「はあ? 自分で殺すのはいやか。コンビの相手だもんな。の割に、呼び出すのは平気か。友情とかないのか? 案外あっさりしているんだな」
「桃花には警察が張り付いているのよ。一人で殺すのは無理。わたしが警察を引き付けるから」
 おまえに桃花は殺させない。
 梨美は鼻で笑った。
「あとは自分でやりなさいよ。しかし、あなたも綾音先輩の新事務所の採用は断られる。かわいそうね」
「うるさい」
 内山の顔に苛立ちが浮かぶ。
「桃花を連れてくる代わりに、さっきの写真を削除して。あと控えもね。あ、ごみ箱のも完全消去してよ?」
 梨美は内山に指図する。
 内山は不服そうに鼻にしわを寄せた。
「桃花を消したいんでしょ。わたしが手伝ってあげるから、さっさと言われた通り、データを削除しなさいよ」
「くそが」
 内山はしばらくぶつぶつ言いながら考え込んでいたが、あきらめたように控えの写真のデータを梨美に渡した。
スマホのデータを削除したことを画面で確認し、クラウド上にも保存されていたのでそれも消させる。パソコンのデータも消去させ、ゴミ箱までクリアした。
いったいいくつコピーを残しているんだろう。腹が立つ。内山はやっぱり信用できない。
梨美は寝室を見渡した。
 梨美の腕が棚の写真に触れ、厚さ五センチの『豪華プレミアム 岸辺綾音写真集』の上に写真立てが倒れた。
 使えるとしたら、このパソコンか。
「その辺、触るな。穢れるだろ? さて、契約成立だな。綾音には華麗なるリスタートを切ってもらいたいんだ。桃花のことは、こっちの都合のいいとき、いつ呼び出してもいいんだよな。いつがいいかな」
内山は写真立てを大事そうに立て直し、綾音の写真つきカレンダーを眺める。
わたしはまたこいつに脅されるだろう。きっと内山が生きている限り。わたしがやらなくて誰がやる。この世界には内山がいない方がいい。
梨美は、テーブルにあったノートパソコンを内山の頭に振り下ろした。
(クズが。死ね)
梨美は大きく思い切り両腕を振り下ろした。床の上で動かなくなった内山を見下ろす。
人間って死ぬときはあっけないものね。
内山は頭から出血もせず、転がっている。蹴ってやろうかとも思うが、やめておいた。死んだのならそれでいい。触りたくもない。
おそらくパソコンの中にまだバックアップがあるだろう。ノートパソコンを塩水につければダメになるだろうか。すべて削除しなければ。
梨美はノートパソコンをバッグにしまった。
内山の部屋をぐるりと見回す。クローゼットのドアが少し開いていた。二台目のパソコンやタブレットがあったら困る。とっととこの部屋から出たいけれど仕方がない。おそるおそるクローゼットへ近づく。ベッドの方から視線を感じて振り返ると、パジャマを着た抱き枕の綾音がこちらを見ていた。
梨美は眉根を寄せた。
このパジャマどうやって手に入れたんだろう? 撮影の時につかったのかな。スタイリストさんから買取したってこと? 
ふと梨美はゴンザレスのことを思い出す。
ゴンザレスも桃花のパジャマを握っていた。
もしかすると、犯人はこいつ? ゴンザレスさんを殺したのも内山……。
梨美は背筋が寒くなった。指紋がつかないように上着の裾を使ってクローゼットの扉を開ける。
うわ、ひどい! 何これ。
クローゼットの中には、桃花とわたしの写真がダーツの的になっていた。
おもわず写真を外したくなる衝動にかられたが、梨美は耐えた。
(気持ち悪い。早くここを出ないと)
わたしは内山を殺した。
正直実感はない。これからは、人殺しとして生きなくてはいけない。わたしの日常は変わる。
今までは何も思わず大学に通っていた。動画投稿の仕事は楽しかった。インターン先を見つけて就職活動をする予定だったのに。内山を殺してしまった。でも、内山が悪いのだ。わたしは悪くない。ああ、でも警察に捕まるなあ。
梨美はぼんやりと手を見る。幸いなことに内山の血はでていないかった。手はきれいだ。
もう後戻りはできない。わたしの人生はめちゃくちゃだ。これからどうやって生きて行けばいいんだろう。
梨美は急いで内山の部屋を出た。

六月二十七日。
アブラゼミの鳴き声がする。今年初の蝉の声だ。来年は大学に通っていないかもしれないと思うと梨美は胸が痛くなった。
内山を殺して一週間が過ぎた。
これからどうなるのだろう。大学の授業を受けに一応教室に座ってはいたが、全然頭に入ってこなかった。
もう帰ろう。家に帰りたい。
梨美はのろのろと大学の構内を出ようとしていた時だった。
「梨美、久しぶりね。元気だった? 元気じゃないわよね」
この可愛い子ぶった甲高い声は聞いたことがある。今一番聞きたくない声だ。綾音だ。
「はあ。いったい何の用事ですか」
 桃花は綾音のことを尊敬していたようだが、彼女に価値はないと思う。変態だろうがなんだろうが自分のために利用して、うまく立ち回るタイプは苦手だ。
 梨美は嫌な顔をした。
「そんな顔しないで。顔色も悪いし、ひどいクマね。きょうはお礼を言いに来たの。わたし、知っているのよ。あなたが内山を殺したこと」
 綾音の言葉に梨美はドキッとした。
「なんのこと?」
「しらばっくれてもむだよ。パソコンを持っていったでしょ。実はわたしもあの日、内山に呼びだされれていたの。梨美さんを脅して、メタモルフォーゼをつぶすって言っていたからその報告をしたかったんでしょうねえ。突然、梨美さんの裸の写真がスマホに送られてきて、驚いたわ。」
 綾音がくすりと笑う。
「あなた、ケガはしなかった? 内山はわたし以外の人には容赦ないのよね。やることがえげつないし」
「……」
 梨美は唇をかみしめる。
「でも、強姦はされなかったでしょ。あいつ、わたしでないとダメなんだって。アピールしてきたわ。きもいでしょ? わたしに感謝しなさいね」
 綾音の言葉に梨美は険しい顔になる。
「わたし、なんでも知ってるのよ。あなたには桃花を殺してもらおうかしらね。べつに殺すまでしなくてもいいけれど、再起不能にしてほしいのよ。でも加減って難しいでしょ。殺した方が楽だと思うのよ」
 綾音は「やってくれるわよね? これから桃花と会うの」と笑った。

十八
「梨美! しっかりして」
 桃花が呼びかけるが、梨美は反応しなかった。頭から血が流れている。
梨美は隣の附属病院へ運ばれた。桃花の病院と一緒である。
桃花が待合室で待っていると、野口が病院にやってきた。
梨美は目を覚まし、手当てを受けているという。桃花はほっとした。
「綾音先輩がわたしを突き落とそうとして、わたしの代わりに梨美が落ちたんです」
「岸辺綾音は、桃花が勝手に転んで、梨美を巻き込んだって言ってるよ」
野口がメモを読むと、桃花は唇をかむ。
「こんなときに言うのも気が引けるが、一番最初に桃花を大学で襲った犯人は、大河原梨美なんだ」
「いや、だから、今回のは、綾音先輩で……」
「桃花、脇腹を刺されただろう? あの犯人は大河原梨美なんだ」
「え。やっぱりそうなんだ」
 何となくそんな気はしていたが、桃花は考えないようにしていた。
「大河原梨美は君を刺したんだよ。だから今回もその可能性がないわけじゃない」
「分かってます。でも、今回は違うんです」
 桃花は頭を横に振った。
「いいかい? 今回、君の命がまた狙われたんだよ」
「前回のは、梨美に恨まれていたからでしょ?」
 梨美に疎まれているのは分かっていた。いつも一人で突っ走って迷惑もかけているから。
 桃花は口をぎゅっと閉じた。
「大河原梨美は君を刺した。そのあと君が内山の車にはねられたのは偶然のようだが」
「そうですか。でも、今回のは、梨美がわたしをかばって落ちたんです。これで貸し借りなしのチャラです」
 野口は俯く桃花の頭をなでた。
「梨美……、死なないで」
 桃花は嗚咽する。
「たぶん、だいじょうぶ。頭の傷は血がたくさん出るんだよ」
 梨美が運ばれたと知った黒木は病棟に駆け付け、桃花を慰める。
 梨美はまだ目を覚ましていないが、命に別状はないということで、桃花は病院から追い出された。ライブ配信などされたらたまらないということらしい。看護師長に睨まれる。
「そんなことしないのに」
 桃花はぶつぶつ言いながら、野口と黒木と一緒に茉莉の部屋に戻ってきた。
 野口はみんなをソファに座らせた。
「六月一日。大河原梨美が桃花を襲った後、急いで校門を出た。その時ゴンザレスさんとすれ違っていたんだ。大河原梨美の服は特徴のあるデザインで一点ものなんだろう? 桃花さんがいったとおり、スコーピオンという店で防犯カメラの映像を確認してもらった。うちの服だと認めたよ。買った記録も残っていた」
「……」
 桃花は黙っていた。
「残念だけど、君を刺したのは梨美だ。それは変わらない」
 野口は諭すように話す。
「梨美は、梨美は悪くないんです」
「内山が殺された件だが、岸部綾香のスマホの中から大河原梨美が内山から暴行を受けている動画や写真が見つかった。内山のパソコンは大河原梨美が持ち去ったようだ。いま、自宅を捜索している」
 桃花はショックだった。
梨美が内山に乱暴されていた。知らなかった。力になってあげられなかった。綾音先輩との会話を思い出した。
わたしは梨美に甘えていたんだ。
「岸辺綾音のタレントデビューの注目が一気にメタモルフォーゼに持っていかれた腹いせのようだな」
「ごめん、梨美。わたしのせいだ」
「大河原梨美は、何とかして裸のデータを取り戻そうと内山ともみ合い、内山を殺害してしまったとみられている。ただ、大河原梨美は一発で動かなくなったと言い、血も出ていなかったと供述しているんだが、現場の内山の死体は頭から血を流していたんだよな。まあ、そのあたりも詳しくは調べてみないとわからないんだが」
野口は顔をしかめた。
「わたし、どうしたらいいの? 梨美に何がしてあげられるの?」
 茉莉が泣き崩れる桃花を抱きしめた。

エピローグ
六月二十八日。大河原梨美は逮捕された。なお、岸辺綾音は現在取り調べ中だ。
茉莉の部屋に桃花、野口、大樹、黒木が集合した。
「捜査状況を教えて」
 茉莉が野口に頼むと、野口は咳払いをした。
「その前に大河原梨美の件だ。大河原梨美は、内山をパソコンで一発で殴り殺した。血は出てなかったと供述していた。押収されたパソコンからも血液反応はなかった」
 野口は桃花たちの顔を見る。
「しかし、検死の結果からは、何度も頭を殴打され、それが死因になっている」
 野口はニッと笑った。
「ということは? もしかすると」
 茉莉が目を輝かせる。
「梨美が犯人じゃないってこと?」
 桃花の顔が明るくなる。
「そうだ。そういうことになる。内山殺しは岸辺綾音に決まりだ。容疑が固まり次第、逮捕になるだろう」
 野口が口角を上げた。
「ほんと? よかった」
 梨美は殺人犯じゃない。
桃花は心からほっとした。
「まあ、桃花を刺したのは大河原梨美だがな」
 野口は肩をすくめた。
「人気のない大学の構内で襲うってことは、大学のことをよく知る人物。桃花のスケジュールを知っていないとできないことよね」
 茉莉さんが補足する。
「でも、わたしは死んでないし」
 桃花はさらに追加した。
「動画クリエイターも人気商売だからなあ。妬みとかやっかみとか、足の引っ張り合いもあるしね。気をつけないと」
 大樹がキッチンからケーキを運んできた。ケーキは黒木さんのお土産だ。大学のそばにあるケーキ屋さんで、ミルフィーユが有名。サクサクしたパイの間に濃厚なカスタードクリーム。爽やかでジューシーなストロベリーとラズベリーが挟み込まれている。
「コンビって難しいね。わたしは梨美に迷惑をかけていたみたいだし」
 桃花はため息をつく。
「桃花さんは強烈な個性の持ち主だからね、コンビを組むのは難しいのかもね」
 大樹は肯く。
「そうかもしれないですけど。今、はっきりいわなくてもいいじゃない」