「モテ自慢って、うざいんですけど。飛ばせませんか?」
「うるせえな。飛ばせないよ」
 野口は咳払いする。
 ある日、大学院に進学した茉莉の友達が俺に声をかけてきた。
「あの、野口先輩、お時間ありますか?」
「どうした?」
 茉莉の友達だから気を許していたのもある。茉莉にいい顔がしたくて、茉莉の友達なら親切にしてやろうくらいは思っていた。誓って言うが、俺は茉莉一筋で、茉莉以外の女はどうでもよかったんだ。
 「相談に乗ってください。できたら二人で。先輩じゃないとダメなんです。恥ずかしいので茉莉には言わないでください」
 茉莉の友達がそういうので、仕方なく二人で飲みに行った。もちろん茉莉にも「後輩に相談されたから飲みに行く」と報告してあった。
 素面じゃ相談できないというから、二、三杯飲んだろうか。急に眠気がきてな。まずい。やばいなって思った。
具合が悪いから帰ると言ったところまで覚えている。
 で、気が付いたら裸でホテルのベッドに寝ていたんだ。
「は?」
 桃花は眉根を寄せた。
「やってない」
「やってないって、裸で? 最悪。妊娠中の浮気ですか。この場合、不倫?」
「ちげーよ。男はな、やったかやってないかなんか、わかるもんだ。ぜったいやってないと確信していた。が、隣で裸で茉莉の友達も寝ていた。まずいって思った」
「あああ、アウトですね」
 桃花はじろりと野口を睨む。
「俺はあわてて服を着て、家に帰ったんだが、茉莉は家からいなくなっていたんだ」
「茉莉さんにバレてたんですか」
「うん。茉莉の友達が裸で寝ている俺の写真を茉莉に送り付けたようだ。帰ったらテーブルの上に印刷した写真が置いてあった」
「それで茉莉さんは? 茉莉さん、何て言ったの?」
「ああ。絶対やってない。薬を盛られたに違いない。あれははめられたんだって俺が言ったら、茉莉も思い当たる節があったようでな。あの子ならやりかねないって言ってくれて。俺の信頼は地に堕ちたが、結婚生活は継続してくれるとなった」
「よかったですね! じゃあ、なんで離婚? やっぱり、まさか、本当はやっていたパターン?」
 桃花は首を傾げた。
「違う。断じて違う。でも、そのあと、茉莉の友達が妊娠したから責任を取ってくれって家に押し掛けてきた」
「はあ? やってないのに? どうして? 茉莉さんは?」
「グレーなんだから、責任取りなさいって言って、離婚だ。俺はやってない、無実だっていっても聞いてくれなかった」
「ええええ」
「結局、彼女は妊娠していなかった。どうしてこんなことをしたんだって聞いたら、彼女は笑いながら、茉莉の結婚生活を壊したかったって言っていたよ。茉莉のことが気に入らなかったらしい」
 茉莉さん、妬まれていたんですね。しかし、女の嫉妬は怖すぎる。
「それって別れ損じゃないですか。復縁しないんですか」
 桃花は顔をしかめた。
「な? そう思うだろ? 俺もそう言っているんだけど」
 野口は桃花の応援を得たので、嬉しそうな顔をする。
「バカね。自分の下半身の管理ができないなら、離婚よ、離婚。だいたい女と二人きりで飲みに行くことを正直に連絡してないのも悪いし、油断していたんでしょ。あの子と飲みに行くって言ってくれたら、危ないって警告したわ。それなのに女の罠にひっかかるなんてね」
 午前の株式市場が終わり、茉莉さんが仕事部屋から出てきた。
「たしかに」
「たしかにじゃねえよ。おまえ、俺の味方じゃなかったのか」
 野口は桃花の方を恨みがましく見る。
「いつ味方に?」
「人生は短い。一緒にいるなら、裏切るかどうか分からない相手よりも、信頼できる人がいいわよ」
 茉莉は首をすくめた。
「これ、差し入れだ」
「あら、気が利くわね。ありがとう」
 茉莉がにこりと笑う。
「ただ来るだけじゃ怒られそうだからな」
 野口は茉莉に笑いかけた。
 だから、信頼回復のために茉莉さんちに通っているのか。納得である。ってことは、二十年? 二十年も通っているの?
 お子さんがわたしと同じ歳だって言っていたもの。子どもに会いに来るというのもあるだろうけど。野口さんの執念もすごい。
 桃花は腕組みをする。
 黒木さんに勝ち目はあるんだろうか。黒木さんのメリットは、若くて新しい男ってことだ。まだ裏切っていないからなあ。期待大だ。それに比べ、野口警部は浮気未遂をやらかしている。信頼はゼロ。この二十年間で払しょくできているのか疑問だ。
 桃花は野口と茉莉の顔を交互に見た。
「それで? きょうはどういうご用件?」
 茉莉は自分の分のお茶をいれた。
「岸辺綾音はエービーコミュニケーションズをやめて自分で事務所をつくったから、内山マネージャーもエービーコミュニケーションズをやめたらしい。岸辺綾音と共同事務所にしたかったらしいが、岸辺綾音が軌道に乗るまで雇えないって、内山の申し出を断ったみたいだ」
「へえ。内山マネージャー、綾音先輩のところにいきたかったんだ」
 そんなに綾音先輩に固執していたんだ。意外だった。内山マネージャーはいつもわたしのことを睨んでいるのように見えるので、正直苦手だ。
 わたし、どうしようかな。もう大学三年生だし、これを機に動画配信することをやめることもありだろう。でも、就職活動をして、会社勤めしている自分が想像できない。
わたしは自分が感じたことや疑問におもったことをみんなに問いたいし、どんどん住みやすい世の中にしたい。
仕事をするならそういう職業につきたいって思う。やっぱりわたしにはこの動画配信の仕事しかないのかな。梨美はインターンも考えているって言っていた。梨美とのコンビは一ヶ月後に解散するようになるかも。一人でやる? 
やっぱり動画配信、あきらめたくない。
桃花は決意した。
「茉莉さん、わたしは一人で動画配信を続けるつもり」
「桃花は人気があるから、それでいいんじゃない? 発信力もあるし」
 茉莉は小さく笑った。
「おまえは動画クリエイターが向くと思うよ。サラリーマンは無理だ。相方のほうは、会社勤めもできそうだが」
 野口と茉莉が賛成する。
「梨美だってクールビューティーって言われて、注目されてますよ。ヨーチューバー、梨美も続ければいいのになあ」
 桃花は残念がる。
「梨美さんはぱっとしないわ。突出した個性がないのよ。でも桃花は違う。ヨーチューバー、、いいと思うわ。むしろ就職してサラリーマンの方が向かないわよ」
 茉莉が桃花を見る。
「ああ、俺もそう思う。桃花は派手というか、とにかく目立つんだよ。そんな会社員なんていないぞ。それはそうと、事務所ってあった方がいいんだろう? どこかの事務所に入るのか?」
 野口が桃花の服を見る。
「いえ、わたしも自分で事務所も作ろうかなと考えているところです。あ、すいません。そろそろ大学に行きますね」
 桃花は茉莉と野口に挨拶をすると、あわてて家を出た。

「そこ! なんだその大きな髪飾りは。派手じゃないのか」
 先日、桃花の帽子を注意した教授がまた桃花に指を刺した。
 えええ? まさか、また、わたし? 
きょうは花飾りが耳元についているけど、帽子ではない。これが不愉快ってこと? 
本日のファッションは、レース仕立ての着物を短めに着て、下にレースのロングスカートを着ている。着物の感じを残したくて、和風のかんざしっぽい花飾りを頭に挿している。七五三や成人式にならないように、そんなに大きい花ではない。けれど、着物ミックスコーデを嫌がる人は一定数いるんだよなあ。
 もしかすると、教授は着物ミックスが嫌いなのだろうか。
「おまえのことを言っているんだ」
「わたしですか?」
 桃花が席を立つ。
 桃花の顔を見ると、教授は先日のことを思い出したようだ。
教授の顔がひきつっている。
「もういい。座りたまえ」
 教授はくるっと背中を向け、板書に文字を書く。
「先生、不愉快なら髪飾りを取りましょうか?」
「いいって言っているだろ」
 教授は桃花と目を合わせないようにして授業を進め始めた。
(なんだか傷つくなあ)
着たい服をきて、お化粧して楽しんでいるけど、人を不愉快にさせることがないように気を付けているつもりだ。着物ミックスコーデは大学ではやりすぎなんだろうか。あとでSNSでアンケート調査してみるか。動画にして、反応を見てもいいかな。
 その後は、桃花は静かに授業を受けた。
 無事授業が終わると、梨美からメールが来ていることに気が付いた。待ち合わせして、食堂で会うことにする。食堂は、お昼時など混んでいるとき以外は、自由に利用してもいいとされている。
「そっか、桃花は事務所をつくることを考えているのね。わたしはやっぱり就職かな。普通の幸せが欲しいから。ごめんね」
 梨美の発言に驚く。
「普通の幸せ?」
「こんな仕事をしていると、金銭感覚も時間も普通の人とズレちゃうでしょ」
 そうなのかな。わからない。
桃花が黙っていると、
「桃花はマイペースだからなあ。妬みもお金も関係ないか。それが通常モードだもんね」
 梨美が寂しそうにする。
「そう?」
 動画クリエイターは視聴者登録数や視聴回数に振り回される。コメント欄が荒れたりすると、メンタルもきつくなる。独立して自分ですべてやるなら、広告収入も考えないといけない。画角も構成も考えることになる。うまくいけば、今より収入は増えるが、賭けとなる。自由は手に入るが、作業は増える。
(儲かっている人たちは派手にお金を使っているみたいだけどね)
「桃花は自分を見失わず、大丈夫そう」
 梨美は寂しげに笑った。 
「そうかな。梨美なら定時で作業するとか決めて、しっかりやりそう。就職して、動画配信続ける? もったいないもの」
「ううん。わたしはだめ。たぶん向いてない。感情で動いちゃう」
「梨美、顔色が悪いみたいだけど」
 梨美の頬がこけているように見える。悩んでいるんだろうか。
「それとも、梨美も事務所をつくる? わたしと共同経営する? すぐ潰れちゃうかもしれないけどさ」
 桃花は冗談めかして打診する。
「誘ってくれてありがとう。でも、わたしはもう全てておしまいにするわ」
 梨美は小さく笑った。
 解散はあとひと月後に決まった。


内山は、岸辺綾音から白い封筒を受け取った。表には退職願と書いてある。自分の顔が引きつっていくのが分かる。
「綾音が辞める? どうして? これはどういうことだ」
 封筒を持つ手が小刻みに震える。
「え? 見ての通り。退職願よ」
綾音はさらりと答えた。電話やパソコンの音がなくなった。
 事務所の中にいる全員の注目が集まっていた。
「だから、どういう意味だ? エービーコミュニケーションズをやめるのか?」
「ええ、やめるわ」
 綾音は冷めた目で内山を見る。
「なぜ?」
「なぜって? 週刊誌に黒木さんのことがバレた時、エービーコミュニケーションズは応援してくれなかったじゃない。わたしを首にしろって声もあったみたいね。知っているのよ。別にこんなところ辞めてあげるわ。困るのはこの事務所。看板スターがいなくなるんだから」
 綾音は肩をすくめた。
「それは、そういう意見もあったというだけで、誰も本当に辞めさせようとは思ってない。機嫌を直してくれ」
 内山は慌てて打ち消す。
「週刊誌によると、事務所はわたしの扱いに困っているとか、辞めさせたいと思ってるとか書いてあったけど? それに、以前からアイドルはをもう卒業したいって、わたしは相談していたわよね?」
「まだ卒業の時期じゃないって、事務所が判断したんだ。ファンだって、アイドル卒業なんて納得しないだろう。まだまだお前は人気がある」
「わたしは今が脱アイドルのタイミングの時だと思うの。だからタレントに転身するわ。エービーコミュニケーションズは、汚れたアイドルなんていらないでしょ?」
 綾音は自虐的に笑う。
「汚れてなんかない。だいたい付き合ってなんかいないじゃないか。あの男は綾音の恋人とは違うだろう?」
 内山は否定した。