考えが変わったという意味なら僕は紫音と大輝と乃々さんの三人のおかげで多くの価値観が変わったかもしれない。
 紫音のおかげで今までしてこなかった数多くの経験をした。
 大輝と乃々さんのおかげで学校生活が少しだけ楽しくなった。
 それから時には失敗してもいいんだと分かった。
 二人の恋は実らなかった。
 けど、二人の告白に意味が無かっただなんて僕は言いたくなかった。
 それぞれが自分の秘めていた思いを口にして相手に、それから自分に真摯に向き合った。
 つまづいても、思い通りにいかなくても紫音が一年前に言ったように『行動する』ことに意味があることを知れた。
 これは僕一人だと気がつくことができないことだった。
 「なに?蒼唯くんはだんまりなの?」
 「……うるさい」
 「照れ隠しじゃん!」
 ここぞとばかりにからかってきて……!
 ケラケラと笑っていた紫音も深呼吸をすると夕方の空を感慨深そうに見上げた。
 「そういえば、私の心が読めない理由分かったの?」
 確か、僕がまだ入院して頃……。
 ―― 本当にいったいどうやってるの、それ……
 ――さぁ、当ててみる?
 あの時の僕には検討もつかなかったけど、最近では心が読めない時のとある規則性に僕は気がついていた。
 大輝の中学生時代の話や乃々さんが告白した話にはある共通点があった。
 それはそのことを二人は他の人に知られたくないと思っていたということ。
 二人はその話題について文字通り、心を閉ざしていたんだ。
 もっとイメージしやすくするように言うと――
 「僕とその人の間に『心の壁』があったんだ」
 今まで僕が聞いていた心の声は知られることを強く拒絶する『心の壁』がない情報だった。
 本当に知られたくない話題については『心の壁』が邪魔をして聞こえないようになっていた。
 「紫音は僕に心の声を聞かせたくない時は意図的に僕が心の声を聞くことを強く拒絶して、心を閉ざしていたんだ」
 「大正解!よく分かったね」
 「だからといって、それを辞めさせる手段もないんだけどね」
 強いて言うなら心の壁が無くなるくらい拒絶されなくなって、文字通り心を開いてくれるようになったら聞こえるようになるかもしれないけど、いくら最近少しづつ心の声が聞こえるようになったからと言って、その原理をとうに知っていて一年間やり通して来た紫音にはその手は通じないだろう。
 「残念だったね」
 紫音はいたずらっぽく笑った。
 「でも、二人の告白するのを応援しようって始めた『お手伝い』がまさか一年も続くなんてね」
 「……そうだね」
 事故に会ってから紫音を殺人鬼だと勘違いしたことで始まったこの『お手伝い』。
 僕に貸された一番大きなお手伝いの『大輝と乃々さんの恋を成就させる』というのも、成就こそしなかったものの、大輝と乃々さんの本人二人が納得のいく結果に終わった。
 ……ってことはだ。
 「――これで『お手伝い』も終わりか」
 長くて卒業までと言われて覚悟していたけど二年の秋に終わることになるとは。
 紫音から『お手伝い』だと呼び出されると気が参ってしまいそうなこともあったけどなんだかんだ終わりとなると寂しいものかもしれない。
 でも、ルールではこの関係が終わったら『お手伝い』に関する記憶は速やかに忘れる必要がある。
 それだけが今の僕にはなんだな惜しくてたまらなかった。
 約束を結んだ当時の僕は『お手伝い』の約束を結んだのは、自分の力を周りに言いふらされないためのその場しのぎだった。
 けれど、今は違う。
 紫音に連れたれた日々はなんだかんだ楽しかったし、大輝と乃々さんも僕から心を読める力を教えるくらい信用している……友人だ。
 そんなみんなのことや思い出を忘れることが、果たして僕にはできるだろうか?
 不安になってきて紫音の反応が気になった。
 紫音はこのことについてどう思っているのだろうか?
 紫音の方を恐る恐る見ると紫音はポカンっと呆けた顔をしていた。
 「え?『お手伝い』終わっちゃうの?」
 「え?終わらないの?」
 冗談ではなく紫音は本気で言っているようだ。
 「なんで『お手伝い』が終わっちゃうの?」
 「なんでって、もう『大輝と乃々さんの恋を成就させる』っていう『お手伝い』は果たされたわけで……」
 「あれ?私、それが終わったら『お手伝い』も終わりなんて言ったことあったっけ?」
 「え?」
 その紫音の言葉に僕は必死に記憶を一年前に遡らせた。

 ――卒業まで『お手伝い』は続く予定なの?

 ――それは、私と蒼唯次第かな?早く終わらせたいなら、頑張って二人とも仲良くなってね!

 確かに紫音は早く『お手伝い』を終わらせたいなら、と言っただけで、それが終われば『お手伝い』も終わりなんてことは一言も言っていない……かも?
 「もしかして蒼唯、勘違いしてたの?!」
 あははっ!とお腹を抱えて笑う紫音につい寂しいと思った記憶を消したくなった。
 この人に最初から『お手伝い』をさせる関係を解消させる気は無かったのだろうか。
 「安心して蒼唯。まだまだ『お手伝い』は続くんだからね」
 「……悪魔め」
 恥ずかしさで顔を真っ赤にしていた僕の顔が秋の風で冷やされたような気がした。
 「じゃあ、そんな寂しそうな蒼唯にさっそく『お手伝い』のお願いをします」
 すると、さっきまでふざけて笑っていた紫音の顔は急に真剣になり、一呼吸間を置いてから僕の目を見て言った。
 「今週の土曜日、大切な場所へ行くのから手伝って欲しい」