颯太が通っていたのは、初等部から大学までエスカレーター式で進学できる私立学校だ。生徒や教師陣は初等部と呼ばないのだが、校外で学校の話をするときは初等部と颯太は呼んでいた。祖父母に学校の話をするときにうまく伝わらなかったのがきっかけだったと、颯太はなんとなく覚えている。

 両親が颯太の将来を考え、受験させてくれた名門私立校。いわゆるお受験と呼ばれるもので、母と一緒に必死に受験の準備をしたことを、颯太は今でも覚えている。
 合格できたときは、喜ぶよりも先にホッとした。ようやく受験の準備から解放される。母の厳しすぎる指導も、父からの無言のプレッシャーも、もう受けずに済むと思うと、幼かった颯太は心底安堵した。

 高倍率で学費も桁外れの私立校は、両親にとっては大変だろうが、案外居心地がよかった。
 颯太が光と出会ったのも、同じ学校のクラスメイトだったからである。
 幼い頃は、颯太も今ほど友達が少なかったわけではない。入学してすぐ、あっという間に人気者になった光ほどではないが、颯太もいつも友達に囲まれ、楽しく過ごしていた。

 小学校六年生のとき、颯太の家に強盗が入った。この事件をきっかけに、颯太の人生は大きく変わってしまった。
 颯太の両親は殺され、颯太自身も大怪我を負った。怪我の影響か、はたまた事件のショックかは分からないが、颯太は事件の前後のことをよく覚えていない。
 高級住宅地に建つ小さな一軒家。強盗犯が最初から颯太の両親を狙っていたのかは分からない。医者である二人に恨みを持って、颯太の家に忍び込んだのか。それとも金持ちの家ならどこでもよくて、たまたま颯太の家が選ばれてしまったのか。答えは今も分からないままだ。犯人はまだ、捕まっていないのだから。


 事件後、母方の祖父母が颯太を引き取り、実の息子のように育ててくれた。強盗事件と結びつけられないよう、苗字も祖父母の姓である『笹木』に変えてくれた。

 今の学校はセキュリティもしっかりしているし、先生たちからの理解もある。でも同じ学校に通い続けるのが辛かったら転校してもいい。颯太はどうしたい? と祖父は訊いてくれた。当時、両親を失ったショックと自分だけ生き残ってしまった罪悪感で何も考えられなくなっていた颯太は、自分では答えを出せずにいた。
 あの頃、周りの友達は颯太のことを心配しながらも、どこか距離を置いていた。きっと普通の人生ではなかなか経験しない事件に遭遇した友人に、どんな言葉をかければいいのか分からなかったのだろう。颯太が逆の立場でも、同じ態度をとったに違いない。
 おそるおそる声をかけてくる周囲の人間を、気遣う余裕は颯太にはなかった。ときには声を荒げてしまったり、会話の最中に泣き出してしまうこともあった。

 生きていることが苦しかった。息をするだけで罪悪感に苛まれた。たくさんの人に必要とされ、多くの仕事を任されてきた両親。両親は殺されてしまったのに、何も成し得ない自分が生き残ってしまったことが、申し訳なくて堪らなかった。
 次第に学校に行くのも苦しくなって休みがちになると、颯太が住む祖父母の家まで、光はわざわざ訪ねてきた。それも毎日だ。
 光の家からは遠いはずなのに、光は欠かさず颯太に会いにきた。リビングで宿題をやって、一緒におやつを食べて、また来るな! と言って帰っていく。
 周りの友人たちが颯太との距離を測りかねているなかで、光だけが今まで通り接してくれた。そのことが颯太にとってどれほど救いになったのか分からない。

 祖父母に転校を提案されたことを話すと、光はどこの学校? と首を傾げた。

「分かんない。この辺りの……公立の学校かな」
「公立かぁ。父さん許してくれるかな」
「え? 何を?」
「俺が公立に通うの。父さん、俺がちゃんとしてないと自分の箔が落ちると思ってるんだぜ。あったま悪いよな」

 光の使った慣用句は聞き慣れなかったが、そのことは颯太にはあまり重要ではなかった。光が当たり前のように颯太の転校に着いてこようとしている。こちらの方がよほど大問題だ。

「え、転校って僕の話だよ?」
「そしたら俺も行くよ。だって颯太と違う学校じゃつまんないし」

 光にとっては何気ない一言だったのかもしれない。しかし颯太にとっては、事件後初めて心が強く動いた言葉だった。

「僕がいないとつまんないの?」
「そりゃあそうだろ。だからこうして毎日颯太の家まで来てるんじゃん!」

 きっと理由はそれだけではないはずだ。両親を急に失った颯太を心配して、様子を見に来てくれていたり。颯太が学校の授業に置いていかれないよう、一緒に宿題をやったりと、光なりに気を遣ってくれていたことも分かる。
 でも颯太は嬉しかったのだ。友達なんてたくさんいるはずの光が、颯太がいないとつまらないと言ってくれたこと。
 世界に一人、取り残されてしまった颯太には、自分を必要としてくれる光の存在が、眩しくて堪らなかった。

「……僕、転校したくないって、おじいちゃんに頼んでみる」
「お、どうした急に」
「僕のことを……事件のことを何も知らない人に囲まれていたら楽かもしれないけど、光のいる学校の方がきっと楽しいし」
「ん? 公立に行くなら俺も転校してやるって!」
「光のお父さん、絶対怒るよ」

 光の突拍子もないわがままに、光の父がカンカンに怒っているのを想像し、颯太は眉を下げた。
 颯太も一度しか会ったことはないが、光の父親はかなり厳しいイメージがある。もし光のわがままが通らなければ、颯太はひとりぼっちで新しい学校に通うことになってしまう。
 本来ならば当たり前のことなのに、光と同じ学校に通える可能性を目の前に出されて、離れ離れになるのが急に怖くなったのだ。

「……いいんじゃない? 颯太が転校したらみんな悲しむだろうし」
「光が一番泣きそうだけどなぁ」
「俺は着いていくから泣かないけどー」

 口を尖らせながら嘘を吐く光に、颯太は思わず笑ってしまった。
 一緒に転校するつもりなのに泣くのかよ、と心の中でツッコミを入れながら笑っていると、光が眩しそうに目を細めた。 


 結局颯太は、初等部から高等部までは両親が入れてくれた私立校に通った。大学まで内部進学できるのだが、颯太は外部受験を選んだ。

 両親が颯太のために入っていた学資保険は、契約者死亡特約が適用された。残りの保険料の払い込みは免除になり、満期までの学資金を全額保障してもらえるのだ。
 学資保険に加え、両親の遺産もあったため、颯太の選択肢は増えた。しかし未来で何が起こるか分からないので、お金は節約した方がいい。そう考え、颯太は名のある国立大学に狙いを定めた。
 親友の光は、颯太と同じ大学を受験するに違いない。名門有名私立校を飛び出して外部受験するのだから、それなりの大学でないと光の父親は納得しないだろう。颯太は誰も文句の言えないくらい、レベルの高い国立大学を目指すことにした。
 かなり早くから受験勉強に励み、塾や教師の助けもあって、颯太はなんとか志望校に合格することができた。
 颯太の予想通り、光は颯太と同じ大学への進学を選んだ。しかもギリギリ合格ラインに到達した颯太と違い、かなり余裕のある成績だったようだ。

 初等部から高等部まで、途中入学してくる生徒もいたが、持ち上がりの生徒も多かった。だから颯太にとって大学生活は、久しぶりの新しい環境だったと言えるだろう。
 さすがに光のように多くはないけれど、颯太にも友達と呼べる相手ができた。大学内だけではなく、アルバイト先の本屋や居酒屋のアルバイト仲間とも食事に行ったりする。

 颯太は今の環境に満足していた。友達が特別多いわけではないが、話す相手には不自由していないし、信頼できる親友もいる。
 これ以上交友関係は広げなくてもいいだろうと思っていた矢先のことだった。