「ユズ、いろいろありがとう」

 僕は首を横に振る。

「ううん、なにもできなくてごめん」
「ユズはたくさんしてくれました。ユズのおかげで毎日が楽しかったし、聖亜にも出会えて、記憶を取り戻すことができたんです。本当にありがとう」

 涙がこぼれそうになるのを、必死にこらえる。
 そしてポケットの中に入れてあった封筒を取り出し、羽流に伝える。

「僕も楽しかったよ。羽流のおかげで、僕は少しだけ強くなれた。だからもう、こんなものいらない」

 封筒の中に入れていた、名前の書かれた一枚の紙。
 僕はそれをこまかく破り捨てる。
 はらはらと僕の手から零れ落ちた紙切れは、春の風に乗って、どこか遠くへ飛んでいった。

「ありがとう。羽流」

 目を細めた羽流が、優しくうなずく。

「じゃあ、そろそろ行きますね」

 羽流がフェンスに手をかけ、よじ登ろうとする。

「えっ、そこから行くの?」
「はい、今度はちゃんと飛べますから」

 振り向いた羽流が、いたずらっぽく笑う。
 僕は何度かまばたきをして、ごしごし目をこすった。
 制服を着た羽流の背中に、真っ白な羽が見えた気がしたから。

「でもユズと聖亜は真似しちゃだめですよ? あなたたちは飛べないんですからね」
「と、飛ばないよ。もう飛ぼうとなんかしない。ちゃんと地面に足をつけて生きるから。僕も、聖亜も」

 羽流が安心したようにうなずいて、フェンスの一番上まで登る。
 そして僕のほうを向いてフェンスのてっぺんに立ち上がると、もう一度微笑んだ。

「じゃあ、さよなら、柚希くん」

 泣きそうになるのをこらえて、声を押し出す。

「さよなら、羽流」

 羽流の華奢な体が、ふわっと宙に浮く。
 その体は落ちることなく、空高く舞い上がり、キラキラと輝く明るい光の中に吸い込まれていった。
 まるで天使が天へと、羽ばたくかのように。

「羽流……」

 僕は空を見上げたまま、その場に座り込んだ。

「君に会えて……よかったよ」

 そう口にした瞬間、自然と僕も、泣きながら笑顔を見せていた。