校舎内の階段を駆け上り、屋上へ続くドアの前で立ち止まる。
 今日も鍵はかかっている。幽霊は鍵もドアも必要ないから。
 いつものように、右手で鍵を開ける。カチャリと聞き慣れた金属音が響き、僕は重いドアを開ける。
 目の前に広がる青い空。ふわりと吹いた優しい風が、僕の頬を撫でる。
 いつもの屋上、だけどここに来るのは、もう最後かもしれない。

 聖亜の弟・羽流は、清々しい顔つきで、フェンスの前に立っている。
 その向こうには、羽流が入院していた大学病院が見える。
 柔らかい春の日差しの下、ゆっくりと振り返った羽流が、僕を見て微笑む。

「この制服、似合うでしょ? お母さんが買ってくれたんです」
「うん、すごく似合ってるよ」
「生きてる間は一度も着ること、なかったんですけどね」

 羽流は春休みの初日、あの病院の病室で静かに息を引き取ったのだという。

「そういえば病院の窓から、学校の桜の木も見えたんです」

 羽流の視線がグラウンドに移る。
 今年の桜は、ちょうど咲きはじめたばかりだ。

「最後にあの公園も行きたかったなぁ……」

 その声が、静かな屋上にぽっかりと浮かぶ。
 僕の頭に、桜の舞い散る公園の風景が蘇った。

「やっぱり無理なのかな。学校から出るの」
「無理ですよ。何度もチャレンジしたけど、ダメだったでしょう?」

 羽流とふたり、なんとか学校の敷地から出られないものか、挑戦したことを思い出す。
 校門からが無理なら、壊れたフェンスの穴から抜け出そうとしたり、高い塀を乗り越えようとしたり……。
 他の生徒に見られたときは、僕ひとりが異常行動しているように思われて、先生に通報されたこともある。
 いまではいい思い出だけど、結局羽流が外へ出ることはできなかった。

「だからボクの代わりに、ユズが行ってくださいね? あの公園に」

 羽流が僕を見て、にっこり笑う。

「約束ですからね」
「……うん、わかった」

 微笑む羽流の姿は、透明に近いほど薄く儚い。
 きっともうすぐ消えてしまうんだろう。