柔らかい春風が吹きはじめたころ、僕はひとりで高校に足を運んだ。
 この校舎に入るのは三週間ぶりだ。
 三月のはじめ、僕は高校を卒業したから。
 そして今日は春休みの初日。
 僕は先生に頼んで、特別に屋上に出ることを許してもらった。

 四階から上の、懐かしい階段を一段ずつ上る。
 一年前、屋上で制服姿の幽霊と別れてから、ここに来るのははじめてだ。
 目の前に現れたドア。
 その鍵を開けようと右手を伸ばし――僕は動きを止めた。
 すでに鍵が開いていたからだ。

「先生が開けておいてくれたのかな?」

 少しの疑問を抱きながら、重い扉を押す。
 ギイッと錆びた音が耳に響き、視界が開ける。
 一歩足を踏み出すと、僕の目に水色の空が広がって――。

「え?」

 僕は驚いて足を止めた。
 高いフェンスの前に、誰かが立っていたからだ。

「聖亜?」

 思わずつぶやいた僕に、振り返った聖亜が言った。

「おう、やっぱり来たな」
「やっぱり来たなって……先生にはちゃんと許可もらってここにいるの?」
「は? 許可なんかいらねーだろ。俺たちこの学校の卒業生なんだから!」
「卒業生が勝手に校内入ったら怒られるんだよ。もしかしたら不法侵入で訴えられ……」

 言いかけてやめた。聖亜はもう僕の話などどうでもいいように、フェンスの向こう側を眺めていたから。
 僕は黙ってその隣に並ぶ。
 白い壁の大学病院が目に映る。

「桜、咲きはじめたんだな……」

 聖亜の声にハッとして、視線を動かした。
 学校の敷地にある桜の花は、少しずつ開きはじめている。

「お前、大学受かったんだって?」

 桜の木を見下ろしながら、聖亜が言った。
 僕は顔を上げ、聖亜の横顔に向かって口を開く。

「うん。聖亜は落ちたんだってね」
「うるせー、マウント取るんじゃねぇ」

 こっちを向いた聖亜の隣であははっと笑う。
 こんなふうに聖亜としゃべるのは、久しぶりだった。