日差しが強く、暑いため、テラス席は今の時期人気がない。おそらく今日も誰もいないだろう。端にある壁際の席を見つけた。あそこなら撮影された時、気が付くだろう。
桃花は自分の後ろを綾音先輩が歩いていると思うと、怖くなった。ちらちらと何度か振りかえる。
綾音は不機嫌そうな顔になった。
「ここじゃ何もしないわよ。失礼ねえ」
「ええ、まあ。用心です」
桃花は口を濁した。
案の定テラス席には誰もいなかった。綾音は周りを見回し、席に着く。綾音に気が付いた学生たちは遠慮して遠巻きに見ていた。
「わたしに何の用事ですか」
「用事というか、警告よ。黒木さんから離れてほしいの。わたしの邪魔しないでくれるかしら」
「え? わたしは黒木さんと仲良いわけではありませんよ」
「でも、黒木さんはあなたと親しいと思っているはずよ」
「そうですかね? 全然思っていないと思うけど」
桃花は首を傾げる。
完全な言いがかりである。黒木さんの目的は茉莉さんだ。しかし、それを綾音先輩に伝えるわけにいかない。
「わたしはね、これからタレントとしてやっていきたいの。だから、もうわたしと黒木さんにつきまとうのもやめてほしいの」
「つきまとうって……。そんな。つきまとってなんかいません。ただ、綾音先輩の恋愛を応援したかっただけで」
「それが余計なお世話なの。せっかくの、話題にしようと思っていた断髪式も、あなたの恋愛論でつぶれちゃったし。あなたはいいわよね。刺傷事件に、交通事故、おまけに殺人事件。有名になったじゃない。もう満足でしょ」
「好きで巻き込まれたわけじゃないですけど」
「わたしのおかげで知名度が上がったんだから、いいじゃない」
綾音が鼻で笑った。
「わたしは純粋に綾音先輩のファンなんです。綾音先輩をかばうために恋愛論を話したわけで、炎上狙いじゃないです。そもそも日本がおかしいんですよ。芸能人の恋愛に過剰反応しすぎるんです。アイドルだって人生があるんです。だから海外からも変だって指摘されたじゃないですか」
「騒ぎを大きくしたのはあなたでしょ。わたしはそんなつもりなかったわ。海外なんか関係ないもの」
綾音が桃花を睨む。
「綾音さん、ちょっと待ってください。桃花は関係ないでしょ」
梨美が息を切らしながら、テラス席のドアを開けた。
「あら、梨美さん、来たの?」
綾音は意地悪そうに片方の眉だけ上げた。
「桃花、こいつになにもされてない?」
「うん」
梨美の荒い言葉に桃花は驚いた。
梨美って綾音先輩のこと、そんなに嫌っていたの?
「こいつの言うことなんて、聞かないでいいから」
「生意気ね、梨美は。いつだって反抗的なんだから。地味だし、黒い服ばっかり着てるけど、デザインが凝っているのがウリですって? 結局、すべて桃花に食われてるじゃない」
「そんなのどうでもいいでしょ」
梨美が大きな声で否定した。
「そう? 桃花のせいであなた、内山にひどいことされたじゃない。知っているのよ。よかったわね、普通の人生でなくなったじゃない」
綾音は冷たく言い放つ。
「……」
梨美はぎゅっと口を閉ざした。
「え?」
桃花は梨美を見る。梨美の手は震えていた。
「この子は何にも知らないのね。いい気なもんよね。相方が傷ついているのに、気が付かない。悩んでいるのに何もしない」
綾音が桃花を軽蔑したように見る。
「桃花は関係ない。余計なこと言わないで」
梨美は泣きだしそうな声で話す。
「あら、あなたが言えなそうだから言ってあげているのよ」
桃花は二人の顔を見る。
「私たちのことは、ほおっておいて」
梨美は怒った。
「何があったの? ねえ、梨美。内山マネージャーに何されたの?」
桃花は梨美の腕をつかむ。
「……」
梨美は口を一文字にして答えない。
「梨美さん、答えてあげなさいよ。桃花のせいでどうなったのか」
綾音が笑った。
梨美は目を伏せた。
「じゃあ、わたしが教えてあげる。梨美さんは内山にね」
綾音は梨美の写真を桃花に見せた。
「ひどい。どうして。なんでこんなことを」
梨美の衣服は裂けていた。内山がやったのね。許せない。こんなの、絶対許せない。
桃花の手が怒りで震える。
「だから、殺したのよね? 梨美さん」
「え?」
殺した? 桃花は戸惑った。
「なんで桃花に言うの?」
梨美は綾音の胸ぐらをつかむ。
「きゃー、助けて。わたし、殺されちゃう」
綾音は笑いながら、大きな声を出す。慌てた梨美は手を離した。
綾音は桃花の反応を確かめるように顔を近づけた。
「すべておまえのせいなんだよ」
綾音は桃花の耳元でつぶやき、わざとらしく身体を傾ける。
「あら、ごめんなさい。ちょっとよろけちゃったわ」
綾音はわざと桃花の身体にぶつかり、テラス席の階段へ桃花をぐいっと押しだす。
「桃花! あぶない」
梨美は桃花の手をおもいっきりひっぱり、落ちる寸前、桃花と自分の身体と入れ替えた。
桃花の身体はテラス席の床に臥せった。代わりに梨美の身体が階段の下へ転がっていく。
「梨美! いててて。梨美は? 大丈夫?」
桃花は顔をゆがめる。
「梨美さんは運がよければ、死んでいるかしら。あ、運が悪ければ死んでいるの間違い? さすが桃花。悪運が強いのね。感心しちゃうわ。でも、梨美はどうかしら」
綾音は意地の悪い笑顔になる。
遠くから数人駆け寄ってくるのが見える。騒ぎに気が付いて、助けに来たのだろう。
「ああ、痛い。助けて」
足首を触りながら、綾音は地面に座る。
「大丈夫ですか?」
男子学生が声をかける。
「ええ、わたしはなんとか。桃花さんが転落しそうになったところを助けた梨美さんが代わりに落ちてしまって……。わたし、助けようとしたけれど間に合わなかったの」
綾音が警備員や数人の学生に説明する。
「梨美! 梨美! しっかりして」
桃花が梨美の耳元で声をかける。
梨美の身体は動かない。
頭を強く打ったのかもしれない。どうしてこんなことになったの? 梨美は何も悪いことをしてないのに。誰か助けて! 梨美が死んじゃう。
「救急車! 誰かお医者さんを呼んで」
桃花は大声をあげた。
十七
大河原梨美は困っていた。
桃花が推している綾音が黒木との熱愛スクープ写真を撮られ、テレビやオンラインで報道され、桃花は緊急企画として、綾音を擁護する動画を配信したいと言い出した。それもエービーコミュニケーションズを通さないゲリラ企画だという。
桃花の話を聞いて、頭を抱えた。
ヨーチューブを続けたいなら、テレビともうまくやっていったほうがいい。事務所と揉めるのは良くないと思う。ただでさえ桃花は目立つのだ。コンビを組んでいるこっちのことも考えてほしい。ゲリラ企画などやったらエービーコミュニケーションズからにらまれるとか考えないのだろうか。
「ちゃんと企画をエービーコミュニケーションズに通してやらないと。リスクだってあるんだよ? 何のための事務所?」
梨美は桃花に注意した。
「でもさ、綾音先輩だって、好きな人と恋愛したいと思うんだよ。だって、アイドルだって人間だもん。今すぐ、推しを助けてあげないと」
「そうかもしれないけど。桃花が言わなくたって、エービーコミュニケーションズが守ってくれるんじゃない? 岸辺綾音はドル箱スターだよ」
「ううん、エービーコミュニケーションズは守らないと思う。だって、綾音先輩が会見で、禊ぎとして断髪式をするって言っていたし」
「はあ? でも、桃花が岸辺綾音をかばうとか、なんか違うでしょ」
桃花の考えが短絡的過ぎて、梨美はため息をついた。
アイドルが恋愛したら、謝罪して髪の毛を短く切らないといけないのだろうか。逆に髪の毛を切ったら許されるのか。恋愛が髪の毛と同じくらいの価値なのか。髪は女の命というけれどねえ。
梨美は苦笑する。
たしかに綾音の髪はサラサラストレートで綺麗だけど。公開断髪式をしても一時の話題になるくらいだろう。綾音は最近ヒット曲にも恵まれてなかったし、落ち目になってきている。もしかすると、これもいい話題としか考えてないかもしれない。そういう戦略だということも桃花はわからないのか。真に受けすぎだ。
「綾音先輩のためにも、芸能界のためにも、アイドルだって恋愛していいって言わないといけないと思うの」
桃花が熱く語る。
こういう時の桃花は面倒くさい。否定しても聞かないし、自分の道を突き進む。芸能人が恋愛して何が悪いのか。人間なんだから恋愛位するだろう。当然だ。だから桃花の気持ちもわかる。
(でもねえ。エービーコミュニケーションズに黙って、動画を配信するほどのことだろうか。自分たちの進退だって危うくなるだろう)
岸辺綾音のことが大好きなんだろうけど。推しのために人生棒に振るってどうなの?
そんなこともわからない桃花に梨美は呆れた。
アイドルの岸辺綾音には好きな人がいる。誰なんだろう。視聴者はそこだけ知りたいのではないか。だいたい禊とか言ってくるあたりが昔のアイドルっぽい。考えも古いのよ。
インターネットの動画は、世界中の人が見ることができるが、実際、視聴する人層は狭い。視聴する人はたくさんの動画の中から選んでみることができるため、基本的に自分が興味がある動画しか見ない。
一方、テレビはチャンネルが限られている。少ない番組の中からどれを視聴するか選ばないといけない。そのため番組は対象となる年齢層を広めに設定している。そのためテレビを主な活動場所としているアイドルは、子どもから大人までの好感度を狙うよう、より厳しく管理されているのだ。
綾音先輩が禊ぎをするのも仕方がないことだろう。特にタレントに転身するなら、クリーンなイメージは大切だ。昼の情報番組は女性が見ることが多いし、夜の娯楽番組はファミリーや子どもも見る。男関係が派手なタレントは、視聴者に嫌われるため、出演できる番組が限られてしまう。そのため、禊をして、涙ながらに謝罪する。立派な生き残り戦略だ。
いま、桃花は暴走しているが、おそらくわたしたち「メタモルフォーゼ」のファンは桃花のそういう性格も愛している。ヨーチューブのファンは狭く深い。
この辺が動画クリエイターとテレビのアイドルの違いだと梨美は分析していた。
アイドルを脱してテレビタレントになろうとしている岸辺綾音。それに対し擁護活動をする桃花。
エービーコミュニケーションズがなんていうだろうか。
梨美は頭が痛くなった。
動画投稿者専門の事務所もあるようだが、綾音先輩とわたしたちは部署は違っているだけで、所属している事務所は同じだ。ちなみに動画部門は後身のため、力が弱い。
桃花は自分の思ったことを素直に言う性格だ。それで炎上することがあり、事務所はあまり桃花のことをよく思っていない。固定ファンはいるが、立場は危ういのだ。
恋愛論で物議を醸しだそうとするわたしたち、メタモルフォーゼの首を、エービーコミュニケーションズは斬るかもしれない。
梨美は予想する。
それはそれで受け入れるしかないか。
ため息が出た。
メタモルフォーゼは桃花が中心で、わたしは添え物のようなものだ。桃花は一人でもやっていけるけど、わたしは一人では無理だ。わたしの個人チャンネルの登録者数やコメント欄をみても反応が悪い。
潮時なのかもしれない。
大学一年生のときから二人で活動しているが、桃花のことはすぐに覚えられるのに、梨美は「あの、普通のほう」、「地味な子」と言われていた。桃花の服は確かに目立つ。しかし、わたしの服の好みは布地がいいもので、デザインがちょっとだけ変わったもの。わたしのことをもっと知ってほしいと何度願ったことか。
梨美は振り返る。
じゃあ、わたしが派手な服を着て、注目を浴びようとしたらいいんじゃないかとも思ったけれど、無理だった。着る服、パワフルな発言、すべて桃花が勝っていた。
桃花は自分の後ろを綾音先輩が歩いていると思うと、怖くなった。ちらちらと何度か振りかえる。
綾音は不機嫌そうな顔になった。
「ここじゃ何もしないわよ。失礼ねえ」
「ええ、まあ。用心です」
桃花は口を濁した。
案の定テラス席には誰もいなかった。綾音は周りを見回し、席に着く。綾音に気が付いた学生たちは遠慮して遠巻きに見ていた。
「わたしに何の用事ですか」
「用事というか、警告よ。黒木さんから離れてほしいの。わたしの邪魔しないでくれるかしら」
「え? わたしは黒木さんと仲良いわけではありませんよ」
「でも、黒木さんはあなたと親しいと思っているはずよ」
「そうですかね? 全然思っていないと思うけど」
桃花は首を傾げる。
完全な言いがかりである。黒木さんの目的は茉莉さんだ。しかし、それを綾音先輩に伝えるわけにいかない。
「わたしはね、これからタレントとしてやっていきたいの。だから、もうわたしと黒木さんにつきまとうのもやめてほしいの」
「つきまとうって……。そんな。つきまとってなんかいません。ただ、綾音先輩の恋愛を応援したかっただけで」
「それが余計なお世話なの。せっかくの、話題にしようと思っていた断髪式も、あなたの恋愛論でつぶれちゃったし。あなたはいいわよね。刺傷事件に、交通事故、おまけに殺人事件。有名になったじゃない。もう満足でしょ」
「好きで巻き込まれたわけじゃないですけど」
「わたしのおかげで知名度が上がったんだから、いいじゃない」
綾音が鼻で笑った。
「わたしは純粋に綾音先輩のファンなんです。綾音先輩をかばうために恋愛論を話したわけで、炎上狙いじゃないです。そもそも日本がおかしいんですよ。芸能人の恋愛に過剰反応しすぎるんです。アイドルだって人生があるんです。だから海外からも変だって指摘されたじゃないですか」
「騒ぎを大きくしたのはあなたでしょ。わたしはそんなつもりなかったわ。海外なんか関係ないもの」
綾音が桃花を睨む。
「綾音さん、ちょっと待ってください。桃花は関係ないでしょ」
梨美が息を切らしながら、テラス席のドアを開けた。
「あら、梨美さん、来たの?」
綾音は意地悪そうに片方の眉だけ上げた。
「桃花、こいつになにもされてない?」
「うん」
梨美の荒い言葉に桃花は驚いた。
梨美って綾音先輩のこと、そんなに嫌っていたの?
「こいつの言うことなんて、聞かないでいいから」
「生意気ね、梨美は。いつだって反抗的なんだから。地味だし、黒い服ばっかり着てるけど、デザインが凝っているのがウリですって? 結局、すべて桃花に食われてるじゃない」
「そんなのどうでもいいでしょ」
梨美が大きな声で否定した。
「そう? 桃花のせいであなた、内山にひどいことされたじゃない。知っているのよ。よかったわね、普通の人生でなくなったじゃない」
綾音は冷たく言い放つ。
「……」
梨美はぎゅっと口を閉ざした。
「え?」
桃花は梨美を見る。梨美の手は震えていた。
「この子は何にも知らないのね。いい気なもんよね。相方が傷ついているのに、気が付かない。悩んでいるのに何もしない」
綾音が桃花を軽蔑したように見る。
「桃花は関係ない。余計なこと言わないで」
梨美は泣きだしそうな声で話す。
「あら、あなたが言えなそうだから言ってあげているのよ」
桃花は二人の顔を見る。
「私たちのことは、ほおっておいて」
梨美は怒った。
「何があったの? ねえ、梨美。内山マネージャーに何されたの?」
桃花は梨美の腕をつかむ。
「……」
梨美は口を一文字にして答えない。
「梨美さん、答えてあげなさいよ。桃花のせいでどうなったのか」
綾音が笑った。
梨美は目を伏せた。
「じゃあ、わたしが教えてあげる。梨美さんは内山にね」
綾音は梨美の写真を桃花に見せた。
「ひどい。どうして。なんでこんなことを」
梨美の衣服は裂けていた。内山がやったのね。許せない。こんなの、絶対許せない。
桃花の手が怒りで震える。
「だから、殺したのよね? 梨美さん」
「え?」
殺した? 桃花は戸惑った。
「なんで桃花に言うの?」
梨美は綾音の胸ぐらをつかむ。
「きゃー、助けて。わたし、殺されちゃう」
綾音は笑いながら、大きな声を出す。慌てた梨美は手を離した。
綾音は桃花の反応を確かめるように顔を近づけた。
「すべておまえのせいなんだよ」
綾音は桃花の耳元でつぶやき、わざとらしく身体を傾ける。
「あら、ごめんなさい。ちょっとよろけちゃったわ」
綾音はわざと桃花の身体にぶつかり、テラス席の階段へ桃花をぐいっと押しだす。
「桃花! あぶない」
梨美は桃花の手をおもいっきりひっぱり、落ちる寸前、桃花と自分の身体と入れ替えた。
桃花の身体はテラス席の床に臥せった。代わりに梨美の身体が階段の下へ転がっていく。
「梨美! いててて。梨美は? 大丈夫?」
桃花は顔をゆがめる。
「梨美さんは運がよければ、死んでいるかしら。あ、運が悪ければ死んでいるの間違い? さすが桃花。悪運が強いのね。感心しちゃうわ。でも、梨美はどうかしら」
綾音は意地の悪い笑顔になる。
遠くから数人駆け寄ってくるのが見える。騒ぎに気が付いて、助けに来たのだろう。
「ああ、痛い。助けて」
足首を触りながら、綾音は地面に座る。
「大丈夫ですか?」
男子学生が声をかける。
「ええ、わたしはなんとか。桃花さんが転落しそうになったところを助けた梨美さんが代わりに落ちてしまって……。わたし、助けようとしたけれど間に合わなかったの」
綾音が警備員や数人の学生に説明する。
「梨美! 梨美! しっかりして」
桃花が梨美の耳元で声をかける。
梨美の身体は動かない。
頭を強く打ったのかもしれない。どうしてこんなことになったの? 梨美は何も悪いことをしてないのに。誰か助けて! 梨美が死んじゃう。
「救急車! 誰かお医者さんを呼んで」
桃花は大声をあげた。
十七
大河原梨美は困っていた。
桃花が推している綾音が黒木との熱愛スクープ写真を撮られ、テレビやオンラインで報道され、桃花は緊急企画として、綾音を擁護する動画を配信したいと言い出した。それもエービーコミュニケーションズを通さないゲリラ企画だという。
桃花の話を聞いて、頭を抱えた。
ヨーチューブを続けたいなら、テレビともうまくやっていったほうがいい。事務所と揉めるのは良くないと思う。ただでさえ桃花は目立つのだ。コンビを組んでいるこっちのことも考えてほしい。ゲリラ企画などやったらエービーコミュニケーションズからにらまれるとか考えないのだろうか。
「ちゃんと企画をエービーコミュニケーションズに通してやらないと。リスクだってあるんだよ? 何のための事務所?」
梨美は桃花に注意した。
「でもさ、綾音先輩だって、好きな人と恋愛したいと思うんだよ。だって、アイドルだって人間だもん。今すぐ、推しを助けてあげないと」
「そうかもしれないけど。桃花が言わなくたって、エービーコミュニケーションズが守ってくれるんじゃない? 岸辺綾音はドル箱スターだよ」
「ううん、エービーコミュニケーションズは守らないと思う。だって、綾音先輩が会見で、禊ぎとして断髪式をするって言っていたし」
「はあ? でも、桃花が岸辺綾音をかばうとか、なんか違うでしょ」
桃花の考えが短絡的過ぎて、梨美はため息をついた。
アイドルが恋愛したら、謝罪して髪の毛を短く切らないといけないのだろうか。逆に髪の毛を切ったら許されるのか。恋愛が髪の毛と同じくらいの価値なのか。髪は女の命というけれどねえ。
梨美は苦笑する。
たしかに綾音の髪はサラサラストレートで綺麗だけど。公開断髪式をしても一時の話題になるくらいだろう。綾音は最近ヒット曲にも恵まれてなかったし、落ち目になってきている。もしかすると、これもいい話題としか考えてないかもしれない。そういう戦略だということも桃花はわからないのか。真に受けすぎだ。
「綾音先輩のためにも、芸能界のためにも、アイドルだって恋愛していいって言わないといけないと思うの」
桃花が熱く語る。
こういう時の桃花は面倒くさい。否定しても聞かないし、自分の道を突き進む。芸能人が恋愛して何が悪いのか。人間なんだから恋愛位するだろう。当然だ。だから桃花の気持ちもわかる。
(でもねえ。エービーコミュニケーションズに黙って、動画を配信するほどのことだろうか。自分たちの進退だって危うくなるだろう)
岸辺綾音のことが大好きなんだろうけど。推しのために人生棒に振るってどうなの?
そんなこともわからない桃花に梨美は呆れた。
アイドルの岸辺綾音には好きな人がいる。誰なんだろう。視聴者はそこだけ知りたいのではないか。だいたい禊とか言ってくるあたりが昔のアイドルっぽい。考えも古いのよ。
インターネットの動画は、世界中の人が見ることができるが、実際、視聴する人層は狭い。視聴する人はたくさんの動画の中から選んでみることができるため、基本的に自分が興味がある動画しか見ない。
一方、テレビはチャンネルが限られている。少ない番組の中からどれを視聴するか選ばないといけない。そのため番組は対象となる年齢層を広めに設定している。そのためテレビを主な活動場所としているアイドルは、子どもから大人までの好感度を狙うよう、より厳しく管理されているのだ。
綾音先輩が禊ぎをするのも仕方がないことだろう。特にタレントに転身するなら、クリーンなイメージは大切だ。昼の情報番組は女性が見ることが多いし、夜の娯楽番組はファミリーや子どもも見る。男関係が派手なタレントは、視聴者に嫌われるため、出演できる番組が限られてしまう。そのため、禊をして、涙ながらに謝罪する。立派な生き残り戦略だ。
いま、桃花は暴走しているが、おそらくわたしたち「メタモルフォーゼ」のファンは桃花のそういう性格も愛している。ヨーチューブのファンは狭く深い。
この辺が動画クリエイターとテレビのアイドルの違いだと梨美は分析していた。
アイドルを脱してテレビタレントになろうとしている岸辺綾音。それに対し擁護活動をする桃花。
エービーコミュニケーションズがなんていうだろうか。
梨美は頭が痛くなった。
動画投稿者専門の事務所もあるようだが、綾音先輩とわたしたちは部署は違っているだけで、所属している事務所は同じだ。ちなみに動画部門は後身のため、力が弱い。
桃花は自分の思ったことを素直に言う性格だ。それで炎上することがあり、事務所はあまり桃花のことをよく思っていない。固定ファンはいるが、立場は危ういのだ。
恋愛論で物議を醸しだそうとするわたしたち、メタモルフォーゼの首を、エービーコミュニケーションズは斬るかもしれない。
梨美は予想する。
それはそれで受け入れるしかないか。
ため息が出た。
メタモルフォーゼは桃花が中心で、わたしは添え物のようなものだ。桃花は一人でもやっていけるけど、わたしは一人では無理だ。わたしの個人チャンネルの登録者数やコメント欄をみても反応が悪い。
潮時なのかもしれない。
大学一年生のときから二人で活動しているが、桃花のことはすぐに覚えられるのに、梨美は「あの、普通のほう」、「地味な子」と言われていた。桃花の服は確かに目立つ。しかし、わたしの服の好みは布地がいいもので、デザインがちょっとだけ変わったもの。わたしのことをもっと知ってほしいと何度願ったことか。
梨美は振り返る。
じゃあ、わたしが派手な服を着て、注目を浴びようとしたらいいんじゃないかとも思ったけれど、無理だった。着る服、パワフルな発言、すべて桃花が勝っていた。