覚悟は決めたし、二人にも僕が行くと堂々と宣言しておきながらも乃々さんにどうやって声をかけるのが正解だろうかと頭をフル回転させた。
 そもそも僕は今でも人に自分から声をかけに行くことはほとんどないというのに。
 その上、乃々さんがヤケにならないように気にしながら話すことが必須条件だ。
 いざ一歩目を踏み出すとあれやこれやと考えてしまう。
 僕にできるだろうか?
 そう考えていた時に、乃々さんの声が頭に響いた。
 それを聞いて僕はどうするべきかを見つけることができた。
 右往左往していた足を乃々さんの方へと速度を上げて進めていく。
 「お隣いいかな?」
 しばらく返事を待ったけど乃々さんは何も言わず、僕は乃々さんの隣に同じように海側に足をぶら下げて座った。
 (蒼唯、話が終わって乃々ちゃんが大丈夫そうなら合図を送って!)
 紫音からの心の声が響き、乃々さんにはバレないように僕は肯定の意味でブレスレットを一回タップして紫音のブレスレットに振動を送った。
 そこから僕と乃々さんの間には沈黙が続き、海の波の音だけが聞こえていた。
 もっとも、僕にとっては沈黙ではなかったけれど。
 しきりに隣にいる乃々さんの心の声が聞こえてくる。
 ここは人が居なくて静かだから、乃々さんの声がよく聞こえた。
 乃々さんは今悩んでるんだ。
 本人もこの状況をどうすればいいのか分かっていない。
 でも、それもそうか。
 腕を強引に掴んでしまった張本人が一人で隣にやって来て、なにも喋らなかったら確かに気味が悪い。
 無言の時間が三十分を超えた頃、乃々さんは静かに、いじけたように口を開いた。
 「……馬鹿じゃないの。黙ったまま隣にずっと居るだなんて」
 やっと乃々さんは僕の方を見てやっと僕らは目が合った。
 「乃々さんがずっと謝りたいって言ってるのが聞こえたから」
 「はぁ?そんなの言ってませんけど」
 乃々さんは動揺で少し裏返った声で返してきた。
 いつも堂々としてる乃々さんがこんなに慌てているのは初めて見る。
 乃々さんはやっぱり根が素直な人だ。
 「実は僕、人の心の声が読めるんだ」
 それから大輝と同じように僕の持つ力についての話をした。
 乃々さんにも友達として胸を張って一緒に居るためにはいつかは言っておかなければいけないことだと分かっていても大輝の時と同様、やっぱり話すのは少し怖かった。
 拒絶されたらどうしようとか、信じてもらえず戯言だと笑われたらどうしようとか。そんな考えは人に力のことを話そうとする度に何度もよぎった。
 でも大輝の時と同様、乃々さんにならそれでもいいと思った。
 乃々さんからの印象がどうでもいいって話なんかじゃない。
 乃々さんが今抱えているものの重さに比べたら、僕も人にこの力のことを話すという重圧を背負わなければ対等で無くなると思ったから。
 「えぇ!なら私が心の中でウダウダ言ってるのは蒼唯には全部聞こえてたってこと?恥ずっ!」
 でも、乃々さんは僕の話を笑わずに聞いて、信じてくれた。
 それどころか自分が何に悩んでいるのかがバレたのが分かって吹っ切れたみたいだ。
 「あーあ、全部バレてたのか」
 と自虐的に乃々さんは笑って見せた。
 「ごめん。勝手に聞いちゃって」
 「蒼唯が謝ることじゃないよ。だって勝手に聞こえてくるんでしょ?不便じゃないの?」
 「めちゃくちゃ不便だよ」
 「だよねー」
 とりあえず、乃々さんが自暴自棄になってしまう最悪の状況は回避できたみたいだ。本当に良かった。
 心の中でホッと胸を撫で下ろす。
 「……まだそのこと紫音には言ってないんだよね?」
 「誰にも言ってないよ」
 「そっか。さすが蒼唯だ。前々から気遣いのできる人だとは思ってたけどね」
 それは回り回って自分のためのことなのだが、今はそれを言うときではないことくらい僕でも分かる。
 今回はありがたくその言葉を受け取ることにした。
 「蒼唯はどう思う?こんな私の事?」
 どう思う……か。
 僕もこの力についてで確かに悩みを抱えているけれど、乃々さんとは別方向のものだ。
 いや、普通でない人という点では同じなのかもしれないけど。
 「乃々さんは乃々さんだよ。僕が心が読めることを知っても乃々さんは、大輝は、それから紫音も誰も僕に接する態度は変わらなかった。多分それと同じなんじゃないかな。その悩みも全部含めて乃々さんで、僕はそんな乃々さんのことを大切な友達だと思ってるよ」
 「私は私……ね。」
 乃々さんは言葉を口の中で咀嚼するように反芻した。
 大輝の受け売りだけど、僕に響いたということはきっと乃々さんにも響くはず。
 ある日突然、僕は紫音に陽の当たる場所に連れ出された。
 そんな場所で大輝と乃々さんは僕に居場所を与えてくれた。
 そんな彼女に僕は報いたかった。
 「蒼唯のおかげでなんか吹っ切れた気がする」
 乃々さんは明るい顔をして言った。
 「私ね、実は一度女の子に告白して「気持ち悪い」って言われて振られてたの。今でもそのことずっと引きずってた」
 「そんなことがあったんだね」
 大輝の時と同じで、僕は心を読めるのにそんなこと少しも知らなくて驚いた。
 「あの子と今の私の好きな人とでは全然違うのにね」
 乃々さんは自分に諭すように言った。
 「気持ちを隠しても、口にしても私は私でそれ以外のなんでもないんだ。だから報われない恋だと分かっていても私はやっぱりきちんとした形で思いを伝えたい」
 乃々さんは防波堤の上に立ち上がって広い広い海を見て言った。
 「私はやっぱり紫音のことが好き!一人の女の子としてあの子が好きなの」
 「……そっか。なら、頑張って思いを伝えなきゃね」
 「うん。ありがとう蒼唯」
 僕はブレスレットをもう一度タップした。
 すると離れたところから大輝と紫音が走ってやってくる。
 「乃々ちゃん!」
 紫音は乃々さんに抱きついて涙を流していた。
 紫音は待っている間、乃々さんのことをずっと心配していた。
 それだけ乃々さんのことが大切なんだ。
 「乃々!」
 大輝も言いたいことはたくさんあるだろうけど、今は乃々さんと紫音を二人きりにしてあげたかった。
 「大輝」
 「蒼唯?!なんで!」
 「……頼むよ」
 僕は大輝の背中に手を添えて、二人から離れていく。
 大輝もそんな僕を見て何かを察したようで寂しそうな目をしながらも僕の誘導にしたがって歩いてくれた。
 (蒼唯ありがとう。私頑張るよ)
 二人きりになった紫音と乃々さんを尻目に僕は大輝に今まで乃々さんが抱えていた思いを伝えた。
 女の子である乃々さんが同じ女の子の紫音に恋をしていること。
 それが普通じゃないと分かっていたし、過去のトラウマもあり、今まで自分の中で押し殺していたこと。
 そして今、その思いに終止符を打つために紫音と二人きりにして欲しかったこと。
 それを聞いた大輝は「そっか」とだけ言って二人のことをじっと見守った。
 「乃々が俺じゃない誰かを好きなのは、何となくだけど分かってたし、実際に本人からもそう聞いてた。でも、それが紫音だったなんてな」
 「……驚いた?」
 「驚いたよ。でもそれを俺たちに言って何か言われるかもしれないと思われていたことに一番驚いた。この中に乃々を否定するやつなんて居るはずないのにな」
 大輝らしい言い分だけど、その顔は大輝らしくは無かった。
 (くそっ……。俺も初恋だったのになぁ)
 涙を流す大輝に僕は肩を寄せ、背中をさすってあげた。
 この程度しかできない自分の無力さに少し腹が立った。
 「蒼唯の前では、振られてもないも変わらないとかかっこつけてたくせにいざその時になったらこれだよ。ほんとダセェな、俺」
 「今の大輝がダサいもんか」
 自分の好きな人が告白するっていうのに、今の大輝は本気で乃々さんのことを応援している。
 心の声でもそれが伝わってくる。
 そんな人に誰がダサいなどと言おうか。
 「でも、蒼唯。お前もお前だぞ」
 涙を止めた大輝は唐突にそんなことを言い出した。
 「え?どういうこと……」
 大輝はやれやれといった顔でため息をついた。
 僕はなにかやらかしてしまったのだろうか?
 「心が読めたってここには誰も蒼唯を拒絶するやつなんて居ないんだから、もっと俺らのこと頼ってくれていいんだからな」
 大輝は照れ隠しで僕の方は見ないように乃々さんと紫音の方を凝視していた。
 僕は人が嫌いだった。
 病室で紫音に出会い、大輝と出会い、乃々さんと出会うまでは。
 小さい頃に人の心が読めるようになり、人が隠している本音が全部僕の頭の中に昼夜問わず一日中響くようになった。
 笑顔の裏で悪口を言ってる人、友達を応援している裏で自分のために負けろと祈っている人、人の人生をめちゃくちゃにしてやろうと画策している人、そんな人達の声がずっと聞こえてくる生活を送ってきた。
 人を信じられなくなって、嫌われるのが怖くなって、人との関わりを絶った。
 でも最近になってやっとそうじゃない人もいると知った。
 根から優しい人もいると知った。
 人のことを心から応援できる人がいると知った。
 乃々さんは僕にお礼を言ったけど、お礼を言いたいのは僕の方だ。
 暗い影にいた僕に光を教えてくれたのは紛れもなくみんななんだよ。
 「そして、次は蒼唯の番だぞ?」
 「僕の番?なんのこと?」
 「とぼけたって無駄だぜ。蒼唯は紫音のことが好きなんじゃないのか?」
 「僕が……紫音を?」
 『お手伝い』のルールで僕らはお互いに恋をしてはいけない。
 実際に僕は紫音に恋をしているつもりはないけれど……。
 「蒼唯は紫音といる時は俺や乃々といる時よりもいつも楽しそうに笑うからそうだって思ったんだけど」
 僕が笑ってる?
 あまり自覚はなかったけどそうなのだろうか?
 「なぁ、蒼唯は紫音のことどう思ってるんだ?」
 「僕は紫音のこと……」
 返答に困った。
 そんなこと今まで考えたことがなかったから。
 ただ、『お手伝い』があるから紫音と一緒に過ごす時間が増えて、紫音と一緒にいることが僕の中では当たり前に近い感覚になってしまっていた。
 「今答えを出さなくてもいい。けど、いつかちゃんと決断しないと後悔することになるぞ」
 「……うん」
 考え込んでいると僕のブレスレットが振動した。 「乃々!」
 それを合図に、大輝に声をかけると大輝は走って二人の方へ行ってしまった。
 乃々さんは紫音に抱きついたまま泣いていた。
 結果的に乃々さんは紫音に振られてしまったらしい。
 でも、紫音は友達として乃々さんのことが大好きだと言って二人はハグをして、乃々さんは紫音の腕の中で涙を流していた。
 結果的に見れば乃々さんと大輝、二人は失恋したことになる。
 でも、二人とも暗い顔はしていなかった。
 むしろ、肩の荷が降りたような顔だった。
 長い間、自分の中に蔓延っていた気持ちがきっと発散されたのだ。
 『失敗することっていうのは無駄な事じゃないんだよ?』
 一年前にショッピングモールでの帰り道に紫音言われた言葉が頭をよぎる。
 あの時は紫音の言う通り、僕にはその言葉の意味が分からなかったけど、二人を見て、そしてなにより僕自身の体験で分かった気がする。
 僕は今まで、「どうせ無理だから」と色んなことをやらないまま諦めてきた。
 紫音はきっと『行動すること』自体に意味があると言いたかったのだ。
 行動してみて、僕は無理だと思っていた友達作りをすることができて、今目の前には僕のことを理解してくれている友達がいる。
 二人だって成功はしなかったけど、自分の抱え込んで悩んでいたものを軽減できたように見える。
 それは実際に行動を起こして初めて得られた結果なんだ。
 そのことにやっと、なんとなくだけど気がつくことができた。
 「あぁ、そうだ。蒼唯と紫音に言い忘れてたことがあるの」
 乃々さんは涙を拭いて僕らの腕を交互に見た。
 「そのブレスレット、最高に似合ってるよ」
 紫音はもう一度乃々さんを抱きしめた。
 さっきまで曇天だった海も今は光が差し込んできて明るくなって僕らを照らしているように見えた。