でも、その分、桃花は事務所とのトラブルが多かった。そのとばっちりを受けるのがわたし。事務所と桃花の板挟みに何度もなっている。ああ、やっぱりアイドル恋愛擁護論の動画の配信はもっと全力で止めるべきだったか。
 梨美は大きなため息をついた。
 もし桃花がいなかったら。わたし一人で最初から動画を配信していたら。
 もっと注目を浴びて、動画投稿を続けていられたかもしれない? そんな未来もあった?
 もし桃花があんなに目立つことがなかったら。桃花がいなければ、わたしの未来は明るかったかもしれない。桃花なんて消えてしまえばいい。
 梨美は胸の奥が痛くなる。
 桃花なんて嫌い。いなくなってしまえ。
 梨美は呪っていた。

六月十九日。
「綾音の今後の芸能活動こととメタモルフォーゼの動画投稿について話がしたい」
内山から電話があった。
「どうしてわたしだけ呼び出すんですか?」
 梨美は眉根を寄せた。
「桃花を呼ぶと話がごちゃごちゃになるだろう。おまえだけ来い」と内山に言われた。
「やっぱり。桃花、やりすぎたんだ。お説教だろうか」
 内山は綾音のマネージャーだ。
梨美は嫌な予感しかしなかった。
 夜の公園に呼び出しって、どうなんだろう。なんかおかしい。
梨美は黒の長袖Tシャツとズボンを取り出した。すでに血で汚れているこの服ならいいだろう。凶器もいるだろうか。やりすぎか? 
梨美は頭を横に振る。
ナイフはやめておこう。話があると言っていただけだ。
梨美は鏡で服を整えた。
内山という男は元々好きではなかった。蛇みたいな目でいつも綾音を見ている。自分たちのマネージャーでなくてほんとうによかったと思う。
 待ち合わせは大学近くの大きな公園の入り口。夜は公園内にも街灯がついてはいるが、人通りは少ない。
「エービーコミュニケーションズだと、大学から遠いだろう? 大河原さんもいそがしいだろうから、ついでにこっちに来たときに話せたらなって思ってさ」
 時間ピッタリに現れた内山はうっすらと笑みを浮かべている。
 気持ち悪い奴。
梨美は内山にできるだけ近寄らないようにしていた。岸辺綾音のコバンザメ。綾音の言いなりのマネージャーだ。
「座って話そう」
 仕方なく梨美は内山のあとをついていった。公園の奥は誰もいなかった。
「エービーコミュニケーションズで話し合いのほうがよかったですけど」
 梨美は帰りたくなってきた。まずい気がする。
「いや、ここの方がいいんだよ」
 内山は突然ポケットから折り畳み式のナイフを取り出した。
「なんで? どうして?」
 梨美は後ずさる。
「おまえら、邪魔なんだよ。これからの岸辺綾音のタレント人生がかかっているんだ」
 内山は梨美の顔にナイフで撫でる。
 梨美の身体が震えた。
「やめてください。何するんですか」
「岸辺綾音の邪魔をするからだよ。おとなしくしてればよかったんだ」
「邪魔? 邪魔なんてしてません」
 内山に梨美の言葉は届かない。
「桃花とお前がアイドル恋愛論をやるから、綾音の再デビューが霞んだじゃないか。綾音にふさわしく、華々しく飾ってやりたかったのに」
「ええ? だって綾音先輩の恋愛を応援したいって桃花がいうからよ。わたしは関係ないわ」
 梨美はかすれた声で反論する。
「おまえら、コンビだろう。連帯責任だ。インターネットでご活躍のところ、悪いけどさ消えてくれないかな。ヨーチューバーなんて腐るほどいる。お前らの代わりなんてどこにだっているんだ。大丈夫。殺しはしないから」
「ちょっとやめてよ。来ないで」
 内山がナイフを梨美の衣服にあて、引き裂いた。
首元からピリッとした痛みを感じる。
殺されるかもしれない。梨美は混乱した。
「キャー」
 暗闇の中、梨美は逃げた。
この奥は行き止まりだ。
 わたしが何をしたっていうの? どうして? 梨美は震えながら、破かれた衣服を両手で押さえる。首が痛いと思ったら、鎖骨の辺りから血が出ているのが分かった。
やばい。やばい。死ぬ。殺される。
追い詰められた梨美は後ずさりした。
でも、このまま殺してもらうのもいいかも? いや、この男に好き勝手に殺されるのはいやだ。嫌悪感が沸きあがる。
「もう逃げられないよ。お前の次は、桃花だ。あいつが一番悪い。どんなお仕置きをしようか」
 内山はニヤリと笑い、スマホを取り出した。
「お前のことも殺したいくらい嫌いだが、目立たないからな。お前が桜宮桃花を襲えばいい。殺してもいいぞ。そうだな、殺せ。面白い。そうしたらこの動画を返してやるよ」
 桃花を殺す? そんなのできない。
 梨美は首を横に振る。
「いくら人気がないっていっても、おまえの動画が世の中に出たら終わりだろう?」
「ひどい」
「綾音は世界のアイドルになるはずだったんだ。それに比べたらたいしたことない」
「でも、綾音先輩は医者の黒木が好きなんでしょ?」
「うるさい。うるさい。うるさい。綾音は恋人じゃないって言っていた」
 そりゃあ、あんたに問い詰められたらそう言うだろう。梨美の頭がだんだんクリアになっていく。
内山がナイフを振り回した。
わたしのことを目立たない。人気がないって言った。許せない。
梨美は唇をかむ。
(絶対許さない。でも、わたしが襲われている動画が拡散してしまったら、どうなるだろう。就職活動もできなくなる。人生が詰む。終わってしまう。あいつに未来まで奪われるのか)
 桃花のことはコンビを組むようになって忌々しく思っていたのは事実だ。
わたしの言うことを聞かない桃花のせいでエービーコミュニケーションズをクビになった。桃花なんていなくなれって思った。でも、桃花を殺さないといけない? 内山の言うことを一生聞かないといけないの? いやだ。無理だ。
 梨美は地べたに座り込む。
 どうしよう。どうしたらいい?
「桃花を始末したら、動画を消してやるよ。地味な子ちゃん、証拠も持ってこいよ?」
 内山はニヤニヤしていた。
(ぜったいにお前だけは許さない)
梨美は内山をにらみつけた。
 内山は鼻歌を歌いながら、公園から去る。
 梨美は破れた服を手で合わせ、立ち上がった。
(逃がさないから。あいつのせいで人生が壊れた。許せない)
梨美は内山の後ろをこっそりついていった。
 公園から数分歩いたアパートの前で内山は郵便受けをのぞいていた。古くて小さい建物だ。もっといいところに住んでいるかと思っていたので、意外だった。
 こんなくそ野郎のせいで、わたしの人生が壊れるのか。許さない。ぜったいに。
 わたしを脅したのがさぞ楽しかったのだろう。内山は歪んだ笑い顔をしている。
 おまけにわたしに桃花を襲えと指示してきた。ふざけんな。わたしより目立つから桃花のことは嫌いだけれど殺すほどではない。暴走しがちだが、桃花にはいいところもいっぱいあるのだ。
 内山はスマホの画面をのぞきながら、階段を上り始めた。
「内山さん」
 梨美は声をかけた。
「梨美。なぜここに」
 内山は驚いた顔をした。
「桃花のことで、あなたを追いかけてきたの」
 梨美は引きつった笑顔を浮かべた。
「ここじゃ人目につく、入れ」
 内山はあたりを見回した。
 やらなきゃやられる。内山をなんとかしなきゃ。
梨美は固く手を握る。
大丈夫。わたしならできる。
「うちの中で話をしよう」
 内山の提案に梨美はうなずいた。
 内山の部屋はシンプルだった。リビングの家具はテレビなど最低限しかない。殺風景という言葉がぴったりとあてはまった。寝るだけに帰ってきている部屋なんだろうか。違和感を感じた。
「座れよ」
 リビングに通され、ソファに座る。被害者と加害者。さっきまでナイフを突きつけられていたのに、おかしな状況だ。
「あの、桃花のこと、殺さないとダメですか」
「できたらな。この前刺されただろ。警戒されているかもしれないが、とりあえずあれ以上のケガならいい」
「はあ」
 梨美は小さなため息をつく。
「あいつのことはとにかく我慢できない。綾音の人生をめちゃくちゃにして」
 内山の激昂スイッチが入りそうになる。
怒鳴る男性は苦手だ。バカの象徴だから。桃花は可愛げがあるバカだが、内山がこの世からいない方がいいのではないか。こいつは害悪だ。
 この男はわたしの尊厳を傷つけた。許さない。絶対に許さない。
「そんなに殺したいなら、自分で殺せばいいじゃない。桃花の弱点を教えてあげるわ。その代わりわたしの写真と動画を削除して」
「おまえも女だからな。裸が拡散したら、お嫁にいけないもんな」
内山はにやにや笑う。
(くそが。死ね)
梨美は強い殺意を覚えるが、内山は警戒もしていない。
「あなた、綾音さんの本当のマネージャーなの?」
 梨美は部屋を見渡す。
「ああ、俺ほど綾音のことを考えている奴はいないと思う。世界で一番のファンだ」
「ほんとう? でも、この部屋って何もないじゃない? CDもポスターも貼ってないし」
 梨美の問いかけに、内山は満面の笑みを浮かべた。
「ちょっと待っていろ。俺の秘蔵のコレクションを見せてやる」
 内山はリビングから出て行った。寝室に向かったんだろう。そっと梨美はキッチンに忍び込み、果物ナイフを探す。
 ない。ない。見つからない。包丁でもいい。何か殺せそうなものはないのか。リビングには花瓶もない。これじゃ殺せないじゃないか。
「おい、こんなところで何やっている?」
 内山がリビングのドアを開けた。
「お水が飲みたくて」
 内山は梨美の答えに肩をすくめる。
「おまえにやる水はない。帰ったら、自分の家の水道の水を飲めよ」
「うわ、ひどっ」
 おもわず梨美がつぶやいた。
「俺の生活は綾音を中心に回っている。朝から晩まで綾音だ。驚くなよ」
 綾音のCDやファンクラブで扱っているTシャツを数枚見せた。
「こんなのは、普通のマネージャーだったら持っているわよ」
「いや、もっとあるぞ。レアものもある。寝室にあるんだが、お前に見せると穢れる」
 内山がもったいをつける。
 寝室なんか行きたくないわ。綾音グッズとか興味ないし。でもなんとか油断してもらわないと。
 梨美は肩をすくめた。
「綾音さんのファンの証拠が見たいな」
 見たくもないが、油断を誘うために仕方なく言ってみた。
「お前の履いている、そのパンツ、シルエットが少し変わっているな。地味だけど、いいところのものなんだな。綾音にも着せてやりたいから、どこのブランドか教えてくれないか」
 内山は目を細める。
 綾音のマネージャーをクビになったはずなのに、何を考えているんだろう。この変態。でも、このパンツに目を留めたのは褒めてあげよう。
「ええ。スコーピオンって店よ。一点ものしか扱わないの」
「シャレているな。お前は服のセンスもいいし、頭もいいのにな。残念、桃花には勝てないか」
 内山が揶揄する。
 なんであんたなんかに言われなきゃいけないのか、わからない。悔しい。この服はあんたのために着たんじゃない。スコーピオン、教えなきゃよかった。腹が立つ。やっぱりこいつは許せない。
「おまえもアイドルだったらな、俺がマネージャーになってやったのに。綾音と組んでいれば、未来が違ったと思うぞ。お前は綾音に比べると劣るけど、見られないこともない」
 アイドルでなくて、ヨーチューバーです。綾音よりも劣る? このわたしが?
 内山の言葉に梨美はむかむかしたが、冷静を装った。
「ここが寝室だ」
 内山がコレクションを見せようと扉を開けた。
 梨美は言葉を失った。壁は全て岸辺綾音のポスター、天井にまで貼ってある。ベッドには等身大の抱き枕に綾音の顔がプリントしてある枕。抱き枕は女性物のふわふわしたパジャマを着ている。販促につかわれた立て看板も数個あり、岸辺綾音がいっぱいだった。
 ほんとうに気持ち悪い。あのパジャマは誰のものなんだろう。綾音のを盗んできた? うわ、最低。
「わたしが桃花を呼び出すから、あとはあなたが好きにしたらいいわ」
 梨美の言葉に内山は少し驚く。